◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アル。正座です」
「いや、生徒たちの前でそれはちょっと…………」
「正座です」
目だけ笑って、それ以外は無表情だ。一番怖い笑みである。
(一部が)和気藹々としながら教室に戻ると、楓恋がアルたちの帰りを待っていた。軽くコミュニケーションを図るためか、「どんな内容だった?」と生徒たちに質問した。
智景は、「基礎訓練でした」と低いトーンで話し、エリーゼもそれ以上付け足す情報がないため、苦笑いで質問を流す。
アクアは顔を合わせることすらしない。ここまででも楓恋は戸惑いを見せていたが、瑞羽の答えで大きく表情を変える。
「えと、えと…………楓恋せんせーのおっぱい?」
瑞羽のいいところと言うべきか。智景の情報とは違う情報を懸命に探した結果が、この「おっぱい」発言だった。緊張をしているようだ。
「あなたは子どもたちになんの授業をしていたんですか!」
おとなしく正座をするしかない。
「あまり変なことをし過ぎてそれが噂になりでもしたら、“特別魔法使いクラス”は常識がないって思われるんですよ!」
楓恋が憤慨している理由は、始まったばかりのクラスの評価が落ちることだった。
ただでさえ変わっていると思われているのに、これではただ単に非常識だったんだと思われても無理はない。
アルはともかく、一緒にいるのは女の子なのだ。同じ女である自分が配慮しなきゃと、楓恋は副担任に決まってから心に決めていた。
「昔の楓恋を思い出しただけだよ」
「昔のことって…………ま、まあそれなら今回は大目に見ます」
思いっきり照れている。この場を見ている生徒たちからしたら、デレデレでしかない。
とはいえ、昔に何があったにせよ、思い出していたのは楓恋の胸のことだ。
しかも焔から見ればにやにやする光景でも、生徒たちからすればちょっと恐い。
現在の楓恋の印象は、『乙女心を持った恐い人』である。
「ごほん。そんなに恐がらないで。ほら、アルっ」
「ああそうだな」
立つタイミングを見つけて立ち上がると、アルは何事もなかったように口を開いた。
「改めて紹介するけど、天城楓恋だ。君たちの副担任になる。回復魔法は俺以上の実力だぞ」
「このクラスは女の子だけだから、アルに相談できないことで頼ってね」
「面倒見がいいから、魔法以外のことでもどんどん頼ったほうがいいぞ。ちょっと細かすぎるのがたまに傷だけど」
「アルだってお節介じゃないですか。人のこと言えませんよ」
「もともとは違ったろ。楓恋のお節介が移ったんだよ」
「いいえ。昔は素直じゃなかっただけで、私以上にお節介でした」
夫婦か! と、誰もが叫びたくなるやり取りをする二人。
年頃の女の子たちからしたら、直視できない光景だった。居たたまれない。
「瑞羽ちゃん、またお姉ちゃんができたなぁ」
「うん! エリーゼお姉ちゃんのお姉ちゃんだね」
「そうやなあ。恐いけど頼りになるお姉ちゃん、っていうのもいいかもしれないわぁ」
どうやら、恐いというのは固定されたようだ。
まだ幼いアクアと瑞羽はまだしも、年頃の智景とエリーゼには助かる存在だろう。
「じゃあ俺はちょっと席を外すけど、その間に自己紹介を済ませといてくれ」
「生徒会に呼ばれていたんでしたね。せいぜい副会長殿の胸に興味がいかないことを祈っています」
「おいおい…………」
「冗談ですよ」
本気とも冗談ともつかない笑みでアルを送る楓恋だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
何度かため息をつきながら、アルは学院の廊下を歩く。
女は怖い。
これは、アルがずっと学んできたことだった。これから会う相手も女性であるため、アルは珍しく緊張していた。
心の中で何度目かのため息をしているうちに、アルは生徒会執行部室の前に立つ。
この学院を管理しているのは、教師でなく生徒会執行部である。
この学院においての教師は、ほとんど試験を出すだけが存在意義であり、基本的に生徒たちの自由な活動を校風としていた。
表立つことはないが、この校風は政府の意向だ。
この生徒会は、学院で力を持つ者のみが入ることを許されるのだが、力を持つ者といえど、マギステルとはまた違う。
政府に選ばれた生徒がマギステルなら、大勢の生徒に選ばれた生徒が生徒会執行部員だ。
「アルヴェルト・ラクウェルです」
「どうぞ」
扉をノックして名を告げると、中から凛とした声を思わせる女性の声が返ってきた。
「失礼します」
他の教室とは明らかに異なる装飾と家具が設置されている、ちょっと高級感が滲み出ている部屋。
部屋の中央から右側に、長い机と多くの椅子が置かれている。これらは会議のためのものであり、反対側には、一つの机と質の良さそうな椅子が一つずつ置かれていた。
ざっと普通の教室の倍ほどの広さだ。広大な空間を贅沢に活用していた。
「わざわざ足を運んでもらってすまない。内容が内容なので、ここ以外にベストな場所が思い浮かばなくてな」
リボンを片側に結びつけた長髪の女性は、奥の窓際からアルに近寄る。
帯刀していることに違和感が見られるものの、鋭い目つきと凛とした佇まいから妙に似合っていると思わせる。
それが生徒会副会長、柊刀華だった。
「なるほど。政府絡みですか」
どの教室にも防音の結界は貼られているが、この学院には特に安全な部屋がいくつかある。
マギステルの住む個室と、生徒会執行部室だ。
世界でも指折りに含まれる魔法使いに対して聞き耳を立てたり侵入したりするなど、罪を犯すのと同じくらい愚かな行為である。
「察しが良くて助かるよ。君を指名しての任務を預かっている。マギステルとはいえ、政府上層部からの直接指名は珍しいな」
「マギステルは政府直轄の代替組織みたいなものですからね。あなたも人事ではないはずですが? 【二刀神】のマギステル殿?」
生徒会副会長の柊刀華もアルと同じマギステルだ。
ゆえに、【二刀神】の二つ名が与えられている。
「私はまだたいした任務を請け負ったことはないさ。副会長という役職を考慮していただいているのだろう。実力の問題かもしれないがな」
冗談交じりの言い方をしながら、刀華はキレイな微笑を浮かべた。
百人が百人、刀華を美人だと評価するほどの容姿を備えているものの、笑みを含めた一つ一つの言動が、実に男前である。女性にモテるタイプであろう。
「あなたも、責任ある任務を請け負いたいと思うのですか?」
生徒たちに魔粒子の発生源を話している時と同じ顔だった。
その真剣な眼差しを前にしても、刀華は緩やかにした頬を戻さない。微笑を浮かべたまま、しっかりとした意思を伝える。
「責任ある任務をいただいたところで私にメリットはないさ。地位や名誉にも興味はない。私の今の仕事は、この学院を守ることだからな。現状に満足しているよ」
ここでやっと、アルは張っていた顔の筋肉を緩めた。
「どうやら、噂通りの方みたいだ」
「堅物とでも聞いていそうだな」
「いえいえ。常に真っすぐな意思を持っているという噂ですよ」
「それは嬉しい噂だな」
何度か笑顔を見せている刀華だが、本来、初対面では多くの魔法使いが刀華の覇気に押されてしまう。敵意や威圧ではない。それこそ、成し遂げようという強い意思が常に溢れているからだった。
「だが、そなたの噂は聞いたことがない。経歴が分からなければ、年齢すら不詳とされている。だからそなたに政府上層部から直々に任務が渡されるのは、むしろ納得ができたよ」
「たいした成果は上げていませんよ。守られてばかりの人生でしたからね」
「ふむ。だがまあ、生徒たちからしたら頼もしくもあり、恐ろしくもある存在となろう。せいぜい気をつけることだ。っと、話を元に戻そう」
刀華は制服の内側から封筒を取り出す。
肌身離さず持っているのも彼女らしい。
その封筒をアルへと、丁寧な手渡しをする。
「確かに」
「今どき直筆というのも珍しいな。封筒の字からも達筆でらっしゃるのが分かる」
ハッキングやウイルスなどで電子メールを警戒するにしても、電子メール以外の文体は魔粒子で作成するのが主流だ。
特定の魔力のみに反応する魔法による暗号化も可能であれば、腕を動かす動作が必要なくなる。イメージをしただけで文字を作成できるのが魔法なのだから。
魔法には個性が少なからずあるため、文字にも個性は表れるものの、パッと見はパソコンに打ち込んだのと変わらない。
「幼い頃は解読ができなかったほどですからね」
幼少の頃からの知り合いであることを匂わせるも、刀華は深く立ち入ることをしない。
アルはその場で開封し、中を確認する。
そして数秒目を通した後、手をパッと放す。瞬間、手紙は封筒ごと燃え尽きた。一瞬である。その手慣れた流れを見ても、刀華は何も言わない。
「このタイミングで…………か」
手紙の内容は、とあるテロ組織に対する殲滅任務であった。
内容そのものは普遍的なものであるものの、問題なのはタイミングだ。
アルがマギステルとなったのは依頼者も知っている。そのメンバーが特殊であることも知っているだろう。
故意に送ってきた意図が読めなかった。
「長期の任務であるなら、そなたのクラスの面倒を見てもいいが?」
「ああいえ、その必要はありません。数時間で片がつくと思いますし、生徒たちは連れて行くつもりですから」
「は…………?」
思わずだろう。間抜けにも口を開いてしまうも、刀華はすぐに表情を正す。
ここまで一切の介入をしてこなかった彼女だが、ここにきて疑問が無視できなくなっていた。
政府上層部からの任務が数分で済む?
生徒たちを重大な任務に連れて行く?
どれも、とても流せることではない。
しかしそれでも、刀華は質問を口にしなかった。さすがである。
「一週間後に行きますので、生徒たちの外出許可証の発行をお願いします」
「……もういろいろと不可解なことだらけだが、了承した」
「生徒会メンバーの一人があなたで良かったと思っているところです」
「我々が魔法使いと呼ばれるようになってから、他者の過去や任務内容に触れないのは常識のことだ」
「それを堂々と言えるのが素晴らしい。では、俺はこれで失礼します。生徒会長殿にもよろしくお伝えください」
アルにしても刀華にしても、ほぼ初対面の相手に随分と他愛のない話を続けていたほうだった。
思い出したかのように切り上げたアルは、身を翻して入り口へと向かう。
その後姿に向かって、今まで一切の質問をしなかった刀華が問うた。
「先ほど、守られてばかりの人生と言っていたが、今度は守る側なのだろう?」
芯を持っている彼女が、アルの唯一を確かめたかった質問。
その問いに対し、アルは扉を開けながらしっかりと答えた。
「もちろん」
刀華は何も言わなかった。
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