「悠! こんなところで何してるの?」と、慧。
彼女の姪がいった。
「ママとおばちゃんが、おねーちゃんがこのへんでバイトしてるって話してるのを聞いたの。わたし、おねーちゃんに会いたくて。来ちゃダメだった?」
慧が頭を左右に振った。
「その気持ちは嬉しいけど、ちっちゃなコが一人でこんなとこまでくるなんて、とっても危ないのよ。それにしても、よく地下鉄に乗れたね」
「おねえちゃんに会いたかったから!」
悠が満面の笑みを作った。
巡は、再び邪悪な意思を感じた。
ーー間違いない。野々市慧は殺しの欲望を抱いている。ターゲットは女子供。いま狙っているのは、目の前にいる幼女だ。
悠がいう。
「あれ? おねーちゃん、この人は? すごいイケメンだね! 彼氏?」
「まさか! バイト先の上司だよ。三鷹さん」
「ふーん」と、悠。
「ごめんね、だから、放課後いっしょ遊んであげらんないの」
「ちぇっ」悠が唇をとがらせた。
ひとしきり雑談したあと、二人は彼に一礼して、地下鉄につながる階段を降りて行った。
彼は、二人の気配が離れたのを確認してから尾行を開始した。
野々市慧はビルガメス、しかも殺人鬼のビルガメスだ。彼は、通路の角からホームに立つ二人を見ながら思った。彼女の殺意は女児に向いている。通常、女のシリアルキラーは男児に目をつける。同性を狙うことはめったにない。となると、彼女の前世が男の殺人鬼で、その性質を受け継いでいると考えるべきだ。
電車の駆動音が近づいてくる。空気が動き、わずかに下水道のような匂いがした。ヘッドライトの光が壁をなめる。駅員が、乗車案内のアナウンスを始めた。
ーー問題は、どんな殺人鬼だったのかだ。
衝動的に殺しを重ねるタイプだったなら、ひとときも目をはなすことはできない。
彼が見ていると、悠がじゃれつくように慧に飛びついた。慧はそれを受け止めるのではなく、ひょいと身をかわした。突き出していた足に、悠がひっかかり、つんのめった。地下鉄の軌道に向かってたたらをふむ。
車掌が警笛をならした。
甲高い唸りが耳をつんざく。
ホームにいた中年の女性が悲鳴をあげた。
スキール音が鳴り響く。列車のブレーキが必死に働いたが、巨大な質量をもった車体は容赦なくつきすすみ、ほぼ通常の停止位置で止まった。
悠はホームの端ぎりぎりで踏みとどまっていた。その襟首を慧が掴んでいる。
「おねーちゃあん!!」
悠が叫んで抱きつく。
慧は頭をなでながら、熱っぽい目で姪を見つめていた。
車掌が運転席から飛び出し、二人にかけよる。周囲の人々も集まってきた。
☆☆☆☆☆
その後、二人は電車に乗って家路に着いた。巡は隣の車両に乗り込み、あとを追った。
二人は横浜駅で降りると、ダイヤモンド地下街を通り抜け、市営バス乗り場に向かう。乗り場にあがる階段の前に、慧に似た女性が待っていた。年齢からして姉か。悠が、慧の手を離れ、彼女にくっつく。
追跡はここまでだ。さすがに同じバスに乗れば勘づかれる。
彼は地下街の端まで歩くと、自販機コーナーのベンチに腰を下ろした。もう七時過ぎだが、周囲には子供の姿も多い。塾帰りなのか、ランドセルを背負った集団が、はしゃぎながら走り回っている。エスカレーター前にあるトップスから、甘いチョコケーキの香りが流れ出し、家路につくサラリーマンたちの間を漂っていた。
どうしたものか。彼は火をつけないままパイプを噛んだ。今日のところ、彼女は殺しを控えた。理由は分からない。自分の手でやりたかっただけかもしれない。だが、いつか彼女の殺意はコップのふちから溢れ出す。いや、ひょっとしたら既に一度や二度、こぼれているかもしれない。
とにかく証拠だ。彼は立ち上がった。わたし自身が納得できる証拠を見つける。すべてはそれからだ。
勢いづいたところで腹がなった。ビブレ近くにある、いきつけの定食屋へ歩を進めたところで、野々市慧の言葉を思い出した。
ーー占い師が、ここでのバイトを進めたんですーー
方向を変え、古ぼけたアミューズメントビルに入る。各駅停車のエレベーターに乗り、屋上で降りる。外の熱気が、むわっと顔にふりかかる。
たこ焼きやソフトクリームの屋台は、すでにシャッターを下ろしていた。ゲームコーナーの電子光がホタルのように瞬いている。人気は少ない。バッティングセンターもほぼ空だ。ゲージの1つで、若いカップルがはしゃいでいた。ホスト風の男が豪快に空ぶった。
隅のプレハブ小屋に、占いの看板が出ていた。ビニールの暖簾をくぐると、カウンターの向こうで、胸を露出した瑠璃が長椅子にもたれて片手でスマホをいじっていた。もう片方の手は、自分の胸を揉んでいる。派手な化粧に雑な動作。淑女からはほど遠い。しかも、液晶に映っているのはAVだ。裸の女が男の股間にかしづいている。
「あら、あなただって紳士には見えないけどお?」瑠璃が彼に背を向けたままいった。どこか虚ろな声。トランス状態らしい。
彼は、手前の丸椅子に座った。
「これでも、努力してるんだけどね」
「無理無理、たしかに前世は紳士だったのかもしれないけど、その前がねえ」
背中の産毛が総毛立った。ごくまれにだが、瑠璃はこちらの過去を完全に読んでいるとしか思えないときがある。しかも、ヴィジャボードを使わずにだ。
彼女が相変わらず背を向けたままいった。
「今日はねえ、すごく調子がいいんだあ。前のときもそうだったな。性欲が昂ぶって、自分を抑えられなくなりそう。そんな理性と本能の境目を行き来する夜は、なんでも見ることができるの」
「なら教えてくれ。わたしはどうすればいい?」
「いまの生活を続ければいいのよ。そうすれば、あなたが探してる人が見つかる」
「君は、わたしが誰を探してるのか、わかるのか?」
彼女が胸をもむ手を止めた。
人差し指を宙に立てる。
「もちろん。あなたが殺したがっているのはーー」彼女が指をくるくる動かした。「えーと、誰だろ。ごめん。胸を揉んでないと、性欲が薄まっちゃって。男のときと違って、女の性欲は冷めやすいのよねえ」
「おいおいおい。ちょっと待て。冷める前にこれだけ頼む。少し前に、ここに女の子が来ただろう? 女子高生だ。君は彼女に〝喫茶店〟でバイトするよう勧めた。そのコの前世はなんだ? 覚えているだろう?」
彼女がAVを止めた。
「あー、あの子かあ。前世は何だったかな。ともかく、すっごく悪い人だったのは間違いないんだよね。だから、〝喫茶店〟に送ったの。巡さんならうまく判断できると思ってね」
彼女が振り向いて、目を見開いた。
「あれえ? 巡さんだあ! あれえ?」
「瑠璃くん、名前だ。思い出してくれ」
「名前? あの子の? えーと、たしか、アメリカ人だったなあ。テッドなんたら」
☆☆☆☆☆
テッド?
警察学校の初任者研修で受けた講義が頭をよぎった。「犯罪者類型」そんな名前の講義だった。犯罪者は何パターンかに分類できる。そのなかで、もっとも危険且つ更生も難しいのが「シリアルキラー」だ。
通常、人は恨みや憎しみを原動力に他人を攻撃する。つまり、一人の殺人犯は、対象への恨みをはらせば、それ以上の凶行に及ぶことはない。
だが、シリアルキラーは違う。彼らは楽しみのために人を殺す。好奇心を満たすために殺す。世直しのために殺す。だから、彼らの行為に終わりはない。生きている限り、他人を殺し続ける。
いや、死んでも殺しをやめない。
彼の経験上、シリアルキラーは前世でも重犯罪者であったケースが多い。〝魂が呪われている〟のだ。
そんな「シリアルキラー」だが、巡の前世はもちろん、七十年代までは呼称が存在しなかった。それまでは、一般的に、愉悦のために人が人を殺すとは考えられていなかったのだ。
そんなおり、一人の殺人犯が常識を覆した。高い知能と整った容姿を持ち、将来を嘱望された青年。彼、テッド・バンディは大学の同級生、メアリー・フレッドソンに手をかけたのを皮切りに、凶行をスタート。逮捕後、女性三十名以上の殺害を供述し、全米を震撼させた。
学者は彼を既存の犯罪者の枠組みに分類できず、あらたに「シリアルキラー」という概念を作り出した。裁判においては、自ら自身を弁護し、理知的な物腰から、大勢の女性ファンを生んだ。獄中結婚。多数の書籍の出版。薬物注射による死刑執行ののちも、伝説の殺人鬼として名を残している。
〝まあまあ〟の大物だ。
だが、問題は、野々市慧が現世で犯罪行為をしているのかどうかだ。
殺人者としての本能に身を任せているのか、そうでないのか。
まだトランス状態が残っていたのか、瑠璃が彼の考えを見透かしたかのようにいった。
「あの子は、まだこらえてますよお。でも、もうじき我慢の限界を超えちゃうと思うんです。いまは、現世の思い出が彼女を押しとどめてますよ。まあ、何回か殺そうとはしてるけど、幸い失敗続き。でも、そろそろ仕留めますよお」
まだ、誰も殺してない。
彼は息を吐いた。
「最後に聞かせてくれ。どうすればいい?」
瑠璃が肩をすくめ、豊満な胸が震えた。
「彼女に思いをとげさせてやるのがいいと思うんです」
「どういう意味だ?」
瑠璃が口を開き、そのまま金魚のようにパクパク動かした。
「すいません。完璧に性欲が冷めちゃいました。いまのいままでは見えていたんだけどなあ。考えてたことがどっかに行っちゃった。なんだろ。どういう意味だったのかなあ。あ!巡さんが抱いてくれれば思い出せるかも!」
「あいにく、わたしには妻がいるんでね」
彼は釈然としない思いで、占い小屋を出た。
思いを遂げさせる?
こっちはそういう事態を防ぎたくて動いているのに。わけがわからない。
瑠璃、いや、トランス状態のラスプーチンは、いつも確定的なことをいわないから始末に困る。
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