シリアルキラーガールズ

殺人鬼テッド・バンディ、転生して女子高生になる
松屋大好
松屋大好

わたしのなかの殺し屋

公開日時: 2020年9月11日(金) 22:05
更新日時: 2021年2月15日(月) 22:50
文字数:4,061

 夕は鼻をひくつかせた。


 紅茶の香りが漂っている。アッサムだ。それにセイロン。いまさきほどまで誰かいたのだ。


「どうすべき? 帰った方がいい?」


 夕の問いに〝姉〟のカミーユが答えた。


「もちろん帰っちゃダメ。こういうときはガツンといかないとね。女社会は舐められたら終わりなんだから」


「ぼくは男だけど」


「男だっておんなじ。ほら、さっさと奥に行きなさい」


 カミーユが足の操作権を取ろうとしたものの、「いたたたっ!」と叫んで即座に引っ込んだ。


「な、なんなのよいまの」と、彼女。


「肉離れ。こないだ、兄さんの疲労が抜けないうちに全力で走ったから」


「わ、さいあく。しばらく表に出るのはやーめよっと」


 夕は苦笑しながら奥に進んだ。


 前回も思ったが、趣味の良い店だ。流行りのカフェというより、昔ながらの純喫茶だが、調度品のひとつひとつに不思議な趣がある。


 たとえば、ピロード張りの壁にかかっている油絵。どこか外国の野っ原を描いたものだ。農夫とその妻君が、牛を押して畑を耕している。牧歌的なのに、厳かな雰囲気も兼ね備えている。


〝兄〟がいった。

「ジャン・フランソワ・ミレーだ。バルビゾン時代の一枚だろう」


「『落穂拾い』の?」


「こいつは真筆だ。しかも俺の知る限り、市場に出たことがない。値段をつけるなら四億円といったところだな」


「億の絵を、こんな無造作に?」


「ベストレイド、いや、巡はビルガメスのなかでも絵にうるさいからな。たいていのビルガメスは、来世への投資として若手作家の作品を買い集めるもんだが、あいつは純粋に絵が好きなんだよ」


「じゃ、あれは?」


 夕は柱にかかっている、小さな花の絵を指した。


「アンリ・ファンタン・ラトゥール。あいつ、まだ花を描いてるのか」


「画家に会ったことがあるの?」


「二度ほどな、やつはビルガメスの芸術家だ。〝御使派〟という、人類の発展を一大目標とするグループの一員だった。巡のやつ、現世で再会したらしいな。発色具合からみて、ここ一年以内に描かれている」


「兄さんって、その、意外と博識なんだね」


〝兄〟が笑った。


「ビルガメスの人生は無学でいるには長すぎる」


 カウンター横の通路を進むと扉が二つあった。片方にはトイレのマークがある。もう片方を押し開けると、物置ほどの小さな部屋だった。


 二つの丸窓から、横浜港を行き来する船がよく見える。家具は丸テーブルに丸椅子が四脚。そこに、慧、メガネのまちこ、ヤンキー女の愛、女子小学生のユートンが座っていた。


 視線が一斉に刺さった。


 誰も言葉を発しない。


 壁の時計の秒針がコチコチと音を響かせる。


 2、3分したところでヤンキー女が息を吐いた。


「お前、前世がガイジンだから、日本語が読めなかったりするのか?」


「いや、読めるけど」と、夕。


「なら、どうして帰らないんだよ。カレンダーの文字は見ただろ?」


「だって、〝巡さん〟とぼくの兄さんが決めたじゃないか。ぼくが君たちを手伝うって」


 ユートンがいう。


「お主はうまくやっていけると思うのか?」


「いや、みなさんのためなんですよ。兄曰く、巡さんが帰ってくるまでは、出来る限り顔を出すようにって」


「わしらは助けなど必要ない。いや、誰かさんには必要か」


 ユートンはそういうと、慧に目を向けた。


 慧が赤くなる。


「わたしだって必要ないわ」


「なら決まり、助けは不要だ。それじゃあ、わしはプリキュアの再放送があるからこれで」


 ユートンが部屋から出た。


 ヤンキーの愛が「そゆことで」とあとに続く。


 慧が立ち上がる。


「こないだのことは感謝してるけど、やっぱり君といっしょに動く気はないわ」


 彼女は背筋を張って立ち去った。


 夕は、残っているまちこを見た。


「君は帰らないのかい?」


「うん。わたしは我慢してみます」


「そ、そこまでぼくが嫌なの?」


 まちこが首を横に振った。


「違います。夕さんはわかってません。みんながどうして出て行ったと思うんです?」


「そりゃ、ぼくが嫌いだからでしょ」


「いいえ。みんなあなたのことが大好きだから出たんです」


「意味がわからないんだけど」


 まちこが犬が体についた水滴を跳ね散らかすよくに、ぶるりと身を震わせた。


「この店のメンバーは、全員が殺人鬼としての前世を持っています。みな、前世を恥じ、その罪を償うために〝狩り〟をしていますが、殺人鬼としての欲望は残っているんです。好みの相手がいれば、衝動を発散したくなる。もちろん、頑張ってこらえるわけですが、あなたはその限界を超えそうなほど魅力的なんです。だから、実行に移す前に去ったんですよ」


「じゃあ、まちこさんは大丈夫なんですか?」


「もちろん難しいですね」


「ええ?」


「でも、巡さんはこうなるとをわかっていて誘ったと思うんです。あなたに対して殺意を堪えられるなら、間違いなく、今後、誰に対しても堪えられます。おまけに、万一、わたしたちが衝動を抑えきれなくても、あなたは〝怪物〟ですからね」


「我慢の練習相手にちょうどいい?」


 夕は一歩後退った。


〝兄〟はまだ表に出られないのだ。あと数時間かかる。こんなことなら、来るのは〝兄〟が出られるようになってからにすべきだった。


 まちこが立ちあがった。


「それでですね、ご相談なんですけど。わたしとデートしませんか?」


 

☆☆☆☆☆

 


 デート?


 慧は窓枠の下に身を隠しながら、心の中で突っ込んだ。


 ここに潜んだのは、夕が気になったからだ。厳密にいうと、まちこが夕を殺すのではと心配だったからだ。


 顔にまとわりつくモンシロチョウを追い払って、また聞き耳を立てる。


 まちこの声がいった。


「じつは、わたし、彼氏がいないんです」


「それは、意外だ。かわいいのに」と、夕の声。


「かわいい? ありがとうございます。でも、男の人とデートしたことすらないんですよ」


 あたしと同じくね。と、慧は心の中で思った。


 まちこがいう。


「なぜかというと、わたしのなかには悪魔がいるからです。わたしはあなたと同じ多重人格型のビルガメスです。ただし、わたしのなかにいるのはたった一人。ずうっと前のわたし。そいつは自分のことを超常的存在である悪魔だと思い込んでるんです。そして、悪魔としていつも囁くんです。『殺せ、殺せ、人を殺せ』って。わたしの前世の一人はその声に負けました。彼女は声を、本当の悪魔のものだと思い込んだんです。そして悪魔の知恵を使って毒物を作り始めました」


 姉のカミーユがいった。


「ラ・ヴォワザンなの?」


 まちこがぎょっとした。


 夕の口からいきなり女性の声が出てきたからだ。


「た、たぶん。夢の中で断片的な記憶を見ただけなので、確信はないですけど」


「誰?」と、夕。


 カミーユがいった。


「十七世紀フランスの殺人者。カトリーヌ・マンヴォワザン。わたしが現世にいたとき、兄さんが追いかけていた女よ。表向きは占い師にして助産師だけど、そのじつ黒ミサに傾倒する魔女、そして毒薬づくりの天才。


 彼女の作る毒は、無色無味無臭なうえに、当時の科学では検出すらできなかった。毒殺したとしても、自然死にしか見えない。まさに魔法の薬よ。


 たとえば、悩める女が、彼女の表向きの商売にやってくる。夫が不倫している。自分はどうすればいいんでしょうか?


 すると、彼女が薬をそっとわたす。絶対にバレないから大丈夫。相手の女をこの世から消してしまいましょう。


 相談者は受け取るもすぐには使わない。人を殺すなんてとんでもない話だもの。


 でも、夫や、その不倫相手を見るたびに、少しずつ心が揺らいでいくの。


 手元にある〝魔法の薬〟が、彼女の心を蝕んでいく。


 絶対にバレない。殺しても絶対にバレない。


 善良だった彼女は少しずつ変わっていき、ある日、薬を手に取る。


 一度、使ってしまえば、二度と元には戻れない。妬ましい相手、憎い相手、嫌いな相手、彼女のまわりでどんどん人が死んでいく。


 薬がなくなれば、ヴォワザンのところにいけばいい。親切なヴォワザンは何度でも処方してくれる。


 ヴォワザンはそうやって、国中に何十人もの殺人鬼を生み出したの。


 彼女の得意先は増え続け、ついに宮廷にまで入り込んだ。ルイ14世の愛人の一人が、ほかの愛人を殺そうと目論んだの。相次ぐ毒殺に、宮廷の人々は疑心暗鬼に陥り、憎み合い、国政は乱れに乱れた。


 わたしと兄さんは、毒薬の供給元を追いかけたけど、なかなか辿り着けなかった。ほんの僅かでも手がかりを掴むと、相手は周囲の人間すべてを毒殺して逃亡するんだもの。


 とはいえ、結局はヴォワザンも官吏に捕まり、処刑の憂き目にあったわ。


あの日、わたしは何千人もの見物人とともに処刑の場にいた。わたしたちから逃げ続けた相手をこの目で見るためよ。


処刑人とともに現れた女は、なんというか〝堂々〟としていた。これから火に焼かれようっていうのに泣き喚くこともせず、胸を張ってわたしたちを眺めてた」


 まちこがいった。


「彼女にとって、死は救済だったんです。自分の死も、他人の死も。悪魔は〝破滅派〟の一人でしたから」


「だと思った」


破滅派、人殺しを是とするビルガメスの一大派閥だ。


「そんな悪魔がなかにいるんですよ」まちこが自分の胸に触れた。「悪魔が何をするか分からないのにデートなんてできませんよ」


「でも、あなたを見てる限り、その悪魔とやらが身体を操ることはないんでしょう?」と、カミーユ。


「いままでは。でも、巧妙なやつなんです。動かせるのに動かせないふりをしているだけかも。デート中にいきなり目の前の人を刺し殺すかもしれないんですよ?」


 まちこが自分の胸を鷲掴みにした。


「それに、わたし自身にも殺人欲があるんです。悪魔に育てられましたから」


「気の毒ねえ」と、カミーユ。「あなたの気持ち、よくわかるわ。わたしもビルガメスだったせいで、なかなか恋人を作れなかったから。よし、夕。協力してあげなさい」


「お姉さん、ありがとうございます!」と、まちこ。


「いや、ちょっと待ってよ。それ、ぼくに何のメリットがあるわけ? 殺される危険をわざわざ犯すなんて馬鹿げてるよ」


 まちこが自信満々にいった。


「メリットならあります」


「どんな?」


「夕さんは、わたしとデートできるんです」

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