「お前の中のおかまが出てきやがった!」
父親は合成皮のソファに身を埋め、安酒のボトル片手に大笑いした。
白黒テレビの中、コメディアン手から生えた宇宙人のパペット人形が激しく動く。観客がどっと沸いた。天井の蛍光灯は数年前に割れたきりだ。室内を照らすのは、ブラウン管のちらつく光だけだ。
父親が手を叩いた。
「お前が、どれだけ男の振りをしたって無駄なのさ。海兵隊に入ろうが、生徒会長になろうが、意味ないんだよ! 俺にはずっと、ずううううっと前から分かっていたよ。お前のなかにゃ、オカマがいる。お笑いぐさだぜ、オカマのくせに女とできるとでも思ったのか!」
「やめてくれ。もう聞きたくない」
ジョンは埃の溜まった部屋の様にうずくまり、両手で耳をふさいだ。
父親がふらつきながら立ち上がり、彼の前で止まる。アルコール臭い息を吐きながら、容赦なく言葉をぶつけた。
「やめてくれ、だあ? てめえみたいなホモ野郎がえらそうな口聞くんじゃねえ! てめえのせいでも俺も大恥よ。近所中が噂してらあ。ゲイシー家のジョンは、女とベッドインしながら、精液のかわりにゲロをプレゼントしたってな。しかも、そのまま泣きながら帰ってきたらしいじゃねえか。いや、大した紳士だ。てめえ、いってたな。ぼくの前世はイギリス人だったとかよ。さすがマナーの国だな。たまげたよ。オカマのマナーをしっかり身につけてやがる」
「違う! ぼくはオカマじゃない!」
「ああ、そうだとも。オカマなのは、お前の中にいるやつだ」父親の笑いが急に引っ込んだ。「俺の息子はオカマじゃねえ。それは分かってる。立派なアメリカの男よ。だがな、息子は負けたんだ。てめえの前世とやらによ。てめえ自身と戦うことなく、あっさりと受け入れやがった。俺の息子は死んだも同然よ」
テレビのなかで、観客がひときわ大きく笑った。
父親は壁を伝うようにしてキッチンに入ると、シンク下の棚に手を突っ込んだ。
「なあ、オカマ。俺にはお見通しなんだよ。てめえはただのホモ野郎じゃねえ。てめえの魂はな、腐ってるんだ。こうして話してるだけでも生ゴミみてえな匂いがプンプンすらあ。てめえはいつか必ず、とんでもねえことをしでかす。そうなる前に、かたをつけてやるのが親の仕事だ。なあ、ジョンー」
棚から出てきた手は、拳銃を握っていた。
父が撃鉄を起こした。
照星はまっすぐに彼の胸を捉えている。
彼は両手を突き出した。
「父さん! やめてよ! ぼくはなにもしやしないし、ゲイでもないんだ!」
父は空になった酒瓶をシンクに投げつけた。下敷きになった皿とともに、盛大に割れる。ガラスのかけらが、テレビの光に鈍く輝いた。
父の目から涙が溢れ出した。
「ジョン、許してくれ。ぜんぶ俺が悪いんだ。お前も苦しかったろう。エレメンタリ・スクールに通ってたころは、毎日のようにベルトで打擲したな。お前の背中は、俺のせいでいつも真っ赤に腫れ上がってた。あのとき、俺の意思がもう少し強ければ、お前の中のクソイギリス人のオカマを追い出すことができたろう。なのに、俺はお前の涙を見て、最後まで殴りきることができなかった。いまのお前は、すべて俺のせいなんだ」
「父さん! 頼むから!」
「ああ、任せろ。俺もすぐに後を追う。お前を一人にはしねえ」
父が引き金を引いた。
轟音と同時に、ジョンは肩にとてつもない衝撃と熱を感じた。ゴキブリのサイズにまで圧縮された大型車がぶつかったようだ。彼は背後に吹き飛び、テレビの画面に頭からつっこんだ。
ぼうん、と軽快な音ともにブラウン管が破裂する。白い煙が死んだ受像機から立ち上った。プラスチックの焼ける匂いが、ジョンの鼻をついた。
背後で、父の震える声がいった。
「ジョン、おおジョンよおおおお。死んぢまったのか?」
再び撃鉄の起きる音が響く。
これ以上撃たれてはたまらない。彼の中で、彼でありながら彼でない心が考えた。父のことは嫌いではない、いや愛しているといっていいほどだが、こうなっては〝処置〟するしかない。
彼はいった。
「ジョンなら死んだよ」
彼はテレビに頭をつっこんだまま、立ち上がった。
まだ父の景気が良かったころに購入されたゼネラル・エレクトリック製の大型テレビだ。重量は二十キロ近くある。ふだんの彼なら、座ることすらままならなかったろうが、いま、両足は平然と床を踏みしめている。
「い、生きてるじゃねえか!」
父が拳銃を握り直した。
「あなたの息子であるジョン・ウェイン・ゲイシーは、さっきの銃弾で死んだんだ。いや、消えたというべきかな。心の中にいた前世の彼と完全に混ざり合った」
声はテレビのなかで反響し、妙に甲高くなった。
負傷した肩に手を当て、傷口に指をつっこむ。
痛覚神経が燃え上がり、熱い血が噴き出すのが感じられた。
「お、おい。ジョン?」と父。
彼は指先で銃弾を挟むと、無理やり引き抜いた。
「まったく酷い父親だ。息子を撃つとはね」
「て、てめえ、オカマか!?」
「そういう表現はやめてくれ。あんたにかかれば、同性を愛する人間は誰でもひ弱な〝オカマ〟になってしまう。いっておくが、わたしは戦争にもいっているし、この通り、あんたよりもはるかに苦痛に耐えられる」
彼はピンク色にぬめる銃弾をかざした。
父親が銃を撃った。
弾丸は彼がかぶっていたテレビにあたった。今度はよろけることすらなかった。
父親がいった。
「お、お前、なんなんだああ? ジョンはこづいただけでも、ぶったおれるガキなんだぞ」
彼は頷いた。
「ようは操縦者の問題だ。同じ車でもF1ドライバーが乗り込めば、素人に比べ、はるかに速く運転できる」
脚に力を込め、床板を蹴る。あまりの蹴り足の強さに、安手のパイン材が砕けた。地面を這うように飛び、父親との距離を詰める。銃から弾が飛び出す。弾は彼の脇を掠め、背後の窓ガラスを砕いた。
思い切り腕を振り、つまんでいた銃弾を父親の側頭部に押し込んだ。皮膚が破れ、頭蓋骨が砕ける感触が伝わってくる。
父親の体から力が抜け、背骨が消失したかのように崩れ落ちた。尿が漏れ出したのか、アンモニアの匂いが漂い始める。
パトカーのサイレンが聞こえ始めた。
近所の誰かが通報したのだろう。
警察官が来たら涙を流そう。アル中の父親が錯乱した。彼は暴力に耐え、精一杯の努力をしたが、父は自分の拳銃で自殺を図った。じっさい、頭部に入っているのは父が握る拳銃から出たものだ。
彼は被っていたテレビを持ち上げると、ソファに投げた。ド派手な音がして、テレビがバラバラになる。
額に刺さったガラス片を抜くと、そのかけらに映る自分の顔を見た。
さきほどまでと同じ、ジョン・ウェイン・ゲイシーがいる。背は高いが小太りで、着ているものは野暮ったい。だが、覇気のなかった瞳は、いまや爛々と輝いていた。
彼は霧のロンドンから転生し、完全なる自由を得た。ここには彼の楽しみを邪魔する、スコットランドヤードの刑事たちはいない。アメリカの間抜けな保安官どもに、彼を止められるはずがない。いや、止められるものなど、もはや誰もいないのだ。
彼は壁に貼られていたボロボロの米国地図を眺めた。ベガス、シカゴ、ニューヨーク、マイアミ、あらゆる都市が手招きしていた。
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