短編を少々

SFアラカルト。ハード&ソフト。
まっこうくじら
まっこうくじら

桜の旅路

公開日時: 2020年10月29日(木) 18:30
更新日時: 2020年12月12日(土) 22:43
文字数:13,755

旅路





「やっと半分かぁ」

 昔はもっと環境は酷かったらしい。いかにも地下の穴蔵という感じがして結構精神に来た隊員もいたようだ。最近はQOLも重視した設備になっている。とはいえ地下は地下だ。温度湿度は過ごしやすいはずなのだが、なんとなく息苦しさを感じて、シャツの胸元を手の平でぱたぱたと扇いだ。ついでにシャツのボタンを一つ外す。おかげでゴムまりのように弾力がある胸の上部がむき出しだ。当番の初めの頃はそうすれば同僚がベッドに誘ってくれたが、いくら道子がグラマラスな美貌を誇っても、そう毎日では男達の身体が続かない。セックスが好きというのも選考理由の一つなため、道子は業務以外でも同僚を誘っている。

 今道子は自由時間で自室のベットにいる。エアコンの音以外は機械音は聞こえない。静かすぎるのも考え物だ。つい悪いことを考えてしまう。確率的には当番の最中に何かが起きることは、自分が美人コンテストの日本代表に選ばれるより低いんだろうななどと思ってしまう。

「でも私ならミスなんとかの日本代表ぐらい成れたかな。意外と確率は高そう」

 馬鹿なことを考える物では無かったと、後で道子は思った。悪い予感は的中しやすい物だ。

「鈴木医官、至急センターまで出頭してください。クラスA発生の兆候です」

 部屋のスピーカーから声がした。道子の頭から妄想は吹き飛んで、貌が引き締まった。着替えを素早く始める。直ぐに自衛隊の医官の制服を着た道子がそこにいた。





 時代はハイブリッドだ、いや違う電気自動車だといろいろ意見はあるけど、やっぱり今は軽自動車の時代だと思う。実際のところ、軽自動車はみんなの味方だ。村のみんなは軽トラックの四駆が多いし、軽自動車のクロカンも定番だ。だが私は軽のSUVだ。タイヤの直径も有り、でこぼこの山道だって走れるし燃費もちょっといい。後部座席を倒せば、物だって結構乗る。もっともそんな事を考えて買った訳ではなく、真っ正面から見た顔が可愛らしかったのでこれにした。村に帰っても重宝している。

 車自身は可愛いのだが、運転している私と言えば、そろそろ可愛いという年では無い。三十路に成ったかは想像にお任せする。小柄でどちらかと言えば可愛らしいと思っている顔立ち自体はそれなりに整っているし、プロポーションも高校時代から維持しているため若く見られると思う。人目を引くと言うほどではないけれど、スレンダーな体型は町に出てからも綺麗と言われもした。

 そんな私が運転する、SUVは隣の助手席からいびきの音が聞こえてくる。いびきをかいて寝てるのは、五つ年上の森の熊さんだ。日本に猛獣使いがいるのかは知らないが、少なくとも私が猛獣使いな訳では無い。一見森の熊さんに見えるような大男が口を開いてだらしなく寝ている。まあ、不眠不休だったので仕方が無いが、少しだらしない。外観は木こりかなんかをやらせればとっても似合うと思うのだが、実はこれでも医師である。昔は村で一番の秀才だった。今でも村で一番か二番に頭がいい。学生時代も単に学生数が少ないから一番になりやすいなどという訳では無い。高校時代全国模試でもずっと一位で、奨学金を貰って東京の大学に行って医師免許を取ったぐらいだ。大学病院でもそれなりに将来を有望視されていたが、思うとこ有ってと言うか、あまり都会の生活に向いていなかったというか、村に戻ってきてしまった。無医村では無いのだが、丁度村で唯一の開業医がもう廃業し楽隠居するというので、彼は診療所を居抜きで譲って貰い、週に二日は村で開業、残りの平日は県立の病院に勤める事になった。県立病院の送り迎えは私の仕事だ。彼は力持ちだが運動神経はない方で、運転はあまりむいていない。いままで運転免許を取る暇が無かったし、これからもこうなっては無いだろう。もといた開業医、西田のおじいさんは都会に出た親戚の元に世話になることにしたそうだ。診療所は元々山の中のこじんまりとしたもので、たいした機材が有るわけでも無いし、ある物もやたら古い。下手をすると私より年上の血圧計などが転がっている。そんなわけでそれで良ければあげると言うことになった。敷地の土地代も安いので、引っ越しの費用だけ貰えればいいと言う事になりさっさと引っ越していった。そんなわけで彼が今度は村唯一の医師となった。もっとも村のみんなは健康長寿を地で行くような人たちだらけなため、診療所の待合室は第二の集会場と化している。

 それはともかく、村で唯一の医師となった彼と深い仲になったのは一ヶ月ほど前だ。

 私は中学までは村の学校に通っていた。高校は毎日二時間をかけて村から降りた県立の高校に通っていた。それなりに頭は良かったので勉強は問題無かった。それに山奥の暮らしで体力もあったので高校自体は楽しめた。ただ、家が遠いので友達と遊ぶ時間が少ないのがつらかった。そのため、卒業したら絶対都会に出ようと決心した。三年生の進路希望には就職を希望した。ここで隣で寝ている男が出てくる。何か良い伝手が無いかと言う事で村から東京に行った者たちに片っ端から電話をした。東京の大学病院に勤めていた彼には、向こうでの知り合い中規模のIT企業の社長がいた。呑み友達だそうだ。忙しい仕事の合間を縫ってその社長と話を付けてくれて、私はそれでその会社の事務に潜り込んだ。ただ彼とすぐそれで付き合ったと言えばそれは違う。優しくて良い人だが、貌が好みで無かったからだ。東京の生活でも時々同郷の者とあって食事をしたりしたが、その時会うぐらいだ。ただ、電話で愚痴をよく聞いてくれた。後で聞いたのだが、私の声は好みにドンピシャだったらしく、愚痴を聞くのは苦にははならなかったようだ。

 仕事が決まったので次は家だ。雑誌に東京で一番住みたい町の特集で吉祥寺がよく出ていたので、調べてみたがやたら家賃が高い。職場が新宿なので丸ノ内線や中央線の沿線がいいみたいだったので調べたら、新高円寺駅にバスで15分ほどの川沿いの一軒家でやたら家賃が安いところを見つけた。その築70年の善福寺川のそばの貸家を借りて住み着いた。何せ築70年は伊達じゃ無い。全てが古い。ただ、前に住んでいた人が、風呂をユニットバスに変えてくれていたのでお風呂は毎日は入れるし、広くないので掃除も楽だ。台所も家電をそろえたのでそれなりに使える。それに軽自動車なら置ける小さな庭がある。そして春になると川縁の桜が満開になり、只で花見が出来る事だ。庭に面した窓を開けると、風と共にサクラの花びらが入ってくる。これだけでもここを借りて良かったと思った。

 東京に出るにあたっては両親は何も言わなかった。若いうちはいろいろなところでいろいろな事をするのがいいよと笑って送り出してくれた。当座の生活費も出してくれた。東京での生活は忙しかった。事務とは言っても小さな会社なので営業も手伝ったりする。営業に必要なので運転免許も取った。免許費用の八割を会社で出してくれるのは助かった。その代わりドライバーとしてもこき使われた。丁度社用車を切り替える時で、社用車は軽自動車で好きなのを選んでよいと言われたので今乗っている軽自動車のSUVにしてもらった。十年ほどのんびりとその家で生きていたが、昨年会社が倒産した。退職金は出なかったが、社用車をくれるというのでこの車を貰って今でも愛用している。その後、コンビニのバイトをしたり、ガソリンスタンドのバイトなどで食い扶持を稼いでいたが半年前に田舎に戻ってきた。


 預貯金はあまりなかったが、みんな家族同然の生まれ故郷ではそれなりに生きていけた。村のみんなの手伝いをしては食事で払って貰った。用が無い時は、一人実家でのんびりと過ごしていた。両親はおととし相次いで他界していたし、他に家族はいないのでひとりぼっちだが、それほど寂しくはなかった。二年間誰も住んでいなかった家を掃除するのに三ヶ月かかったし、実家の周りのお年寄りが都会から帰ってきた若者、三十路前だがともかく若者に興味津々で毎日訪ねてきては世話話をしていたからだ。ノブにい、となりの男だが、小さい頃そう呼んでいたので久しぶりに呼んだら違和感がなかったのでそう呼んでいる、それはともかく、ノブにいが三ヶ月前にこちらに戻ってきた。診療所を開くに当たって受付は医療事務に詳しい人を雇う予定だったが、この山奥まで毎日通ってくれるような奇特な人がいるわけでも無く困っていたらしい。そこでたまたま戻っていた私に村で開業する際に手伝わないかと誘ったそうだ。金曜日と水曜日に午前中は村をまわって回診する際の手伝いをし、午後は診療所で受付や事務をやって欲しいとの事だで、暇だったしお金も欲しかったので手伝う事にした。医療事務などやったこと無いが、それはそこ、村の診療所なのでけっこう柔軟に、悪く言えばいい加減にやったがなんとかなった。のちのち資格も取るつもりだったが、今となっては意味はないだろう。初めは言われたとおりに、水曜日と金曜日に、回診の荷物持ちやら診療所の受付事務だけを手伝っていた。医者が居着かない無医村とは違って、村人は無理は言わないし、医者のノブにいの言う事はよく聞くし、診療所の経営自体は結構上手くいった。とはいえ、村の診療所はなかなか大変だ。ノブにいは身の回りの事はきちんと出来たりするのだが、やはり忙しいので、家事はやってあげたりと仏心を出したのが運の尽き。土日に掃除や洗濯をするためずっと診療所兼ノブにいの自宅にいると、そのうち面倒になり家にはほとんど戻らなくなった。そうなると面倒なので、衣服や身の回リの物も診療所に置くようになった。その様子を見て、お年寄り達に冴ちゃんは信夫ちゃんのお嫁さんになるのかいとよく聞かれるようになり、その事をノブにいに相談したところ、冴はどうなんだいと聞き返された。男が聞くのは反則じゃないのと聞き返したところ、冴みたいな美人で気立てのいい子なら直ぐにでも結婚したいと言ってくれた。昔村一番の秀才だったノブにいに憧れていた事もあり結構嬉しかった。

 悪い人じゃないし、優しいし、医者なら食いっぱぐれる事も無いだろうと、ノブにいがよければと答えて今に至っている。これでもう少しハンサムなら言う事無いのにと思うのは望みすぎだろう。ノブにいの家に住みついたが、夜の相手は籍を入れてからなどと考えてはいたのだが、なんだかんだと二人は若いので、一週間後には男と女の関係になってしまった。それでも初めのうちは避妊などしていたが、それも面倒くさくなった。披露宴は公民館で、みんなで宴会かななどと考え始めたころ、それは起きた。


 その日の朝は土曜日にしては早起きだった。いつもなら休日前の夜はノブにいに眠らせて貰えないので、起きるのがぐだぐだと昼頃になるが、二日前に生理が来て昨日は一人で寝た。生理自体は極軽い方で朝起きられないと言う事もなく、お日様と一緒に起きていた。起きたと言っても、パジャマ姿に頭はボサボサだ。まあノブにいにこんな格好を見せるのもかわいそうだし、シャワーを浴びる事にした。さっぱりしたところで、冷蔵庫をあさった。最近は私が管理しているし、ノブにいは夜に間食などしない方なので、特に中身に変わりは無い。ラップをかけたアルミのボールを取り出した。

「ま、酸っぱいこれを食べたくなったのは、生活環境の変化のせいね。うわ、すっぱにが」

 そんな事を呟きながら、ボールの中のサクランボをつまんで朝のニュースを見ていた。避妊もせずに、若い男女がやりまくれば、妊娠してもおかしくない。最近酸っぱい物が食べたくなっていたのでもしやとは思ったが、それは違ったようだ。このすっぱにがいサクランボは、普通に売っている食用品種ではない。ソメイヨシノの古木になっている実だ。今では廃校になったが、村には小学校と中学校を兼ねた学校があった。そこの校庭にあった木になっている。その桜の木は、村に初めて学校が出来た時、当時の村長が記念に持ってきた苗が根付いたものだ。ソメイヨシノは実がならない事が多いらしいが、付近に山桜が生えているせいで、大量の実を毎年つける。それを見つけた昔の村長が、村人の連帯を深めるため食べようと提案して、村の習慣になっている。ただすっぱ苦いので、毎年一個食べれるだけの儀式になっているのだが、私はこのすっぱにがい味が何か癖になっていて、小さい頃からこの時期のおやつにしている。ソメイヨシノ自体は学校が廃校になっても村の皆で手入れをしているので、元気に実をつけている。朝のニュースが終わって、ワイドショーの時間になったところでノブにいが起きてきた。可愛い熊さんの絵がいっぱい入ったパジャマを着ているのは、少しでもむさ苦しく見えなくなるようにとの嫁心で通販で買ってあげた物だ。まだ入籍まえなので妹心かもしれない。

 ノブにいは台所や居間やその他もろもろを兼ねている部屋に入ってくると、隣に座った。

「おはよう」

 挨拶をしてほっぺにキスをすると、ノブにいは赤くなった。

「おはよう」

 照れつつ挨拶を返してきた。こんな時はキスを仕返せばいいのにとも思うが、こんな恥ずかしがり屋なところも実は気に入っている。まあ、こんな風に私が日常生活では主導権を持っているのは村の年寄りにはばれていて、信夫ちゃんは冴ちゃんの尻に敷かれてるねなどと言われている。冗談にしても程がある。私のお尻はキュートで可愛い。こんな森の熊さんを下に敷くほど大きくない。大体、夜は、まあその、むっつりスケベな森の熊さんに、私はパクパクされて息も絶え絶えなのだ。ま、それはそれでいいのだが。

「コーヒー出来てるよ」

「ありがとう」

 広告の台詞では無いが、ノブにいの一日はコーヒーで始まる。コーヒーは好きらしいが飲むと眠れなくなるので、朝飲む事にしているそうだ。大体私が先に起きるので、二十グラムもコーヒーの粉を使って濃いコーヒーを入れておく。丁寧にセラミックミルでひいたマンデリンだ。あの酸っぱい味が好きだそうだ。余り趣味のないノブにいの数少ない趣味で、東京の有名店から豆を取り寄せている。

 ノブにいは耐熱ガラスのコーヒーサーバーからマグカップにコーヒーを注いで、私のとなりに座った。ゆっくりすすっていく。なんとも言えない穏やかな表情だ。私はこの穏やかな横顔が好きだ。ずっと見ていても飽きない。そんな幸せな瞬間を邪魔してくれた物があった。

 その音は二人のスマフォから響いていた。俗にJアラートと言う物だ。慌てて二人ともスマフォを手に取る。ほとんど同時に、テレビのドラマが中断され画面がニューススタジオに戻ってきた。

「これなに?ミサイル?緊急情報って」

「疫病発生って書いてある」

「疫病って」

「さあ」

 ニューススタジオも混乱しているらしく、アナウンサーも原稿待ちで、しばらくお待ちくださいを繰り返している。

「でも、疫病なんかでJアラートが鳴るの?ミサイルじゃないの」

「ミサイルならすぐミサイルって防災無線が入って村役場でスピーカーが言うと思うよ」

「じゃ、何、疫病って何?」

 思わず私はノブにいに手を掴み揺すった。丁度その時アナウンサーに原稿が届き話し始めた。

「内閣府からの発表です。現在全国で同時多発的に、国民が吐血して倒れるという現象が起きています。これは日本国内だけではなく、海外でも起きている模様です。現在の所原因はわかっておりません。原因は不明ですがとにかく戸締まりをして、自宅で待機して欲しいとの事です。今内閣府の発表がありますので画面を切り替えます」

 総理大臣官邸の記者ルームに画面が切り替わった。官房長官の顔がアップになった。いつもはとぼけた表情で記者の追求をのらりくらりと交わしているが、今日は余裕が無い。それどころか顔色が青いぐらいだ。

「内閣府からの発表です。ほ」

 顔色が青いわけだ。官房長官はいきなり口から血を吐いてその場に倒れた。辺りに罵声に似た声が響き、SPだか医師だか判らないが多数の人が駆け寄ってきた。だが助からないだろう。駆け寄った者達も同じように吐血して倒れたからだ。テレビの画面は切り替わりしばらくお待ちくださいとのテロップが出てその後美しい山里の風景が映し出されて動かなくなった。

「おいおい」

 ノブにいが画面を見て騒ぐのを聞いたが、これは映画ではなかろうかと思ったぐらいだ。何か現実感が無く私は口を開いたままTVを見ていた。少ししてスマフォを見たがJアラートにもテレビと似たような内容しか書いてない。すると部屋の隅にある今では骨董的価値があるのではないかと思える黒色六百型の黒電話が鳴った。私は電話に飛びついて受話器をとった。

「はい、西山ではなくって山田診療所です」

「冴ちゃんか、旦那呼んでくれ」

 慌てている村長の声が響いてきた。

「ノブにい、村長さんから電話」





「信夫ちゃん説明してくれ」

「説明って言われても」

 村役場兼公民館兼交番、いろいろその建物はいろいろ兼ねている。その建物の畳敷きの集会場に村の一同が集まっていた。一人だけ来てない者がいる。来ていないのは、村はずれに住む年寄りが一人だ。ひねくれ者はどこにでもいるものだ。もっともこの村には若者は私とノブにいしかいない。私とノブにい、早期リタイヤでこの村に越してきた中年夫婦以外はみな還暦を超えている。まずは医者のノブにいが事態の説明を村長さんに求められた。あの後テレビ、ラジオはどのチャンネルも同じように沈黙している。県庁や警察消防救急などあらゆる場所に電話しても自動メッセージ以外は帰ってこない。ネットの掲示板や首相官邸のホームページなども携帯が圏外になってしまいアクセス出来ない。防災無線で県庁に問い合わせたがつながらなかった。この村には光回線が来ていて、村役場でアクセスできるのだがそれも繋がらない。

「じゃ秋沢さんは判るかい」

 村長がリタイヤしてきた夫婦の旦那に呼びかけた。彼は大手製造業の会社の部長をしていたせいか科学一般に詳しく、村の知恵袋のような存在になっている。

「私も判らないです。医師の山田さんの方が詳しいですよ。携帯は光回線で繋がっているので、中継器が壊れたのではないかと思います。もしかしたら大元で停電でも起きているのかも。そうしたらこの辺りもそのうちに停電するかも」

 その後は村の皆が口々に意見を言い始め大混乱になった。ノブにいと秋沢さんが議論のど真ん中で右往左往している。私は少し離れたところで見ていたが、やはり離れて見ていた秋沢さんの奥さんの麗子さんの顔色が悪いので、近づいて具合を聞いた。もともとこの人が余り身体が丈夫でないため、秋沢さんは早期リタイヤでこの村に越してきた。こんな騒ぎでは気持ちも悪くなるだろう。私は看護師の資格などがあるわけでは無いが、ノブにいについて回るうちにそんな時の対処法は少し身についた。奥さんを集会場の隅に連れて行き、横にならせた。少し衣服を緩めてあげる。

「すみませんね」

「いいですよ」

「冴ちゃんはいいお嫁さんになるわね、美人だし」

「それほど」

 私が謙遜の言葉を返そうとした時だった。夫人はいきなり吐血し、その血が大量に私の顔にかかった。その後の私の行動は賞賛されてもいいと思う。

「みんな、すぐ集会場を出て。ノブにい近づかないで。近づいたら即離婚」

 私は思い切り叫んでいた。離婚と言ったのは言葉の綾だが多分強い表現にしたかったのだと思う。ともかく村のみんなは一斉に私と夫人を見て固まった。唯一秋沢の旦那だけは駆け寄ろうとしたが、ノブにいが押さえつけた。さすが森の熊さんだけはある。ただノブにいも眼がつり上がっている。私が心配なのかもしれない。

「奥さんは俺と冴で助けます。とにかく今は離れて」

 ノブにいは有無を言わさず、秋沢の旦那を集会場の外に出した。村で二番目の力持ちの大工の徳さんに押さえつけていてもらう。

「冴、絶対助けるからな。とにかくこれで顔を洗え」

 ノブにいが二リットル入りの緑茶のペットボトルとタオルを投げてよこした。

「あ」

 受け損ねて転がったペットボトルの先で夫人は呼吸をやめていた。

「徳さんビニールシートでここの目張りをしてくれ、山さんは店にあるアルコールの強い酒ありったけ持ってきてくれ。効くか判らないが消毒用だ」

 いつものどちらかというとのんびりしたノブにいがキビキビと指示をしているのを聞いて少し惚れ直した。この人はやる時はやる。惚れて良かった。実は現実逃避が始まっていたのだろう。村人達は医師であるノブにいの指示に従って集会所から出て行く。ただ冴ちゃん絶対助けるからなと、皆が口々に言っているのが少し嬉しかった。



 目張りのせいで外の光は入ってこなくなったが、電気はつくので助かった。ここは村長が補助金で太陽光発電と充電池の設備を付けていたので、たとえ停電しても電気が使える。あと集会場の隅にあった固定電話が生きていたのが助かる。相変わらず村の外部には連絡が取れないが、村の中の連絡に使えるからだ。私は集会場にあった救急袋や手鏡を使って、体温や顔色を調べては定期的にその電話で伝えている。伝え先は村役場の近くの村長の家だ。今はそこが対策本部になっている。それにしても自分の落ち着き様が不思議だった。目と鼻の先には夫人の死体が転がっている。それもノブにいに言わせればあり得ない速度で腐敗が進んで崩れていく。ただそれほど臭くなく腐汁も出ていない。ともかく死体の腐り方としては異常らしい。それに感情も麻痺し始めているらしい。ここで私も死ぬのかなと思ってきた。こんな事ならもっとノブにいを可愛がってあげれば良かったなどと妄想を続けた。

 そんな現実逃避から私を電話のベルが起こしてくれた。

「冴、かわりは無いか」

「うん、ノブにい」

 言った途端に涙が吹き出た。やっぱり私は怖いのだ。少し情けない声に成って。

「携帯が止まった理由が判った。秋沢さんが村の外れの中継器を見に行ってくれた」

 夫人を失った村の知恵袋は、歯を食いしばって村長やノブにいに協力しているらしい。あるいはこの現象に対して夫人の敵討ちをしたいというような心持ちなのだろう。

「村はずれの元さんのトラックが中継器のある電柱に激突して大破していた。そのせいで携帯も光回線も繋がらないらしい」

 元さんとは集会場に来なかったひねくれ者だ。昔から村の風習を破っては自慢しているような老人だが、村長はじめ村民がそれなりに懐が深い土地柄も有り、村の端に住んでいた。

「元さん、夫人と同じような死に方していたよ」

「そう」

 現実感がなく、抜けたように声が私の口から漏れた。

「一つ吉報というか、判った事がある。どうやらこの伝染病の原因だ。みんなの唾液に見た事のない菌がうじゃうじゃいた。これが原因かもしれない」

「どこが吉報なのよ。それじゃ、村は全滅じゃない」

「多分大丈夫だ。逆にそれだけ菌がいてそれが原因なら、今生きているみんなの身体は何らかの対抗手段、抗体を持ってる可能性がある。いや多分そうだろう。試しに、俺の血液を菌にかけたら簡単に死滅した。村長と相談して半日待って、吉ばあが中に入る事になった。そこでまた一時間まって吉ばあと冴が問題無ければ出られるよ。吉ばあ自分から志願したよ。可愛い冴ちゃんのためだって」

 吉ばあは、村一番の長生きで今年で御年九十七歳。いつもかわいがって貰っている。

「吉ばあの血液も抗菌作用があるのを確認済みだ。冴、おまえは助かるよ」



 半日後に吉ばあが入ってきて宥めてくれた。さすが九十七歳で、吉ばあが大丈夫と言ってくれると何だか大丈夫な気になってきた。ノブにいには悪いが、やはり言葉の重みが違う。一時間後目張りも外されると教えてくれた。集会場からでたらノブにいに飛びつこうなんて思っていたところ、「好きな男に寄り添う時は湯浴みをしてきちんと身繕いをして薄化粧ぐらいするものよ」と釘を刺さされた。さすがに一番長く女をやっている吉ばあだ。昔は村一番の器量よしだったという話も頷ける。そのおかげで目張りが外れても待ち構えていたノブにいには飛びつかずに村役場の仮眠室のシャワーへ向かった。汚れた服を脱いでシャワーを浴びると気を利かせた雑貨屋のおばさんが着替えと化粧品を用意してくれていたため、ありがたく使わせて貰った。もっとも化粧の方と言えば、ノブにいに抱きついた時に大泣きをして結局は無駄になったのはご愛敬だ。とりあえず直ぐに対策会議だと思っていたのだが、村長に一時間ぐらい二人で休んでおいでといわれて、ありがたく診療所兼自宅で休ませて貰った。もっとも寝室に直行したのは生命の危機を感じていたからかもしれない。一時間後二人で対策会議に村長さんの自宅に行った時に、少しがに股だったのは恥ずかしかった。それに秋沢さんの悲しそうな表情を見て少し反省してしまった。

 それはともかく対策会議ではなぜ秋沢夫人と元さんだけが被害に遭ったのか、それ以外の村人が助かったのかが話の中心になった。正確には二人を除く村人とそれ以外の人類なのだろう。私が隔離されていた間に雑貨屋のおじさんが車で町に降りたが、町は死の町になっていたそうだ。Jアラートのせいか町中で倒れている人や止まっている車は少なかったが、試しに民家に入ってみると折り重なって住人が死んでいた。県立病院やホームセンターに行ってみると死体の山だったそうだ。生き残りが見つからなかったので、とりあえずホームセンターで灯油や発電機、食料などを出来るだけ調達して戻ってきたらしい。

 対策会議では元さんと秋沢夫人の共通点が話題になった。片や村のひねくれ者、片や都会育ちの麗夫人で共通点はまるで無い。話が続くと不謹慎だが飽きてきた。何か食べるものがないかと、勝手知ったる村長宅の冷蔵庫をあさった。食べ物がほとんど無い。牛乳と村のサクランボだけだ。しょうが無いので、サクランボの入った皿を持ってきて勝手に食べ始めた。相変わらずすっぱ苦い。たださすが村長さんだ。村人の事はよく知っている。

「元さん、村の風習には従いたくないって、そのサクランボ食べなかったな」

「うちの麗子もそうでした。体が弱いので変わった物は食べられないからって」

 皆の視線が私の手の皿のサクランボに集まった。私は口に放り込もうとした格好で固まってしまった。


 あの後、ノブにいがサクランボの絞り汁などで実験をしてみたが、直接的には抗菌作用はないらしい。多分サクランボを食べて体の中で何かが作られてそれが血液に溶け込んで菌に対抗しているのではないかと言う事だ。村の診療所の機材には血液を検査する物は無いので、これ以上は判らない。どうしようとみんなで頭を悩ませたところ、秋沢さんが提案をした。自衛隊の基地や防衛省には核シェルターがあるので、生き残っている人がいる可能性がある。ともかく町に出て、携帯がつながるところに出て、掲示板などに書き込んだらどうだと言う事だ。雑貨屋のおじさんは携帯については気付かなかったそうだ。それに無線機が手に入れば他の生き残りに連絡が出来る可能性がある。学校にはソメイヨシノが植えられている所も多いので、偶然実がなってそれを食べている子供もいるのではないかと言う事だ。ではだれが行けばいいかという事になり、一番若い私とノブにいが行く事になった。





 思い出話が長くなったが、それが三時間ほど前の事だ。愛車のSUVに身の回りの物とサクランボ、食料、水を乗せて二人で山を下りていく。もしかしたら、サクランボ以外が原因かもしれないので、村で採れた野菜や米、水も持っていく。これが県道かと思えるようなくねくね曲がった道を通り、開けた所に出てみるとスマフォのアンテナが一本立った。

「ノブにい起きろ」

 疲れているのはわかりもするが、愛する女に長々運転させて、自分は暢気に高いびき。少し腹も立ったので思い切り怒鳴ってやった。ノブにいは慌てて飛び起きて、頭を天井にぶっつけた。





 秋沢さんの提案はずばり当たった。有名なネットの掲示板をあさると、防衛庁の係官の生き残りを探す書き込みがあった。その連絡先に電話をしてみると埼玉県は大宮の化学戦細菌戦の部隊のシェルターへと繋がった。こんな時のために大宮駐屯地と防衛省には細菌戦対応のシェルターが有り、そこに各種のエキスパートが男女同数で最低二人ずつ一ヶ月交代で詰めているそうだ。核シェルターと違い気密性さえ確保出来ればいいので、全員で千人近く生き残っていると聞いた時は、さすがにあきれた。後で仲良くなった女性医官に聞いたところ、シェルター詰めは大して手当も出ない一般出張扱いなので、実は人気が無かったそうだ。

 ともかく自衛隊と連絡が取れた後は簡単だった。指示通り国道17号線を南下していった。途中でガソリンが切れかかったが、ガソリンスタンドを見つけて勝手に給油した。私のバイトも無駄にはならなかったようだ。行田市で自衛隊の特殊車両を見つけた時はほっとしたが、もしかして解剖されるかもなどと思ってしまった。もっともそんな事はなく、丁重に扱ってくれた。その場の責任者で、防護服越しでもやたらプロポーションが良いのが判る女性医官が対応してくれた。


「鈴木道子、自衛隊で医官をしております」


 鈴木医官の格好を見てノブにいの顔がだらしなくなったので思い切り足を踏んづけてやった。防護服のグラマーが好きなど特殊な趣味でもほどがあるのではないだろうか。私だって人並みのプロポーションはあるなどと考えたのは、ほっとしたからかも知れない。ここで防疫をしてから乗り換えると逆に貴重なサンプルである私たちの状態を変えることになってしまうと、医官は正直に言ってくれたので安心した。ともかく乗り換えは大変なので特殊車両に前後を警護される形でSUVに乗ったまま大宮駐屯地へ向かった。着いたとたん検査や採血のためノブにいと離ればなれにさせられそうだったので、離れたら舌を噛むぞと騒いだら一緒の検査になった。もっとも全裸になってする項目も有り男性の医官にじろじろ見られた時は恥ずかしくて仕方が無かったが、結構意地っ張りなので泣き言は言わなかった。

 さすが自衛隊の精鋭部隊は優秀だった。それとも日本の基礎科学や医学を褒めるべきだろうか。三時間で私とノブにいの血中の抗菌物質を割り出した。ただ、それを合成するには時間がかかるため、志願した自衛官が一人サクランボを食べて実験をする事になった。食べてから二時間後その自衛官が体中が痒いと言い出してみな色めきだったが、その自衛官の血中に抗菌物質が出来ているのが確認された。その後気密室から外に出た自衛官は死なずにぴんぴんしていた。そういえば子供の時分、初めてサクランボを食べた時に体中が痒くなったのを今更ながら思い出した。

 その後の自衛隊の動きは素早かった。特殊なヘリが村へと飛んで校庭の桜を確保した。もしここで山火事でも起きて、桜が燃えて無くなったら下手すると人類が滅亡だからだ。突然村役場前の広場にヘリが降りてきて村長はびっくりしたが、秋沢さんが対応してくれた。医官の説明を聞いた時は、これで麗子の敵がとれると泣き崩れたそうだ。

 これが四十年前世界を襲った大災害の顛末だ。結局原因はわからなかった。細菌戦の結果とも、突然変異した細菌のせいとも言われるが、今ではどうでも良い事だ。自衛隊は世界中の生き残っているシェルターに抗菌物質のデーターを包み隠さず分け与えた。今更、思想も宗教もなく生き残った者が生き残る義務と権利があると言う事だ。日本ではシェルターがほとんど普及していなかった事もあり、生き残りはほぼ自衛官だったが、ソメイヨシノの実を食べてみようなどと考えた、変わり者もいたせいで、桜の名所の近くに生存者が結構いた。それも子供が多かったのは、その子にとっては幸か不幸かは判らない。

 日本では自衛隊がこんな場合も考えていたシミュレーションを元にして文明の再建が行われた。結構手際が良いのを見て、仲良くなった女性医官にこれならもっと助けられたんではないのと言ったら、悲しそうに全員は助けられませんと目を伏せたので悪い事を言ったと思った。

 国の再建は自衛隊に任せて、私とノブにいは結局村に戻る事になった。村人達は村から動こうとしなかったし、自衛隊の駐在部隊が居着く事になったので、医者の需要があったからだ。私も医官などに教わって看護師の資格を手に入れた。もっとも資格と言っても自衛隊が保証してくれるだけで、他で使えるわけではない。

 私とノブにいはずっと仲良く暮らして結局八人も子供を作った。例のグラマーな女性医官と仲良くなった私が、子供をいっぱい産んで日本の再建に貢献すると使命感にもえちゃっている彼女と、どっちが多く産めるかなどと言う馬鹿な競争をした結果だ。でもさすがに体の鍛え方と体型が違う女性医官は十二人も産んだので、私のまったく完敗だった。

 ノブにいは六年前にこの世を去って、今では私の方が年上だ。あの世に渡る死に際に、俺の人生の後半は、おまえと一緒にいれて幸福だったなどと言ってくれたため、女性医官を見た時のスケベ面は許す事にした。お墓は校庭の隅にあり、すっぱにがいサクランボと共に時々会いに行っては、さみしがり屋のノブにいに、そのうち行くと言っている。ただ多分、いやきっとノブにいは、あの世で照れながら、ゆっくり来いよと言っている。そんな優しい人なのだ。だからあの世への道行きは、めいっぱいふんばり遅らせて、吉ばあ以上に長生きし、子供や孫やひ孫など、お土産話をいっぱい用意して、ゆっくり行こうと思ってる。ノブにいと村のみんなのおかげで世界は助かったんだぞと、頭を撫でてあげてノブにいの照れ笑いを見るつもりだ。



 お土産話で思い出した。村から大宮への旅路は数時間に過ぎず、特に何もなかったが、今では尾ひれが山ほどついて「桜の道の大冒険」とおとぎ話になっている。ひ孫にそれを聞かれるたびに、有ること無いこと話してる。おばかな森の熊さんと美人の話になっている。


ノブにいごめん。





おわり


星新一賞に出した物をリライトしていたら、いきなり新型コロナウイルス感染症がパンデミックになりました。自然に追い越されてしまいました。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

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