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教員室や生徒会がある二階。そして三階以降に教室がある学院のエントランスは、大聖堂を思わせるような神聖な造りになっている。
白い柱が髙くにある天井を支え、四体の天使をモチーフにした白い像が中央を見守っている。
とはいえ、所詮は学院のエントランス。中は賑わいが絶えず、洒落た椅子とテーブルの他にも、売店や、魔粒子によって構成された映像が間断なく学院関連のお知らせを流していた。
今も画面には、『四月二十三日発の任務にて、本科の金田悟さんが重症。幸い命に別状はないものの、復帰するのは厳しい見込みである』という旨が流れている。
その映像を見ていた生徒は、おそらく金田悟の知り合いだろう。口元を手で覆い、一目散にエントラスを出ていった。
その様子を眺めていたアルは、哀愁漂う瞳で天使像の一つを見つめる。自分も覚えのある光景だったため、他人事ではなかった。
「初めてのクラスはどうだったよ、アル先生?」
懐かしんでいる時には最悪の一声だが、沈んだ気分の時にはありがたくもある。
ウザいほど見慣れたいやらしい笑みと共に、十字架のペンダントを揺らしながらやってきた焔は、開口一番にからかいの言葉を放ってきた。
教室近くで待ち伏せをせず、エントランスで声をかけてきただけマシなのかもしれない。
喧騒にまみれた空間であるため、どんな会話をしても人の耳に留まることはそうそうない。
「なかなか面白い子たちだよ。魔粒子が視える眼の持ち主に、あの方の血筋を持つ子と穢れが一切見られない子ども。それに……………………まあ滅多に見られない集まりだね」
「ま、変わり者には実力者が多いからな」
最後を渋ったことに気づかないフリをして、焔は軽快な口調で言った。
「それは自分のことを言っているのか?」
人間、軽口を叩ける相手は貴重な存在である。
人付き合いのほとんどは表面的なものでしかない。しかもアルと焔は友人が極端に少ないため、互いの存在は、もはや長年の相棒と言っても過言ではなかった。
「アル!」
雑音と人ごみで埋った空間でも、アルをすぐに認識して声をかけてくる女性がいた。
身長は低めながらも、メガネをかけた知的美人の印象を受けるその女性は、アルのそばまで早足に駆け寄ってくる。
途中、揺れる胸にか鼻腔をくすぐる香りにか、何人もの男がすれ違いざまに振り向いていた。
「楓恋。体調はもういいのか?」
アルと焔の数少ない友人の一人である天城楓恋もまた、友人がとても少ない。
中指に指輪が嵌まっている左手で上下する胸を抑えながら、すうっと息を吸ってゆっくり吐くことで乱れた呼吸を落ち着かせる。
「そんなに心配されることじゃありませんよ。それよりクラスのほうはどうでしたか?」
やや心配性なところがある楓恋は、アルが担任を持ったと焔に聞いてからずっとそわそわしていた。
妙なクラスの担当にさせられたということで、なおさら不安が募るのを抑えきれるものではない。
「それこそそんな心配されることじゃないと思うけど。まあ一応、副担任には報告したほうがよかったのかな?」
「クラスの子たちはみんな女の子なんですよね? アルは女性の扱いに慣れてないところがあるから心配で」
「君もそっちの心配か」
「冗談ですよ。でもホントのところ、大丈夫でしたか?」
あまり冗談を好まない楓恋が冗談を言うのも、この二人が相手の時だけである。
「難しい組み合わせに難しい子たちだったよ。昔の俺たちに似ているな」
「なんたって、『特別魔法使いクラス』だからな」
アル、焔、楓恋が予科生だった時に在籍していたクラスが、『特別魔法使いクラス』であった。
問題児を一ヵ所にまとめたクラスであり、その時のマギステルもまた、異色の魔法使いであったのだ。
『予科』とは、入学仕立ての生徒が二年間魔法を勉強するところである。
任務が主ではないが、担任である『本科』の生徒が引率して簡単な任務に赴くことがある。研修生に置き換えてもいい。
そしてマギステルを含む『本科』というのが、『予科』を卒業した生徒のことであり、任務が基本となる学年である。
その中で政府から選ばれた六人の生徒が、『予科』の担任として任務に付き添う。魔法使い養成所の中でも頂点に立つ、聖学院ならではのシステムだった。
その学院に入学する条件は、潜在能力の高さに限られていた。
知識がなくても、魔法が素人でも、数人の魔法使いと精密な機器によって潜在能力が高いと認められれば、誰でも入学できる。瑞羽がその証拠である。
「あの時は焔と先生がいたから雰囲気は悪くなかったですけど」
そこまで言って楓恋は、ジッとアルを見る。
身体は小さくとも出ているところは出て、引っ込んでいるところは引っ込んでいるというなかなかのスタイルに加え、顔もキリっと整っている。
秘書が似合うメガネ美人であり、きつい物言いながらも、時折見せる女らしさを知っている男が彼女に言い寄るのも少なくない。
普通の男がそんな女性に見つめられるだけで臆してしまうのは、むしろ当然の反応と言える。
「目がちょっと充血してるな。ちゃんと寝たか?」
アルは、逆に観察するぐらいである。
「もうっ、私のことはいいんです! アルは優しいですけど、子どもたちには少し解放するぐらいがいいと思いますよ」
「アルがはっちゃけたら気持ち悪いと思うぜぃ」
「あなたみたいになれとは言ってません!」
「俺も御免だ」
「相変わらず、お前らは揃ってるとキツイな」
夫婦顔負けのコンビネーションと評価する。
二人が焔を罵倒すると、その息の合った仲に対していやらしい笑みを浮かべてくる。決してマゾなわけではない。
「とにかく! 無理をする必要はありませんよ。アルはアルのやり方で接すればいいんです。それに、アルのクラスには私がいます」
「さすがに正妻は言うことが違うぜぃ」
「茶化さない! 私は副担任として言ったまでですから!」
「それはありがたいけど、本当に身体のほうは大丈夫なのか? あの子たちのサポートは、少しハードになると思うぞ」
楓恋は、『特別魔法使いクラス』の副担任である。
マギステルに任命されたのは、今から二週間ほど前のこと。
マギステル=クラスの担任であることから、楓恋はいの一番に副担を立候補してきた。
クラスの副担任は、担任であるアルが指名することができる(いなくてもよい)ことから、真摯に頼まれたアルに断わる理由はない。
とはいえ、アルには楓恋を心配する理由があった。
楓恋は、身体があまり丈夫ではない。
身体が弱い楓恋には厳しいのではないだろうかと、アルは少し早計だったかもしれないと、密かに考え直していた。
しかしそういうことを言うと、楓恋は必ず怒る。
「まだそういうことを言うんですか? 私は大丈夫です」
「夫が妻の心配をするのは当然だぜぃ。女は甘えるのが重要だ。じゃないと男はすぐ飽きる」
「少し黙ってて!」
「黙ってろ」
「ホント、俺には厳しいな…………」
それでも心に傷を負った様子はない。打たれ強いのではなく、このやり取りを一人で楽しんでいた。
「そりゃあアルに心配してもらえるのは嬉しいですけど…………でもだからといって甘えてばかりというのもですね…………」
これが、楓恋の女の顔である。アルに対してしか見せないため、世の男はアルに敵対心を抱く。それが友人の少ない理由なのかもしれないほどに。
焔からすれば、普段キツイ物言いの人が突然デレるのは、立派な萌え要素。ツンケンしているわけではないのでツンデレでなく、いわゆるキリデレ。それを自然とやっているのだから、からかいのネタはつきない。
「私がアルの副担ではダメですか?」
相変わらずの攻め口調。しかし、懇願するような揺れる瞳を見せられては、断ることなんてできなかった。
「いやまあ、ダメなんて言ってないけど」
「じゃあいいですよね?」
「…………分かった」
客観的に見ればヘタレとも捉えられる。
楓恋は横で笑いを堪えている焔を一度睨み、咳払いをしてから話題を変えた。
「そういえばみんな女の子なんですよね? それに比較的年齢が低いみたいだから、いつも通りで大丈夫だと思いますよ」
「ま、子どもに手を出して楓恋に殴られねえよう気を付けるんだな」
楓恋はキッと焔を睨んでから、なぜかアルにも睨みつけた。どうやら冗談ではないらしい。
「そこは信用してくれないと、なんかショックだぞ」
「す、すみません。そうですよね。そもそもアルは鈍感だから、手を出すとか以前の問題でした」
「…………それはそれで複雑だな」
「俺が手を出すのは楓恋だけだぜ」
キリッとした口調で、焔はアルの背後で勝手にアルのセリフを代弁する。
焔が言ったことだと分かっているはずなのに、楓恋は顔を紅潮させて…………。
「ば、バカなことを言わないでください!」
満更でもないようだ。
「一応言っとくけど、今言ったのは俺じゃないからな?」
それでも、終始頬が緩みっぱなしの楓恋であった。
「きっと脳内再生しまくりだぜぃ」
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