「3階層、突破されました。インキュバスのコウとゼアンも捕縛されてしまったようですッ」
立場は6魔将。
肩書きは淫惑のサキュバス・クィーン。
名はヴァレン。
ヴァレンが住んでいるのは、『爛れ石のダンジョン』と言われる場所だった。石造りのダンジョンなのだが、その石が爛れたように溶けており、石と石のつなぎ目を塗りつぶしていた。
サキュバスの愛液とインキュバスの精液が付着することによって、ダンジョンの石が爛れているのだった。そして、このダンジョンにはむせ返るような蜜の香りがただよっていた。
石造りの執務室に、ヴァレンは住んでいた。
さして広くない部屋のなかには、部屋の6割を埋める巨大な石のテーブルが置かれている。
そのうえには、羊皮紙に描かれたダンジョンマップが敷かれている。燭台がマップを照らしていた。
その部屋に、伝令がやって来たのだ。
「そう。3階層が突破されたのね。魔王さまが崩御されてから、敵はいよいよ本腰を入れてきたようね」
ダンジョンは、下層へ進むほど1階層、2階層、3階層と数が増える。『爛れ石のダンジョン』は5階層の構造になっている。
もう後がなかった。
「このままでは、このダンジョンも攻略されてしまいます」
モンスターのなかでも、サキュバスは男を惑わせる女性の姿をしている。インキュバスはその逆で、女を満足させる男の風貌をしている。
食虫植物が虫を誘いこんで殺すように、ヴァレンたちはそうやって人を食らうのだ。だからこそ、冒険者たちはサキュバス、インキュバスを殺すことはめずらしい。捕えて、慰み者にするのだ。人間たちの底なしの欲望によって、多くの魔族が性奴隷にされていることを、ヴァレンは知っていた。
「我々、サキュバス、インキュバスたちが、人間たちの欲望によって制圧されるとはね」
「いかがいたしましょう?」
伝令のインキュバスは、青白い顔をしていた。
「生き残っている者たちは、脱出の準備をしなさい」
ダンジョンにはイザというときのための、抜け道がある。
「それでは、ヴァレンさまからお先に」
「私は5階層の入口にて待機する。冒険者たちが来るのを食い止めなくちゃならないからね」
部屋を出ようとするヴァレンを、伝令役が止めてくる。
「お待ちください。ヴァレンさま。それではヴァレンさまが、人間たちに捕えられてしまいます」
「私のことは構わない。ここでシンガリをつとめなくちゃ、6魔将の面目が立たないわ。このダンジョンには、まだ子供のサキュバスやインキュバスもいる。その子たちを優先して逃がすのよ」
「しかしッ」
「再起のときをはかるのよ。全滅だけは避けなければならないの。ふたたび魔族がチカラを取り戻す日は来るはずだから」
「……はい」
と、伝令役はうなだれるように、うなずいた。
かつて、魔王、と言われる魔族たちの王がいた。圧倒的な魔力を持って、魔族を率いた王である。
その魔王が、勇者に敗れた。
それを機に冒険者たちが、活気づきはじめた。いくつものダンジョンが、冒険者たちによって踏破されていっている。この『爛れ石のダンジョン』は、辛うじて持ちこたえている、数少ないうちの1つである。
6魔将たちは魔王の死を悲しみはしたが、しかしすぐに次期魔王の座をどうするか……という話になった。血統で言えば魔王の娘であるが、経歴で言えば、6魔将のひとりが魔王として立つことも充分にかんがえられた。
(浅ましい)
と、胸裏で毒づいた。
魔王をうしなった涙も乾かぬうちに、次期魔王の話である。魔王をなくした魔族たちの統率をとるためには、仕方のないことだ――と、ほかの6魔将たちは言っていたが、みんな心のなかでは、自分が魔王になりたいという欲に満ちていることに、ヴァレンは気づいていた。
ヴァレンの指示通り、4階層にいた者たちを、5階層へと引き下がらせた。5階層から地上へと一直線に出ることが出来る抜け穴がある。
『爛れ石のダンジョン』は入り組んだ構造になっている。いくつか大部屋があった。5階層に下りてすぐのところにある大部屋で、ヴァレンは待機することにした。言ってもきかないサキュバスとインキュバスの戦士たちが10人ほど残った。
「ここより先に、冒険者を行かせてはならないわよ。子供たちが脱出するまでの時間をかせぐわ」
「了解ッ」
と、サキュバス、インキュバスたちの声がかさなった。
来た。
4階層の階段を下ってくる者たちがいた。
冒険者5人。
前衛のタンクが1人。剣士が2人。後衛の魔術師に射手が1人ずつ。
パーティ構成をすばやく確認した。
ヴァレンは剣を手に構えて突っ込んだ。淫惑のサキュバス・クィーンの二つ名は、この美貌からついた名だった。しかし風貌以上に、自身の剣にヴァレンは自信を持っていた。
前衛のタンク役をかわして、後ろにいた魔術師と射手の首を刎ねた。呆気にとられているタンクと戦士は、ほかのサキュバスが切り伏せた。5階層へとおりてきた冒険者たちを、奇襲、フイウチ、だまし討ち、で討滅していった。4階層から5階層へと下る階段に、冒険者たちの死体が折り重なっていった。
(いける)
この調子ならば、むしろ、捕えられた者たちを救出することもできるかもしれない。そう思っていた矢先だ。
轟音とともに天井が砕けた。
「なに……ッ」
砕け落ちるガレキを避ける必要があった。
砂塵がまいあがる。
煙る景色に目をこらした。
天井からおりてきたのは、ひとりの冒険者だった。うつくしいブロンドの髪を、ショートボブにしている。ダンジョンという闇のなかでも、炯々とその青い目を光らせているのが見えた。
(こいつ……ッ)
と、ヴァレンは身構えた。
見知った冒険者だった。
「我が名はイア・フェルタイン。勇者の異名を冠する者である。大人しく降伏せよ。降伏するのならば殺しはしない」
勇ましい声が響いた。
そうだ。
勇者イア・フェルタイン。魔王を討滅した女。都合が良い、と思った。魔王の弔い合戦になる。そう思うと、俄然、闘志がわきあがってきた。
「なにが殺しはしない――よ。私たちサキュバス、インキュバスをとらえて、人間の慰み者にするくせに」
「貴様ら魔族に、生きる価値はないのだ。生かしてもらえるだけ、ありがたく思うことだな」
「結局、それが本音かッ」
斬りかかった。
上段から振り下ろしたヴァレンのファルシオンを、イアのロングソードが受け流した。
何度か結び合う。刀身と刀身がブツかりあっては、互いに間合いをはかるようにして後ろにトびずさった。
剣と剣のかち合う音が、石造りの空間にひびきわたった。
ヴァレンの剣が、イアの頬をかすめた。白い頬。わずかに切り傷をつくる。
出し抜いた。そう思うと、優越感をおぼえた。
「なるほど。さすがは6魔将のひとり。ただのサキュバスではないというわけか」
と、イアは親指で頬の血を拭った。
傷が消えている。
魔法だ。
「魔王さまの仇よ」
と、ファルシオンを正眼に構え直した。
「セッカクだ。生かして捕えてやろう。その風貌だと、男たちにとっても良いハケグチになる」
イアが魔法陣を展開した。イアの正面を覆うほどの大きさだった。魔法陣から青白い弾が射出された。魔法弾と言われる魔法だった。コブシほどの大きさだが、当たれば致命傷はまぬがれない。
ヴァレンはファルシオンではじき落とした。だが、ほかのサキュバス、インキュバスたちは脚を撃ち抜かれたようだった。撃ち抜かれた足は、消し飛んでいた。痛みに悶える声があがる。標的から外れた魔法弾は、石壁に穴を開けていた。
仲間を助けたいところだが、イアの相手をするだけでセイイッパイだった。すこしでも気を緩めたら、斬り込まれる。それがわかっていたのに、仲間に気をとられてしまった。
イアが接近してきた。
下段から、剣が斬りあげられた。
ヴァレンは後ろにトびずさってかわした。かわしきれなかった。右脚の腱を切られた。
「くぅっ」
痛みをこらえきれず、声となった。
「これでもう、逃げられはしまい。もう一度、降伏を要求する。降伏するのならば、ほかの仲間たちの傷も治癒することを約束しよう」
と、イアはロングソードを鞘におさめた。
「……ッ」
脚の腱を切られてしまっては、動くこともままならない。もうイアに勝つ見込みはありはしなかった。
自分の身がどうなってもかまわない。仲間たちは、無事に抜け穴から脱することができただろうか――。
たしかにサキュバス、インキュバスはその魅力を持ってして、人間の性欲をかきたてる。しかしそれは人間を満足させるためではない。誘い出して、罠にハメるためである。欲求のはけ口にされるのは、あまりに屈辱的なことだった。そしてヴァレンは自分自身が奴隷として使役されることはもちろん、仲間がそうやって使いつぶされることにも悲痛を覚えていた。
「くそッ」
チカラさえあれば――と思う。
仲間を守るチカラ。助けるチカラ。イアを倒すチカラが欲しい。
悔し涙が出てきた。
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