シリアルキラーガールズ

殺人鬼テッド・バンディ、転生して女子高生になる
松屋大好
松屋大好

新入り

公開日時: 2020年10月9日(金) 22:52
文字数:3,872

 巡は病院の屋上でパイプをふかしていた。


 東の空が白み始めている。


 海からの生暖かい潮風が肌を撫でた。気の早いカモメが一羽、上空をのんびり漂っていた。


「悠はどうなったんですか?」


 横に立つ野々市慧がいった。 


 腹部に手を当てている。巡と悠が突き刺した包丁は、まち子が用意したホルモンと血袋を突き破り、彼女の皮膚まで届いた。じっさいの苦痛があれほどの演技を可能にしたのか、それとも元々そういう才能があるのか。


 巡は紫煙を風に流した。煙はまだ夜の領域に消えていった。


「三十分ほど前に目を覚ましたよ。君のおばさんの話じゃ、語彙が極端に少なくなっていたそうだ。単に一時的なショック性退行を起こしているとも見えるが、おそらく、前世の記憶が消失したんだろう。そのために知能の程度が七歳児本来のものになったんだ。宗教的な観点からいえば、“憑り付いていた悪霊が思いを遂げて成仏した”ってところか」


 彼女の顔が明るくなる。


「じゃあーー」


 巡は小さく首を振った。


「とはいえ、生きている君と顔を合わせれば、また前世のやつが戻ってこないとも限らない。二度と会わないのがベストだ。申し訳ないが、おばさんには引っ越しを進言させてもらった。旦那さんがシンガポールに単身赴任中ということだったから、ぜひ、そこに行くべきだと。おそらく、姪御さんの認識では、さっきの騒動は全部夢だ。夏の夜の悪夢。従姉妹のおねえちゃんは、もちろん生きてるが、死んだような気もする。そういう曖昧なところがいいのさ」


 慧が嬉しそうに頷いた。


「悠が前世に囚われなくなったなら、それでいいんです。自分のじゃない過去に苦しむのは、わたし一人で十分だもん」


 彼女は屋上の柵に手をかけると、ひらりと乗り越えた。巡と向き合うようにして、十センチほどのへりに降り立つ。スリッパのかかとが宙にはみ出している。


「やめたほうがいい」と巡。


 彼女の手は、彼の手から五センチほど隣で鉄柵をつかんでいる。


「ううん。わたしはもういいんです。三鷹さん、ほんとにありがとう。あの占いの人がいった通りだった。あなたのおかげで、悠にとってはこれ以上ないほどの結果になりました。あとはわたしが自分で蹴りをつけるだけ。昨日から、そう決めていたんです」


「ケリ? 」


 慧が下をのぞいた。この市民病院は七階建てだ。例え、下が草むらだろうが、落ちれば頭蓋は砕け、内臓はトマトのようにつぶれるだろう。


 彼女がいった。


「あなたもいってましたよね。悠はわたしを殺したがったけど、わたしはあの子がそうするずっとずっと前から、あの子を殺したかったの。それに悠だけじゃない。ほかの人にも欲望を感じるんです。殺したいっていう強烈な飢餓感。なんとか我慢してるけど、いつか衝動を抑えられなくなるときがくる。わたしは水を飲まずに砂漠を旅してる。でも、周りにはいくつもオアシスがある。飲めば楽になる。でも、堪える。そんな旅をいつまで続けられるか。きっといつか、負ける時がくる。だから、そうなる前に死ぬべきなんです。いままで先延ばしにしてきたけど、ケジメをつける日が来たんです」


 手すりをつかむ指が力を緩める。


「それなら、なおのことやめたほうがいい。まさかと思うが、死ねば、その呪われた魂が、清らかな善の魂に変わると信じてるんじゃないだろうね」


「え?」手すりから離れかけていた指に力が入った。


「いっておくが、死んで転生したとしても、君はまた殺しの欲望に取り憑かれる。断言しよう。自分自身から逃げることなど、未来永劫できない。踏みとどまって己の因果と戦うんだ。自分の中の欲望をコントロールするんだ」


「そんなこと、できるわけないじゃない! 殺したいって気持ちを抑えるのが、どれほどたいへんか分かる? どんな拷問だって霞むくらいの苦しみなのよ」


「わかるさ」彼は自身を指差した。「わたしも殺人鬼だったのだから」


 

 ☆☆☆☆



  慧が切れ長の目を細めた。浜風に後頭部でくくった髪が揺れる。


「わたしはふつうの女子高生じゃないんですよ。そんな嘘が通じると思います? 警察官はもれなく前世調査を受けるってことくらい知ってます。あなたの前世が殺人鬼だなんてありえない」


 巡は頷いた。


「その通りだ。わたしの前世はイギリスの警官だよ。だが、前前世は歴史に残るほどの悪魔だったのさ」


 彼は自分の心を縛る鎖を、ほんの少しだけ緩めた。


 夜の闇が心地よくなる。頭上を待っていたカモメが急にバランスを崩し、数メートル落下してあわてて羽をばたつかせた。


 目の前の少女をただ見つめた。なんの邪気もない。虎が兎を観察するように眺めた。


 ショートパンツから健康的に伸びた脚、ほどよく引き締まった腹部、ささやかで柔らかそうな胸。意志の強さを感じさせる顔立ち。そのなかには多少、不健康な魂が感じられる。


 いつしか、彼の思考言語は日本語からラテン語になっていた。


 狩りのために道具を調達せねばならない。素手でもいいが、ナイフ、滑車、ハンマー、ペンチ。それに、水銀、硫酸、針、硫黄ーー。


 タバコの苦味が彼を現実に引き戻した。


 彼は目をしばたかせた。


 少しドアを開けただけだったのに、あやうく欲望の海にどっぷり浸かるところだった。


 嫌になる程まずいタバコは、こういうとき、本当に役に立つ。彼は意識を集中させるべく、ひときわ深く煙を吸い込んだ。


 慧は彼と距離をとろうと目一杯腕を伸ばし、手すりにぶらさがらんばかりだった。


 彼はいった。


「信じてもらえたかな?」


 彼女が頷いた。


「あなたが、わたしの同類だってことはわかりました」


「そうだ。わたしは君と同じ殺人鬼だ。ただし、きみよりもずっとうまく自分をコントロールできる」


「さっきの感じだと、とてもそうは思えないけど」彼女がつぶやくようにいう。


「まあ、自分を出すのがひさしぶりだったからね。ともかく、前世も含めれば、かれこれ六十年ほど人を殺さずに生きている」


 彼女が肘を曲げ、両手でしっかりと手すりをつかんだ。背後の雲が白く輝いている。夜明けも近い。遠く、横浜湾を行き来する船の汽笛が聞こえた。


「どうやったら、そんなことができるんです?」


 彼は自信満々に微笑んだ。


 ポケット灰皿を取り出し、パイプの中の燃えかすをうつす。


「マナーだよ。マナーが精神の調和をもたらし、人格を作るんだ」


 

 ☆☆☆☆


 

「それで、その姪っこさんはどうなったんですか?」


 まち子が網の上のモツをトングでひっくり返した。


 炭火でほどよく焼け、脂がしたたっている。ソースに付けると、小さくジュウと音がした。


 彼とまち子、それに瑠璃がいるのは、彼の家から程近い総合公園のキャンプスペースだった。炎天下だが、そこここの木陰に家族連れが陣取り、バーベキューに興じていた。


 彼は、トングでモツを追加した。


 病院で慧の重傷を演出するためにつかった肉の余りだ。相鉄線沿いでも評判の精肉店のモツとあって、味、歯ごたえともに最高だった。


「いまごろ、シンガポール行きの飛行機のなかだろう。病室に仕掛けておいたカメラの映像を見せたうえで、長い付き合いのビルガメスの医者にいわせたのさ。『娘さんはストレス障害を起こしかけています。至急、家族いっしょに暮らすようにされたほうがいい!』とね」


 瑠璃がモツを口に運び、ビールをあおった。肉感的な唇にあわがつく。


「くわー、たまらないわあ。しかし、ずいぶんリスキーな真似しましたねえ。母親が納得しなかったら、どうするつもりだったんですう?」


「納得するさ。自分の娘が襲い掛かったのは、可愛がっている妹なんだ」


「あれえ? じゃあ、当のテッド・バンディはお姉さんの自宅で一人暮らしするってこと? それ、やばぁくない? あのバンディでしょう?」


 巡は眉をひそめた。


「そういう言い草は好きじゃないな。因果な前世だったからといって、現世でも犯罪に走るとは限らない。野々市慧はいま悩んでるんだ。わたしにできるのは、彼女が勇気ある決断をするよう祈ることだけだよ。人は過去に負けない。人は変われるということを信じ、新しい道を踏み出して欲しいね」


「え? その口ぶりだと監視つけてないんですか?」と、まち子。


「大丈夫。彼女は逃げないさ。わたしには分かる」


「よっ、さすがスコットランドヤードの伝説的刑事!」瑠璃が茶化した。


「どうも」彼はパイプをふかした。


 いやになるほど暑い。出かけるときはスーツというのが紳士の嗜みだが、今日ばかりはTシャツ一枚の人間が羨ましかった。


「でも、刑事さん、ちょっと自信過剰じゃありませんこと? あそこの木の影にいるコ。こっちをすっごい睨んでるますよぉ~」


 瑠璃がにやつきながらいった。


 彼が首をまわすと、阿佐ヶ谷玲子と思しき影が遠ざかっていくところだった。


 失敗したな。彼は頭をかいた。疲れているとはいえ、もっと自宅から離れた場所をセッティングするべきだった。


「彼女は恋人じゃない。隣に住んでるただのOLだよ」


「へえ? とてもそうは思えない感じの目つきでしたけどぉ。でも、いいじゃないですかあ。かわいいコだったし。巡るさんはいまフリーなんでしょう?」


「いや、彼女とはいまの状態がいちばんいいんだ」


「ふーん。前世からのご縁ってとこなのかしらぁ」


 彼は思わず瑠璃の顔を見た。


 瑠璃がモツをつまんだ。


「しかし、これ、ほんとに〝イギリス式バーベキュー〟なんですかぁ? つけ汁がソースってだけで、焼肉みたいな気がするんだけど」


 彼が肩をすくめたとき、懐の携帯がなった。


 とりだすと、メール通知が一件あった。


 発信者は野々市慧。


 用件は短く、一言「明日の午後からバイトに出ます。いろいろ教えてください」とあった。


 彼は満足げに携帯を閉じた。

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