「よくやった。マグワナ」
「はいなのですよ。ヌシさま」
マグワナは照れ臭そうな上目使いをおくってきた。頭をナでて欲しそうな表情に見えた。女性の頭をナでるという行為が、とんでもない失礼にあたるような気がして、ロドウは慎重になった。
マグワナが首を小さくうなずくような仕草をした。物欲しげな顔を見ていると、自然と自分の手が、マグワナの頭にみちびかれていた。
マグワナは自分から押し付けるようにして、ナでられていた。ときとしてマグワナはうんと年上の女性に見えることがあり、こうして子供のような無邪気な姿も見せるのだった。
ロドウを手玉にとるための媚態なのか、それとも、なんの計算もないマグワナの姿勢なのか、ロドウには見抜くことができなかった。
正面。
ドボンがいた。公爵子息である。
木造の4脚イスに縛られている。
マグワナが捕えたのだ。
部屋は石造りの小部屋になっていた。サキュバス・クィーンが執務室として使っていた部屋らしい。
机上にはダンジョンマップが描かれた羊皮紙が広げられていた。この部屋を使っても良いと言われたということは、ある程度の信用を得ることはできたのだろう。
「魔王の娘だな。そっちの仮面の男は何者だ?」
と、ドボンがたずねてきた。
「はじめまして――と言うべきかな。いや。小さいころに顔ぐらいは合わせているはずだがな」
「なに?」
「オレはロドウ・アルテイア。アルテイア帝国の第6皇子だ」
仮面を脱いだ。
ドボンは幽霊でも見るような顔で、ロドウのことを見つめていた。
「は……はは……。そりゃなんの冗談だ? ロドウ・アルテイアと言えば、たしかずっと前に処刑されているはずだ。皇帝陛下の機嫌をそこねたとか、たしかそういうことで……」
「貴族たちのあいだでは、そう言われているのか。皇帝陛下の機嫌を損ねた――か。まぁ、たしかに間違ってはいないかもな」
ロドウはたしかに死んだことになっている。こうして生きているのは、処刑された母が貴族たちに手を回してくれたおかげだ。
「これはいったい何の冗談だ? 魔族のダンジョンに、皇子を名乗る男がいるだなんて、笑い話だな」
と、ドボンは乾いた笑い声を漏らした。
「そちらにとっては笑い話でも、こちらは至ってマジメでね」
「第6皇子が生きているはずがない」
「まぁ、信じてくれとは言わん」
「望みはなんだ?」
「話がはやくて助かる。尋ねたいことが、いくつかあってな。正直にしゃべってくれれば、痛い思いをさせずに済む。オレもそういったことは嫌いだからな。できるだけ正直にしゃべってくれることを願うよ」
「拷問するつもりか」
と、ドボンの表情が、ひきしまった。さすが公爵の嫡子と言うべきか。そうやって真面目な表情をすると、凛々しいものがある。ブロンドの髪も、ドボンを美しく演出していた。
「場合によっては」
「良いだろう。なにについて尋ねるつもりだ? オレはケリュイア公爵の嫡子だが、国家機密なんかは知らされていないぞ」
「オレは皇族にとってふさわしくないスキルをもって生まれてきた。そのせいで、母とともに殺されることになった。しかし、いくら実力主義の帝国でも、やり過ぎの感が否めない。オレたちを処刑することを提案した貴族、それに賛同した貴族の名を教えてもらいたい。オレたちを死に追いやった連中がいるはずだ」
「ホントウに、第6皇子さま……なのですか」
ドボンの言葉づかいに変化があったのは、多少なりともロドウが皇子かもしれないと思いはじめているからだろう。
「案ずることはない。すでにオレは皇子ではないからな。皇族から追い出された、皇子のできそこないだ」
「どうにか父に頼んで、第6皇子をかくまうように頼んでみましょう。だから、魔族と手を組むようなことは、やめておくことです。魔族の連中は人を惑わせる。利用されているにすぎません」
この道を引き返すなら、今かもしれない。
そう思った。
魔族と結託してアルテイア帝国の皇族に復讐する。この企みは、身の破滅につながる。たとえ成し遂げることが出来たとしても未来はない。決して、他人からホめられた行為でないことも、わかっていた。しかし、振り返ってみても、ロドウのいた場所には幸せの名残すらないのだった。
マグワナが口をはさんだ。
「ヌシさま。騙されてはいけないのです。この男はこの場を逃れようとしているに過ぎないのですよ」
マグワナはロドウの腕に抱きつくようにしてきた。
ああ、とロドウはつづけた。
「オレが利用されているのか、どうかはわからない。しかし、オレはみずからこの道を選んだつもりだ。世界からつまはじきにされたオレを拾ってくれたのは、この魔王の娘だった。蔑ろにされている場所よりも、自分を認めてもらう場所に身を置こうとするのは、トウゼンのことだ」
まるで安心したかのように、マグワナの全身からチカラが抜けてゆくのが、ロドウの腕につたわってきた。
「皇族ともあろう御方が、なんとか愚かな」
と、ドボンはかぶりを振った。
ブロンドの髪が左右に揺れた。
「オレの質問に答えてもらおうか。オレを死に追いやった貴族の連中の名を教えてもらおう」
「オレは知らん」
「正直にしゃべってくれ――と言ったはずだ」
「ホントウに知らん。ただ、第6皇子が死んだあと、第3皇子であるフォケットさまの派閥が急成長した――という話は知っている」
「兄の派閥が?」
「第6皇子の母君である、第8夫人のシュリさまが処刑される前にも、フォケットさまはヒンパンに会議を開いていたそうだ。これは父から聞きかじったことなので、正確ではないかもしれないが」
「有益な情報だ。ほかには何か?」
「いや。オレが知っているのは、それぐらいだ」
「そうか」
最初から、あまり期待はしていなかった。この戦いに身を投じたのは、ドボンが狙いだったのではない。
このダンジョンを勝利に導いて欲しい――というマグワナの誘いがあったからだ。そして、このダンジョンにいる連中に、新しい魔王の誕生を報せるという意味もあった。結果的に、6魔将のヴァレンの忠誠心を、多少なりとも得ることはできたと思う。
こうしてドボンを捕らえることが出来たのは、オマケだ。
僥倖――というヤツである。
「オレを殺すのか?」
と、ドボンがたずねてきた。
「むろん。オレが第6皇子であることを知られた以上は、生かしておくことはできない」
壁にかかっていた、ファルシオンに手をかけた。
「やめておけ。オレを殺せばホントウに、引き返せなくなるぞ。公爵子息を殺したとなれば、それは大罪だ」
ドボンがロドウの将来を案じて言っているのではない。ロドウに躊躇させて、この状況から助かろうというドボンの浅慮が見え透いていた。
「さよならだ。若き公爵子息」
ファルシオン。首を刎ねようと振った。しかしその刀身は、ドボンには届かなかった。マグワナが魔法陣を発していた。魔法陣から発せられた鋼の刀身が、ドボンの首を先に刎ねていたのだった。
公爵子息の生首が、ロドウの足元に転がってきた。憎々しげにロドウのことを見あげていた。
「なぜ先に手を出した?」
と、ロドウはマグワナにたずねた。
マグワナは魔法陣にその刀身をしまった。いったい何の魔法かはわからないが、尋常ではない魔法であることだけはわかった。
「ヌシさまの手を、汚させるわけにはいかないのです。それがヌシさまを、こっちの道に引きずりこんだ、ワッチなりの責任の取り方なのですよ」
「オレにだって、人を殺すぐらいの覚悟はできてる」
度胸がないと思われるのが厭で、ロドウはそう言った。
「これはワッチなりの責任の取り方なのですよ。ヌシさまを魔王として擁立しようとかんがえているのは、ワッチなのです。ワッチはヌシさまの剣となり、盾となります。ですから、どうか、ワッチたちを見捨てないで欲しいのです」
「矛盾してるな」
手にとったファルシオンを、壁にかけなおした。
「矛盾しておりますか?」
「オレがこの公爵子息を殺していれば、オレはもう引き返せなくなっていた。魔族を率いて人間と戦う以外に道は残されていなかった。けれど、公爵子息を手にかけたのが、オレではないとなると、まだ引き返す選択肢をオレに残してしまうことになるぞ」
ロドウに魔族の味方をして欲しいと言うのならば、ドボンのことをロドウの手によって殺させるべきだった。
それがマグワナにとっては、賢い選択であるはずだ。
「ヌシさまの手を、汚させたくはなかったのです。ワッチに出来ることなら、なんでもやるのですよ」
「ずいぶんと献身的じゃないか」
「ワッチが献身するだけの借りと理由が、ヌシさまにはあるのです」
「オレに献身するだけの借りと理由?」
と、ロドウはわざとトボけた。
その内情を知っているはずなのに、マグワナの口から聞きたいと思ったのだ。マグワナの言葉が、自分の飢えたオオカミのような心を、満足させてくれることがわかって尋ねたのだ。
「ワッチは、この身をヌシさまに助けられているのです。それに、ヌシさまのチカラは、魔王さま亡きいま、魔族の再興に必要ですから」
「だから、オレが殺す前に、ドボンを殺したのか」
「はい」
マグワナはうなずくと、ニンマリと微笑んだ。
マグワナのその毒婦のような微笑みは、ついさっきの頭をナでてくれと甘えてきた少女と、同じ人物の表情には見えなかった。
ロドウは、ここまですべて自分の考えで、やって来たはずであった。しかし、もしかすると、この少女の思うがままに、あやつられているのかもしれない。そんな気にさえさせられた。
ドボンをマグワナに殺させた。つまり、自分が背負うべき罪を、マグワナに背負わせてしまった。その呪縛は、ロドウをマグワナから決して離れられないものにするかもしれなかった。
ロドウがそこまで考えることを、マグワナは見透かしているのではないか? そんな気がしてならないのだ。
「怖い女だな。お前は」
「ワッチは魔王の娘ですから。人を殺すことに罪悪感のカケラもおぼえないのですよ」
そういう意味で言ったのではなかったが、あえて訂正しようとは思わなかった。
ドボンから吹き出た血が、石畳の床を赤く濡らしていた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!