シリアルキラーガールズ

殺人鬼テッド・バンディ、転生して女子高生になる
松屋大好
松屋大好

第2章 毒殺者ラ・ヴォワザンはじめてのデート

ラブホとハサミと貯水槽

公開日時: 2020年9月11日(金) 21:18
文字数:4,215

「おにいちゃん、最近、格好良くなってない?」


 妹の光が、ソファに寝転がりながら夕にいった。寝巻きから十二歳ながら形のよい足が突き出している。


「ようやくにいちゃんの魅力がわかったか?」


 夕は冷蔵庫のドアを閉めながら片腕に力瘤を作った。


 光がその腕を指差した。


「それだよ、それ。おにいちゃん筋トレはじめたでしょ。牛乳を飲みまくってるのも筋肉のため?」


「牛乳?」


 いわれてみれば、今まさにジョッキ一杯分の牛乳を飲んだばかりだ。なにも考えずに注ぎ、ものの十秒ほどで飲み干した。で、おかわりしようとしている。思えば妙な話だ。ぼくはこんなに牛乳が好きだったっけ? 


 それにこの二の腕。こんなに盛り上がっていたか?


 彼は二階の自分の部屋にあがると、姿見の前で服を脱いだ。


 胸板がある。


 いままではベニヤ板くらいの厚みだったのに、ちゃんと大胸筋がついている。


 腹筋も綺麗に割れているし、肩には小さいながらもボディビルダーのような僧帽筋が盛り上がっている。


 なんだ?


 彼はパンツまで脱いだ。


 全身が引き締まっている。


 帰宅部で家と学校を往復するだけなのに、野球部やサッカー部の連中以上の身体だ。


 不思議ではあったが、深くは考えなかった。


 彼は悩むということがあまりないのだ。


 きっと、思春期を迎えて筋肉が付きやすくなったのだろう。


 それだけの話だ。たぶん。

 

 原因がわかったのは、三日後のことだった。

 


☆☆☆☆

 


「君、いま一人?」


 ダイヤモンド地下街の有隣堂で声をかけてきたのは、目の覚めるような美人だった。年の頃は二十代半ばか。タイトなスーツがグラマラスな身体のラインを強調している。


「え、ええ」夕は立ち読みしていた試し読み用漫画を棚に戻した。


「よかった!わたしも一人なの」と、女性。


「そ、そうですか」


 宗教の勧誘が何かか? こんな綺麗な人が声をかけてくるなんて不自然だ。


 女性が彼の胸をつついた。


「わたし、一人なの」


「え?」


「誘ってっていってるんだけど?」


「え?あ?すいません。お茶でもいかがでしょうか?」


 思わずそう答えた。


 宗教かもしれないけど、そうじゃないかもしれないじゃないか。なんといっても、ぼくはちょっぴりカッコよくなっているのだから。


 女性が彼の手を引いた。


「もちろんお受けするわ。それじゃあ、行きましょう」


「ど、どこへです?」


 女性の手は、びっくりするほどやわらかい。小学生以降、異性の手を握ったのは初めてだ。


 女性が微笑んだ。


「静かでくつろげてお茶も飲めるところよ」

 

☆☆☆☆

 

「こ、ここがですか?」


 部屋の真ん中にはキングサイズのベッド、枕元には照明やBGMを切り替えるだろうスイッチの群れ。テレビからはカラオケのデモが流れている。そして、壁の向こうからは女性の甲高い喘ぎ声。


 ラブホじゃないか!夕はわくわくしながら思った。童貞を捨てられるチャンスが到来したことは間違いない。


 さきほど感じた一抹の不信感はとうに消え去っていた。


 背後で衣擦れの音が聞こえた。


「そうよ。ここでゆっくりしましょう」


 声と共にタオルのようなものを頭にかけられた。


 続いて後ろ手に両手を引かれた。


 金属の感触と共にガチャリと音がする。


 手錠!?


 夕はそんな高度なプレイに対応できるかハラハラしてきた。


「さ、いっしょに楽しみましょう」


「は、はい」


 ところがいっこうに始まらない。


 そもそも、夕は服を着たままだ。


 おまけに妙な音が聞こえてきた。


 しゅう、しゅうっと刃物を研ぐような音だ。


 続いてハンドドリルが回転するような音。


 カチッカチッとペンチを閉じたり開いたりするような音に、シャキシャキというハサミのような音。


 不安が鎌首をもたげた。


 セックスって、こんなにもいろんな道具を使うものだったっけ?


「そ、そういえばお姉さんはなんて名前なんですか?」


「あら、あたし? ショーン・ジェイ・パーカーよ」


「へえ」夕はしばらく沈黙したのち「え?」といった。


 外人? いや、それより〝ショーン〟だ。


 女性が笑った。


「安心して、いまの身体は男じゃないわ。ちゃんと女性よ。れっきとした日本人女性」


「も、元男性ってことですか?」


「前世が、ね」


 夕は自分の呼吸が荒くなるのを感じた。


 この人、いかれてる。


「さてと、それじゃあ始めましょうか」


「い、いえ。ぼく、その」


「ああ、どういうプランか聞きたいわよね。そうよ。あなたにも楽しんで欲しいもの。まずは手の指を第一関節から順番に切ってあげるわ。それから足の指。終わったらドリルの出番。今日はいきなり頭からいってみようと思うの。大丈夫大丈夫、すぐ殺しちゃうようなへまはしないから。自分の脳をかきまわされるのって、ほんとに素敵な感覚なんだから」


「ちょ、ちょっと!だれか!!たすけて!!」


 夕は叫んだがその口に何か布のようなものを押し込まれた。


「ずいぶん大きな声を出せるのね!びっくりしちゃった。ホテルの人たちが怖がっちゃうから。しばらくはわたしのパンツでもなめてて」


 シャキンシャキンとハサミの音が近づいてくる。


 小指に冷たい感触があった。


 夕の全身に鳥肌がたった。


 筋肉がぶるぶると震え始める。


「あらあら、そんなに興奮してるの? 悪いコねえ」と、ショーン。


 夕は〝おこり〟にかかったように激しく震え、次の瞬間、その場に飛び上がって後ろ回し蹴りをショーンの腹部にめり込ませた。


 ショーンが、げえ!といいながらのたうちまわる声が聞こえた。


 夕は驚愕していた。


 秘められた運動能力もさることながら、体が勝手に動いている!?


 彼はパンツをむしゃむしゃとかみ千切ると、べっと吐き出した。


 片足で立ち、もう片方の足を器用に持ち上げ、足の指で頭に巻きつけられた布をはぎとる。ヨガの行者も真っ青な柔軟性だ。


 部屋の鏡に自身が写っていた。


 夕はギョッとした。


 とても自分とは思えない。全身の筋肉が、家の姿見でみたときより、さらに盛り上がり、顔は歯茎を剥き出しにして、獣のような笑みを浮かべている。


 鏡の中の夕が、夕にいった。


「はじめまして、だな」

 


☆☆☆☆☆

 


「つまり、あんなやつがいたるところにいるってこと?」


 夕は夜道を歩きながら、自分の中にいる「兄」にいった。


 正直、自分自身とお話するなんて、完全にいかれている。いまだに悪い夢でも見ているような気分だ。ラブホテルでの「兄」と美女の戦い。思い出すだけで震えてくる。「兄」は美女の首を折ると、その体を担ぎ上げ、窓から這いだし、ほんのわずかな手がかりをたよりに片腕だけで外壁を登り、屋上の貯水槽に沈めたのだ。そして、己の正体を明かした。夕のはるか前の前世であり、殺人鬼狩りをする殺人鬼だと。


 別の人格の仕業とはいえ、人を殺したいま、自宅へのいつもの道が妙に狭く見えた。いくら生来の楽天家とはいえ、さすがにショックが大きい。


 兄がいった。


「いま、この国にビルガメスが続々と転生してきている。しかも人殺しが大好きな連中ばかりがだ」


「なんでそんなことが起こるわけ」


 兄が頭をかいた。


「ずっと昔、俺よりはるかに古いビルガメスがいってたよ。人と人には〝縁〟があるとな。〝運命の赤い糸〟といってもいい。人間が他者と触れ合ったとき、互いの魂に結びつきが生まれるんだ。その結びつきが濃ければ濃いほど、転生したとき、より近しいところに生まれると。一部のイカレたビルガメスは、〝派閥〟を組んでいる。やつらの幹部がこの国に転生すれば、ほかのやつらも芋づる式にくっついてくるのさ。ま、この国の連中には幸いなことに、やつらを狩っていた俺も、くっついてきたわけだがな。これから、俺とお前とで、連中を狩りまくってやろうじゃないか」


「そんなの無理だよ。ぼくはそんなことに付き合うのはゴメンだ! ぼくにはぼくの人生があるんだから。なにより、ぼくは人殺しになんて耐えられない。いまだって吐きたいくらいなんだ」


 彼の足音が、住宅街に響く。


 あたりには人気がなく、車の音も聞こえない。まるで世界から彼以外の人間が消え去ってしまったかのようだ。


 黒猫がいっぴき、ふう!と彼を威嚇してから走り去った。


 兄がいった。


「心配はない。お前は耐えられる」


「無理だよ」


「大丈夫だ。お前は〝そういう風〟にできている。お前は、お前の中にいる俺やほかの兄弟たちの影響を受けてきた。お前は狩りに適応した存在になっているんだ。自分が能天気だと思ったことはないか? 立ち直りが早いと感じたことはないか? お前はどんなに厳しい事態も乗り切れる」


「いや、無理」


「お前がどう感じようが、いやおうなしにやつらはお前を狙ってくるぞ。なんといっても、お前は〝魅力的なエサ〟だからな。お前は前世をまったく引き継いでいない分、この世に対してウブなんだ。ウブなのに、中にいる俺たちの影響で、世慣れてもいる。殺人鬼ってのは、そういう存在にたまらなく魅力を感じるもんだ。ま、ようするに隙だらけってことだ」


「じゃあ、逃げるよ。北海道の奥地にでも引っ込む」


「あのなあ」兄が頭をかいた。「お前がやらなければ、お前の家族はいつか死ぬぞ。俺たちの同類にやられてな。それくらい、この街には殺人鬼どもがのさばってるんだ」


「そんなにいるなら、殺人事件ばかりになるはずだけど」


「なってるさ、ただ、年経た連中はとてつもなく巧妙だから、事件化してないだけだ」


 いつのまにか自宅に着いていた。


 リビングのガラス越しに、小さく家族の話し声が聞こえてくる。


 妹が「にいちゃんまだなの?はやくごはん食べたーい」といい、母親が「もう少しまってあげようよ」と返す。


 父親が「でも、少しだけ食べないか?俺も腹減ったよ」といい、「ねー」と妹。


 ぼくの家族。夕は思った。ぼくがなによりも大切な三人だ。


 彼は両の手を握り締めた。


 さきほど兄が見せたのに比べれば、はるかに小さな力しかない。


 兄がいった。


「お前は一人じゃない。いつでも俺たちが付いている」


 

☆☆☆☆

 


 でも、まさか脳内以外にも味方ができるとは思わなかったな。


 夕は「喫茶店」のドアノブに手をかけた。


 ここに来るのは、先日の緊張感あふれる初訪問以来はじめてだ。いや、あの日は「兄」が身体を操作していたから、ぼくとして訪れるのは初になる。


 今日からぼくにも仲間がいる。人々の平穏な人生を守るために戦う仲間だ。


 彼はノブを回した。


「こんにちは」といいながら頭を下げる。「今日からよろしくお願いします」


 返事がない。


 頭を起こすと、店内には誰もいなかった。


 カウンターの奥。壁にかけられたカレンダーが裏返され、そこに「あんたなんか仲間じゃない!」とマジックで書かれていた。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート