森の中。
天幕がいくつも張られている。『爛れ石のダンジョン』攻略のため、前線基地が敷かれているのだ。
冒険者たちが野営をしている。剣を研いでいる者や、傷の手当てをしている者、食事をしている者なんかもいる。
青葉若葉を吹く風が、天幕をはためかせていた。青臭い森の空気をイアは、胸いっぱいに吸い込んだ。ダンジョンに蔓延している臭いを払拭したかった。とくに『爛れ石のダンジョン』は生臭い。まるで生魚が腐ったような臭いである。鼻がバカになりそうだ。
「結局、魔王の娘は見つからんかったのか」
と、ケリュイア公爵子息である、ケリュイア・ドボンが、イアに尋ねてきた。
公爵家の嫡子であり、今回の戦の指揮をとっていた。今回の攻略戦は、帝国の騎士によっておこなわれているものではない。騎士はダンジョン攻略なんかしない。ここにいるのは、冒険者たちの寄せ集めである。騎士に比べると秩序はなく、どことなく野蛮だ。いや。野蛮という言い方は、すこし語弊がある。野放図というべきか。
その冒険者たちをまとめているのが、ドボンである。いちおうAランク冒険者でもあるのだ。貴族の出身でありながら、戦士でもあるということで、女性から大変評判の良い男であった。
腕も良ければ、血も良いということで、次期、帝国戦士長の候補にもあがっている男だ。
「冒険者」と「国仕えの騎士」というのは、マッタク違った組織によるものだ。
冒険者は小国の自警団を発祥としている。そこから国境関係なく、世界中を活動拠点とするようになった。領主の隷属者でもなく、大資本の手先ともならぬ孤高の組織――などと言えば聞こえは良いが、真実はどれだけ活躍しても、収入の安定しないその日暮らしである。稼ぎがないときは、稼ぎがない。その点、国仕えの騎士には安定した収入が見込める。冒険者として知名度をあげて、国仕えの騎士になる者もすくなからずいた。
イア自身もその道をたどったひとりだ。イアはSランク冒険者であり、帝国からさずかった勇者の立場にもいる。だからと言って、冒険者をやめたわけではない。二足の草鞋である。
「都市テンペストで魔王の娘を見失ってからは、一度も見かけておりません。見逃してしまったのは、私の落ち度です。申し訳ありません」
と、イアは頭を下げた。
「べつに謝る必要はない。マグワナ捜索の指揮を執っているのは、このオレなんだからな」
「はあ」
どう応えれば良いのかわからず、曖昧に返答した。
「マグワナは、こちらのダンジョンに逃げ込んでいると踏んでいたのだがな。ここは6魔将のひとりがいるダンジョンだから」
と、ドボンは物憂げに言った。
ドボンは丸太のうえに腰かけている。だが、こうして話していると、まるでどこぞの城の執務室にいるかのような心地になる。ドボンという男から発せられる気品によって、そう感じさせられるのだろう。
イアはその脇に立つようにしている。見下ろすカッコウになってしまうので、自分も座るべきかどうか迷っていた。
「マグワナは、まだ都市テンペスト内にいるのかもしれません」
「やはり、まだ都市テンペストか。こちらを攻めたのは見当違いだったかな」
いえ、とイアは続けた。
「それでも、先にこちらのダンジョンを攻略しておくのは、悪い選択肢ではなかったと思います」
手負いの魔王の娘を捜索する作戦の総指揮も、このケリュイア・ドボンが執っていた。イアはその補佐に過ぎない。補佐せよ――と、皇帝からの命だった。
高潔なる帝国貴族の手によって、魔王の娘を討ち取ったという功績が欲しいのだ。その魂胆は見え透いていた。マグワナを捕らえたあかつきには、ドボンはその功績をもってして、帝国騎士長の座におさまるのだろう。しかし、貴族たちのそんな事情など、イアは興味がなかった。マグワナを捕らえることさえ出来れば、それで良い。
そうだな、とドボンはうなずいた。
「都市テンペストの近くにあるダンジョンは、この『爛れ石のダンジョン』ぐらいだ。マグワナが頼るなら、ここしかない。先に潰しておけば、逃げ込まれる心配もないだろう」
「6魔将の一角を崩しておくことも、後回しにはできない問題ですから。私が、魔王を討ったことによって、魔族たちは今、総崩れの状態になっています。ここで6魔将のひとりを崩しておけば、もはや魔族に再起のチャンスはないでしょうから」
ふん、とドボンは笑った。
「本来であれば、この作戦の指揮も、勇者であるイアが執るべきだろうに」
と、ドボンは地面に落ちていた木っ端を拾い上げてそう言った。
ドボンの手は戦士のそれではなく、貴族の手だった。白く細長い指だった。木っ端によって汚れてしまうのではないか……という心配をさせられる指をしていた。
「いえ。私は貴族の出身ではないので」
イアはもともと農家の出身である。ンッアピアルという村だった。その間の抜けた村の名前が面白いからか、発音が難しいからか、村の子供たちは良くその名前を口ずさんでいたのを覚えている。
村が魔族に襲われて、父が殺された。故郷を焼き払われた。その憎悪から冒険者に身を投じたのだ。
そしてついに、勇者という爵位を手にするまでに至っている。
「しかしもう、勇者という爵位を授与されたからには、帝国貴族の仲間入りだろう。勇者という爵位は、公爵より上なのか?」
ドボンは艶やかなブロンドの髪をかきあげてそう尋ねてきた。爽やかな笑みを浮かべている。おそらく、興味本位であって他意のない質問なのだろう。
「さあ。詳しいことは、私にもわかりません」
と、イアはかぶりを振った。
「自分が勇者なのにか?」
「土地を授かったわけでもありませんし、城主になったわけでもありませんから、貴族かと言われると微妙なところです。立場的には男爵程度のものだとは思います。貴族としてのチカラはありませんが、いちおうアルテイア帝国の騎士として認められている――という程度でしょう」
勇者。この爵位はお飾りだ。皇帝陛下は魔王を倒した冒険者に、「アルテイア帝国の首輪」をかけたかっただけなのだろう。それでも良かった。
「このアルテイア貴族どもの腹は、腐った果実より異臭を放ってやがる。せいぜい気を付けることだ」
「御忠告、感謝します」
まあ、座れよ――と、ドボンは座っている丸太のとなり腰かけるようにすすめてきた。素直に腰をおろした。
この『爛れ石のダンジョン』は、じきに陥落する。6魔将のサキュバス・クィーンには致命傷を負わせてある。逃げられはしたが、ほかの冒険者たちが追いかけているはずだ。イア自身が追っても良かったのだが、部下の功績を奪おうとは思わなかった。焦らずとも、ことを仕損じることはない。
天幕の張られた基地にも、すでに勝利の雰囲気がただよっていた。
「アルテイア帝国の騎士になって、何かやりたいことでもあるのか?」
「私は、国家として対魔族専用の部隊をつくりたいと考えております」
「ほお。それは面白い」
「こういった魔族のダンジョンを攻略するさいには、どうしても国仕えの騎士と、冒険者の仕事が重なってしまうところがあるので」
国仕えの騎士の仕事は、国を守ることであり、魔族の相手をすることではない。魔族の相手は冒険者の仕事である。しかし、魔族が都市を攻めてきたときは、騎士も出動することになる。細かいところで仕事がかぶると、手柄の奪い合いになったりもする。
いっそのこと、魔族を相手にする部隊を、国として編成すれば良い――とかんがえていた。
イアにはひとつの構想があった。
魔族を完全に人間の統治下に置く――ということだ。
たとえば鉱山採掘などの仕事は、アルテイア帝国では奴隷にやらせている。そういった、ふつうの人間が手を出せないような仕事を、魔族にまかせれば良いのだ。つまり、魔族を奴隷にする、ということだ。
魔族を奴隷にすればおおきな生産力になるはずだ。そして危険な魔族を管理下に置くこともできる。奴隷にできない魔族は、家畜にでもすれば良い。
サキュバスやインキュバスは、商人が買い取って、娼婦として使うことがあるが、おかげで性犯罪が減少したという結果が出ている。
そのかんがえを、イアはドボンに聞かせた。
ドボンは神妙な表情でうなずいた。
「まぁ、国家というのは、魔族を奴隷にすればすべて解決するというわけにもいかないだろう。それでも、悪くはないんじゃないかな」
と、当たり障りのない返答をした。
「ありがとうございます。魔族を労働力として扱うことに成功すれば、いずれは植民地を奪い合うような戦争もすこしは減るだろうと思っております」
「戦争はなくならんよ」
と、ドボンは諦観しきったように言った。
公爵の子息としてか、あるいはAランク冒険者としてかはわからない。ドボンのなかには、この世界にたいする諦観を抱いているようだった。
「かもしれませんね」
魔族を奴隷にして管理下に置く――というかんがえは、父親を魔族に殺された復讐心からできあがった産物であった。
健全な動機ではないことに、負い目を感じないわけではない。しかし、人間を奴隷にするよりかは、はるかに健全であるはずだ。
そしてこの構想は、世界平和にすら近づくものであると信じ込んでいた。
そこに――。
「伝令ッ」
と、ひとりの男が駆けつけてきた。
ドボンの前にかしずいた。
「どうした? 6魔将を討ち取ったか?」
と、ドボンが勝利を確信した笑みを殺しきれない表情で、そうたずねた。しかしイアは厭な予感をいだいていた。伝令の顔色が悪かった。
「いえ。6魔将をはじめとする、魔族たちの抵抗がはげしくなっております。5階層に突入した冒険者が、全滅させられました」
伝令の沈鬱な報告は、ドボンから笑みを奪うには充分だった。イアの心胆もスーッと冷えていくのを感じた。
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