リメイク
私はある特撮番組のファンだ。それは名前を言えば誰でもが知っている昔のヒット番組だ。半世紀ほど前にイギリスで作られたそのSF特撮人形劇は、当時の日本の子供達、特にメカ好きの男の子達を虜にした。そのプラモデルで一つの玩具メーカーが売り上げを何倍も伸ばしたくらいだ。もっともそのプラモデルの売り上げが落ちてくるとメーカーは倒産してしまった。それはともかく、私も少ない小遣いを手に取ってはプラモデルを買いに行ったものだった。
巨大メカの発進シーンが売りの一つであるその番組は、主要なメカが五つある。超高速で大気圏内を自由に飛び回るジェット機の一号、腹の部分がコンテナになって取り替え可能な超大容量輸送機の二号、これらは共に垂直離着陸機だ。高速宇宙船の三号は単段式で、ブースターなど無くても大気圏を離脱できるほど推力がある。小型高速潜水艦の四号は、濁流の河川、海溝奥深くももろともしない。超高性能探知装置と通信装置とコンピュータを積んだ宇宙ステーションの五号は世界中の救難信号を傍受できる。他にもロンドンの貴族がスパイ活動をするために使う水上も走れるピンクのリムジンや地中をドリルで掘って進む地底車などいろいろある。二号のコンテナは色々な特殊メカが入っていて、世界で災害が起こると、その災害にあわせてコンテナを変えて救助に向かう。まあ説明しなくても皆さんご存じだろう。
私は特に四号のファンだった。妻には三途の川は四号で渡りたいと言って呆れ顔をされたことがある。その妻の事を番組に出てくるロンドンの貴族に似ていると思っているのは秘密だ。メカとしては四号が好きだが、どのキャラが好きかというとその部隊のメインエンジニアだ。いわゆる昔のSFに出てくる万能のエンジニアで、主人公達が救助活動をするための装備を作ったり技術的アドバイスをしたりする。頭の回転が速すぎて口が思考に追いついていかず、話すのが下手という設定も気に入っている。番組は人気があったので何度も再放送された。子供の頃は、本放送、再放送、再々放送、再々再放送とその度にテレビにかじり付いて見ていた。初めて買ったレコードはその番組のソノシートだし、DVDやブルーレイが出たときはすぐに一セットを視聴用、一セットを飾っておく用、一セットを保存用と三組ずつ買っている。私はファンと言うだけではない。その番組のエンジニアに影響されて、自分もエンジニアに成ったぐらいだ。
十年ほど前、その番組のリメイクが旧英国連邦のある国で作られていると言う情報を聞いた時は跳び上がって喜んだものだ。それ以前にハリウッド映画としてリメイクされたが、善と悪との戦いというテーマに無理矢理話が押し込められたせいか陳腐化してしまった。なおかつ子供向け映画としてつくられたせいで、発進シーンも今一歩で落胆したものだ。だがそれでもその番組に飢えていた私は、十回続けて映画を見て腰痛になってしまった。ハリウッド映画はともかく、五十年ごしで今度はニュージーランドで作られたそのリメイクは、CGと模型を巧みに使った撮影が見事で、久しぶりに心の底からの興奮を覚えた。その番組を見るために大型のモニターと立体音響機器を買ってしまったぐらいだ。
そして先日リメイクのシーズン3が始まり、大型モニターの上の主人公達の活躍を見ているうちにふと気がついた。このリメイクもシーズン3でお終いだ。この後に続編は直ぐには作られないだろう。また五十年後と成ったら私はあの世で見ることになる。それは御免被りたい。気になって仕方がないので色々調べてみることにした。ご存じのとおり新型の感染症のおかげで中々外出もままならない。おかげで調べる時間はたっぷりと有る。調べてみたら、どうやらシーズン3は視聴率が上がらずシーズン4は作られないようだ。映画の企画も無いらしい。その日はヤケ酒を飲んで早く寝た。
その日はそれで終わりだったが、どうしても諦めきれない。なんとかならないものかと、その番組の日本での権利を持っている会社に電話をしてみた。けんもほろろと言うわけではないが続編については未定ということだ。言葉の端々にもう作られないという様な事を電話の向こうで言っていた。ならばと、その会社の赤坂の本社を尋ねてみた。広報の人が出てきて意外なぐらい丁寧に対応してくれた。どうやら同じように尋ねて騒動を起こした者もいたようだ。それはともかくやはり続編についても、映画についても情報が入っていなく、未定だそうだ。赤坂の会社を出た時は意気消沈していた。とぼとぼと下を向いて道を歩いた。相当歩いたらしい。気がつくと大きな敷地の前に出た。防衛省だ。しばらくその建物をぼんやり眺めていたがそこで思いついた。妄想の類いだ。暑くて熱中症にでもなりかかっていたのかもしれない。TVの続編が無ければ実際に作ってしまえばいい。ここに世界一その番組に近い組織がある。ちょっと変えれば済む事だ。
次の日から私の生活は変わった。本業のエンジニアと別に、保守党の党員と成り、まず都議会を目指す事になった。幸い地元の商店街の興亡などで、経済再建策などにはある程度詳しかったので、それを足がかりにその地域の都議会議員の秘書に収まった。私は熱心に働いた。元々電気系の技術者なのでIT関連には詳しい。老齢のその議員は最近のIT関係の進歩の早さに脅威を感じていて、それに対する施策などを相談する相手が欲しかったらしい。二次元バーコード決済などに対する対応などをアドバイスしおかげで重宝された。数年後その代議士が引退する際には、ぜひ君に後を頼みたいといわれるようになった。ありがたくそうさせて貰った。
都議会議員の新人候補としては年をくっていたが、今までの全てをかけて戦った。何よりも私には信念がある。あのTV番組を現実の物にするのだ。その為には国が豊かで人々が安心して放送を楽しめるように平和でないといけない。その信念は政治家としての信念に見えたらしい。意外なぐらいの高得票で当選してしまった。新人都議会議員になってからも私は懸命に働いた。元々実家が小さな小売業だったので、駅から離れた商店街などの振興策を打ち出して都内を廻り、小売り関係とITに強いという評判を取り付けた。ITに強いと言うところから、防災時のIT活用をする委員会に属するようになり、そこでぐんぐん頭角を表した。何せ私には信念がある。あのTV番組と同じ組織を作るのに必要な事なら何も惜しまない。妻はしょうがないわねとあきれながらも手伝ってくれた。
しばらくするとその委員会を主導するような立場となったため、まずは都で組織のミニチュア版を作ることにした。消防、警察、医療、運輸、その他のエキスパートを集めて、災害時に独自に動ける救急部隊を設立した。普通の市区町村ならともかく、都はそれなりに予算があるので、結構きちんとした組織が作り上げられた。初めは金の無駄遣いだと非難する者も多かったが、高層ビル火災や台風被害などで部隊が活躍するたびにその声は収まっていった。自衛隊をもっと活用すればいいという声も多かったがあえて無視した。
この部隊がそれなりに認められたところで、初めて自衛隊とコンタクトをとった。元々の目標に一歩前進だ。協力関係をとりつつ災害の規模、場所などで場合分けを行い、活動していく事になった。そして将来の組織の統廃合なども検討される事になった。組織はどんどん拡張された。初めは都内の災害などの救助だけだったが、関東一円に活動の範囲が広がった。初め機材は、各省庁からの借り物だったが、自前の研究施設による災害救助に特化したメカの開発も行い、自前の観測衛星まで持つようになった。十年ほどでその組織は、TV番組の組織名を俗称として使われるようになるところまでいった。
そこまで来たところで、今度は国会議員へのお誘いがあった。地元の二世議員が引退にあたり後継者を探していたが、適任者がいなかったらしい。その地盤を引き継いで衆議院選挙に出馬することになった。私はそこで都での災害救助隊統括としての実績と、地元の中小の商店街、工場などの復興を旗印に選挙戦を戦った。なにしろ私には信念がある。あのTV番組を現実にするのだ。そのためならどんな事にも耐えられる。選挙民達への働きかけとは別に党内のハト派タカ派に働きかけていく。ハト派には都の災害救助隊を自衛隊が取り込めば、軍隊の色が消えてより世界へアピールできますよと、タカ派には逆に自衛隊ここに有りと言う事がアピールできますよと、まさにメヒィストフェレスのように巧みに立ち回った。私はどちらからも利用価値があったのか、満遍なく党内の支持を取り付け、国会議員に初当選した。
一年生議員として、地元の復興などに取り組みつつ、防災の専門家としての地位を確立した。そして、都の災害救助隊の自衛隊への併合のための委員会に属する事になった。これらの活動とは別に、日本の大学、研究機関、医療機関にお金が廻るように尽力した。技術力の底上げがなければ、あの巨大メカは作れない。巨大メカで人を救ってもそのまま人が死んでは意味が無い。私はあのTVの組織を作りたいのだ。それは信念となって私を突き動かした。大学と医療機関への援助は思わぬ形になって戻ってきた。
あの感染症のウィルスが太陽のコロナに似ている形から名付けられたのはご存じだろう。二十一世紀前半で一番調べられたその感染症はワクチンと治療薬が開発された。おかげでなんとか人類は乗り切った。その後、人類はそのウィルスをいろいろ利用しようと考え始めた。細菌兵器などととう物騒な方向に進んだ者もいるが、なかにはあの独特な形状を利用できないかというように考えた者もいた。彼はなんとなく形状が似ているからという事で、そのウィルスにフラーレンC60を加えてみる事にした。フラーレンC60はサッカーボールのような形に炭素原子のみが並んで出来た分子だ。球状のウイルスと似ていると言えるだろう。本人としては半ば冗談だったようだが、ウィルスとC60は化学的な反応を起こした。本来ウィルスのRNAが納められるところにC60が大量に充填された構造の物が出来たのだ。その物質の性質を調べたところ、中性子を非常に良く遮断吸収し、電子と陽子と熱に変える性質を持っていた。ウイルスの殻にC60が充填された構造は一つの超原子として機能して今まででは考えられない物性を持っていた。中性子の遮断だけではない。金属をドーピングする事により、常温どころか室温、高温での超伝導体にもなるというのだから素晴らしい。熱の伝導率も驚異的で、今までの素材を遙かに凌駕していた。その研究がかつて私が所属していた会社の研究室で発見されたのは少し自慢だ。この発見のおかげで核融合発電の実用性が一気に高まった。巨大メカを現実に作ろうとなるとエネルギー源、廃熱が問題となるがそれについてもおかげで目処がついた。
そこで都の災害救助隊と自衛隊の合同プロジェクトとして、災害対応の大型輸送機の開発が着手された。TV番組のように胴体の真ん中がコンテナになり外れる構造は見送られたがそこは妥協も必要だ。その頃には防衛関係、産業関係の各分野に協力者が出来て、「まずは二号」が合言葉になった。一部にはTV番組との類似性を指摘し、疑問を呈する者もあったが、そこは国民的な人気番組で、良いイメージがあり、表だった反対は少なかった。自衛隊と都の災害部隊から人員を選出されて特別災害救助隊が結成され、そして開発された二号の運用が始まった。部隊のマークは三本足の白いカラスだ。これは八咫烏をマークにしたいタカ派と違う動物にしたいハト派の綱引きの結果そうなった。そのマークは後には世界中で、いざという時皆に呼ばれる愛称となった。
二号は実際役に立った。大型ながら垂直離着陸が出来る機体は大規模の自然災害が頻発した日本では、災害救助の切り札となった。日本国内で使われない時は、近隣諸国の自然災害での救助などに活躍した。いままで自衛隊は拒否していた者たちも、あれは白いカラス部隊という事で受け入れることも多かった。それにともない災害救助に特化したスペシャルフォースを結成する国が増えたが、日本ほどは上手く行かなかった。軍閥や産業界の調整が上手く行かなかったからだ。日本には年寄りにあのTV番組のファンが多い。災害もやたら起きる。そのため特別災害救助隊自体の結成は皆に好意的に見られていたからこその成功だ。もちろん、予算が厳しいのでその方面から言ってくる者は多いが人の命が全てに優先の旗印でねじ伏せた。
運用がはじまり十年後また進展があった。海洋国家である日本は周辺で海難事故も多い。そのため四号機にあたる救助用潜水艇の開発が進められていたが、小回りがきく大きさでマリアナ海溝の下までいけるような外殻をつくれる構造材がなく開発が難航していた。核融合エンジンの小型化は進んでいたが、圧力に耐えられなければ船体自体が出来ず難しい。同時に開発されていた、一号機にあたる超高速航空機、三号機にあたる宇宙船については目処がついていた。ただ五号機は宇宙エレベーターの素材の開発が難航していた。
今度は大学の研究室から朗報がもたらされた。鉄を取り込み体内に磁石を作る細菌がいる。その研究をしていた学生が誤って寒天培地に鉄とは違う種類の金属塩を加えてしまった。そうしたところ、細菌が鉄とそれらの金属を取り入れて体内で物質を合成して、どんどん膨れ上がった。翌日培地いっぱいに銀色の細菌群が育ったのを見て学生は驚いた。担当の准教授と共に調べたところ、それは炭素骨格に鉄やその他の金属が結合した物で、熱処理を加えるとダイヤモンドのように固くしかもかけにくいという理想的な構造材になった。各地の大学などに情報網を伸ばしていた私は、直接その准教授と学生に会いに行って話を聞いた。いきなり国会議員が来てびっくりしていた二人だが、資金の援助はする事を伝えたところ実用化を目指して努力をすると約束してくれた。その後その二人はベンチャー企業を立ち上げその構造材の特許でしこたま稼いでいまでは世界富豪ランキングに名を連ねている。他の会社にはロイヤリティーをたっぷり取るが特別災害救助隊に関する物にはほとんどただで技術を提供してくれた。おかげで四号機の外殻も何とかなる。また五号機の宇宙エレベーターの素材にも流用出来ることがわかり全てのメカの目処がついた。
だが物事が順調に進んでいる時に限って悪い事が起きる。ある日委員会で発言している最中に、私はあまりの腹痛で倒れてしまった。大学病院に緊急入院した私への診断は全身に転移したガンだった。後もう少しの所で夢が実現できるというのになんと言う事だ。確かに私はもう歳だ、死んでもおかしくないが死にたくはない。ただ病気には勝てない。私は日に日に衰弱していった。TVやネットでは特別災害救助隊の活躍を日々伝えてくる。そして冬の夜、棺桶は2号のコンテナがいいと言う遺言とともに、私は少しの満足と未練を残してこの世を旅立った。
目が覚めた。少しあたりがぼけて見える。会社の実験室らしい。どうやら夢だったようだ。それにしても長い夢だ。残業で疲れていたらしい。変な夢を見たものだ。納期近くになると長編の夢を見るがその類いだろう。両手をいっぱい伸ばしてのびをした。
変な事に気がついた。何か身長が低いように感じる。視界が変だ。手を目の前に持ってきた。金属製の手だ。手と言うよりマニピュレーターに近い。あわてて足を見る。足がない。四本の金属製の蜘蛛の脚の様な物があった。辺りを見回す。金属板に全身が映っていた。球形の胴体に四本の足、二本のマニピュレーター、カメラのついた頭部ユニットがあった。多脚系のロボットだ。
「$‘’#%$(&」
驚いて声を出したが電子音だった。その声を聞いたのか部屋の反対側から一人の男が近づいてきた。水色の眼鏡をかけた浅黒い顔色のインド系に見える男だ。彼はかがむと私に微笑んだ。
「お気づきになられましたか」
彼は説明してくれた。死にかかって意識不明になった後、当時支援していた大学の学者達が協力して、脳波から思考を読み取る装置に改良を加えた物で私の思考を読み取り保存していたそうだ。それを最新式の作業用のロボットの電子頭脳の人格として蘇らしてくれたらしい。
「あの後、悲しい戦争も起きたりしましたが、それを乗り越えて世界は平和になりました」
そのエンジニアが操作してくれたせいで、私の死後の世界の歴史が頭脳に流れ込んできた。
「ただ、温暖化などで自然災害はより一層厳しい物となり、あなたの特別災害救助隊は世界で求められるものとなり、国連の下で正式な国際的な救助隊になりました」
「)’’HTT%」
「母国語の日本語がいいかとも思いましたが、電子音の方がふさわしいかと思いまして。日本語にも切り替えられますよ。実は私もあの番組のファンでエンジニアになりました」
青年はつっかえつっかえ説明してくれた。エンジニアとして優秀だけではなく、オタク心も判るらしい。
「今日は、その救助隊の世界的なお披露目の日なんです。それで貴方の人格を起こしました。そろそろ一号の発進のデモンストレーションが始まりますよ。ネットワークを直接電子頭脳につないでもいいですけど、一緒にディスプレイをながめませんか」
「%&&TFIII」
「カウントダウンは母国語でやりたいですよね」
つくづく出来る男だ。彼は設定をし直してくれた。研究室の大型ディスプレイの前には他のエンジニア達も群がっていた。私と彼が近づいていくと、一番良い席を譲ってくれた。そこには小柄の美しいアンドロイドもいた。ほぼ人間に見えるが、区別がつくようにわざと瞳だけ変わった色にしている。
「あら、あなた。お目覚め?私もアンドロイドにしていただいたの。私はずいぶん前に作られて、今では救助隊のエージェントとして働いているの。サングラスをかけると人間そのものだから。ともかく発進ね。挨拶は後よ」
アンドロイドは微笑んだ。口調から判った。妻だった。私は妻とエンジニアに挟まれてディスプレイを見た。ディスプレイには、一号が発射場へと運ばれる映像が映っていた。アナウンサーも判っているらしく必要な事のみを話し、残りは映像に思いを託していた。そして発射のシーケンスが開始された。
「さすがにTVほど緊急発進は出来ませんが、五分でスクランブル出来ます」
「それはすごいね、二号や三号、四号、五号は?リムジンは?高速エレベーターカーは?モグラーは?」
「もちろんあります。あっカウントダウンです」
「言ってもいいかな」
「はい」
みなは私に好意的な視線を向けてくれた。黙って聞いてくれた。
「5」
「4」
「3」
「2」
「1」
終わり
前半は実話。後半は妄想。
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