深夜――。
このロト・ワールドという世界では、最大6つの月が昇る。そういう日のことを「6月夜」と呼ぶ。べつに何か祭典があるわけではないのだが、その月の輝きに人はときおり夜空を見上げる。大小6つの月が夜空を煌々と彩っている。まるでこれからロドウのやろうとしていることを、月も照覧しようとしているかのようだ。
「とりあえず、第一段階はクリアといったところか」
ロドウは鐘楼の上に腰かけていた。一定の時間になったら鳴らす鐘である。今は、冒険者組合の時計塔に役割を取って代わられて、もう使われていない。撤去されずに放置された古びた鐘が吊るされている。くすんだ鐘は、にぶく月明りを照らしている。触れるとあまりに冷たい温度が手のひらに伝わってくる。
背の高い石造りの建物で、眼下には都市テンペストのストリートを見下ろすことができた。行き交う人々の明かりが見て取れる。地表よりも高い位置にいるからか、心なしか風もまた冷たく感じた。
その冷気にロドウはすこしだけ肩をすくめた。
これは、ふつうの戦争とは違う。
敵が攻めて来たら、都市テンペスト側は野戦で迎え撃つために兵士を出すのが定石だ。テンペストの周囲に広がる丘陵は、見晴らしが良い。そういう場所では、指揮官の能力が要求される。少数で多勢を倒すことも不可能ではない。
さりとて、あまりに数が違いすぎる。
数の少ない魔族など、テンペストの軍勢をもってすれば、簡単に蹴散らすことが出来る。
その最悪の事態は回避することが出来た。
サキュバス、インキュバスの外見は人間と変わらない。それを利用して、すでに多くの者たちを都市の内部に入り込ませていた。
『皇魔さま――』
と、ヴァレンから連絡石による声が入った。
「手筈はどうだ?」
『すでに200人近くの者たちが、都市の内部に潜りこんでいます』
「よくやった」
『サキュバス、インキュバスにとっては、城門棟を抜けることなど造作もありません。しかし今日は警戒が厳しいようです』
「警戒が厳しいというのは、検閲が厳重ということか」
はい、とヴァレンの声が返ってくる。
「23人。今のところ城門棟の検閲で引っかかって、サキュバスとインキュバスが捕縛されてしまいました」
『そうか』
オカシイ。
都市テンペストの検閲は比較的にゆるいほうだ。商人の行き来が多いので、積荷を調べられることはあっても、身体検査を綿密にされるということは少ない。戦場が近いなら話は別だが、冒険者の行き来もあるので、丁寧に調べるのには限界があるのだ。今日に限って検閲が厳しいということは、戦の気配を察している者がいるということだ。
(勇者イアか)
と、直感した。
マグワナというエサがぶらさがっている。それに食いついてい来る皇魔の存在を、イアは警戒しているのだろう。
『いかがいたしましょう?』
「次の作戦にとりかかれ。事を起こせば、マグワナをはじめに捕らわれた者たちも、助け出すことが出来る」
『了解です』
都市テンペストの戦力がわからない――と、以前にロドウはマグワナにそう言ったことがある。しかし、マッタクわからない、ということはなかった。ダテにテンペストで暮らしてきたわけではないのだ。
情報はすべて、脳裏に込められてある。
どこの施設に、どれぐらいの数の騎士が配備されているのか。知悉している。
ロドウは6歳までは、この国の皇子だったのだ。各城の見取り図も見ている。防衛戦になったときの手順も知っている。ずいぶんと昔のことなのだが、ハッキリとそのすべてを覚えていた。傅役から叩きこまれたせいかもしれない。あるいは、いつか必ず役に立つ日が来ると、本能でわかっていたのかもしれない。
「西の城塔の騎士の数がすくない。攻め落とせ。西の城塔に異変があったときは、西の番所から騎士が派遣されることになる。夜にまぎれてその部隊に奇襲をかけろ」
『どうして、そんなことまで知っておられるのですか?』
と、ヴァレンの感嘆する声が返ってきた。
「すでに、都市テンペストの内情は調べ済みだ」
と、ごまかした。
『余計な口をききました。申し訳ありません。すぐに実行にうつさせていただきたいと思いますが、皇魔さまはどこへおられるのですか?』
「オレは戦況がよく見える場所にいる。心配することはない。前線指揮はヴァレンが執れ。その剣技と魔力は、おおきな戦力になる」
『しかし私は、皇魔さまの護衛として付いておきたいのですが』
「オレのことなら心配要らない」
ここにいることは、誰にも知られてはいないはずだ。攻撃される心配はまずない。イザというときには屋根づたいに逃げることも出来る。
『しかし、皇魔さまの命が最優先です。あなたのチカラは、これからの魔族復興に必要になります』
熱のこもった声でヴァレンがそう言った。
「マグワナと同じことを言うな」
と、ロドウは思わず笑いを漏らした。
『ならば、マグワナ姫も皇魔さまの重要性を理解しているということでしょう。その采配能力と言い、魔族を魅了してしまう魔力の質と言い、あなたさまは魔王を亡くした、これからの魔族を率いるに必要なお人なのです』
必要な人。
そう言われると、胸をえぐられるような喜びをおぼえる。
これまで誰かに必要とされたことなどなかった。自分のチカラを必要としてくれる存在があるのだ。そういう意味でも、魔族を従えて戦うことになって良かったと感じた。この場を設けてくれたのも、キッカケはマグワナである。
あの娘を、失うわけにはいかない。
「そろそろ行動を開始しろ。アルテイア帝国の騎士は、時間には厳しいからな」
『……わかりました』
まだ何か言いたげな雰囲気はあったが、それ以上は言葉を返して来なかった。
「ふふっ」
と、噛み殺せない笑いを、ロドウは漏らした。
いよいよ戦がはじまるのだ。アルテイア帝国とまともに衝突することは避けていた。本来であれば行動を起こすのは、もう少し先になっていたはずだ。だが、こうして父の帝国に刃向っているという行為そのものには、痺れるほどの快感があった。復讐の炎が、ロドウの臓器の裏側をナめあげているかのようだった。
夜は魔族の時間である。
魔族は人間よりかは夜目がきく。
それだけでも、こちらにおおいに分があると言えよう。
「さて、踊ってもらおうか」
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