敵は三十階建てのビルの十五階を占拠している。
屋上からも自由に侵入できる構造の真ん中に位置している理由は不明だが、敵は魔法使いではない。
魔法使いでない者たちの共通点は、魔法の才能が乏しい点だ。ゆえに魔法使いに対して、憎しみや嫉妬に近い感情を抱いていることが多い。
「これがあのアルヴェルト先生だと言うの…………」
アルの表情は、今まで生徒たちが見たことのないものだった。
明確な殺意。
たとえば殺人者が人を殺そうと決意した時でも、ここまでの気迫は出せないはずだ。
強い意思と、成そうとする確固たる覚悟。
生徒たちはアルの“何か”に身震いを起こしていた。
「アルの行動のすべては、誰かを“守る”ことよ」
「だが、人を守るには大きな力と犠牲が必要だ。成そうとする覚悟と切り捨てる覚悟が必要なんだ。あれほどの強い意思を持った魔法使いは、なかなかお目にかかれるものじゃない。お前たちは運がいい」
ふざけた調子を完全に隠し、焔は無の空気を纏った状態で説明する。
空気が、わずかに熱く感じられた。
アルは静かに、でも堂々とオフィスの廊下を歩く。
ひっそりとした清潔感ある空間には、置物が一切ない。カーペットが敷かれていなければ、電気も必要最低限しか取り付けられていなかった。
実に奇妙である。
「なぜやつは警戒する素振りすら見せていないんだ?」
「そういえばさっき、敵の人数も把握しとったね。それと関係があるんやろか」
「ここから見るものは、お前たちの常識を遙かに越えるものだろう。黙って見ているんだ」
アルは突然ピタリと動きを止める。
十字路に差し掛かる手前だ。人が二人横に並べるくらいの幅の廊下でも、道が四つに分かれていれば十分広く見える。
「さっそく気配を感じ取ったな。おい、そこの通路にカメラを切り替えろ」
焔に命令された責任者は渋々と画面を操作する。
完全武装した二人の男が、両脇からアルを攻撃するタイミングを見計らっていた。
立ち止まり続けるアルを察した二人は、自分たちの存在が気づかれていると判断。跳弾を利用して、二つの手榴弾がアルを左右から挟み込むようにして放られた。対してアルは、その二つを容易く掴み、握り潰す。潰す際、小さな結界で爆発を閉じ込める。
そのままアルはゆっくりと歩みを再開した。お互いの姿が確認できる位置にまで到達すると、今度は二つの銃口がアルに向けられていた。瑞羽が目を瞑っている間に、アルは二人をノックアウトさせる。続けて右手人差し指を前方に伸ばし、天地に蛇行する雷を放つ。遠くから狙いを定めていたテロリストに直撃した。
「動きが残像を残すほど速い…………!」
さすがのアクアも思わず言葉を漏らしてしまう。
「【放出型】一つをとっても最高峰だわ。無詠唱が当然みたいですし」
智景の眼には、アルの魔力に命じられた魔粒子の動きが鮮明に見て取れた。
ざわつきが一切なく、まるで最初からアルの支配下だったかのように命令に従っていた。
「ほうしゅつがたって、魔法の種類だよね? むえいしょうって?」
「さっきのは『閃なる雷』って魔法だ。【放出型】の〈雷撃魔法〉では中級レベルだな」
「『無詠唱呪文』と言って、これは『呪文短縮』という分類に含まれるの。長い呪文を短くする技術ね。無詠唱は完全にショートカットした技術のことよ。素早く発動できる利点と、威力が下がる欠点があるわ。アルは敵を殺さないようにしていたから、詠唱をしないくらいがちょうどいいのよ」
『浮遊魔法』は重力魔法の枠内にあり、【放出型】という大きな括りの中には、『砲撃魔法』というものがある。
「だが、こんなことはその辺の魔法使いでもできる。アルはお前たちに授業をしながら敵を殲滅していると思え。ここまでは基礎知識レベルだ」
動きが速い。無詠唱で放つ。洗礼された魔粒子の動き。
こんなことはできて当たり前だと焔は言い切る。
生徒たちの心に期待はなかった。そんな気持ちを忘れ、このハイスピードな戦闘を少しも見逃してはならないと緊張していた。
「せんせーの右眼が白くなっているのはなんでなのかなあ」
アルが魔法を使いはじめると、途端に右眼が白くなって輝いた。ほとんど銀色に近い。
「アルは右眼に全魔力を集中させているのよ。だから『幻術』にかけやすく、かかりにくい」
「デメリットが大きいように思えるかもしれないが、その理由はこの先を見ていれば分かる」
基本的に魔法使いは、体内の心臓部分に魔力を集中させている。
無意識に心臓を守るようにして配置している。加えて身体能力強化を行う際には、必要な部位に魔力を送る必要がある。
身体の中心に置いておくことで、素早く移動させられるのが利点だ。つまり右眼に全魔力を集中させると、身体能力強化における魔力の移動速度がわずかに劣ってしまう。
高位の魔法使い同士の戦闘でこのマイナスは大きい。
「はい」
アルの行いにはすべて意味がある。たった数秒の間で、そう思えるほどの衝撃を受けていた。
そうこうしているうちに、アルは階段を上がっていた。誰とも遭遇する気配はなく、アルも警戒の様子は見せていない。
「なんで先輩は敵の位置が分かるんやろか」
「そういえば先ほど、焔さんは気配を感じ取ったとおっしゃってましたね」
「鋭いな。“気配察知”というんだが、その説明をする前に、この後の戦闘を見ていろ」
十五階に到達したアルは、ちょうど影になっている角に身を隠し、“気配察知”で相手の様子を伺う。
人質の救出が最優先であるため、人質と犯人グループの位置関係が重要となる。
万が一にも流れ弾や爆風が当たらないためにも慎重に慎重を重ねるのだが、ここで予想もできないことが起こった。
ピンッと、針を弾いたような音の一秒後に、アルの目の前でコロコロと手榴弾が転がった。
正確で手際の良い動作。その辺の魔法使いよりも、優れた戦闘能力を垣間見せる。
さらに破裂と同時に、中から爆発代わりに無数の針が勢いよく飛び出す。しかも先端に毒が塗られていた。
魔法使いなら防御壁を展開して軽々防げるが、たった一本がかすめただけで致命傷になる。アルは毒が塗られているとは知らないが、塗られていることを前提に動いていた。アルは、伸縮硬軟が自由なマントで身体を包ませてそれを防ぎきる。
勢いが収まったことを確認すると、アルはマントに刺さった針を払って躊躇なく角から飛び出した。そんなアルを待ち構えていたのは、六つのマシンガンの銃口。間髪入れずに蜂の巣にすべく、容赦なく放たれた。合図もなく、まるで機械のように無言で銃口を向ける。アルは縦横無尽に移動することで銃口の正面を避け、それでも避けられない弾は素手で受け止めていた。
その時、チラッと人質たちを確認する。全員が濃い色のスーツでぎっしりだが、特に怪我はないようだ。
この恐るべき反射神経と度胸に、敵は驚きを隠せない。
そして後ろで控えていた一人の男が、懐から閃光弾を取り出して投げた。閃光が部屋を包み込み、男たちはゴーグルを装着する。
なんの合図もなしにそれらの動作を行っていた。アルが視界を塞がれている間にも容赦ない攻撃が続く。しかし“気配察知”の前で目が見えないなんてことは、何の意味も持たない。
「ん?」
突如、周りの空気が一変する。
魔法使いにとって、酸素と同じくらい当たり前に感じる魔粒子が完全に消滅していた。
アルは賞賛の意を込めて、「見事なタイミングだ」とつぶやく。
魔力抑制器、通称マジコンは、その名のとおり魔力を抑制する装置だ。
基本的に周囲の魔粒子を消滅させる役割を持つのだが、人がその身に宿している魔力までには影響が及ばない。魔力の枯渇はそのまま死へと繋がりかねないので、それでは使用者もタダですまないからだ。と言っても、魔粒子がなければ基本的に魔法は使えず、肉体強化も大幅に低下してしまう。
それでもアルは「マギステルを舐めるな」と、衰えのない速度と威力をもった拳で右眼の輝きの軌跡を残しながら、フロア内にいるすべてのテロリスト集団の意識を十秒とかけずに奪った。
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