シリアルキラーガールズ

殺人鬼テッド・バンディ、転生して女子高生になる
松屋大好
松屋大好

何かが道をやってくる

公開日時: 2020年9月10日(木) 23:58
更新日時: 2020年9月10日(木) 23:59
文字数:2,517

 サラリーマンは空中で体勢を整えると、高架から張り出した整備補道に着地し、完璧なフォームで駆けた。


 慧も倣う。


 着地の瞬間、衝撃が足にかかった。体が前のめりになり、コンクリートの足場が顔に向かってくる。倒れ込む寸前にもう片方の足を出し、必死に身体を引き起こす。右足、左足、右足、左足。彼女は壊れたブリキ人形のようにドタバタと二十メートルほど走り、転んだ。受け身をとったものの、膝を痛烈に打ち付けた。


 痛みをこらえて起きる。顔をあげると、前方のサラリーマンは平然と直立し、心配そうに腕時計をなでていた。


「傷がついてしまいました。彼にもらったものだったのに」


「なに?」


「この腕時計のもとの持ち主、菅沼憲政さんのことですよ。せっかく彼のお時間をいただいたのに、とんだ不始末です」


 慧は少しの沈黙の後いった。


「ああ、殺したわけね」


「適切な表現ではありません。人は死ねば転生します。彼はいまごろ次の人生を楽しんでいますよ。わたしは彼の時間をほんの少しいただいただけです」


「ビルガメスでない普通の人間は、転生時に記憶の継続を期待できないのよ。彼らにとっては一度の生がすべて。ほんの少しいただいた? 全部奪ったの間違いじゃない?」


 サラリーマンがため息をついた。


「さきほどもいいましたが、わたしは急いでいるんです。禅問答をしている時間はありません。もう失礼してもいいですかね?」


 慧は両手を突き出すと、腰を落とした。


「逃すと思う?」


「柔道ですか。古風ですねえ」


 サラリーマンは通勤鞄に手を突っ込むと、プラスチックの銃のようなものを取り出した。


「は?」と、慧。


 銃は白く、銃口は四角い構造物で蓋をされている。

 

 サラリーマンは躊躇なく引き金を絞った。

 

 蓋が吹き飛び、中からコード付きの電極が飛び出した。

 

 電極は彼女の胸元に突き刺さった。

 

 瞬間、灼熱感が胸元から全身に広がった。身体の神経そのものが燃えているかのようだ。

 

 百万の針が彼女を突き刺している。

 

 足が勝手に折れ曲がり、彼女はその場に崩れ落ちた。

 

 身体中を駆け巡る激烈な痛みに、胎児のような防御姿勢を取ることしかできない。

 

 数秒後、サラリーマンが引き金から指を離した。


「まだ生きてますよね?」


 慧は「な、なんななな」と、呟いた。舌が動かない。

 

 サラリーマンが笑った。


「あなた、テーザー銃を知らないんですか? スタンガンを飛び道具にしたものですよ。電気ショックで対象を行動不能にするのです」


 バンディの時代にはそんなものなかった。


「それではさよならです。遺体は、そうですね。線路の上に置いておきましょうか。すぐに後続車がひいてくれますよ」


 サラリーマンは慧に一歩近づき、ふいに横浜駅の方角に目線を向けた。


 慧がどうにか顔を動かすと、夕の姿が見えた。


 高架の上をこちらに向かって全力疾走している。


 その後ろを相模鉄道の職員や警察官が追いかけていた。


 夕が二人に手を振り、笑顔で「おーい!」と叫んだ。


 警官の一人が慧を指し、「おい!あそこにもいるぞ!」とわめく。


 は? 慧は目をむいた。夕のやつ、いったいなにしてるの?


 背後でコツリと音がした。


 あわてて振り向くと、サラリーマンの姿は消えていた。


 慧はよろめきながらたちあがった。高架上に隠れる場所はない。


 下をのぞき込む。道路までは十メートルはある。


 飛び降りたっていうの? 三階ぐらいの高さがあるっていうのに?


「おまたぜ!」


 夕が激しく息を切らせながら駆け寄ってきた。全身汗まみれでワイシャツが肌に張り付き、引き締まった体が露わになっていた。


「だ、だ、だいじょうぶ?」と、夕。


「わたしは大丈夫だけど。なんなの? 君、怪物だなんだっていってたじゃない。その筋肉は飾り? なんでそんなにドロドロなのよ」


 慧は思わず笑ってしまった。殺人鬼と戦っていたわたしより、よほど消耗してる。なんなのほんと。


「さ、さっきもいったけど、に、兄さんは、今日は出てこられないんだ。ぼくが身体を操ったときは、これが精一杯なんだよ」


「それは、たいへんだったね。それにしても、なんだってこんな真似をしたのよ」


「そ、そりゃ、きみを助けたくて。余計な真似だったらごめん」


 慧は何も言わずに夕を見つめた。


 相変わらず、むかつくほどそそられる。


 彼女はどうにか衝動を抑えると、夕の胸元をこづいた。


「え?」と、夕。


 警官や駅員が近づいてくる。


「もう一走りよ。捕まったら退学だよ」


 慧はそういうと隣駅に向かって駆け出した。


「ちょっと!待ってよ!」


 夕がひいひいいいながら、あとを追ってきた。

 

☆☆☆☆☆

 

 東雲昌次郎は右腕にはめた三つ目の腕時計を確認した。


 午後六時十六分、時間通りだ。


 町は夕暮れに沈んでいる。さきほどまで公園で遊んでいた子供たちは、いつの間にかいなくなっていた。風はなく、無人のブランコは時が止まったかのように静止していた。ジャングルジムと滑り台、登り棒の合わさった複合遊具のてっぺんで、ゴリラのようなキャラクターが無機質な笑みを浮かべている。


 坂の下から人影が近づいてきた。手にはふもとの鶴亀とかいう小さなスーパーの袋をぶらさげている。


 昌次郎にはすぐわかった。


 愛しの君だ。


 あの特徴ある足取りは間違いようがない。


 これからはじまる彼とのひとときを思うと、口元が自然とほころんでしまう。


 思えばずいぶんと時間がかかった。


 ネット動画で彼を発見し、プロフィールにあったわずかな手がかりから、学校を突き止めるまでに三か月、さらに彼を特定するのに二週間。奇妙な女が邪魔をしたおかげで、いったん仕切りなおすほかなく。女に注意しながら、彼の家を特定するまでに三週間だ。待たされた分、彼の情熱はいっそう膨らんでいる。


 少年が近づいてきた。軽やかな足取りだ。


 昌次郎は眉を寄せた。


 おかしい。たしかにあの少年のはずなのだが、足取りがさきほどまでと異なっている。他人の空似か?


 少年とはもう二十メートルと離れていない。


 夕日を背に、少年の影が長く伸びる。


 いや、たしかにあの少年だ。しかしどうしたことか。ほんの十数秒の間に、あれほどあった魅力が消えている。


 少年の顔は影の具合でよく見えないが、笑っているようにもみえる。


 少年が彼に向かって走りはじめた。


 笑っている。


 歯茎をむき出しにして笑っている。


 心底楽しそうだ。

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