(勝った……)
イアが部屋から去って行く気配を、ロドウはジャガイモを頬張りながら、感じ取っていた。
緊張しきっていた心身が、ときほぐれていく感触があった。あんまりにも弛緩してしまって、仰向けに倒れてしまった。
「どうやら、オレの監視はあきらめてくれたようだ」
と、連絡石にしゃべりかけた。
『ワッチが、こっちに移動したのは正解だったようですね』
「お前が、この部屋にいれば今頃、イアに捕まっていただろうぜ。壁穴だけでは、さすがに隠しきれないからな」
マグワナはいま、メリサの伯爵邸にいる。
メリサは伯爵令嬢という立場を利用して、捜査の情報を入手してくれていた。その情報をマグワナが受け取って、マグワナからこうしてロドウへと流れているのだった。
ロドウが尾行されていたことも、隣室から覗き込んで監視するという作戦も、すべてあらかじめ知っていたのだ。だからこそ、前もってマグワナをメリサの伯爵邸へと避難する処置もとれたのだ。
尾行されているとわかっていながら、素知らぬフリをする。監視されているとわかっていながら、気づかぬフリをする。それは思った以上に、ロドウの精神を疲弊させた。疑われないために、その疲弊さえも表に出すことができなかったのだ。
(だが、オレはやりきった)
勇者の目すら誤魔化す演技をすることができた。それがロドウの自信につながった。自分で思っていたよりも、ロドウ・アルテイアという男には度胸があるらしかった。
弛緩しきったカラダを、ユックリと起こした。
『後はワッチが、ヌシさまとは関係のない場所で事件を起こせば良いのですよね』
「ああ。それでオレが、マグワナをかくまっているという疑いは、完全に晴れるはずだ」
今後、皇魔として動くためにも、ロドウへかかっている疑いは、払拭しておかなければならないことだった。
『まかせてくださいなのですよ』
「あんまり頑張るなよ。ボヤ程度の事件で良いんだからな。オレとは無関係な場所で、マグワナの姿を見せるだけで良いんだから」
『わかっているのです。でも、ワッチも鬱憤がたまっているのですよ。人間を数人ぐらいは殺しても良いのでしょう?』
「どれだけ暴れてくれてもけっこうだが、決して捕まるなよ。お前が拷問でもされたら、協力者の名前を吐かされることになる。そうすればオレもメリサも終わりなんだからな」
『たとえ捕まっても、ワッチは仲間を売るようなことはしないのです』
と、マグワナのスねたような声が返ってきた。
きっと、桜色の唇をとがらせているのだろう。その表情が容易に想像できた。
「捕まらないことがイチバンだ」
『万が一、ワッチが捕まっても、仲間は売らないし、ワッチのことは切り捨てくれても良いのですよ』
「バカ言うな。オレと魔族の橋渡しに、お前の存在は必要だ」
サキュバス・クィーンのヴァレンをはじめとする、6魔将たちを率いるためには、マグワナの繋ぎ役が必要だった。
『任せてくださいなのです。この連絡を切ったら、連絡石はメリサのほうに返しておくのですよ』
「ああ」
『ヌシさま……』
連絡石を通しているのに、まるですぐ近くにいるような声音だった。すこし背筋がゾクッとした。
「どうした?」
『ヌシさまは、ワッチのことを信用していないかもしれないかもしれません。それでも、ワッチはヌシさまのためを想っているのですよ』
連絡が途絶えた。
(大丈夫だろうか?)
正直、マグワナがなにを考えているのか、ロドウにはつかみきれなかった。
ロドウは自分が、人の心に鈍感だとは思わない。むしろ、繊細なほうだと思う。あんな少女の心が読めないはずがなかった。しかし、読めない。まるでわからない。だからこそ、マグワナという少女は不気味なのだ。
そんなロドウでも、マグワナのなかには、とある強い気持ちがあることを察している。復讐。魔王である父を殺された、娘としての炎を、マグワナは宿している。イアを前にしても、その気持ちを抑え込むことができるだろうか。
ボヤ程度の事件で良い。
そう言った。
しかしマグワナは、ここでイアと真っ向勝負を仕掛けるような気がした。マグワナが捕えられてしまうことが、最悪のシナリオだった。
(頼むぜ)
と、ロドウは気づくと、手の中にあるジャガイモを握りつぶしていた。
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