桃源の乙女たち

星乃 流
星乃 流

公開日時: 2021年9月8日(水) 17:03
文字数:3,066

 十四番は今まで印持ちを惨たらしく殺してまわってきた。だが、ライラのときだけはそうせず、刻印を宿した左手そのものだけを持ち去っていった。それは何故か。

 ラスタには前日のレミたちへの襲撃の後から気に掛かっていたことがあった。二画ですら強力な刻印、それを十画もその身に宿し行使して、体に負担はないのか。エリンから十画と聞いたときから疑問に思っていた。――おそらくその通りだったのだろう。

 レミとの激しい戦いではきっと刻印の力をかなり引き出していたはずだ。その後、力を使い過ぎた反動にさいなまれ、ライラのときは慎重になった。だから直接刻印を奪うことはせず、それの刻まれた「手」だけを切り落として持ち帰った。そして氷漬けにでもして保存し、いざというときの切り札として取っておくことにした。――そう考えると辻褄が合う。

 確信に至る根拠は何もなかったが、その推察は正しかった。ぎりぎりではあったものの、賭けには勝った。幾重にも幾重にも策を重ね、言葉で煽り、より敵の意識が攻撃的になるように誘導する。そしてできる限り多くの力を無闇矢鱈むやみやたらに使い続けさせる。問題は奴の体にガタが来るのが先か、こちらの策がすべて潰えて詰むのが先か。

 最終的に賭けには勝った。本当にすんでのところだったため、正直死を覚悟した。心の中で先にライラに謝りもした。だが、勝った。――はずだった。

 ラスタは今、自室の寝台の上に、身体中あちこちに、ほぼ全身に包帯を巻かれた状態で寝かされている。薬を塗りたくられて療術も受けて、とりあえず処置は一通り終わっていたが、全身の至るところがまだひりひり、ずきずきと痛む。本当にその身はぼろぼろだった。今となっては、なぜ動けていたのかラスタ自身にも分からなかった。十四番に化物呼ばわりされたのも当然かもしれないと、自分でも思った。

 あの戦いの最後、ラスタは勝利を確信し最後に刻印を奪い取ろうと、まずは刻印を剣先で傷つけ、それで駄目なら本当に腕ごと切り落としてやるつもりだった。

 だが、地べたに崩れ落ちた黒衣に向かって歩み寄ろうとした時、何かがラスタの胴に突き刺さった。限界を越えた先に勝利を確信し、ようやくささやかな安堵を覚えた直後の凶弾だ。さすがにもう、意識が持つはずもなかった。

 ……母曰く、戦場となっていた領域の外から現れた新たな黒装束が、氷の刃を打ち込んできたらしい。その術者はまたもや全身を黒布で包んでいて顔は分からなかったそうだが、それ以上ラスタに手を出すことはなく、十四番だけを抱えて何処かに消えていった、と。

 何故それを母が知っているのかとラスタが訊くと、そもそも彼女は戦いの始まる前から、ずっとラスタのことを遠くから視ていたらしい。

 ラスタの母は「光と風の奇術師」と称される風変わりな天才――異才だ。ラスタの「霧の虚像」も母譲りの技を応用したものだった。彼女はその他にも遠くの景色を――並の視力では識別できないほど遠くの景色すら、光術の力を介して視ることができる。その原理はラスタにもさっぱり分からなかったが、里の者たちには「千里の目」などと呼ばれている。同じく風術の力を介して遥か遠くの音を、声を拾うこともできる。これも「千里の耳」などと呼ばれている。

 千里をも見透かす目と耳の持ち主。それは尊敬もされたが、それ以上に恐れられた。いつどこで何を見られて、何を聞かれているか分からないのだから。本人にそんな気がなくとも、周囲の人々はそう思ってしまう。それ故、優れた術者でありながら、多くの人々に敬遠されていた。奇術師という異名も正統派の術者でないことに由来する。

 そんな母故、ラスタがこっそり屋敷を抜け出したところで既に気づいていて、一連の戦いも遠方よりすべてを視ていたそうだ。

 ラスタは母に訊ねた。助けよう、もしくは止めようとは思わなかったのか、と。

「我が子が自ら決めたここ一番の正念場に、水を指すのは無粋よ」

 決してないがしろにしていたわけでもなく、愛情をもって育てた娘が自ら死線に身を投じたというのに、こうも言い切れる。そんな母には本当に、一生敵わないとラスタは改めて確信した。

 それはともかく、結局十四番の正体はわからないまま。それどころか奴を助けた何者かが出現した。ラスタの母の千里の目も遮蔽物が多いと追跡は困難であり、千里の耳も風を頼りにしているために制約が多く、林の中に消えていった影を追うことはできなかった。

 もっとも、その時はそれどころではなかった。ここまで手を出さず見守っていたとはいえ、彼女もやはり一人の娘の母。戦いを終え、満身創痍で重傷を負って気を失った娘を放っておくことはできなかった。

 結局ラスタのこの死力を尽くした戦いは骨折り損で終わった……という訳でもない。

 まずは、やはり十画もの刻印を行使すれば体に相当な負荷がかかることが確認された。最終的に十五画も集めることを求められているわけだから、もし勝者を目指すなら、刻印の力の制御にも慣れる必要がある。その負荷も乗り越えるべき試練ということなのかもしれない。

 そして二つ目。ラスタは自身の左手を改めて確認する。五画の刻印がそこには刻まれている。どうやら戦いに決着がつく寸前に剣撃で傷を与えた箇所の刻印が流れ込んできていたらしい。つまり、本人の命まで奪わずとも、刻印のみを直接害することで奪うこともできるということだ。もっとも、あの時は相手も満身創痍で完全な敗北を喫する寸前だった。「相手を屈服」させる定義のように、この場合にも奪うためにはもっと条件があるのかもしれない。

 ――それにしても。

 収穫は確かにあったが、ラスタとしてはそれ以上に悔しかった。命は繋いだ。が、ライラとの思い出の数々を大量に消費した。そしてその代償として得られたはずだった一つ、仮面の下の素顔を確認する絶好の機会を取り零してしまった。刻印をどうにかすることばかりに意識をとられてしまっていたが、真っ先に仮面を剥ぐべきだった。

「お客さんよ」

 母の声と共に、引き戸が開いた。

「ラスタ……!」

 そこにいたのはライラだった。手先のない左腕は最後に見たときと変わらず先が包帯でぐるぐる巻にされて、首から吊るされていた。

「ラスタ……」

 再びそう呼びかける彼女の目から、あっという間に大粒の涙がぼろぼろと零れ出す。

「ちょっと、どうして……イタッ」

 ラスタは慌てて起き上がろうとしたものの身体のあちこちが痛み、思わず声を漏らす。

「ラスタのバカ‼」

 涙で顔をぐちゃぐちゃにしたライラは、寝台の上でまだ起きられずにいたラスタに抱きつくように覆い被さった。

「こんなにぼろぼろになって……」

「いや、その、えっと、アンタに比べたらこれぐら……」

「バカ‼」

 張り裂けんばかりの涙声に遮られる。

「自分がどんな状態か分かってるの? おばさんがすぐに運んできてくれなかったら死んでたんだよ⁉」

「いや、下手したら死んでたのはアンタも同……」

 キッと睨まれてラスタは口答えを諦めた。今のライラは初めて見る顔をしていた。

「……ごめん」

 それを聞いたライラはそのままラスタの胸に顔を埋めてわんわんと泣き続けた。部屋の入り口の方を見遣ると母の姿は既になかった。

 泣きじゃくるライラの頭を優しく撫でながら、ラスタは囁いた。

「ごめん、もうこんな危ないこと二度としないから」

「……ほんとに?」

 ライラは僅かに顔を上げ、自然と上目づかいに問い返す。対してラスタはそれにコクリと頷いて肯定する。

「本当だよ。もう、もうずっと一緒だから……」

 そしてライラの頭を撫でる手を止め、その背をそっと両の腕で抱きしめた。

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