やきう

下畑の場合⑪

公開日時: 2022年9月25日(日) 09:49
文字数:2,119

 長打が怖い。

 サードランナーを気にしすぎるとホームランを打たれた時のようになってしまう。

 バッターは代打の曲者『代打の神様』だ。

 速球にはついていけなくなっていると言うが、決め打ちすればストレートでもまだまだ打てる。

 面倒臭いのは速球を待っていながら変化球を当ててくる事だ。

 憎たらしいのは俺に対しては徹底してストレート待ち、という事だ。

 つまり俺くらいのストレートなら「急速差もそれほどでもないし、ストレートを待っていれば打てる」と思われているのだ。

 どの球種でも抑えられない。

 コースで抑えるんだ。

 よく「裏をかく」などと言う。

 俺も「相手が予想してないであろう」コースに「相手が予想してないであろう」球種を放る事がある。

 しかし、それは最低限に止めている。

 それが通用するのは日本の野球に慣れていない外国人、もしくは野球で飯を食い始めて日の浅いルーキーだ。

 このバッターのように酸いも甘いも知っている『いぶし銀』と呼ばれるような大ベテランにはほとんど通用しない。

 何故なら『裏の裏』は『表』だからだ。

 裏をかいたくらいじゃベテランには読まれる。

 『裏の裏』をかいたって、正攻法となんら代わりはない。

 ベテラン相手に俺みたいな若造が駆け引きで勝負を挑むのは10年早い。


 凪本さんが言っていた。

 「何で引退するかわかるか?」

 「『体力の限界』ですか?」

 「まあ、そうだな。

 若い頃1日で抜けた疲れが、一週間経っても抜けなくなる。

 でもそれが引退の原因にはならないんだよ。

 確かに歳を取ったらレギュラーじゃなくなる事が多いな。

 どんな守備の名手でも最後は代打で現役生活を終える事が多い。

 代打であれば、そこまで体力が必要ではない。

 勿論、練習もするし全く体力が必要ない訳じゃないが」

 「なるほど。

 代打をつとめられるウチは引退する必要はない、と。

 じゃあ何で引退するんですか?

 身体能力が落ちるからですか?」

 「確かに身体能力は落ちる。

 でもな、それに抗うんだよ。

 ウェイトトレーニングをしたり、走り込んだり。

 あくまで俺の話だがベンチプレスで、晩年の方が若い頃より重量上げれたんだぜ?」

 「『アンチエイジング』ってヤツですか」

 「それとはちょっと違うかな?

 若い頃怪我で長期離脱したヤツの全盛期って遅くにくるんだぜ?

 結局ピッチャーだけじゃなく、野手も消耗品で使い続けるとガタガタになるのかもな」

 「何か身につまされる話ですね」

 「・・・って、そんな事が言いたかった訳じゃないんだよ。

 何が原因で引退を決断するか、だ。

 二つ引退を決断する要素はある」

 「三つですか?」

 「一つはさっきも話した『回復能力の減退』だ。

 疲れも筋肉痛も取れなくなってくる。

 そして何より厄介なのは故障が治りにくくなってくるんだ。

 お前も知っての通り、プロ野球選手は誰でも一つくらい小さな故障を隠している」

 「それは・・・まあ・・・・」

 返事のしにくい話だ。

 確かに俺も左足の第一指に違和感を抱えている。

 でも「あそこが痛い。ここが痛い」と言っていたらせっかく巡ってきたチャンスを逃してしまう。

 気になる時には足の指をテーピングでグルグル巻きにする。

 本当はトレーナーに相談すべきなのだろう。

 しかしチャンスが次いつくるかわからない。

 パリーグで現在監督をしている元メジャーの外野手は試合中の肉離れすら隠していたという。

 「二つ目は『反応速度の減退』だな。

 三つ目は二つ目と関連して『動体視力の減退』だ。

 咄嗟に反応してカット出来たはずの球で何故か空振りするようになる。

 最初は小さな違和感だ。

 『ポカをした!』なんて思ったり。

 だが同じような凡退が続いた時に気付く。

 『あぁ、反応出来なくなってる』と」

 「それで引退ですか?」

 「そんなに諦め良くないよ。

 それで『老いを受け入れる』んだ」

 「具体的には?」

 「反応では打てない。

 でも若い頃にはない、そこまで積み上げた莫大な経験値がある。

 『こういう場合、どの球が来る』か経験で大体わかる。

 『この球種を待っていれば、あの球種にも反応出来る』と言うのも経験で知っている」

 「『ヤマを張る』って事ですか?」

 「大まかに言うとそうだ。

 だが『一か八かの勝負』じゃない。

 『経験から来る勝てる可能性の高い勝負』をするようになったんだ。

 だがそれにも限界がある。

 その勝負にすら勝てなくなってくる。

 その時に引退を決断するんだ」

 「なるほど。

 ・・・で、何でそんな話を俺にしたんですか?」

 「お前、今日のファーム戦でベテラン選手に打たれてたよな?」

 「・・・はい、すいません」

 「別に責めちゃいない。

 何で打たれたかわかるか?」

 「コースが甘かった・・・」

 「それもあるだろう。

 ただ、アイツは明らかにストレート一本だけを待っていて変化球は全てカットしていた。

 そこに甘いコースにストレートを投げ込んでレフトスタンドにホームランを打たれた」

 「すいません・・・」

 「責めちゃいないってば。

 ベテランはヤマを張るしかないんだ。

 ベテランの張ったヤマ通りの球を投げるな。

 特に『その球しか打てない』引退寸前の選手相手に『その球』を投げ込むな」


 おそらくストレートを待っている。

 そして変化球には手を出さず、追い込まれたらカットしてストレートが来るのを待つだろう。

 つまり変化球でツーストライクまでは取れるはずだ。

 

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