「マグワナ姫は見捨てるのが吉かと思われますが」
ヴァレンがそう言った。
ロドウは『爛れ石のダンジョン』に来ていた。マグワナが人間に捕縛された。その件について話し合いたいと招かれたのだ。ロドウのほうも打つ手がなく困っていたので都合が良かった。むろん、仮面で顔を隠すことは、忘れていない。
ロドウひとりで魔族と会う。はじめてのことだ。今まで、魔族と会うときには必ずマグワナの付き添いがあった。魔王の娘の推薦があってこそ、皇魔の存在は認められるのだ。誰とも知らぬ仮面の男ひとりでは、魔族たちの忠誠心を得ることはできない。そういう意味で、マグワナが付き添ってくれていたことには大きな意味があった。今では、皇魔の実力を魔族たちも認めてくれてる。マグワナの付き添いは必要なかった。
それでも、マグワナがいるのといないのとでは大きく違ってくる。ロドウのことを理解してくれている存在がいない――というだけで、魔族と向かい合うには度胸を必要とした。
ヴァレンの使っている執務室。石のテーブルを、サキュバスやインキュバスたちが囲んでいた。机上には燭台が置かれている。ロウソクによる明かりが、何かの儀式をするかのような雰囲気を演出していた。
サキュバスやインキュバスたちは、みんなゾッとするほど顔立ちが整っており、それもまた何かの儀式のような風情をかもしだしていた。
「見捨てるだと?」
と、ロドウが問い返した。
ヴァレンの表情には、ロウソクの明かりを受けて不気味な陰影をつけていた。しかし、仮面をつけたロドウのほうが、よほど不気味に見えることだろう。
「それが本人からの伝言です」
「マグワナがそう言ったのか」
「はい。マグワナ姫が捕縛されるなり、殺されたときには、皇魔さまには6魔将をはじめとする魔族をまとめて欲しい――とのことです。勇者と戦う前に、そう言葉を残しておりました」
ヴァレンはロドウの機嫌をうかがうような語調で言った。
「ヴァレンはどう思う?」
「私は、マグワナ姫がそう言うのならば、その言葉に従うべきかと思います。マグワナ姫を助けに、都市テンペストと事を構えるのは、あまりに危険か――と。マグワナ姫がすでに殺されている可能性もありますので」
「いいや。殺されてはいない」
マグワナが殺されているならば、アルテイア帝国は、それを大々的に宣伝するはずだ。伏せておくはずがない。なにより、マグワナを殺すならば、その場で殺している。生かしたまま城へ連れて行った――ということは、いろいろと聞き出したいことがあるからだろう。
「捕縛されている――ということでしょうか」
「拷問に合っているだろうな。アルテイア帝国法では、捕虜に対する拷問は禁じられてるが、魔族にたいしては禁じられていないからな」
「拷問ですか……」
と、ヴァレンの語調が沈んだ。
「拷問を受けたマグワナがなにか重大な情報を吐露するかもしれん。魔族のことに関しても、マグワナはいろいろと知っているんだろう」
そしてマグワナは、ロドウの正体についても事細かく知っているのだ。
もし洗いざらい吐いてしまえばどうなる? マグワナのことをかくまっていたのは、元第6皇子であるロドウ・アルテイアだと知られることになる。
ロドウのもとに、すぐに騎士たちが駆けつけてくるだろう。魔王の娘をかくまった罪――帝国への謀反をくわだてた罪で、今後こそ処刑される。母が尽力してつないでくれた命もムダになる。
(あのバカ……)
と、内心で毒づいた。
ボヤていどの事件を起こすだけで良いと言ったのに、イアと直接対決に持ち込んだ。そして捕えられた。
マグワナの暴走が、招いたことだ。
とはいえ――。
ロドウにかけられた疑いをはらすために、事件を起こすように指示したのはロドウだ。ロドウに責任がマッタクないということもない。
「皇魔さまの助力があれば、マグワナ姫を助けに行くことは可能と思われます」
「勝てるか」
「皇魔さまの魔力は、底知れぬチカラを与えてくれます。テンペストの戦力がわからないので、ゼッタイとは言えませんが、負ける気はしません」
しかし……と、ヴァレンは口をつぐんだ。
マグワナは、都市テンペストの城塞に囚われているのだ。助けに行くとなったら、都市テンペストとまっこうから戦うことになる。下手をすれば周辺の都市からも、増援が送られてくることだろう。
(オレがイチバン、避けていた状況じゃないか……)
ここで魔族を率いて都市を攻めるとなったら、それはもう戦争である。
攻めあぐねれば、他の都市からの増援がやって来る。仮にテンペストを占領しても、アルテイア帝国の抱えるほかの都市からの攻撃にさらされることになる。むろん、負ければどうなるかは言わずもがなだ。どう転んでも、良い方向に転がるとは思えなかった。
まだ表だって動くには、早すぎる。
「マグワナを助けたのち、お前たちには、この『爛れ石のダンジョン』を放棄してもらおう」
「このダンジョンを、放棄――ですか」
席についているサキュバス、インキュバスたちがザワついた。
そうだ、とロドウはうなずいた。
「問題なのは、マグワナを助け出すことに成功した後――だ。もっとも、助け出すことが出来るという前提の話だが」
「お聞きいたします」
「たとえ都市テンペストを占領しても、アルテイア帝国の攻撃に耐えられるはずがない。さりとて、マグワナを助け出して、この『爛れ石のダンジョン』に逃げ帰ったとしても、帝国軍の総攻撃にさらされることになる」
「この『爛れ石のダンジョン』で籠城戦というのは?」
ムリだ、とロドウは一蹴した。
「こんなダンジョン、帝国や冒険者が本気を出せば、ひとひねりにされるだけだ」
今はまだ、このダンジョンは見逃されているだけだ。本気で潰しに来られたら、1日も持たない。
どうせ持たないダンジョンならば、さっさと放棄してしまうべきだと考えた。
「このダンジョンを放棄したあとは、いかがいたしましょう?」
「放棄する覚悟はあるのか」
と、問い返した。
返答にわずかな間があった。
「このダンジョンは、私にとっては重要な拠点です。しかし、このままダンジョンに籠っていても、いずれは潰されるでしょうから。それにこのダンジョンは本来、以前の勇者の攻略によって滅ぼされていたはずです。それを助けてくださったのは皇魔さまでした」
「そうだったな」
恩を着せるつもりはないが、その件で、ヴァレンはロドウに大きな信頼を寄せてくれている。6魔将のひとりの信頼を得ることが出来た。それは皇魔という存在を、魔族たちに認めさせるという点においても大きな意味がある。
「ですから、皇魔さまが放棄しろと言うのならば、放棄いたします」
「この近くに、ほかに身を寄せれるダンジョンはあるか? まだ人間に見つかっていないダンジョンなら、なお良いのだが」
「この近くで言いますと、道化師のダンジョンが近いかと。場所もまだ割れていないはずです」
「道化師のダンジョン?」
「6魔将のひとり、道化師メフィ・スゥ。変装や擬態を得意としている者です」
「ならば、戦えない者たちは、先にそちらに避難しておくことだ」
「はい」
さいわいこのダンジョンには、サキュバスとインキュバスしかいない。人のなかに紛れこんで移動することもできる。
しかし。
(これで良いのか?)
と、自問した。
またしても、天秤だった。
マグワナをかくまうか、それともマグワナを帝国騎士に突き出して懸賞金を得るか。その2択に迫られたのは、つい先日のことだ。
今度は、マグワナを切り捨てるか、あるいは、救出するべきかという2択だった。
マグワナは自分を切り捨てろと伝言を残していた。どれほどの拷問をくらっても、情報をイッサイ吐露しないという自信をもって、その言葉を残したのだろう。あるいは自決すらかんがえているのかもしれない。
帝国軍の注意がマグワナに向いているあいだに、6魔将との接触をはかる、という道もある。
表だって戦をするのは、6魔将と連絡がついてからのほうが良い。それがロドウの当初の計画だった。
しかし――。
こうしているあいだにも、マグワナが拷問を受けているかもしれない。そう思うと、ロドウは心臓を死神に握られたような心地になるのだった。一刻もはやく、マグワナを助け出したかった。
(迷うことはない)
と、自分に言い聞かせた。
マグワナがゼッタイに情報を漏らさないという確証はないのだ。マグワナは、皇魔がロドウであり、ロドウは元皇子だということを知っている。そのマグワナを助け出さないというのは悪手に違いない。決めつけた。そこには、ロドウの感情も多分にふくまれていた。
ロドウの存在価値を見出してくれたのは、マグワナだった。そして、元皇子であり、皇魔と名乗っていることを知っているのも、マグワナだけだ。ロドウという人間を理解してくれている唯一の存在だ。いつの間にか、マグワナがロドウの心の拠り所となっているのだった。孤独だったロドウの心に、マグワナが忍び込むのは実にたやすいことだっただろう。
(わかっているさ)
これは、帝国側が仕掛けた罠だ。
マグワナを取り返したかったら、食いついて来い――という何者かの意思を感じる。これを仕組んだのはおそらく指揮をとっているフォケット・アルテイアか、勇者イアといったところだろう。
あえてその罠に食いついてやろうとロドウは思った。
食いついて、そのまま食い殺してやる。
「ここで負けるなら、帝国になんか勝てるものか……」
と、ロドウは自分にそう言い聞かせた。
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