やきう

下畑の場合⑥

公開日時: 2022年9月17日(土) 11:04
更新日時: 2022年9月17日(土) 11:07
文字数:2,140

 内野を越えても外野手の守備位置が極端に浅いのでポテンヒットは難しそうだ。

 しかし、外野の頭を越えれば長打になりそうだ。

 相手のピッチャーは右のサイドスローだ。

 三番、四番、五番と右バッターが続くので右腕ピッチャーを投入されるのは当たり前といえば当たり前だ。

 持ち球はカーブ、シュート、チェンジアップ、シンカーと多彩だ。

 狙い球は確かに絞り難いが、空振りの取れる球が少ない。

 つまりバットには比較的当てやすいピッチャーだ。

 空振りを取るとすれば大きく縦に割れる球、チェンジアップかシンカーだ。

 カーブとシュートはカウントを稼ぐ球か『打たせて取る球』だ。

 ある意味敵と味方で利害が一致している。

 「一点は取りたい」立場と「一点で抑えたい」立場だ。

 つまり相手は『大怪我はしたくない』

 高めには投げたくない。

 内野にゴロを転がさせたい。

 出来ればホームゲッツーが取れれば言う事はない。

 空振り三振だったら更に言う事はない。

 キャッチャーが『低めに、低めに』というポーズを取る。

 頷いたピッチャーが第一球を投げる。

 外角低め、ギリギリワンバウンドしなかったスローカーブをピッチャーが投げる。

 しかし森上さんはそのボールを見逃せない。

 森上さんは大きく空振りをしてヨロついて膝をついた。

 森上さんは「しまった!」という顔をしている。

 『低めの変化球狙い』というのがバレてしまったからだ。

 相手キャッチャーがニヤリとする。

 キャッチャーがサインをピッチャーに送る。

 ピッチャーが頷く。

 ピッチャーが第二球を投げる。

 内角高めのストレートだ。

 しかし森上さんはこの球を待っていたのだ。

 先程の「しまった!」という顔は演技、食えない男だ。

 腕を折り畳みレフト方面に引っ張りフルスイングした。

 読み通りのコースで球種だ。

 しかし森上さんが思ったより球威がある球が来たせいで、どん詰まりの球がレフトへ上がった。

 普通にレフトの守備範囲のはずが極端な前進守備のせいでレフトの助っ人外国人が慌てて後退して捕球した。

 サードコーチャーが両手を前に出し、『止まれ!タッチアップするな!』というジェスチャーをする。

 しかし俺はそれを無視してレフトが捕球すると同時にスタートした。

 「止めろ!暴走だ!」サードコーチャーの大東さんが怒鳴る。

 勿論、何も考えずに暴走する訳じゃない。

 ①レフトの捕球体勢が悪く思い切りレフトがボールを投げられないと思った。

 ②レフトの助っ人外国人は本当は一塁手だ。レフトの守備は正直下手だ。特にスローイングが致命的に悪い。

 ③とにかくこのイニング、もう一点は欲しい。

 山なりのボールがホーム目掛けて投げられる。

 ボールは山なりだが、ストライク投球だ。

 やはり無謀だったか・・・。

 これは明らかなアウトだ。

 苦し紛れで俺はスライディングする。

 キャッチャーはホームベースを跨いでいる。

 少しキャッチャーと交錯するが『激突』というほどではない。

 判定は当然アウト。

 監督が何故かリクエストを要求する。

 何でリクエストを要求するんだろ?

 こんなの明らかなアウトだろう?

 審判が引っ込みリクエストの協議に入る。

 こんなの協議するまでもなく、アウトだ。

 ・・・のはずなのに中々審判達の協議が終わらない。

 「何を長々と協議しているんだろう?」と俺は首を捻る。

 ようやく審判団が協議を終え、出てくる。

 そして主審がマイクを握る。

 「協議の結果、キャッチャーがホームベースを跨ぎ、片膝をつき腰を下ろしていたのでコリジョンを適用しサードランナーのホームインを認めます。

 そしてキャッチャーには警告を与えます」レフトスタンドのワイバーンズファンが歓声を上げる。

 3-2。

 一点差だ!

 そして岡森さんが抜け目なく、バックホームの間にセカンドからサードへタッチアップを決めている。

 ツーアウト一、三塁だ!

 そしてここで大不振の『悩める主砲』アニエルだ。


 ちょっと前に通訳を通じて「アニエルってキューバでどういう意味?」と聞いた。

 アニエルは嫌な顔一つしないで「『アニエル』って言うのは英語でエンジェル、つまり天使の事なんだ」と教えてくれた。

 当時の俺はまだ19歳。

 クソ坊主だった俺が何でそんなことを聞いたかと言うと、会話のネタがなかったからだ。

 それくらい当時の俺は人見知りが激しかったし、無礼に映ったはずだ。

 なのにアニエルはガキの質問に全く嫌な顔をしないでニコニコと答えてくれた。

 アニエルは温厚だ。

 怒っているところを見た事がない。

 そのせいで『闘争心が薄い』なんて言われてしまうこともある。

 そしてスランプ時が長引くのも特徴だ。

 本来『夏男』と言われているアニエルの8月の不調は酷いものだった。

 アニエルは短い間、アメリカでもプレーしていたが、キューバのナショナルリーグでプレーしていた時からあだ名で『アビオン』と言われていた。

 アビオンとはキューバで使われているスペイン語で『飛行機』という意味だ。

 アニエルの打つ打球の弾道は『飛行機』に喩えられるくらい鋭く飛距離が出る・・・調子の良い時は。

 そのアリエルがスランプだ。

 ヒットも出ていない。

 ましてやホームランなんて一月近く出ていない。

 アニエルのファースト守備は悪くない。

 打てないからと言ってアニエルをスタメンから外す選択肢はない。

 だがファンの一部から『四番からアニエルを外せ!』という不満が噴出している。

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