冒険者組合の前に騎士隊がいたので、ロドウは逃げるようにその場を立ち去った。マグワナが魔王の娘であり、それを助けたということは、人に背くような行為に値すると自覚はあったのだ。しかしそれが、どんな罪に値するのかは、わからなかった。魔族をかくまった罪で処断された……なんて話は聞いたことがない。罪に問う前に、その場で殺されるからかもしれない。
しかし、騎士たちへの怯懦は、もっと別に感情によって吹き飛んでいた。
金――。
(金貨1000枚だと……ッ)
金貨1枚あれば、1週間は生活していける。そういう金額だった。それが1000枚あれば、ロドウの生活はずいぶんと楽になる。
見つけた者に、金貨1000枚。
そう書かれていた。
(どうする?)
と、自問した。
マグワナのことを思う。父である魔王を殺された娘。勇者に切り伏せられて、命からがら逃げていたところを、ロドウが拾った娘。そして、マグワナは提案したのだ。ロドウに魔王になって欲しい――と。
皮肉なまでの天秤であった。
マグワナを売って金貨1000枚を手にするか、それとも、マグワナの提案を受けて魔王となるか……。
損得勘定などでは、はかれないほどの選択肢であった。
マグワナに味方をするということは、明確に人間と敵対するという意味になる。そしてマグワナを売るということは、金を手にすると同時に、善良な帝国臣民である証拠にもなるのだ。
「どうすりゃ良い……」
と、迷いが口をついていた。
ポケットに手を突っ込む。
右のポケット――残りわずかしかない金の感触があった。
左のポケット――自分とマグワナの2人のために買ったジャガイモがあった。
まるで自分のカラダが分裂してしまうようであった。ひとつだけハッキリと言えることは、これが自分の人生の分岐点になる、ということだった。
マグワナを助けたのはロドウだ。その責任をマットウするのならば、マグワナを売ってしまうことだけは誠実なこととは言えなかった。もし、マグワナを引き渡せば、自分は一生そのことを後悔するだろう。それはわかっていた。その予感を踏まえても、金貨1000枚という額は魅力的であった。金に困窮しているいまだからこそ、余計に悩ましい。
(誠実とはなんだ?)
マグワナは魔族である。魔王の娘である。騎士隊に引き渡してこそ、人間としては誠実と言えるのではないか? そういうふうにも考えることが出来た。
悩みに、悩んだ。
答えが出ることはなかった。
気が付くと、自分の部屋の前についていた。
マグワナを売ろうという邪念を抱いたまま、部屋に戻ることに罪悪感のようなものがあった。マグワナにその思いを見抜かれるような気がした。
どれぐらい部屋の前で、たたずんでいたのか、わからない。不意にトビラが開いた。マグワナが開けたのだった。
「おかえりなさいなのです。ヌシさま」
「オレが帰ってきたのが、わかったのか?」
「人の気配がありましたから」
「危ないだろ。冒険者組合にマグワナの人相書きがあった。人前に顔を見せるんじゃない」
「ごめんなさい、なのです」
と、マグワナは悲しそうに眉根を寄せた。
「悪い。べつに怒ったわけじゃない」
「わかっているのです。ヌシさまは、ワッチのことを案じてくれたのですね」
と、マグワナはやわらかそうなホッペを、ニッとつりあげた。その笑顔がどことなく、ギコちなく見えた。
あぁ……。
この娘はきっと、すべて気づいている。
自分にどれほどの懸賞金がかけられていることも。ロドウが迷っていることも。わかったうえで、ロドウにその判断をゆだねようとしているのだ。そんな確信をえた。自分なんかに身をゆだねなくてはならない娘に、同情をおぼえた。
「なんか、焦げ臭くないか?」
火の臭いがした。
「も、申し訳ないのです。パンケーキをつくっていたら、焦がしてしまったのです」
「どうやって作った?」
「卵と牛乳があったので。壁穴をさぐっていたら、小麦粉も見つけたのです。勝手に壁穴を探ったことは、ごめんなさいなのです」
丸太のサイドテーブルの上。
2枚の皿。2枚のパンケーキが乗せられていた。焦げ臭いなかにも、甘い香りがふくまれていた。
「べつに、謝ることはないが、火はどうした?」
「魔法で出したのですよ」
「なるほど。魔法が使えるというのは、便利なもんだな」
「助けてもらったお礼のつもりだったのですが、焦がしてしまったのです」
「焦げてるのは、チョットだけだ。充分食べれるよ。オレもジャガイモを買ってきたんだが、魔法で蒸かしたり茹でたりできるか? いちおう壁穴に鍋があったはずだけど」
パンケーキをつくるさいに、壁穴を探ったマグワナは、すでに鍋の在り処を知っているらしかった。
手際よく鍋を取り出すと、そこにジャガイモを放り込んだ。魔法陣から水を出したあとに、火を出した。鍋のなかの水は、すぐに煮だった。マグワナが指を鳴らすと湯は消え去った。
鍋のなかには、湯気を放ったジャガイモが2つ残されていた。ジャガイモの皮が自然と破けて、白い中身がさらけだされていた。イモの甘い香りが鼻腔にもぐりこんできた。ロドウの腹が空腹で音を鳴らした。
「お腹すいていたのです?」
「稼ぎが少ないからな。いつも腹は空かせてる」
と、ロドウはみずからの腹をナでた。
「そうなのですか」
と、マグワナはどう反応すれば良いのか、わからなかったようだ。他人の苦労など聞かされても困るだろう。
「魔族も、人間の食事を口にするんだな」
と、ロドウは話をべつの方向に転がすことにした。
「娯楽目的です。人間の食べ物は美味しいですから。食欲を満たすためには、人間の魔力を必要とします」
「じゃあ、生命維持のためってわけじゃないのか」
「食べ物で生命を維持できるなら、人を襲う理由はないのですよ」
「それもそうか」
いただくぞ、と焦げ付いたパンケーキをフォークで、一口サイズに切り分けた。
「どうぞ、召し上がりください」
パンケーキは焦げていたが、しかしやわらかい膨らみを持っていた。オレがジャガイモを買いに行っているあいだ、マグワナはいったいどういう心境で、このパンケーキをつくったのだろうか……と、ロドウはかんがえた。
マグワナのかんがえていることなど、ロドウにわかるはずもなかった。しかし、なんの打算も諂諛もなく、ただ一心にパンケーキをつくるマグワナの姿を容易に想像することができた。半ば焦げてしまっている拙い味が、マグワナの純粋さを際立たせていた。
「美味いな」
「ホントウですか?」
「オレはパンケーキなんて作ったことないからな。こんなものを食べられるとは思ってなかった」
「ガンバって作ったカイがあったのです」
と、マグワナは手を重ね合わせて、微笑んでいた。
飲みくだしてもいまだに、パンケーキの焦げた味が口のなかに残っていた。その味を噛みしめながら、ロドウは決心した。
マグワナを騎士団に売り渡すようなことは、決してしてはならない。
金貨1000枚がなんだと言うのだ。損得勘定で他人を犠牲にするのは、ロドウの嫌いなこの帝国貴族のやり方と同じである。
オレは皇帝である父のようになるものか、と思った。必要のないスキルだからという理由で、母を殺して、ロドウのことを追放した。
いや。本来ならば殺すつもりだったのだ。皇族どもの独善と傲慢によって、ロドウには孤独が与えられた。マグワナを売り渡すことは、その悲劇の模倣であり、過去の自分を見捨てることと同義であった。
良し。
魔王になろう。
魔族を率いる王となって、この国の皇族どもに戦いを挑もう。母とロドウの処刑に賛同した貴族どもを、ひとり残らず暴き出して、踏みねじってやろうという思いが猛然と込み上げてきた。
世界が見向きすらしなかった、ロドウのスキル。≪貯蔵≫。それをマグワナは評価してくれたのだ。そしてそれが魔族のチカラになると言う。
皇族から見捨てられたスキルによって、魔王と転化するというのは、皮肉なものを感じた。
そのとき――。
ゴンゴンゴン
激しくトビラの叩く音がひびいた。ロドウとマグワナは顔を見合わせた。
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