智景の焦燥感は、次第に憤りへと変わりつつあった。
翌日、智景はある種の期待感を持って教室へと足を踏み入れた。自分の不安を拭い去ってほしいと思うあまり、アルの魔法授業に多大なる期待を抱いていたのだ。
それが、智景にとっての細い糸だった。そしてホームルームで訓練場へ来るようにとアルから伝えられて、その気持ちはより大きくなった。
最初にアルが行ったのは座学である。
「とりあえず新入生の通過儀礼として、魔法そのものについて講義したいと思う。退屈かもしれないけど、間違いがあっちゃ困る内容だからな。我慢して聞いてくれ」
通過儀礼とはうまい言い方をしたものだ。
どんなジャンルにせよ、まず最初に行うのは概要の説明になる。小難しい理論を並べて、これから行うことへの心の準備を与える。
しかし、おそらくはまだ魔法について右も左も分からなさそうな瑞羽のためだろうと、智景はあたりをつける。
アクアは、一見興味深そうにアルを見つめているように思えるが、意識がアルの言葉に向いていない。アルを観察しているかのように見つめていた。
瑞羽は初めての授業に心を踊らせている。
エリーゼはそんな瑞羽の隣にいて、和やかな気持ちになっていた。
彼女たちは現在、実技服に着替えている。
普段の赤い制服にあまり変化を与えず、スカートをタイツでカバーした格好だ。制服よりもスカートが短く作られており、女の子のファッションに貢献する努力が見られる。
素材は普通の麻で、これらの衣服に魔法は一切かけられていない。何かのきっかけで魔法を解除された時に、その反動で裸にひん剥かれることもゼロではないためである。
「まずは魔法の仕組みからだな。すでに知っている人はきちんと説明できるか?」
アルは智景を見て言った。
「魔法とは、魔粒子で構成した現象の完成形のことを指します」
年長の智景は、どの教材にも書かれている概念をスラスラと答えてから、一旦言葉を区切る。そこから先を続けていいのか、無言で問いかけていた。
年長としての自覚を持ちながらも、不用意に出しゃばらない。協調性がなさそうな印象でも、もとの性格はしっかりしていた。
「続けてくれ」
「はい。魔法がなかった時代の人が想像していたものと、基本的な違いはありません。想像したことを具現化する、自由性の高い技術です」
ここは、瑞羽に合わせて智景がオリジナルに付け加えた内容だった。小難しく聞こえるのは仕方がない。
「ただし、私たちの身体の中にある魔力を用いて、空気中に漂っている魔粒子に命令を送る必要があります」
再度口を止める。
魔法の概念があまりにも抽象的過ぎるため、話を膨らませようとしたらどこまでも広がってしまう。いいタイミングで止めていた。
「うん、ありがとう。百点満点だな。簡単に言えば、魔力→魔粒子→魔法って流れだね。じゃあ次は、呪文について頼めるか、エリーゼ?」
「はい。人間は、想像したものを細部まで正確に表現できないことから、『呪文』を補助として使います。プログラム…………は難しいな。うーんと、呪文を言うことによって、魔粒子が自動で魔法の形になってくれるんよ。もちろん想像することも必要やけど、呪文があれば、それだけちゃんとした魔法が作りやすくなる」
幼年向けに説明するとなれば、意外に難しい。
しかしエリーゼの努力の甲斐あって、瑞羽はこくこくと頷いていた。イメージとしてなら、ある程度の理解にまで及んでいるようだ。
「ありがとう。エリーゼが説明しようとしていたけど、一般的な解釈としては、呪文とはプログラムのようなものだ。決められたコマンドを入力することによって、魔粒子が決められた動きをする。まあイメージとして、呪文があれば魔法が完成しやすいと思ってくれればいいよ」
「せんせー」
瑞羽はキレイな体育座りをした状態で、ピンと腕を伸ばす。
「お、質問か。なんでも聞いてくれ」
「まりゅうしは、どこから出てくるんですか?」
「いい質問だ。魔粒子自体は三十年前から発生しているけど、その発生源は今でも不明とされている。けどここだけの話、魔粒子は異界から流れ込んできているんだ」
大真面目な顔で言った。
魔法があれば異界もある――――なんて納得は誰もできない。
今でも魔法に関する研究は深くされているが、今までに異界なんてワードは一度も出たことがない。解明できない研究者が、自棄になって口をついて出すくらいである。
だが、なぜか智景だけ、表情を強張らせていた。
「あ、信じてないね。じゃあ人間が、なぜ魔力を宿せたと思う? 動物に魔力を持たせる実験は全部失敗している。人間だけが、害もなく魔力を受け入れることができた。不思議に思ったことはないか?」
「先輩の言う異界が本当にあるんやったら、その異界の住人とハーフだから…………とか?」
「いい線いってるね。だけど、異界の住人は関係ない。俺たちの体には、別の力が宿っているからだよ。智景の眼はその影響だ。おっと、理解はしなくていいよ。単なる雑学として聞き流してくれていい」
キラキラ瞳を輝かせている瑞羽は、すべてが新鮮だった。新しいことを知る楽しさを感じている。
その姿を見た智景は、言いたいことをぐっと飲み込んだ。
「他に質問はないか? ないなら、さっそく実技の授業に入りたいと思う」
アルの言葉に、全員が顔つきを変えた。期待感が誰の目からも受け取れる。
しかしアクアだけ、妙に嫌そうな顔をしていた。
「すごい期待しているところ悪いんだけど、やることは至極単純だよ。走りこみと魔力操作だけだ」
固まった。
笑顔が張り付いている。智景にいたっては、開いた口が塞がらない状態になる。
「もしかして先輩、熱血系なん?」
エリーゼも期待を裏切られた気持ちになったからか、ジト目だ。
アクアはなぜか、安堵を見せていた。
「俺は根性論は言わないよ。どちらかと言えば合理主義者だ。まあ説明はちゃんとするから」
智景には、アルが完全に信用できていなかった。その理由の一つが、ヘラヘラしていること。
アルの顔はいたって真面目であれば、ふざけた様子は微塵も感じられない。ただし、どうにも軽く感じる。
こちらの真剣さに気づいていないのか、ただ単に無視を決め込んでいるのかは分からないが、智景はそれが気に食わなかった。
「まず俺は、あまり座学をしない。実践で学べばいいし、予科の間は失敗してから理解すればいいと思っている。そもそも魔法はイメージで成功するものだから、小難しい理論は覚えなくていいんだよ。ちょっとずつ触れながら慣れていけばいい。というよりね、そもそも魔法の概念って、理屈抜きで超常現象を起こすことが基本の考え方だったはずなんだ。たとえば〈氷結魔法〉は、分子の熱振動を停止させて氷を作る。だけどその程度の事なら科学でも実現可能だ。レーザーだって、雷だってな。科学でできないから魔法なんだよ」
実際は魔粒子が熱振動を停止させる役割を担っているわけだが、そんなことまで考えて魔法を使う人はいない。
念じるだけで魔粒子が自動でやってくれる。過程で考えれば簡単な原理でも、見た目が普通ではあり得ないことだから魔法なのだ。
瑞羽には少々難しい内容だが、アルの言いたいことを感情で理解していた。
そこにあるのは、絶対の信頼。一片の疑いもない。
「難しく聞こえただろうけど、要するに、重要なのは魔力の操作だけだってことだ。理屈が必要な作業なんて魔法じゃないよ。それは科学の延長でしかない。と、語るのはこれぐらいにして、とりあえず魔力球を出してくれるか?」
魔力球とは、魔粒子を一箇所に集めるだけで完成する最も簡易な技術。
一番最初に家族が教える基礎の基礎であるため、瑞羽でもできるレベルとなる。
魔力で小さな球体を核として作り、そこに魔粒子をくっつけていくことで肥大化させる。油と火の関係と同じで、多量の油(魔粒子)を小さな火(魔力)に注ぐことで、元の火(魔力)以上の巨大な火炎(魔力球)を生み出す。
一番大きかったのはエリーゼだった。この中で群を抜いた大きさで、直径一メートルは軽く超えている。
瑞羽と智景は三十センチも膨らんでおらず、アクアはもっと酷かった。
「瑞羽の年齢でそこまでできるのはすごいぞ。御柳も、魔力球の大きさは魔力量に依存するものだ。人には得手不得手があるんだから気にするな」
的確にフォローを入れながら、アルは瑞羽と同じくらいの魔力球を作る。
「このまま属性を混ぜることはできるか?」
属性は、『砲撃魔法』などの威力に付加することができる。
つまり、魔法を発動するにあたって、すべては無属性の土台から構築する。
そこに属性を付加することで、属性付きの魔法が完成する。土台は魔力と魔粒子で構成されるものの、属性は魔力のみ。
その理由は、体の内に滞在している魔力が、周囲の自然エネルギーを無意識に吸収し続けることで属性が生まれるとされていた。
体との相性の問題で、扱いにくい属性、つまりは、吸収されにくい自然エネルギーがあるため、使える魔法が狭まってしまう人も多々いる。
これが、得意不得意に分野が分かれてしまう主な原因だった。
ただし高難度な『空間支配魔法』や『幻術』になってくると、単なる技術力の問題となるため、手先の器用不器用に分かれてしまうのとさして変わらない。
「ウチはできます」
エリーゼは雷を混ぜて、魔力球からビリビリとした音を発生させる。
「私も一応」
智景は魔力球そのものを火の玉に変えてみせた。属性付加速度が速い。
「ん」
アクアは自身の名前と同じ、水球に変えてみせた。しかし、すぐにボロボロと崩れてしまう。
残った瑞羽は、周りが簡単にこなしたことに焦りを見せる。なんとか念じて試すものの、そもそもやったことがないために、魔力球自体が消滅してしまった。
「慌てなくていいよ。これからその練習をするんだから。魔力球を含めた魔法もそうだし、属性付加もそうだけど、これらを行うには何をしている?」
「えっと、えっと……………………………………まりょくそうさ?」
せめて質問には答えようと、瑞羽は一生懸命に記憶から掘り起こす。
答えるのに時間がかかったが、それまで周りも気持ちを汲んでいた。
「正解。君たちには、まず魔力操作の向上から取り組んでいく。だから今のその感覚を忘れないでほしい。っと、もう消していいぞ」
「ちょっと待ってください! 魔力操作の向上が必要なのは分かります。でもそれは自室でもできますし、もっと他にするべきことがあるのではないでしょうか?」
「君の魔力操作は見事だったからね。言いたいことは分かる。だけど御柳がさっき説明したように、魔力あっての魔法だ。魔力操作が魔粒子の扱いに繋がるし、その魔粒子がそのまま魔法の完成度に繋がる。魔法の上達に上限がないとするなら、魔力操作の上達にも上限はないんだよ」
抽象的で、単なるイメージの問題でしかない。
智景は基礎を徹底的に磨きあげた。どんな訓練にも対応できるように。
そして魔力操作の大切さを知っている智景は、それこそ中心的に鍛錬を行っていたのだ。時間の無駄としか思えてならなかった。
「ウチは苦手やから望むところやね」
「みずはも!」
「どうでもいい」
つまりは、彼女たちができないからそれに合わせているだけなのではないか。智景はそう結論に至る。
「じゃあまずは、魔力を練り上げることから始めようか。最初は座ったほうがいいかな。壁を出すから、そこにもたれるといい」
長いので分割させていただきます。
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