恵美と呼ばれた老女は、心臓に手を当てながら、瑠璃、慧、夕、そしてヤクザのガン次郎に次々と視線を移した。
「瑠璃さん。どの人が、どの人が達也なんですか?」
瑠璃が指でガン次郎を指した。
恵美が「おおお」といいながら手で顔を覆った。
弁当屋の客たちが「おおーい!おばあちゃーん」と声をかけてくる。
瑠璃がガン次郎の背中を叩いた。
「ほら」
「俺にどうしろってんだ」
「あなたの母親よ。あなたが決めればいいのよ」
「“前世の母親”なんてもんを信じろっていうのか?」
ガン次郎は目の前で肩を震わせている老女に困惑していた。
瑠璃が眉を寄せた。
「恵美さんが嘘をついてるように見える?」
「いや、嘘とまではいわんが」
「あなたが逢いたいというから、連れてきたのよ」
「いや、でも、なあ?」
ガン次郎が踵を返した。
恵美が「達也! どこいくの!?」と悲痛な声をあげる。
「勘弁してくれや。占い師のねーちゃん、ショバ代の件はまた次だ」
ガン次郎はそのまま繁華街の雑踏に消えた。
☆☆☆☆
「あれ見て」
慧が肘で夕の脇をついた。
初めて瑠璃を手伝ってから二週間が過ぎていた。いま、二人は瑠璃の占い小屋に向かっている途中だった。相鉄線のホームで偶然出会い、そのままいっしょに歩いてきたのだ。
慧が示した方向には、あのガン次郎がいた。弁当屋の行列に並んでいる。ちょうど列が進み、先頭になったガン次郎が老女の恵美に話しかけた。
かなりの距離があるので二人の表情までは見えない。
夕と慧がしばらく眺めていると、体格のいい男が二人、死角から現れた。
彼らは行列を作っていた客を蹴散らし、恵美に詰め寄ろうとした。
ガン次郎が彼らの前に立ちはだかる。
殴り合いが始まった。
ガン次郎は強かった。男たちが大きいといっても、ガン次郎は巨人なのかと思えるほどのサイズなのだ。たちまち二人を殴り倒した。
が、とくにパンチを受けたわけでもないガン次郎が膝をついた。腹部を手で押さえている。
恵美が駆け寄る。
夕はいった。
「どうしようか?」
慧が首を振る。
「わたしたちにできることはないわ。あのヤクザ、末期癌だっていってたじゃない。やばいならあのおばあさんが救急車を呼ぶよ」
「その通り。親子の間に首をつっこむのは、できるだけ控えた方がいいわねえ。それが優しさよお」
夕が振り向くと、後ろに露出全開の瑠璃が立っていた。今日は大きな胸元に奇怪なケルト風の紋様を描いている。
「あの二人は、いまゆっくりと母子になろうとしてるんだから。あのヤクザさんが亡くなる前に間に合うといいんだけど」
恵美がガン次郎に肩を貸し、二人はよろよろと歩き始めた。
瑠璃、夕、慧の三人が占い小屋に入ってしばらくしたころ、救急車の音が微かに聞こえた。少しずつ大きくなり、やがて、すぐ近くで止まったようだった。
慧が窓の方を向いていった。
「そういえば、瑠璃はなんでガン次郎が恵美さんの亡くなった息子の生まれ変わりだって分かったの?」
瑠璃が手元のノートパソコンに目を落としたままいった。
「恵美さんはうちのお得意さまでね。ここで店を始めたときから、ずっと通ってくれてるの。お弁当もサービスしてくれるし、いい人よ。恵美さんからは、いろんなことを聞いたわ。地上げに悩んでること、体調が衰えてて店を続けるのが厳しくなってること、あと五十年ほど前に生まれてからすぐに亡くなった息子さんのこと」
「それでガン次郎が来たときにピンと来たわけね」と、慧。
「そういうこと」瑠璃がうなずく。
話を聞きながら、夕は頭の中で、瑠璃のコックリさんもどきは、そこまで読み取れるのか?と震えた。もはや超能力だ。
彼が瑠璃に、こっくりさんの仕組みについて聞こうとしたときだった。
ふいに非常ベルが鳴り響いた。プレハブのそと、あちらこちらでヒグラシの群れのように声を揃え、共鳴して巨大な響きを作っている。
夕、慧、瑠璃の三人は外に飛び出した。
夏の熱気、排気ガスの匂いに混じって、焦げ臭さが漂っている。空を見ると黒い煙がもうもうと立ち登っていた。
煙の出どころは、この古いアミューズメントビルではない。どうやら建物の裏手だ。
しかし、プレハブ小屋に加え、巨大な壁があり、裏手は見下ろすことができなき。
慧と瑠璃が素早く塔屋によじ登った。
夕も続く。
ようやく火元がどうなっているのかが見えた。
恵美の弁当屋、ならびに周辺の雑居ビルがまとめて炎に包まれている。
炎の光が手前の道路をオレンジ色に染め上げていた。
そこで、一人の男が五、六人の男たちに取り押さえられていた。男の頭のうえには、ペットボトルのようなものと、ライターのようなものが転がっている。
取り押さえられている男は、角度の都合でよく見えないが、おそらくさきほどガン次郎に殴り飛ばされた地上げ屋の一人のようだった。
夕がそのことを説明すると、慧が「いったいどういう視力してるのよ」と呟いた。
「兄さんが、目の筋トレもしてるからだよ」と、夕。
炎はいきおいを増している。
野次馬たちが集まってきた。
消化器を手に炎を吹きかけているものもいるが、素人目に見ても、もはやそんなものでどうにかなるような火事ではない。
出発しかけていた救急車の後部ドアが開き、ガン次郎が飛び出してきた。
炎に向かって何か叫んでいる。
よく見れば、ほかにも声を張り上げている人々がいた。弁当屋に並んでいた客、恵美の店の常連たちだ。
ガン次郎が後ろから羽交い締めにしようとした救急隊員を振り解き、燃え盛る弁当屋にとびこんでいった。
ガン次郎は出てこない。
炎はさらに勢いを増していく。
やがて、消防車のサイレンが聞こえ始めたとき、弁当屋の入っていたビルが火の粉を撒き散らしながら崩壊した。
☆☆☆☆☆
四日後、「喫茶店」のカウンターで慧がいった。
「ガン次郎の前世は、恵美さんの子じゃなかったかもしれない!?」
瑠璃がロシアンティーをスプーンでかき混ぜながら頷いた。
「いくら、わたしのヴィジャボードが、潜在意識から前世の記憶を拾えるといっても、生後1時間で死んだ赤ん坊に記憶なんてあるわけないじゃない」
夕がいった。
「じゃ、じゃあ、なんだってガン次郎さんが恵美さん息子だなんていったんです? あの二人は互いを親子だって信じてたから」
「あれでいいのよ」
「いいって、二人とも亡くなったんですよ?」
「ええ、親子として死んだ。二人の間には、切っても切れないほどの強い縁が生まれたわ。あの二人は、来世できっと親子として生まれ変わるわ。すぐにでなくても、いつかきっとね。それでいいのよ。ガン次郎も恵美ももともと長くなかった。孤独だった二人はもう一人じゃないの」
「でもーー」慧が顔をしかめた。「わたしにはよかったのかどうか、わからない。だって、〝縁〟を意図的に操ろうだなんて」
瑠璃がスプーンをカップから離した。カップのなかでは、茶がゆっくりと回り続けている。
瑠璃は茶に目を落としたままいった。
「慧、あなたが〝縁〟を恐れるのはわかるけど、世の中、悪い縁ばかりじゃあないのよ」
慧は、何もいわずに席を立つと店の外へ出て行った。
彼女が手をつけなかったアメリカンコーヒーが湯気を立てている。
夕は瑠璃と、カウンターの中のまちこを見た。
まちこがいった。
「慧は、前世からの〝縁〟で、妹さんをなくしてるんです」
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