「何かわかったかい?」
と、フォケットが、イアに尋ねてきた。
マグワナ捜索本部の宿。机上には今日は、都市テンペストの地図が広げられている。たかが都市だが、されど都市である。テンペストは楕円形に広がっており、そのすべてを城壁で囲まれている。なかには富裕層区画、貧民街、冒険者組合をはじめとする組合施設、それに城やら防衛施設やら……1日2日では回り切れないほどの大きさである。こうして地図を見下ろすと、そのすべてを掌握したような心地になって、すこしだけ気分が良い。
要所要所が赤丸で囲われている。薬屋の場所である。視線をあげる。正面の黒板。白いチョークでその20名の名前が、書き殴られている。
「回復薬を買った者たちが判明してから、20名を尾行して調べてみました」
「ご苦労。それで?」
フォケットは革のブックカバーのついた本を読んでいた。何を読んでいるのかわからない。ずいぶんと分厚いものだった。
「結果から言うと、怪しい人物はいませんでした」
「すると、回復薬を買ったという線から探るのはハズレということかな」
「ただ、ひとりだけ気になる人物が」
「君がすこしでも気になるのなら、調べてみる価値はあると思うよ。なにせ君は、魔王を倒した勇者なのだからね」
と、フォケットは書籍から視線をあげてそう言った。
「魔王を倒したことと、何か関係が?」
「いろんな修羅場をくぐってきた戦士ならば、きっと研ぎ澄まされた感覚を持ってるだろうと思ってね」
「それは、わかりかねますが……」
魔王を倒したことで、イアは勇者という得体も知れない爵位を手に入れた。位はたいしたことはなかったが、イアのことを特別視する者が多かった。
それはイアの風貌がそうさせるのかもしれないし、魔王を倒した功績が、そう見せるのかもしれない。
しかし、自分はひとりの人間であって、勇者だから特別なチカラを持っていると思われるのは心外だった。
「私が気になっているのは、ロドウ・フェレンツェという男です」
その男の後ろを、イアは3日間つけてみた。
ロドウが怪しいからではない。回復薬を買った20人全員の尾行を、騎士にさせている。ロドウのことは、イアが直接やることにした。
ロドウのルーティンは決まっている。
朝、パンを2つ買う。昼、冒険者組合へ行き仕事をもらう。夜、野菜や肉を買って家に帰る。
その件を、イアは説明した。
「聞いているかぎりだと、べつに不審な点はないと思うけれどね。むしろ味気ないぐらいだ。気になるのはロドウという名前ぐらいか」
と、フォケットは曖昧に笑ってそう言った。
「ロドウという名前に何か意味があるのですか?」
フォケットの笑みが何か意味ありげだったので、気になってイアはそう疑問を投げた。
「いや。気にすることはない。それで?」
と、フォケットはあまり触れて欲しくないことのようだったので、イアはあまり拘泥しないことにした。
「ロドウという男について気になる点は3つありました」
と、イアは指を3本立てた。
1つ。いつも食材2つ買うことだ。パン。ジャガイモ。ニンジン。リンゴ。何を買うにしても、たいてい2つ買っている。2人分の食事を買っているようにも見えるのだ。はじめて部屋に押し入ったときにも2人分の食事があった。しかし、男性の食事量とかんがえてみれば違和感のないことだし、むしろすくないぐらいである。
1つ。冒険者組合の前に張り付けてあるマグワナの人相書きを毎日見ていることだ。本人は気づかないフリをしているつもりなのだろうが、イアはちゃんと気づいている。素知らぬフリをして、マグワナの人相書きが気になっているようだった。しかしこれも、特別怪しい行動ではない。ほかの冒険者も、大金が懸けられているマグワナのことは、気にかかっているのだ。
1つ。ロドウは裏路地に精通しているということだ。マグワナを見失った裏路地のあたりを、ロドウはよく通るのだ。マグワナを見失った日に回復薬を買っていた人物。なおかつマグワナを見失った裏路地を使っている人物。その2つの条件に合うのは、ロドウぐらいだった。しかし、ロドウの住んでいるアパートへ行くには、その裏路地の使い勝手が良いのも事実だった。
「回復薬を買っていて、しかも、マグワナを見失った裏路地に精通している。それは限りなく怪しいね」
と、フォケットは開けていた書籍を、パタンと閉ざした。
やわらかい笑みをイアに向けてきた。相手は皇子だ。媚のひとつでも送っておいたほうが良いのだろう。それがわかっていても、イアは男に媚びる方法のひとつもわからなかった。わかるのは、自分の容姿が男たちの目に、どう映っているのか――ぐらいだ。
「ええ。しかし、それが逆にマグワナをかくまっていることを否定している――とも取れます」
「どうしてだい?」
「マグワナと出会ったことを隠すならば、裏路地は避けて通るはずでしょう。私ならそうします。その裏路地を通っているとなると、怪しまれることは必然ですから」
「たしかにね。犯人が犯行現場に戻ってくるようなものか」
「ロドウの住んでいるアパートは、その裏路地を抜けると近道になるのです。ですから、通ることは不自然なことではない」
「魔王の娘を見失った場所と知っていれば、危険なのだから近づかないのが普通じゃないかい?」
「いえ。魔王の娘を見失った場所については、公表していないので」
「ロドウという男は、ただのバカなんじゃないのか?」
と、侮蔑するような口調でフォケットが言った。
「バカ?」
ロドウを侮蔑されたことで、なぜかイアのなかに小さなイラダチが生まれた。どうして自分がそう思ったのかは、まるでわからなかった。なので、胸裏のそのイラダチには見て見ぬふりをすることにした。
「マグワナを拾った裏路地を避けて通ることで、怪しまれないように振る舞う。そういうことを考えらなかったんじゃないか? もしくは自分が疑われるなど、露ほども思っていないか」
「さあ」
わからない。
ロドウの風貌からは、かなり頭の切れる男だという印象をあたえられた。印象は印象だ。実際はどうかわからない。
ロドウ・フェレンツェ。調査した人間のなかにいた1人に過ぎない。それでも油汚れのようにしつこくイアの脳裏にこびりついているということは、あの男には何かがるのだろう、と思う。しかしその、何か、がわからない。そのモヤモヤとした感情が、ロドウという男の印象をさらに強くするのだ。
「なににせよ、魔王の娘をかくまうような人間は、バカとしか言いようがないけれどね」
と、フォケットはあたかも自分が大人だと言うかのように、肩をすくめて見せた。
「いえ。魔王の娘は、人をたぶらかすことに長けています。どんな人間でも惑わされてトウゼンかと」
マグワナは魔王の娘だ。あれはオゾマシイ存在だ。実に巧妙な手段で、男を手玉にとる。可憐な風貌をしていることが最悪だった。
そうかい、とフォケットはつづけた。
「マグワナを見失った日に、回復薬を買っている。しかも、マグワナを見失った裏路地にも詳しい。それは充分、調査するに値することだと思う。もうすこし人を増員して、探らせようじゃないか」
「そうですね」
調べておくに、越したことはない。
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