少女は、マグワナ、と名乗った。ロドウもフェレンツェのほうの名を名乗った。アルテイアのほうは名乗ると危険ですらあった。
「大事なことを訊き忘れていたんだが」
「なんでしょうか、ヌシさま」
マグワナはスッカリ元気になっており、ベッドの上で正座をしていた。ロドウが普段使っている枕を抱いていた。
自分の汗の臭いがついていそうで、やめて欲しかった。だが、口に出してしまうと、枕の臭いを気にしているのがバレるので、注意することもできなかった。くさいのなら、マグワナも自然と手放すだろうとかんがえた。
「その傷はいったい誰から受けたんだ? ヤッパリここの騎士団か?」
「いえ。この傷は、勇者から受けたものなのです」
「勇者だって?」
「つい数ヶ月ほどまえ、魔族の王である魔王さまが、勇者によって討ち滅ぼされました」
「ああ。魔王を討った功績として、『勇者』という爵位が皇帝陛下より、イア・フェルタインに授与されたはずだ」
「ご存知なのですか?」
「顔は知らん。名前は有名だからな。『金彗星のイア』という二つ名を持つSランク冒険者だ。冒険者は誰も最初はFランクからはじめるが、イアはまさしく彗星のような勢いでSランクに上り詰めた」
才能に恵まれた戦士だったのだろう。
勇者、という爵位の仔細はわからないが、おそらく優れた戦士として、帝国に組み込まれたのだろう。名の売れた冒険者が、国使いの騎士になることは、めずらしい話ではなかった。特にチカラある大国は、優れた戦士を引き抜こうと躍起になっている。
勇者のことは、ロドウからしてみれば、雲の上の話だ。魔王が倒されたという話も小耳にははさんでいた。が、自分とは関係のない話だと思っていた。
「私はそこから死力を尽くして逃げていたのですが、さきほど、ついに勇者に切り伏せられてしまいました」
「そして息も絶えだえになって倒れていたところを、オレが拾った――ということだな」
「言葉では言い表せないほど、ヌシさまには感謝しているのです」
と、マグワナは枕を抱いたまま、ぺこりと頭を下げた。
長い銀色の髪がはらりと垂れ下がった。魔法によって、濡れそぼっていたはずの髪は、スッカリ乾いていた。
「感謝してくれるのは良いんだが、いまの話でチョット気になることがある」
「なんでしょう?」
と、マグワナは小首をかしげた。
「勇者に追われるなんて、マグワナはいったい何者だ?」
「ワッチは、魔王の娘なのです」
「ま、魔王の娘だと……」
丸太のサイドテーブルから、あやうく転がり落ちそうになった。最初はただの少女だと思っていたのが、実は魔族だった。それが魔王の娘だと言う。めくるめくばかりの驚きに、頭をかかえてしまった。
「も、申し訳ないのです。ワッチはヌシさまを困らせてしまいましたか?」
と、マグワナは泣きそうな顔になっていた。
「いや。べつにマグワナが悪いわけじゃない」
強いて言うならば、拾ってしまったロドウに責任がある。魔王の娘だとわかっていたならば、自分はマグワナを拾っただろうか?
もう過ぎたことだ。その時になってみないと、わからないことだった。いや。拾っていただろう、という確信があった。
自分がいまだに皇族で、金や才能に恵まれていたのなら、魔王の娘なんか拾いはしなかっただろう、とも思った。
「ワッチは、父……つまり、魔王を殺した勇者に復讐したいと思っているのです」
「復讐か。その気持ちはわからなくはない。だが、勝つだけのチカラがないのなら、止めたほうが良いだろうな」
ロドウだって、復讐の炎を宿す者だった。母を殺されて、皇族を追放され、それで平和な気持ちで生きていけるほど鈍感ではないのだ。
母が処刑されたところを、ロドウは見ている。いまでもその情景が、網膜に焼き付いている。その情景が、ロドウの心のなかに憤怒をあたえるのだが、どう仕様もないことだった。剣1本で、国に刃向うことなど出来るはずもない。
「ワッチには勇者に勝つ自信があるのです」
「その傷を受けてもか?」
「そのときは、ワッチの魔力が弱まっていたのです。でも、いまなら勝てるのです。ヌシさまがいれば……」
そう言ったマグワナの上目使いには、実に申し訳なさそうな、すがるような光があった。
「どうしてオレの話になる」
「魔族は、吸った魔力の分だけ強くなります。とくにヌシさまの魔力は、亡き魔王さまよりも強大。その魔力があれば、ワッチは勇者に勝つことができます」
「強化魔法みたいなことか」
魔術師たちは、仲間の肉体や魔力を強化する技を使う。ロドウの魔力を吸った魔族には、それと同じような影響を受けると言っているのだろう。
「はい」
と、マグワナはチカラ強くうなずいた。
「じゃあ、オレにどうしろと言うんだ?」
すこし間があった。
マグワナが何か大きな意味のある発言をしようとしていると、伝わってくるものがあった。いったいどんな言葉が、その可憐な唇から飛び出そうとしているのか。心を構えて、マグワナの唇を凝視した。
「我ら魔族をひきいる、新たな魔王になっていただきたいのです」
心構えをしていたが、それでも充分ロドウの衝撃をもたらす言葉であった。ロドウは生唾を飲み込んだ。
「オレが魔王だって? 本気か?」
「冗談ではないのですよ」
自分の人生のなかにおいて、それはトッピョウシもない提案であるはずだった。魔王になってくれ――だなんて昨日のロドウは想定すらしていなかった質問である。
この返答しだいでは、自分の人生がおおきく変わる予感があった。追放された皇族が、魔王となる。そして魔族を率いて、この国に復讐をする。悪くない筋書きだ。
しかし、種族が違う。
ロドウは人間なのだ。
魔族に加担するということは、人間の敵になるということ。そしてそれは、復讐への道を一直線に突き進むということを意味していた。
「即答はできない。すこし考えさせてくれ」
「これは、運命の出会いなのです。良い返事を期待しているのです」
マグワナは抱きしめている枕を、ついに離すことはなかった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!