「なんで自殺したんでしょうか?」
慧は、夕が持ってきた果物をぱくつきながらいった。メロンの果汁が口内でほとばしる。
彼女がいるのは市民病院の個室だ。数か月前に滞在していたのと同じ部屋だった。あのとき、窓から見える木々の葉はむせかえるほど青々としていたが、いまは落ち着いた緑に変わっていた。夏の盛りも過ぎ、植物は秋に備えている。
彼女の問いかけに、テーブルに置かれたアイパッドの液晶画面の向こうで、三鷹巡がいった。
「死ねば、また転生し、犯罪行為に走れるからだ」
巡は、いつものように高級スーツに身を包み、どこか高級ホテルの一室のようなところにいた。サイドテーブルにはこちらにまで香りが伝わってきそうなコーヒー、それに英字新聞と灰皿が置かれている。
「だから、わたしは同類を処刑する方針には賛成できないのさ。あれは、問題を未来に押し付けるだけで、なんの解決にもならない」
「悪かったな」“兄”が病室の端からいった。腕組みをして壁にもたれている。「あんな雑魚が、あそこまで思い切りがいいとは見抜けなかったもんでな」
「本当か? 君は昔から“処刑”を好んでいた」
「極限の苦痛を与えれば、俺たちの存在が連中の抑止になるからな。だが、今回のは、そういう意味でも失敗だ。あの野郎、あっさりいっちまった」
“兄”は憤慨しながら、部屋の冷蔵庫をあけた。勝手に入れておいたオリジナルのプロテインドリンクを取り出すと、一気飲みを始める。
慧は、画面のなかの巡にいった。
「GPSってなんです?」
巡が眉を上げた。
「ミロン?」
“兄”が頭をかいた。
「あー、悪い。その、うっかりな」
「わかった。慧くん。君のスマートフォンはわたしから追跡できるようになっていたんだ」
「わたしを信用してなかったってことですか?」
「守るためだ」
「わたしを? それともわたしが殺しちゃうかもしれない人を?」
「両方だ」
慧は蒲団を握りしめた。
「すまない」と、巡。
「いえ、自制できないわたしが悪いんです」
「そうだ」“兄”が口を挟んだ。「お前は修行が足りなすぎる」
言い返したいが、今回の失敗のあとでは無理だ。
“兄”が続けた。
「巡、お前がもう暫く帰れないってんなら、俺がコイツに教えてやろうか?」
「君のやり方でうまくいくかな?」
「もちろん、お前の流儀に合わせるさ。ロンドン時代はきっちりしてたもんだろ?」
「そうだな」
「め、巡さん?」と、慧。
「心配すんな」兄が笑った。「相手はカミーユにさせるさ」
「カミーユ、さん?」
誰だろうそれは? 夕のなかの人格の一人だろうか。
“兄”が巡にいった。
「そういや、あの場にいた女どもはどうなった? お前の警察の部下とやらに引き渡した後、どう処理されたんだ?」
「ハイドニックの妻たちか? みな捜索願が出ていたから、医者の許可がおり次第、親元に帰ることになる。ただ、妊娠中の子もいるうえに、ハイドニックを失ったショックで取り乱しているらしい。まったく、とんでもないやつだったよ。結局、何人殺したかも掴めない。妻たちの話を総合すると、六から七人みたいだがーー」
話の途中、巡が、すまん、という風に宙をチョップした。懐からスマホを取り出す。
「どうした?」と、“兄”
「妻が一人逃げた」
「どのコです?」と、慧。
「〝妹〟と呼ばれていたコだ」
「あの子も妻だったんですか?」
「七王子=ハイドニックの本当の家族は、父と母だけだ。二人もと行方不明なわけだが、兄弟がいないのは間違いない。第三夫人の話だと、〝妹〟はある日突然現れたらしい。妻としての“教育”を受けていないのに、第一夫人以上のポジションになった。監禁されることもなく、外で生活していた。おそらく、ハイドニックの〝前世の妻〟の一人なんだろう」
「そんな偶然ってあるんですか? 前世の縁者が、来世でまた出会うなんてーー」
慧は口を閉じた。そもそも自分がそうだったのだ。
運命の糸は必ず繋がる。
巡がポケットからパイプを取り出した。
「前世からの因縁を断ち切ることは難しい。彼女は前世をハイドニックにめちゃくちゃにされた。そして現世も。やるせない話だ」
「それにしても、なんで逃げたんでしょう? ハイドニックに洗脳されてたったいえば、そこまでの罪にならないかもしれないのに」
☆☆☆☆
〝妹〟は、川崎市綱島にある高層マンションから、どこまでも広がる住宅街を眺めていた。はるか彼方に、みなとみらい地区のランドマークタワーが突き出ている。その向こうには、富士山のシルエットが浮かんでいた。
天井から床までつながったガラス窓からは、夕日が差し込んでいる。屋外は堪らない暑さだろうが、強力なエアコンのおかげで室内は適温に保たれていた。
彼女はロペピクニックのパジャマに身を包み、窓に面したソファに寝転がっていた。このマンションは、七王子=ハイドニックの別宅だ。彼はありあまる資金で、神奈川県内の各所にこうした避難所を用意していた。名義は別人だから、司直の手が伸びることもない。
彼女は、下腹部をなでながらいった。
「もう聞こえてる?」
むろん、なんの反応もない。まだ受精して四日とたっていないのだ。胎児が動けるはずがない。そもそも、この月齢で妊娠を感じ取れるなどありえない話だ。
それでも彼女は確信していた。七王子=ハイドニックの魂は自分のなかに転生した。彼が亡くなる前日、二人は性行していた。あのときの精子で受精したのだ。十月十日たてば、赤ん坊として出てくるだろう。
彼とのつながりは、幾世前からかわからないが、母親になるのは今回が初めてだ。彼女は幸せに浸りながら、呼びかけた。
「元気に生まれてね」
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