「あなたみたいに綺麗な方が、こんなさびれた店で働きたいんですか?」
少女が両手を挙げた。大げさな挙動だ。
きっと前世はアメリカンね。恵美奈は英語で思った。
ベストレイド、いや、さきほどの自己紹介によれば、警察官の三鷹巡がいった。
「野々市くん。少し静かにしなさい」
「すいません」少女がしゅんとした。
「しかし、わたしも不思議には思うよ」
巡が、彼女の応募書類をめくった。
「ご趣味はゆるキャラに入ること。ほう、〝ランドマーくん〟として活動なさってるんですか。それに経営されている会社もなかなかの規模ですね。そんなあなたが、なぜいまさらバイトなどする必要があるんですか?」
「社会勉強です。わたし、なんにでも興味があって、とにかく人と違うことがしたいんです」
巡がいった。
「社会勉強、ですか」
彼は目を細めた。
疑っている。ベストレイドの生まれ変わりなのだから、当然の反応だ。ロンドン時代、モンタギューだった恵美奈は彼の取り調べを受けている。目を細めるのは彼の癖だ。視力を底上げして、こちらの反応をもらさず捉えようとしている。
やっぱり、転生前の記憶を維持してるわね。彼女は思った。五感の強化は、複数回分の前世記憶を持つ人間には常識といえる技術だ。
彼女は巡の目を見つめた。
以前はノルマン系の青だった。いま暗闇の色だ。
「すいません、ほんとは社会勉強なんかじゃないんです」
「ほう?」
「じつはその、巡さんに一目惚れしたんです」
☆☆☆☆☆☆
野々市慧が立ち上がった。
巡が彼女を見た。
「どうした?」
「いえ、その、なんでもありません」
慧は大人しく座りなおした。が、恵美奈を見つめる目には、かすかに敵意のようなものが混ざっている。それとも嫉妬だろうか。
若い。スタイルはいいが、顔の幼さからして高校生、いや下手をすれば中学生かもしれない。彼女の同類だが、人生経験は浅い。自分の本性に目覚めたのは、せいぜいが前世だろう。殺気はかんたんに漏らすし、感情の起伏も大きい。
巡がいった。
「いや、恵美奈さん、たびたび失礼しました。せっかくの告白が台無しですね」
「いえ、いいんです。そのコの気持ちを考えずに口にしたわたしが悪かったんです」
「気持ち?」と、野々市。
「ええ、あなたも巡さんを慕っているんでしょう?」
彼女の顔が真っ赤になった。
「わ、わたしが!? 」
「あら、違った?」
「違います!」
この子、自分の感情に気づいてないのかしら。それとも、わたしの見立て違い?
「なら、巡さんをお食事に誘ってもよろしい?」
「どうぞどうぞ」
「それじゃ、巡さん、今晩お食事などはいかがでしょう?」
巡が頭をかいた。
「よく分からない流れだが、女性から誘われて、独身の紳士が断わるわけにもいかないでしょう。七時にロイヤルパークのルシエールでいかがです?」
「よろこんで、ご招待お受けします」
☆☆☆☆
「馴染みのようですね」
巡がグラスを回しながらいった。
「なにがです?」と、恵美奈。
二人の眼下には横浜の夜景が広がっていた。ルシエールはロイヤルパークホテルの二十八階にある。隣り合ったコスモワールドの観覧車の頂点とほぼ同じだ。観覧車の車輪は巨大な電子クロックも兼ねている。一定のテンポで、二十時十五分の表示が浮かんでは消えた。
恵美奈は眼筋を操作して、ゴンドラのひとつに焦点を合わせた。若いカップルが互いの唇をむさぼっている。大学生だろうか、男の手は女子のワンピースの胸元に入っていた。
巡がいう。
「店員の、あなたに対する態度ですよ。敬意が感じられる。常連なんでしょうね」
向かい合う彼、昼間と同じサヴィルロウのスーツ姿だ。ただし、手首にはまった時計はセイコーからダンヒルに変わっていた。
一方の彼女は、シックな黒のドレス姿。宝石類はなし。
比較的抑えた服装だが、シリアルキラーは他人の目を集めやすい。生まれつきの美形もあって、店内にいる男の半数は、横目で彼女を捉えていた。
彼女はほっそりした指でシャンパングラスをとった。サロンが美しい泡をわきたたせている。
「そういう巡さんも、ずいぶん慣れてらっしゃるのね」
「わたしは三月に一度程度です。フレンチは嫌いじゃないが、公務員の給料じゃ頻繁には来られませんよ」
「三月に一度? なら、いままでにも店内でお会いしていたかもしれませんわね」
「それはないでしょう。恵美奈さんのように美しい人を忘れるはずがありませんから」
むろん、会っているはずがない。彼女がベストレイドを見逃すなどありえないのだから。それにしても、考えていた以上に彼との生活圏が重なっている。これまで遭遇しなかったのが不思議なくらいだ。
彼女は微笑んだ。
「じつをいうと、このお店でではありませんが、けっこう前に巡さんとお会いしたことがあるんですよ」
「おや、まさか。どこで、いつごろですか?」
「過去でです」
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