短編を少々

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まっこうくじら
まっこうくじら

対処法

公開日時: 2020年11月17日(火) 16:28
文字数:17,693

対処法                                 



その一

朝ご飯


 日本で最初に宇宙人の侵略が記されているのは享保七年、徳川吉宗の御代である。吉宗は目安箱の投書をきっかけとして、小石川養生所を開設したとされているが実は違う。

 その年の初め、花のお江戸では、おぼろ船とそこから出てくる幽霊の噂で持ちきりだった。その噂とは、空を見上げると白く輝く繭のような船が浮かんでは消え、それが何回も繰り返されるというものだ。そしておぼろ船から光が差すと白い人影のような幽霊が降りてきて辺りをうろついては消えるというのだ。初めは単なる噂ととらえていた幕府も、あまりにも目撃談が多く世の中が騒然としてきたため調査を開始した。その結果、確かにおぼろ船らしき物が存在し、そこから幽霊のような者が出てくるのも事実と判明した。

 人心の動揺を防ぐため、当初幕府は不届き者のいたずらで済まそうとしたがそうも行かなくなった。幽霊を見た者はおよそ一ヶ月後に病に倒れ、死んでしまうと言う噂がたち、それが事実と知れたからだ。その数が百人を超えたところで、幕府の肝いりで小石川養生所が作られ対策が講じられた。現在に比べ医学の知識が乏しかったとは言え、当時も加持祈祷に頼っていた訳ではない。和算を代表とする、数学的な解析方法、からくり人形に代表されるロボット工学、日本の暦を作る天文方、もちろん医学も、当時からそれなりに科学的な知恵があった。幕府はその代表的な者達を江戸に呼び寄せ、調査に当たらせた。だが調査は難航した。幽霊を見た者でも病にかかる者そうでない者もいて、その理由が判らなかった。

 対策が遅々として進まない間も、おぼろ船は出続けた。そして大阪でも享保の九年、おぼろ船が出始めた。ただ、幽霊を見た者がほぼ十割の確立で発病するのが江戸とは違った。春頃に享保の大火が大阪で起こったのは、死体を火葬する際の火が広がったからだという説が有力だが、幕府が感染者を焼き殺すために火を放ったという説もある。ただ、町が燃えてしまい価値がなくなったのか、おぼろ船の狙いがもともと江戸だけだったのか、その後は江戸にしか現れなくなった。

 このままではと考えた幕府は、ありったけの兵力でおぼろ船に攻撃を仕掛けた。槍、弓、鉄砲、大砲などだが、まったく効き目がない。それらはおぼろ船の表面ではじけて砕け散ったり、かと思うとすり抜けたりする。幽霊達に対しても同じだった。加持祈祷も試してみたが効果は無い。吉宗の手記にも、対応に苦慮したと記されているぐらいだ。

 享保の九年の年も押し詰まってきた頃、やっと吉報がもたらされた。発病率と出身地に若干の相関が有るのが判ったのだ。仙台藩、水戸藩、山形藩の江戸詰の者達の発病率が低かった。その為幕府は各藩と協力し感染者、非感染者の調査を開始した。その結果は意外な物だった。これらの藩は特産品として納豆がある。非感染者の多くは納豆を定期的に食べていたのが判った。そこで幕府が各地の納豆を取り寄せて、小石川養生所で試したところ水戸藩の納豆が特に効果があり、感染者に与えると三日で症状が緩和され、さらに三日で回復へと向かいだした。幕府は納豆を特産としている藩、特に水戸藩にお触れを出し納豆の増産、江戸への運搬を行わせた。納豆は、病の特効薬に成るだけでは無かった。試しに納豆をおぼろ船からでてきた幽霊に弓や礫術でぶつけると、徐々におぼろ船から幽霊が出てこなくなった。そして享保の十年の夏にはおぼろ船も現れなくなった。おぼろ船は現れなくなったが、幕府は今後の防疫センターとして小石川養生所を存続、また水戸藩にはおぼろ船の再来に備えて納豆の増産を密かに命じた。これが水戸で納豆作りが盛んになった始まりである。これらは当時の水戸藩主の著作「成公文集」の削除された項目を現代の解析技術を使い復元して判った。

 現在ではおぼろ船は宇宙船、幽霊は宇宙人ではないかとされている。なぜ納豆で退治できたかは定かでは無い。ただ有力な仮説はある。はやり病の病原体は宇宙人の体内細菌で、それが宇宙人の体内より漏れてはやり病がひき起こされた。一方、納豆菌は高温や色々な環境に耐える強い菌で、宇宙人の体内細菌の増殖を抑制する作用があり、そのせいではやり病もなくなり、宇宙人は体内菌のバランスを崩して去って行ったというものだ。水戸の納豆が効果が高いのは僅かな菌種の違いだろう。


その二

雪の降る町で


 その日、大学から戻ると手紙が届いていた。彼は家の入り口で係官に手紙を渡された。彼ら混ざり者達の他との連絡は政府の検閲後に許されている。

「ええと、西氷京子、光子、さっちゃんからだ」

「では」

 係員は去って行った。誰も居ない一軒家はがらんとしている。奥の寝室に入るとベッドに仰向けに寝転がる。天井の監視カメラが目に入るが気にならない。さすがに慣れた。去年まで同居人がいたがテロで他界している。

「お変わりありませんか。私も姉も元気です。北海道は晩秋の晴天が続いています。そのうち新米を送れると思います。送っていいように姉がかけ合ってくれました」


 次に地球侵略が有ったのは西暦二千二十五年だった。温暖化が進んだ地球の赤道近くの島に、一隻の宇宙船が漂着に近い形でたどり着いた。彼らは体力知力装備とも地球人を上回っていた。この宇宙人はメンタリティーが人類と近いようで、武力で支配範囲を広げ始めた。初めはなすすべが無かった人類だが、そのうち反撃のきっかけを掴んだ。宇宙人が極端に相打ちを恐れるのが判ったのだ。それは宇宙船一隻に乗っていた個体数の関係なのか、精神性によるものか、ともかく味方に被害が出るのを極端に恐れた。試しに宇宙人の遺伝子を導入した軍用犬をけしかけたところ、攻撃せず逃げた。そこで有力数カ国のトップが結論を出した。当時妊娠していた女性の胎児に遺伝子導入を行い兵士としたのだ。生まれてきた子供達は特に秀でた面があったわけでは無いが、攻撃を受けないのが判り、戦士に育て上げられ、戦線に送り込まれた。彼らは混ざり者と呼ばれ、戦場で親とも言える宇宙人を殺し続けた。

 彼らの活躍で、宇宙人は全滅した。だが今度は彼ら混ざり者が恐れられた。混ざり者は人とは違う生き物だという認識だ。世論に押された各国の政府により混ざり者達は全ての権利を奪われた。

「最近は愛護団体のお年寄りがよく遊びに来ます」

 恐怖や国家の誘導による世論に押されて、各国で公開処刑を待つだけとなった混ざり者達に、思わぬ救い主が現れた。動物愛護団体である。団体曰く、人と同じ言語を話す世界で数十体しか居ない高等生物を滅ぼす権利は人類にはない。単にいくつか遺伝子を導入されただけの人間なのに、まるで鯨や海豚の扱いと同じにしてよっぽど差別だが、差別をしていないと思いたい世界の人々にこの意見は支持された。

「もし人間ならあなたみたいな子を孫の嫁に欲しいねって言われます。返事に困ります」

 結局世論が出した結果は「高等生物にふさわしい待遇を与えよう。繁殖以外の権利はほぼ認めよう」というありがたい物だった。誠にもって素晴らしい人道主義だ。

「そういえば私にも生理が来ました。先週手術を受けました。姉さんが泣いてくれました」

 繁殖をさせないため、混ざり者達は、女は卵巣の、男は精巣の生殖細胞を薬物処理で破壊する手術を受けさせられていた。混ざり者同士のSEXは勝手にしろと言う訳で、性器自体は手を付けないと言うところは素晴らしい。

「同じ様な手術を受けても美鈴さんが羨ましいです」

 初期の混ざり者は学校に通っていた。恋仲になった女生徒もいた。その混ざり者の処分を聞いて彼女は逆上した。

「繁殖しなければいいのでしょう。正夫に女の子の不自由はさせない」

 恋は狂気かもしれない。彼女は包丁を下腹に突きたて子宮を自ら壊そうとした。しかし本能の抵抗が強かったのだろう。包丁はそれた。一命は取り留めたがその後も発作的に自分の下腹を傷つけようとした。何度も何度も繰り返そうとする彼女を見て両親が結論を下した。

「この子の好きにさせてやってください」

 彼女は手術を受けた。恋人の混ざり者と一緒に住むようになった。初めは家に二人で軟禁状態だったが、そのうち彼の家が建てられた軍の基地内は自由に動けるように成った。

「浩二君はどうしているのでしょうか。きっといろいろな人に会っているのでしょうね。キャシーもそうなんでしょうね。羨ましいです」

 混ざり者は四人一組でチームを組んで戦った。同じチームのメンバーでも国や個体によって扱いに差がある。浩二は隔離の程度は低く、監視付きだが、近くの大学に通っている。

「キャシーからこの前手紙が来ました。キスは性行為に含まれないとアメリカ政府が認めたそうです。さすが自由と正義の国だと、ついでに狸や狐のキスをする権利も政府で認めたらと書いてありました」

 混ざり者の大体は日本人や日系人だ。混ざり者の研究所や生産工場は日本にあったためだ。島国ならいざという時に核兵器などによる殲滅が容易なためだ。キャシーは米国人の血も混じっているため米国が引き取った。混ざり者には政治的軍事戦略的な価値があるからだ。混ざり者に日本人が多いのは日本人が宇宙人に近いからだという噂は世界を席巻した。人種の平等などという思想は所詮その程度の物なのだろう。宇宙人だから日本人は鯨を殺すのだと、鯨油を取るだけに鯨を殺しまくった欧米諸国ではそれが定説になったほどだ。

「今は美智子と仲良く暮していると書いてありました」

 混ざり者を指揮していたのは国連軍の軍人だったが、かれらも危険視された。美智子はキャシーや浩二、幸子などがいた部隊の指揮官だったが混ざり者達と同じ様な処置を受けた。

「女同士も結構いいと書いてありました。姉と私みたいですね」

 京子博士は、後期の混ざり者の研究開発の責任者をしていた。京子は美智子と同じような境遇になっている。

「最近幸子姉さんの夢を見ます」

 浩二はベッドで俯せになる。

「決まって姉さんと浩二君がライフルの整備をしているところです。私ではありません。私なら膚がまだらですから」

 部屋の外がうるさい。浩二の家も基地の中にあった。

「浩二君お願いです。もう私の事をさっちゃんと呼ぶのはやめてください。私は幸子さんとは違います」


 初期の混ざり者は人間の子宮より生まれたが、後期は工場の人工子宮で生産された。戦闘データーを工場が直接テレメトリーで入手、それがインプットされ記憶と経験を持った状態で出荷された。幸子はそのタイプの最新型の一人だった。工場は戦後、徹底的に爆撃、破壊が行われた。その後の調査には案内役として京子も同行した。工場の敷地の中には爆撃が及ばなかった地下室が有った。そこに壊れていない培養槽があり、動力もバッテリーでかろうじて動いていた。培養槽には個体が残っており、それは皮膚はまだらで左目と右手親指の欠損はあるがそれ以外は混ざり者の後期量産型に酷似していた。

「三型」

 思わず京子は呟いた。彼女は案内役と調査隊員の欲求不満解消の対象として同行していた。やたら広い工場は調査し終わるのに何日も掛かる。京子はその間調査隊の隊員達に殴られ蹴られ犯され続けた。他の調査隊では美智子やその同僚が同じ目にあっている。混ざり者の関係者は人間では無い。混ざり者達みたいな稀少動物でもない。何をしてもかまわない。

 皆は動きが止まった。混ざり者を直接見た者は実は少ない。調査隊の隊員達もそうだ。京子は駆け寄り、連日の暴行を受けているとは思えぬ力で培養槽からそれを引き上げた。京子の腕の中でそれは培養液を吐き出すと初めて外気を呼吸し始めた。いろいろな感情が一気に押し寄せて来て、京子はその者を抱き締めた。

 その者は他の混ざり者と同じ扱いになった。世話役に京子が同伴し、北海道の元軍属の老夫婦が二人だけで開いている農場に幽閉処置となった。京子は幼い時に死に別れた妹の名を彼女に付け育て始めた。光子は始め赤ん坊と同じだったが急速に言葉と知識を吸収し今に至っている。他の関係者は美智子がキャシーの世話役、京子の部下が政夫達の世話役、美智子の部下が浩二の世話役となった。


「私は私です。そう思います、この話は終わりです」

 浩二は黙った。少しの間手紙を見つめていた。

「最近少し楽しみな事があります。姉が教えてくれました。雪が降るかもしれないと」

 国外どころか半径十キロメートル以上は動けない浩二は、雪を見た経験がない。温暖化した日本では雪はめったに見られないからだ。

「一緒に雪を見たいです。では体に気を付けてください」

 いつもの様に彼女の手紙は唐突に終わった。

「追記だ。京子です。妹はもう長くありません」

 あまり驚かなかった。京子から昔貰った手紙で状態は知っていた。

「後二ヶ月ぐらいでしょう。雪は一ヶ月後ぐらいで降ります。一緒に雪を見させてあげたい」

 それで手紙は終わっていた。そのままの格好でベッドに横になっていると、少ししてチャイムが鳴った。浩二は手紙を持ったまま玄関に向かう。鍵を勝手に開け係員が立っていた。

「決定を伝えます。その手紙の内容を検討した結果、選択権を与える事になりました。ここに止まるか北海道へ行くか」

「行きます」


「あそこに見える建物が母屋です。あなた達が動いていい範囲は周囲を取り囲んでいる警備兵の内側二十メートルまでです。警告は一度だけ。それで戻らなければ、その後射殺します」

「判りました」

 浩二は母屋に歩いていく。比較的新しい鉄筋コンクリートの平屋だ。北海道も雪が降らなくなったので屋根の傾斜は緩い。母屋に着くとドアをノックして声をかける。ドアが開かれた。

「久しぶり、浩二」

「何で、正夫が」

 そこには戦友の顔があった。

「入ってくれ。俺達だけじゃない。みんなどうせ幽閉されるならってさ」

 中に入ると老夫婦が居た。穏やかな顔付きをしていた。京子達を受け入れただけの事はある。優しい目で見てくれた。ここから出る事は出来ないがこの農場は君達の物だ。自由にしていいと言った。

 正夫と老夫婦に案内されて居間に着いた。

「ひさしぶりですね」

「浩二はやっぱりとろいわね」

「こうちゃん久しぶり」

 部隊のみんながそこにいた。

「キャシーはいいの?キャシーは結構自由が有るって」

「保護動物のね。私達は人間以外にもこれだけの権利を与えています。自由と正義の国万歳ってね。笑わせてくれるわ。ならはっきりと檻の中の方がましよ」

「変わらないね、キャシー」

 キャシーが頬を膨らませると浩二は微笑んだ。

「美智子さん、お久しぶりです。美智子さんは変わりませんね」

「まあね」

「少しほっとしました、あの」

「二人ならあっちにいるわ」

 キャシーが浩二を案内して奥の部屋に連れていく。

「博士、浩二を連れてきたわ」

「どうぞ」

 戸の前でキャシーが言うと中から京子の声がした。

「入ったら」

 ためらう浩二にキャシーが言う。浩二は戸を開けた。中は薄暗かった。入っていった。

「浩二君なの。ごめんなさい。明るいと疲れてしまって」

 浩二は声の方を向く。部隊で一緒だった時に聞いた、記憶通りの声だった。薄暗いのはカーテンを引いてあるからだ。部屋のまん中にはベッドが置いてあった。ベッドの横に座っていた京子にお辞儀をすると、黙礼を返された。すぐに光子に視線をもどす。見ていないと直ぐ何処かに行ってしまうかのようにじっとだ。

「姉さん、カーテンを開けてください」

 京子が立ち上がる。窓の側に行くとカーテンを開いた。部屋は明るくなる。京子は窓際の椅子に座った。ベッドには少女が横たわっていた。眩しいのか右手で顔を隠している。右手には親指が無かった。淡い水色のパジャマから出ている皮膚はまだらだ。右手を退けると浩二にとって見慣れた顔が現われた。

「浩二君、本当に来てくれたのね。よく見えないの、近寄ってくれない」

 浩二は無言のまま近づく。少女の顔に顔を近づける。三十センチメートル程の距離まで近づけた時少女が言った。

「姉さんの、幸子姉さんの記憶通りの浩二君だ」

 少女は手を伸ばす。頬に触れる。

「姉さんが触れたほっぺただ」

 しばらく触れていた。浩二は黙っていた。

「浩二君、もういい。嬉しい。姉さんの記憶が喜んでいる。さっちゃんって呼んでいい。だから声を聞かせて」

「さ、さっちゃん」

「浩二君の声だ」


 京子が出て行った部屋では浩二がベッドの横の椅子に座った。

「私、あと二ヶ月ぐらいなんだって」

「うん。聞いてる」

 声は同じだが口調は幸子とは違った。ただ姿形は浩二の記憶にある幸子そのものだ。

「今考えている事を当てようか。さっちゃんと違うなって。隠さなくてもいいよ」

「そんな事はないよ。会えて嬉しいよ」

「良かった、私の中で幸子姉さんが暴れてる。姉さんの記憶が、私に幸子になれって。嫌だったけど、今は少し心地いい」

「そう」

 少女はずっと目を瞑っていた。

「幸子姉さんに成ってあげてもいい。雪を二人で見たらその後は姉さんに成ってあげてもいいよ。私でなく成っても」

「そう」


 皆のここでの生活は穏やかな物だった。主に農作業と読書をして過ごした。ネットワークは来ていないがテレビやラジオは使えた。本も手に入れられた。情報は入手できるがここから出せないだけだ。晴れた昼間は老夫婦に手ほどきを受けて農作業をする。物を作るのは楽しかった。雨の日は繕い物や機械の修理をした。夜は思い思いの事をして過ごした。と言っても読書やテレビ、ラジオ、SEXぐらいだった。

 浩二は別行動を取っていた。少女とずっと共にいた。彼女の世話は全て浩二がした。少女は幸子の記憶に無い事を好んだ。枕元で本を読んでやるととても喜んだ。


 二十日後の夜だった。

「今日は冷えるね」

「うん」

 二人だけでラジオを聞いていた。穏やかな曲が流れていた。少女は予想より衰弱が激しかった。生活の全てを浩二が面倒を見ていた。

「入るわよ」

 静かな空間を破ったのはキャシーだった。

「雪、降っているわ」

「ほんと」

 部屋の闇に吸い込まれてしまいそうな、そんな小さな光子の声だった。キャシーはカーテンを開く。

「本当だ」

 浩二が呟く。窓ガラスの向こうで雪がちらついていた。

「見えない」

 少女の視力はほとんど残っていなかった。

「待っていて」

 浩二は部屋のわずかな灯りも消す。少女をベッドから抱き上げる。少女の淡い水色のパジャマに包まれた体はとても軽かった。窓際に連れていく。

「あっ、これが雪」

 部屋の灯りを消したせいか月明かりにきらめく雪の結晶が少女にも見えた。三人は窓ガラス越しに二十年ぶりに降った雪を見ていた。

 やがて少女は呟いた。

「雪なんだ。嬉しい。一緒に見れた」

 少女の呟きに浩二とキャシーは少女の顔を見る。少女の濁った瞳から一筋の涙がこぼれていた。そして少女は微かに笑ったようだった。

「浩二君、キャシー、お休みなさい」

 別れは突然だった。浩二は力が抜け冷たくなっていく少女を抱いて雪を見ていた。キャシーも雪を見ていた。ずっと見ていた。


「皆三十前に衰弱死しました。遺伝子導入の副作用です。京子さん達も、最後の生き残りが死んで混ざり者がこの世から居なくなったのを見届けてから毒を飲みました。私は政夫の遺言通り外に出たいと申し出て、許可されました。今では彼らは人間だったとされています。彼らは私の友人であり、恋人であり、仲間でした。私は神に祈る事はしません。無駄だから。しかし、もし今祈る相手があるとしたら、ただ一つだけ祈りたいと思います。彼らの魂に安らぎあれ、と。西暦二千六十一年某日 美鈴」

 美鈴は手記を書いていた端末を閉じた。窓の外には雪がちらついていた。



その三

あなたは死にました


「あなたは死にました。でもご安心ください。これから異世界へ転生し生き返ります」

 気がつくと、何も無い白い部屋にいた。とにかく真っ白だ。辺りを見回しても椅子以外何も無い。とりあえず椅子に座った。私は確か五十五歳で交通事故で死んだはずだ。トラックに轢かれそうになった幼児を助けようとして、代わりに死んだと思う。だが記憶が曖昧だ。六十歳で癌で死んだ気もする。七十歳で宇宙人の侵略に巻き込まれて死んだなどという馬鹿げた記憶もある。少し考えていると目の前の何も無い空間がディスプレイに変わった。とりあえずディスプレイに表示された文字を眺めてみた。その文字は自動的に音と成って耳に入って来た。

「いくつかの世界、いくつかの能力が選べます」

 生き返りが出来ると言うのならここは天国なのだろうか。とすると先ほどの記憶は前世での記憶か。それにしても天国も随分機械的で便利な所だ。天使がいてくれたらいろいろ聞けて嬉しいのだが、天国も人手というか天使手が不足しているのだろう。

「一 、現代の日本。職業自由。注意点、特になし。本人への付加能力無し」

「せっかく生まれ変われるのなら、変わったところがいいな」

「二、江戸時代の日本。剣豪、忍者などが選べます。注意点、現代と違って衛生観念、特にトイレ、食物などで苦労する可能性あり。医療技術も低く負傷も簡単に致命傷に成ります。本人への付加能力、動体視力、体力」

「ちょっと怖いな。パス」

「三、中世ヨーロッパ。貴族、商人などが選べます。注意点、現代と違って衛生観念、特にトイレ、食物などで苦労する可能性あり。医療技術も低く負傷も簡単に致命傷に成ります。本人への付加能力、商才」

「これもパス」

 彼はいくつかの世界を紹介されたが、どれも気に入らなかった。

「十三、ヨーロッパ簡易世界。魔法戦士などが選べます。注意点、基本は中世ヨーロッパですが、衛生観念、特にトイレ、食物などは現在のレベルに調整済みです。医療技術も普及しています。本人への付加能力、魔力、運、美貌」

「これにする。仕事は魔法戦士」

「承りました」

 彼をきらきらとした光が包んだ。


「この志願者も、またこの世界を選んだよ。もう少しバリエーションが無いと、彼らが飽きて食い残すかも」

「まあ、人間は俗に流れるからな。みんな志願したのに、システム上それは忘れるから」

 調整槽の前で係員は呟いた。西暦二千七十年に地球を訪れた宇宙人は巨大な宇宙船を何隻も擁していてとても人類では太刀打ちできなかった。だが宇宙人の要求は変わっていた。彼らは人の記憶を食べていた。記憶という情報を食べ、宇宙人自体のエントロピーを低下させ生きている種族だそうだ。国連が交渉した結果、年間百人の記憶を大量に詰め込んだ人間を食料として差し出す事になった。記憶を詰め込む為の調整槽は宇宙人からの技術供与で作られたが、ブラックボックスも多く、人類では整備しか出来ない。初めは遅効性の思考毒みたいな物を作れないか研究した人類も、年間百人ならそちらの方が安上がりとなった。

 食料になる人間は、初めは死刑囚などで試したが、宇宙人達の口に合わなかったらしい。今では志願制となっている。志願者は睡眠ポット内で記憶を押し込められる。体験できる世界を選べるのはせめてもの情けだ。ただ好きな世界に転生する体験が出来るので、志願者は結構いる。楽しければ未来はどうでもよい人は多いものだ。

「なあ、食い残しってどういうもんか知ってるか」

「うわさだけだけど。なんかあまりにもありきたりな記憶だと、宇宙人が適当に食べるんだとさ。だから変な記憶が残されて、地獄のような精神世界に取り残されるって」

「ま、全部食われても痴呆だが、そっちの方が楽みたいだな」

 係員は無駄話にも飽きてきたのか、作業を再開した。



その四

変身


「腰が入っていない」

「はい」

「手の振りがなっとらん」

「はい」

 地球を守る兵士の訓練は厳しい。朝から夜まで訓練の時間がびっしりと詰まっている。今日も耕作は訓練を受けていた。午前中はそれでも楽だ。技の稽古だからだ。午後になると基礎体力の向上の為、自分の体重ほどもある荷物を背負ってのフルマラソンなどが待っている。

「よう耕作、お前はどうだい」

 昼の休みに同期の泰三が話しかけてきた。

「一号はどうも腰の入り方が難しくって、大変だよ」

「俺は二号のシンプルな動きにむしろ難しさを感じるね」

「まあな。だけど一号と二号は全ての基本だからマスターしないと次に進めないし」

「そうだよな。ここでつまずくと三号はもっと難しいよな」

「時々巨大ヒーローグループに移りたいと思うよ」

「あっちはあっちで大変らしいな」


 西暦二千百一年、二十二世紀になった途端記憶を食う宇宙人は地球を訪れなくなった。地球人の記憶を食い飽きたのではというのが有力な説だ。入れ替わりに西暦二千百十年、自らをベルカルベと名乗る宇宙人が侵略してきた。今までで一番人類に近い彼らは、人類の殲滅を開始した。たちまち人類は日本やイングランドなどの島国を残してほとんど滅びた。彼らの宇宙、航空戦力を使えば瞬時に世界の人類の殲滅も可能なのだろうが、そうしなかった。妙に陸戦部隊にこだわり、武器も小火器しか使わない。なにかしら意味があるのだろうが、宇宙人の思考など判らない。

 そうこうしている間に、日本への侵攻が始まった。奪い取った地球の軍船を使用して、海より攻めてきた。初戦は日本の軍のほぼ完敗だった。ただし一人生き残った者がいた。

 当然軍は興味を持った。もしかしたらスパイなのかも知れないなどとも推測されたが、取り調べで判った事実は意外な物だった。


 生き残った彼はその時まさに絶体絶命だった。宇宙人の使う武器は、装甲された固体弾を打ち出すライフルの様な物とパルスレーザーガンだった。パルスレーザーガンの傷は熱で止血されるが、個体弾の方はそうはいかない。特殊な作用は無いただの個体弾とはいえ、脇腹に食らってはたまらない。彼は戦えはしたが、徐々に出血で弱っていった。そして意識が混乱してきた。これは特撮の映画なんだと思い始めた。彼は日本で百年以上続いている特撮ヒーローのファンだった。しかも重症のファンで、そのヒーロー達の二人目という、その当時男の子だったら誰もが知っている、今や特撮界の伝説となっているヒーローのファンだった。彼は立ち上がると、ふらふらとしながらも腰を入れ踏ん張った。

「変身」

 彼は両手を右の方から振り回してポーズをとる。これで変身すれば宇宙人なんてイチコロだ。

「と~」

 もちろん変身なんてできるはずが無い。だがそこで奇跡が起きた。ベルカルベ兵達が慌てふためいて撤退し始めたのである。

「あれ、俺、変身したのかな」

 彼はそこで意識を失った。


 生き残りは他にはいないので、実際の所は判らない。ともかく理由は判らないが初めて人類が反撃の手がかりを得た。一応催眠術やら薬物やらで彼を調査してみたが、少なくとも本人に嘘をついていると言う認識は無い。軍はそこで試してみた。幸い日本のお家芸とも言える特撮物は、この時代でも子供が必ず見るコンテンツの一つだ。おかげで変身ポーズが出来る士官は日本に山ほどいる。軍は島根の残存兵力のうちもっとも特撮に詳しく、身体の切れが良い者を選び出した。小隊を率いた初老のその男は、古武道も納めている精悍な体つきの根っからの特撮オタクだった。彼は防弾服だけを身につけ、最前線の先頭に立った。もう気分はスーパーヒーローだ。

 腰を入れると右手を上で振り、それを左手が追いかけた。

「変身」

 一瞬にして、ベルカルベの攻撃が止まった。

「と~」

 ベルカルベ兵達は逃げていった。理由は判らぬがともかく効果がある。これはすぐに日本中、世界中に情報が共有された。日本は変身ポーズが出来ない者が少ないくらいだったし、他国でも変身ヒーローは子供達の常識だ。軍が試したところ変身ヒーローだけでは無く魔法少女の変身ポーズなども効果があるのが判明した。人類は反撃の機会を得た。多分。


「お、アリスひさしぶり」

「久しぶり」

「相変わらずポケパンポケパンやってるのか」

「違うわよ、魔法刑事ミラクルポクパン、そろそろ覚えなさいよ」

「似たようなものだろ」

「これだから男は」


 結局何がベルカルベを退けるかは判らなかった。過去に変身する種族に痛いめに合ったとか、変身ポーズをする時の思い込みを精神感応で拾って恐れるなどの仮説が立てられたが、どれも立証できなかった。ベルカルベが何故か西暦二千百二十年に地球から引き上げたので、結局謎のままだった。

 理由が判らないので、人類は再度の侵略に備えて、今も変身ポーズを学んでいる。



その五


ダイヤモンド


 私は夏の休みになると山の方にキャンプに行く。町から相当離れた山奥にちょっとした土地を持っていて、そこに十数年前に立てたログハウスもあるのは私の自慢だ。町から木材を運んで、電動工具無しで木を切って削り、自分で組んで作った家で、釘は一本も使っていない。本当は木材のそのままの色を生かしたいのでペンキは塗りたくなかったが、そうすると腐りやすいので、なるべく目立たない色にしている。小屋の付近には川も流れていて、魚も結構採れる。川魚は臭いという者もいるが、私は好きだ。

 私は普段機械の設計や顧客への説明などの仕事をしている。中小企業のエンジニアはいろいろやる。やれ応力計算やれ耐腐食性など考えていたかと思うと、お客向けの説明資料を書いたりもする。そのせいで、ときどきそんな物から離れたくなる。なので、この小屋に来る時は、電子機器などは持ってこない。小屋に太陽電池で動くラジオが置いてあるだけだ。これも随分と古くなったせいで、音質が悪くなっている。部品のどれかが劣化しているのだろう。

 ただ歴史物の文庫本、科学の定数表が乗っている本を何冊かは持って行く。ノートに筆記具を持って行って、下手なSFを書いていたりもするので資料としてだ。他は着替えとタオルを何枚かと、主食と塩、乾燥野菜、卵を二つ、セラミックナイフにヤスリ、ダイヤモンドシャープーナー、そんなところだ。

 でっかいリュックを背負って道を上っていくと小屋に着いた。寝る為の小屋と荷物を置く為の小屋が二つある。大きな小屋の軽合金の鍵が鈍く光っている。風雨にさらされているが特にさびてはいない。留め金は青銅のため少し錆を噴いているがそれもいい色具合だ。作るときに妙に凝ったため、金具はできるだけ青銅を使っている。鍵を開けると掃除もせずにリュックを放り込みのびをした。でっかい水筒から水を飲む。山の空気は涼しくて、これだけでも気分がいい。次は食事の支度だ。ここでのんびりすると夕食のおかずが塩と野菜だけになる。早速罠を川に仕掛けに向かった。小さな小屋の鍵を開けると、中から穴だらけの大きなポリタンクと穴の開いていないポリタンクと荒縄を持ってくる。川の横まで持ってくると、穴の開いている方のポリタンクの取っ手に縄を結ぶ。作業をしながら川を見ると川魚がそこいら中に泳いでいる。ポリタンクに拾った石をいれて、川の中に沈め、流れていかないように荒縄で固定をする。川の流れでポリタンクに水と共に入り込んだ川魚が出られなくなり魚が捕れる仕組みだ。これで驚くほど魚が捕れる。もう一つのポリタンクで水を汲むと小屋に持って帰る。小屋の横には大きな木の樽が置いてある。木炭などを使った手作りの浄水器だ。中が乾いているので何回か水を入れてやらないといけないがそのうち澄んだ水が出てくるようになる。

 小屋に戻ると次は掃除だ。さすがに埃が溜まっているが、昆虫の巣などはなかった。小さい小屋から持ってきた箒で掃いていく。まあ埃は余り気にしないほうなので適当にやる。適当で十分だ。大きい小屋を掃除した後は、小さい小屋も掃除をする。小屋に置いてある道具の手入れもする。ぼろ布や油は大量に置いてあるので、たっぷり使って手入れをした。錆がきつい物はヤスリで削ったりする。ゆっくりしっかり手入れをした。手入れが終わって川に行くと、仕掛けには魚がいっぱいかかっていた。

 仕掛けを引き揚げ魚を出すと、適当に腹を割いてはらわたを取り出した。燻製にする時にはらわたが有った方がうまみが有るという者もいるが、私は取った方が好きだ。手入れの際に小さい小屋から出してあった燻製機は、すでに火種も用意してあるので、後は魚を中に吊すだけだ。

 次は魚醤だ。毎回ここに来るたびに、魚のはらわたを除いた物を塩漬けにしてポリタンクに入れてある。一年前の物が丁度頃合いだ。魚が発酵しきって形がなくなっているのでこれを使う。瓶の上に布をかぶせてそこにポリタンクの中身を開けた。凄い匂いだ。まずはそれを絞る。茶色い液体が濾されていく。残った絞りかすを鍋にあけ、水を入れて煮込む。それをもう一度布で濾し先ほどの瓶に入れると丁度良い濃さと香りの魚醤になる。次は主食の用意といこう。


 その日は主食に燻製と魚醤と乾燥野菜をもどしたスープで夕食を取った。後片付けをしているうちに日が沈み夜になった。夜になると星明かりの下で、下手な話の構想を練り始めた。話を考えるにはまずは元ネタが必要だ。歴史書を読み始めた。それにしてもよくよく私達は滅亡の淵をうろうろするのが好きなようだ。世界中が大水に沈んだり、宇宙生物が攻めてきたりとまあ忙しい。その度に、箱船を作ったり、宇宙生物の弱点を探ったりと何とか対応してきた。金属を腐食する細菌が世界中にはびこった時はさぞかし困っただろう。その時一番困ったのはファスナーやボタンが腐食して、ズボンが下がった事だなどと書いてあるが、確かに刃物が使えなくなるよりも、電子機器が使えなくなるよりも困っただろう。

 私はそこで本を置いた。いろいろな困難に打ち勝ってきた私たちだが、今度は危なそうだ。

 とはいえ娯楽は必要だ。歴史のIFを書くSFはよして、スペオペにしよう。光速の壁に阻まれて、太陽系を出られなかった私たちだが、お話の中では他の星系、他の銀河に行くのも良いだろう。絶世の美女を相棒にしたアウトローの話がいい。ただ今日はもう遅い。明日から書き始めよう。今日は寝よう。


 翌朝、お日様と一緒に目が覚めた。顔を洗うと、川の仕掛けを見に行く。今日も大量だ。川の向こうを見ると、小動物の親子がこちらを見ていた。魚を数匹投げてやると、一瞬逃げたが、すぐに戻ってきて食べ始めた。そのうち恩返しに来るかも知れない。小屋に戻るとノートと鉛筆を持ってきて、食事中の親子のスケッチをする。あまり上手な絵ではないが、頭にイメージを刻むため描いているので問題はない。しばらくすると親子は食べ終わり、去って行った。スケッチは途中だがまた明日会えるかも知れない。取れた魚を持って帰ると、はらわたを取って、五匹は串に刺して塩焼きに、残りは魚醤作りに使う。魚醤の作り方は難しくない。ポリタンクに大量の塩と一緒に魚を詰め込むだけだ。出来るだけ詰め込んで空気が残らないようにして、雑菌を防ぐのがコツだ。作業が終わると、遠火であぶっていた魚が丁度良い焼け具合になった。朝食の時間だ。

 その日は周囲の草刈りなどをしていたら疲れてしまい、昼寝をしたら起きたのが星がきらめき始めた夕方だった。まあ、今はもう何かをしなければいけないと言うわけではないので、気にしなかった。ただお腹が空いたので、こんな時用に備蓄してある缶詰を開け、夕食とした。夕食の後は、寝床に横になり窓からの星空を楽しむ事にした。

 東の空に月と星空が見えだした。生まれ持った右目で見ると、月から伸びている光の線は微かにしか見えない。宇宙塵や星間物質が加熱されて微かに光っている。ただその先には右目でも赤く輝く星が見える。左目の義眼では違って見える。十年前に事故で左目を失ったので、電気式の義眼を入れた。増殖細胞による義眼より安いし、赤外線視野などのおまけが付いてくる。ただ初めは右目がカラー、左目が白黒と混乱したが、私たちの脳の順応性はたいした物で、今では違和感を感じない。ともかく左目の赤外線視野は便利だ。山の緑に紛れた動物の居場所もわかるし、町で防犯にも役に立つ。そして空を見ると赤外線で輝く星も見える。

 左目で月を見ると、月から赤外線の束が宇宙に向かって伸びているのが見える。断続的なパルスレーザーなので、空に光の棒が出たり消えたりしている。そして光の棒の先には、赤外線で半面だけ眩く光り輝く星が見えた。光り輝く面からは高温のジェットが噴き出して、その星の辺りを赤外線の海にしている。星自体は高速で動いているので、尾を引いているように見える。この星は俗に死のダイヤモンドと呼ばれている。元々このレーザーは他の恒星系を直接観察するレーザー推進船の為の物だ。船と言っても本体は手のひらほどの大きさで、重さは紙飛行機ぐらいだ。もっとも強化プラスチックの骨格にアルミニウムを蒸着したカーボンナノチューブ不織紙を貼り付けた帆は、結構大きい。元々はもっと小さかったが、新素材などで大型化して高性能を狙った結果肥大化した。個数は減ったが大きくなった為、望遠鏡でもよく見えた。探査船達はその帆に月基地からの赤外線パルスレーザーを受けて加速していった。太陽系内で光速の四割まで加速して直接他星系まで行き、直接観測をさせデーターをレーザーで返すという三十年がかりのプロジェクトだった。

 第八惑星軌道までは順調に進んだ探査船達だったが、少しずつ軌道が逸れだした。このプロジェクトに参加している各国は自国の望遠鏡で観測をした。原因は微かな帆のたわみで反射光の方向がずれて、そのせいで軌道がずれたようだ。ただ、なぜ帆がたわんだのかは直ぐにはわからなかった。そのうち、探査船団の位置のずれがどんどん大きくなり、レーザーの照射可能範囲の端近くに来た時、その探査船団の船がわずかな時間差で全て爆散した。爆散した帆の一部が何か球状の物に張り付いたように形を作った為、そこに何かがあるのが判った。帆の残骸の形から月の百分の一の直径ほどの何かの球体だと知れた。ただ可視光の光学望遠鏡では何も見えない。背後を掩蔽しているので、やたら反射率の悪い何からしい。赤外線領域や電波で見ると、絶対温度十度程度の黒体放射をしている何かがあるという結果が出た。

 ともかく帆の残骸の速度から、月の公転速度の百倍程度の速さで地球との衝突コースに乗っているらしいと計算された。この大きさの物体が隕石や彗星なら衝突すれば地球の生物は全滅だ。宇宙からの脅威に対しては、すぐに周知するという国際的な取り決めがあるが、流石に各国政府とも躊躇した。だが各国の天文関係者合同での発表になった。世界中がパニックに襲われたと言うとそれは違った。簡単には信じられないと言うのもあるが、確実に皆が滅びるという事実は、意外なぐらい私たちを落ち着かせた。もしこれが天の裁きだとしたら例外は無く公平と言えるからだ。

 とはいえ、生き残りに全力を傾けるべく、世界中の科学者、技術者、軍関係者などが知恵を絞った。色々議論をしている間にも破滅は近づいてくる。天文学者達は対象の観察を続けた。その結果その星の意外な正体が明らかになってきた。周囲の小天体の軌道の変化から重さが、反射スペクトルから成分が判ってきた。密度は鉄隕石ほどは高くなく、氷に何かが加わった物らしい。また、表面に炭素の同素体、カーボンナノチューブが大量にあり、それが放射状に成長している構造の為光をほとんど反射しないのも判ってきた。その仮定の下に改めて調査解析を行ったところ、正体がほぼ判明した。炭素を多く含むコアの上に半径のほとんどを占める氷の層、表面はカーボンナノチューブの結晶の林が林立している物だった。白色矮星の周りを周回していた氷の小惑星が大元では無いかと言う仮説が立てられた。何らかの原因で白色矮星が崩壊し、小惑星が跳ね飛ばされた。そのさいに白色矮星のコアの炭素が小惑星の上に降り注ぎ、何らかの作用でカーボンナノチューブの林が出来たという仮説が有力になった。

 一般に言われている死のダイヤモンドという俗称は、炭素だけで表面が覆われているという発表を、マスコミがダイヤモンドと勘違いして命名しそれが定着した物だ。

 星の構造が判ったので対応策も検討された。隕石としては超大型だが、小惑星としてはそれほど大きくない。まだ距離もある。軌道をほんの少しずらせば衝突コースから外れるかも知れない。まずは核兵器による軌道の変更が計画された。ただそれはやはり無理だと否定された。遠すぎるのだ。核兵器を運ぶ宇宙船もないしICBMを改造しても所詮地球表面の内輪もめ用の兵器で届かない。いくつか案が出たが最後に残ったのが、探査船推進用のレーザーを使うという案だった。

 元々の探査船用のレーザー推進は光圧の反動で飛ぶ為、光速近くまで加速できるがすこぶるエネルギー効率が悪い。だが目標は空飛ぶ黒い雪だるまだ。それ自体が加熱されれば水蒸気となり推進剤になる。しかも発見が遅れるほど、表面の反射率が悪い。逆に言えば光の吸収率が高いわけで、要するに光で簡単に加熱が出来る。なら星の側面のみを暖めて、水蒸気の反動で星を押せばコースが変わるかも知れない。天文学者に物理学者、ありとあらゆる科学者や技術者が動員され、可能性を計算した。今の月基地のレーザー出力では足りないが、地球の全勢力をあげて月のレーザー発射基地を増設すれば、五分五分ぐらいの確率で衝突が避けられそうだと判った。

 私たちは否応なく一致団結をした。食料生産以外のほとんどのエネルギーと資源が月基地の拡張と維持に投入された。レーザー発射基地は拡張されて、月の赤道上をぐるっと取り囲んでいる。死のダイヤモンドに向いている基地からはレーザーが発射され、残りは放熱、点検が行われている。エネルギーは月面のヘリウム3による核融合発電だ。赤道以外の月面はヘリウム3採取のためほとんどの場所が掘り返されている。先日地球から送る必要がある資材の最後の便が、輸送用の大型宇宙船で月に向かった。大きなトラブルが無い限りあとは宇宙船も飛ばないだろう。これから五年間基地を維持出来るかが勝負の分かれ目だ。それに死のダイヤモンドの組成が予想通りか否かでも決まる。

 今のところ死のダイヤモンドの軌道の変化はわずかだが、それでも第五惑星軌道付近のわずかは、地球軌道では非常に大きな物になる。地球に当たる確率は五分五分と言ったところだ。


 それにしても十年後私はここで何かをしているのだろうか。動物に餌をあげたり、魚を捕まえたりしているのだろうか。地球は無傷なのか、死のダイヤモンドの破片でも落ちてきて、舞い上がった埃により氷河期みたいになり、食料の奪い合いをしているのだろうか。無傷だとしてもエネルギーをほぼ使い尽くした地球は、私たちが文明を維持して生きていける星だろうか。私は時々だから山にも来るが、ずっと自給自足の生活などまっぴらごめんだ。


「やっぱりスペオペにしよう」


 呟くと私は寝床から降りた。明かりを付けぬまま小屋を出てのびをする。空にパルスレーザーの輝線と高温の水蒸気が見える。視線を地面にもどす。付近の森の中には小動物らしい赤外線源がいくつもある。少し遠くには大型の動物らしき物も見える。きちんと戸締まりをした方が良さそうだ。動物のお腹に収まっては、スーパーヒーローが活躍する話を書けない。

 それにしても私たちの前にこの地球に繁栄していた人類とはどんな生き物だったのだろうか。化石や月に残った探査船の残骸などから私たちとほぼ同じ体格の動物だったのは判っている。今では彼らの絶滅の原因は今回のような小天体の衝突による地球表面の破壊と地球の全面凍結だったらしいのも判りつつある。私たちが生き残れればもっと過去の化石などが研究できるだろうが、今はその余裕は無い。私たちは生き残るのだろうか。歴史は繰り返すというが、人類よりも前に地球で栄えた動物も滅んだらしいのも判っている。私たちも人類のように滅びるのだろうか。


 もし十年後もここに来れたら、そしてSF作家になっていたら良いなと思い、私は小屋に戻った。






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