(皇魔さまのチカラはホンモノだ)
ヴァレンは畏怖すら覚えていた。
皇魔は連絡石を通して、ヴァレンに指示を送ってくる。場所と時間を指定してくる。「東の通路。23秒後に火球を放て」「40秒後に、西の裏路地を抜けた先に騎士の部隊がやってくるから奇襲をかけろ」……という案配である。まるで未来が見えているのではないかと思うほどだ。
奇襲に奇襲を重ねて、魔族の部隊は騎士を翻弄していった。魔族の側に被害はなく、信じられないほどに円滑だった。城門棟の検閲で捕らわれた23人のサキュバス、インキュバスも助け出すことが出来た。
『ヴァレン』
と、皇魔の声が連絡石を通して聞こえてくる。
皇魔の声を聞くだけでヴァレンは背中から尾骶骨のあたりにまで小さな痺れがおぼえる。この声は、必ず魔族を勝利に率いてくれる。確信があった。
「はい。なんでしょうか」
「右を向くと、石造りの大きな建物が見えるだろう」
「右――ですか」
向く。
たしかに立方体の箱のような建造物があった。窓がない。家ではない。教会でもないし、防衛施設でもなさそうだ。まるで四角いオブジェクトのようだ。
「その壁を火球で破壊しろ」
「はい」
なんの施設かもわからない。どういう意味のある攻撃なのかもわからない。ヴァレンはなんの思案もなく指示通りに動いた。皇魔が間違えた指示を出すはずがない。カラダがそう思い込んでいた。
石造りの壁に、人がひとり通れるぐらいの穴が開いた。破壊された衝撃で、砂ボコリが舞い上がった。
『オレに従ってくれた褒美だ』
「褒美?」
『中に入ればわかる』
開いた穴から室内に、慎重に足を踏み入れてみた。まるで『爛れ石のダンジョン』に戻ってきたかのような錯覚を受けた。匂いが、似ているのだ。サキュバスの愛液と、インキュバスの精液の匂いである。
暗闇だ。ダンジョンに住む魔族にとって、暗闇は苦ではない。だが、明かりがあったほうが視界は良くなる。指先に炎をともした。
周囲――。
「これは……ッ」
牢獄である。
ただの牢獄ではない。
石造りの部屋に、大量の鉄檻が置かれていた。鉄檻のなかには窮屈に押し込められたサキュバスやインキュバスたちがいた。手足には魔法封じの手錠がかけられており、みんな一衣たりともまとっていない。
『そこは娼婦組合の牢獄だ。サキュバスやインキュバスたちが多く捕らわれているはずだ』
「……」
まぎれもなくかつて人間たちに捕らわれた、ヴァレンの仲間たちであった。まさか再び会うことが出来るとは思っていなかった。奇跡である。あまりの感動に涙が出てきたほどだ。ヴァレンはその涙を親指の腹でぬぐい取った。
捕らえられた者たちはチカラなくうなだれていた。ヴァレンの姿を見つけた者が「ヴァレンさまっ」と声をあげた。するとその声が周囲に伝播していった。捕らわれていた者たちの歓喜の震えによって、大きな振動が巻き起こっていた。
『聞こえているか?』
「はい」
『そこにいる者たちを解放して、その場から撤退しろ。急げよ。そろそろ城内からまとまった部隊が出てくるはずだ』
「はい」
自分の潤んだ声が聞かれるのではないかと心配になって、ヴァレンは短く応答することしか出来なかった。
ひとりも残さずに、檻に閉じ込められた者たちを救い出した。魔法封じの手錠をかけられて捕らわれていた者たちは、魔法が使えなくされていた。しかし、魔法が使えれば、こんな鉄檻はなんてことなかった。
助け出されたサキュバス、インキュバスは「ヴァレンさまっ」「再びお会いできて光栄です」「必ず助けに来てくれると信じておりました」と声をあげて泣きついてきた。しかし誰よりも、そうやって泣きつきたいのはヴァレンだった。皇魔の胸に跳び込みたかった。決してヴァレンのチカラでは助け出すことの出来なかった者たちだ。すべては皇魔のおかげである。
『助け出すことが出来たか?』
はい、とヴァレンは言葉をつづけた。
「皇魔さま……」
『なんだ?』
「私はあなたのご命令ならば、どんなことでもいたします」
決して、媚びへつらいや、過剰な文言ではなかった。他にヴァレンの忠誠心を、皇魔に示す方法がなかった。欲しいと言われれば、この肉体だって差し出すことだろう。
すこし間があった。
『期待している』
と、皇魔の冷静な声が返ってきた。
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