天気予報の通り、午後になるとぱらついてきた。
会場内を歩き回っていたゆるキャラたちが、大急ぎで撤収していく。ポリウレタン系の着ぐるみは、濡れるとすぐにカビる。
そろそろ、わたしも帰ろうかな。
恵美奈はランドマーくんの中で思った。彼女の着ぐるみは、文字通りみなとみらいにあるランドマークタワーを意識している。タワーの外観そのままの見た目で、高さは二メートル半。着ぐるみとしては破格に大きいが、そのインパクトで、このところマスコミに取り上げられる機会も増えていた。この日も、イベントを取材に来ていたテレビ横浜のインタビューを受けた。
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飲食テントの裏に回り込み、人気のない道を駐車場に向かっていると、ベンチに腰掛けている六歳ほどの女の子が見えた。
汚れたワンピースに、クロックスのサンダル。顔はかわいいが、髪の毛はぼさぼさだ。
恵美子は近づいた。
「お父さんと、お母さんはどうしたの? 迷子?」
女の子が目を丸くした。
「あ、ランドマークマン」
「違う。ランドマーくん」
「ごめんなさい」
「いいのいいの、それよりご両親は?」
「もともと来てないの」
「近所の子?」
「うちは、こっから二十分くらい歩いたとこ」
雨足が強まる。
着ぐるみ外殻に、横殴りの風が吹き付けた。彼女はよろけないよう踏ん張った。
「よかったら、おうちまで送ってあげよっか? 傘も持ってないみたいだし」
「うちはいい。あんまり楽しくないし」
「そっか、それじゃ、おねーさんとドライブとかどう? 着ぐるみが濡れちゃったから、“別荘”まで乾かしに行くんだ。漫画とかゲームもあるからさ」
「でも、知らない人についていっちゃダメって」
「知らない人じゃないでしょ。わたしはランドマーくんだよ」
女の子がくすりと笑った。
二時間後、恵美奈は彼女の首に巻きつけた鎖を手際よく締め上げていた。
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〝別荘〟は、保土ヶ谷駅からほど近いタワーマンションにあった。恵美奈のゆるキャラ関係のオフィスとして月十六万円で借り上げている。西向きなので、夕日しか見られないのが難点だが、近くを通る東海道線対策として、防音は完璧に近い。
おかげで、獲物がどれほど騒いでも声が漏れる心配はない。
彼女はくつろいだ気分で、万年筆を一回転させた。万年筆には細い鉄のチェーンを絡めてあり、チェーンは椅子に座る獲物の首に巻きついている。
恵美奈は獲物の髪をなでた。
「すごいわ! もう二十三回もまわしてるのに、まだ生きてるなんて。とっても頑張りやさんなのね。さ、もう一回転するよ」
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恵美奈はシャワーを浴びると、別荘を出た。愛車を転がして自宅に戻る。翔太郎が抱きついてきた。目を輝かせて、最新作のスターウォーズを語る。
台所に顔を出すと、夫の直倫がオーブンをチェックしていた。彼女に気づくと、エプロンで手をふきながら近づいてきた。彼女の柔らかな髪をなでながらいう。
「おかえり。もうじき、ローストビーフがあがるよ」
「いい匂いね。いつもありがと。わたしがもうちょっと料理が上手だったらいいんだけど」
「いいって。ぼくは料理が好きなんだから。きっと前世は主婦かコックだったんだろうな」
「ひょっとしたら、わたしの“奥さん”だったのかもね」
そう、前世ではないが、たしかに彼が妻だったことはある。
直倫が笑った。
「君は男だった可能性が高いな。アクティブだしね。で、今日のイベントはどうだった?」
彼女は窓を指した。
「雨でさんざん。着ぐるみは別荘で洗って陰干し中」
夕食は、いつもと同じく最高だった。
直倫の作るイギリス風ローストビーフは、お店の味だし、つけあわせのポテトも揚げたてでサクサク。クラフトビールで乾杯し、直倫と翔太郎が映画について熱く語るのを微笑ましく見守る。
みんなで風呂に入り、翔太郎を寝かしつけた後、夫婦二人きり、ワインで飲み直し、二時間ほどセックスしたあと眠りにつく。
翌朝、不思議と早くに目が覚めた。ローブを羽織ると、ベランダに出てパイプをふかした。西インド諸島産のタバコの葉は前前世でも愛飲していたものだ。
東の空が白み始めている。流れる雲がオレンジ色に染まり、西の空は黒から紫、藍色へと変化していく。
目線を下に移せば、新聞配達のカブが一生懸命走り回っていた。スーツケースを引っ張るサラリーマンは日帰り出張なのだろうか、足早に地下鉄の入り口階段に向かっている。
サラリーマンが、階段からあがってきた女性に目を向けた。一瞬立ち止まり、顔を見つめている。女性というよりは少女だ。身長は恵美奈と同じくらい高いが、顔にはあどけなさが残っている。
ジョギング中の女性が一人、少女の脇を駆け抜けた。少女が彼女に目をやった瞬間、恵美奈の産毛が逆立った。少女は強烈な殺気を放っていた。
同類だ。
恵美奈の直感が告げた。
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