サルベント地区――。
火炎につつまれた景色を、イアは見つめた。
そこはロドウが住んでいるような、貧困地区ではなく、貴族たちの多い地区だった。
建造されている建物も、大きくて横に広いものばかりになる。貴族の屋敷の数件が燃えあがって、夜空を赤く染め上げていた。
かつて魔族に襲われて故郷と父をうしなったときのことを、イアは思い出していた。あの日も、今日みたいに赤い夜だったな、と思い出した。
「第1部隊は、消火活動にあたれッ。第2部隊は民間人の救出だッ」
と、指揮を執っている人物がいた。
フォケットだ。
「お待たせしました」
と、イアが駆けつける。
「イアか。どうやらマグワナが暴れているらしい。マグワナを抑え込もうとした騎士の小隊が潰滅させられた」
「冒険者への応援は?」
「もう手配済みだ。じきに冒険者たちもやって来てくれるだろう。しかし、マグワナを捕えるのは、このオレたちでなくてはならない。マグワナ捜索隊を編制しておいて、冒険者に出し抜かれたとなれば、メンツが潰れる」
「わかっております」
「オレは第3皇子だ。次期皇帝の候補には、ほかの兄弟もいる。ここで点数を稼いでおきたい」
「はい」
「やれるか?」
「むろん」
イアがそう即答すると、フォケットの頬がゆるんだ。
「部下に勇者がいるというのは、実に頼もしいな」
「私は勇者だから、マグワナと戦うわけではありません。イアという人間として、魔族を憎んでいます」
フォケットの点数稼ぎも、貴族たちの派閥争いもどうでも良かった。イアはイア自身の復讐のために戦っているのだ。
すぐ近くで爆発が起こった。貴族の庭にあった厩舎と思われるものが燃えていた。馬の悲痛ないななきが聞こえてきた。騎士たちがフォケットをかばうようにして陣形をととのえた。
「なんでも構わん。マグワナを捕えるなり、殺すなりしてくれれば、なにも文句は言わん」
「はい」
捕えよう――と、決めていた。
マグワナの裏には、協力者がいるのは間違いない。マグワナを捕えて、その協力者の名前を聞きださなくてはならない。
それに。
『爛れ石のダンジョン』。
あのときの魔族の急激なパワーアップの原因も、聞き出す必要がある。
マグワナの裏に、強大な何かがいることは間違いなかった。
「うわっ。来たぞッ」
騎士たちがそう叫んでいた。
正面。石畳の通路が伸びている。マグワナがこちらに向かって疾駆してくるのが見えた。止めようとしている騎士たちが、マグワナの射出する火球で吹き飛ばされていた。
左右には貴族の屋敷を囲む塀があった。吹き飛ばされた騎士たちは、その塀にカラダを打ちつけて昏倒していた。
「任せたぞッ」
と、フォケットが騎士に囲まれて後退した。
ふつうならば、皇子であるフォケットを狙うはずだ。だが、マグワナが狙っているのは、イアだった。マグワナの殺気に燃えた白銀の双眸が、まっすぐイアに向けられていた。
「なるほど。魔王を殺した私を恨むか。恨むなら恨めば良い。私として、魔族に父を殺されているのだ」
マグワナが青白く光る魔法陣を展開した。魔法陣から剣をとりだした。刀身の青白い剣。第3階層魔法――魔法剣。それを手に斬りかかってきた。イアはロングソードを抜いて受け止めた。
つばぜり合い――。
一陣の風が吹きつけた。
火の粉を乗せた風が、周囲いったいに赤い花を咲かせた。イアの頬にもチリチリとした熱があたえられた。マグワナの白銀の髪を赤く照らして、なびかせていた。
「久しぶりなのですよ。勇者イア・フェルタイン」
魔王の娘とは思えぬ、甘ったるい声音で喋りかけてきた。剣と剣が重なりあっており、自然と互いの顔も近くにあった。声を荒げずとも届く距離である。その整った顔立ちを見た。まるで作り物のようだ。
つい先日、この都市テンペストで見失った大魚である。ふたたび相まみえることが出来て安心した。もう一度、捕まえるチャンスが訪れたのだ。
「どうやらずいぶんと、元気になったようだな。致命傷を与えていたはずだがな」
「傷なら、もう完治したのです」
「いったいどういう手段を使った。回復薬ていどで治せる傷ではなかったはずだが。それに、いままでどこに隠れていたのか、吐いてもらおうか」
「教えられないのですよ」
と、マグワナはニヤリと笑った。
つばぜり合いになる距離ゆえに、そのマグワナの笑みがハッキリと見て取れた。どこか近くで燃え上がっている炎が、マグワナの笑みに陰影をつけて不気味にしていた。
厭な笑みだと思った。爛れきった淫売の笑みだ。そのマグワナの笑顔に、イアは憎悪をいだいた。
マグワナは見事なまでに、窮地を脱したのだ。
そしてイアを出し抜いて、生き返ったのだという自負に満ちていた。
「ならばムリにでも吐かせてやる」
拮抗していた剣から、イアはふとチカラを抜いた。
マグワナが前のめりになった。その腹に膝蹴りを放った。
ミゾオチに、イアのヒザが抉りこんだ。
マグワナが勢いよく後ろへ吹き飛ばされた。吹き飛ばされているさなか、マグワナは魔法陣を展開した。青白く光る魔法陣から、大量のナイフが射出された。
「ちッ」
イアのほうも魔防壁を展開した。青白い透明な盾だ。マグワナの放ったナイフを弾き返すはずだった。
しかし展開が遅れた。
最初の2本だけは防げなかった。その2本は、イアの頬をかるく傷つけた。
距離をとって、ふたたび対峙する。
「貴様さえ倒せば、魔族はふたたび再起することが出来るのですよ」
「たとえ私を倒したところで、魔族の再起などありえん。魔王亡きいま、もはや魔族に結束力はない」
先代の魔王の統率力と、強大な魔力によって、魔族たちは率いられてきたのだ。目の前にいるマグワナは、たしかに魔王の娘だ。魔力も強い。だが、魔王と呼べるほどのカリスマ性や、底力があるようには思えなかった。
こうしている今でも、魔族たちの結束力は、音をたてて崩れているはずだった。
「そう言っていられるのも、今のうちなのですよ」
マグワナの不気味な笑みが消えなかった。
何か――勝機がある、ということか。
マグワナがふたたび火球を放ってくる。火球は、第1階層の魔法だ。たいていの魔術師が、最初に習得する攻撃魔法である。技術はあまり必要ない。しかし、魔力を込めれば込めるぶんだけ、その威力は強くなる。
さすが魔王の娘の放つ火球は大きかった。人を呑み込めるほどの大きさがあった。
しかし――。
「愚かなッ。魔王を倒した私に、その娘が勝てると思ったか!」
魔防壁をふたたび展開する。火球が、魔防壁に衝突して、爆発した。
イアにダメージはなかった。魔防壁の向こうの衝撃は、まるで別の世界の出来事のように見えた。爆発したことによって、ケムリが拡散して、イアの視界をうばった。
(煙幕からの奇襲が狙いか?)
それを警戒して、全方位に魔防壁を張り巡らせた。
火球の起こしたケムリが、風に乗って消えていった。
視界がはれた。
マグワナがいたはずの場所には、正真正銘のバケモノがいた。
白銀の髪の1本1本が、蛇になっていた。無数の蛇をかきわけるようにして、巨大な腕が生えていた。爪の1本1本が、グラディウスのような長さをしていた。蛇のなかから、ときおり垣間見える顔面が、なによりもグロデスクだった。ワニのような顔をしており、簡単に人をかみ砕けそうなキバが、のぞいていた。
ゆいいつマグワナの名残と言えるのは、その黒々とした翼と尻尾だった。凶悪な図体にくらべて、その翼と尻尾が愛らしい。それが、よりいっそう不気味な印象をイアにあたえた。
いったい何と形容すれば良いのだろうか……。
頭から蛇を生やした、翼のついた二足歩行のワニ――と言えば良いのだろうか。
「それが正体というわけか。バケモノめ」
イアは剣にぎる手に、汗をかいていた。
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