(そろそろ夜が冷えこんでくる時期だなぁ……)
エル家長女、リサ・ウ・エルは二枚重ねの布団に顔を半分ほど覆うまで深く潜り、その汚れのない白い肌をほとんど隠してしまっていた。
「寒いなら窓閉めときなよ」
窓辺から少女の声がした。
「――貴女が来る気がして」
そう言うとリサは少しだけ布団から顔を出した。窓からふんわりと流れ込む秋の夜風が露出したリサの頬を撫で、余計に彼女の体を冷やす。
「鍵さえ掛けてなければ窓ぐらい自分で開けるってば」
「それでも何となく……開けておいたほうが貴女が来てくれるかなって」
窓枠の縁に座って月明かりを半身に浴びた少女は、やれやれとばかりに溜め息をつく。
「そういえばあのちっちゃい方の黒い子、死んだんだってね」
「……うん、聞きました」
リサは窓辺から目を背けて答えた。
彼女は相変わらずほとんど部屋から出られない生活を過ごしているが、例の「儀式」が始まってからは、家の者から事の仔細をすべて伝え聞いている。――頼んでもいないというのに。
彼女は無意識に自らの右手の甲に刻まれた印を触る。彼女は元々体が弱かったが、ここ数ヶ月ほどはいっそうに臥せている時間が増えてしまっていた。ほぼ毎日、ほとんど一日中を寝台の上で過ごしている有様だった。
そんな体では刻印の争奪戦なんて当然参加できない。だから、最初から自らが勝つことなんて考えていなかったが……問題は二画のうち譲渡可能な一画をどうするかだった。おそらく誰かに譲ることになる。でも、それは今すぐじゃない。もう少し静観して、誰が譲るに相応しいか見極めたかった。――死人が出てしまったなら尚更である。
だが、それは彼女自身の身にも危険が起こり得ることを示している。
このエルの家の守りは堅い。天啓を授かる家として元より多くの秘密を抱え、それを外に漏らさず内だけで完結しようとしてきた特異な家。それ故、過剰なまでに守りは堅い。この平和な里で、一体何に対して備えているというのか。
――と、いっても、既に今窓縁にいる少女のように、その防壁をすり抜けている例外がいる。もしかすると、他にも容易く入り込める者がいるかもしれない。そんな者に目を付けられてしまえば……リサに抵抗する力などない。
(もう静観なんて悠長なこと、言ってられないのかな……)
まだ成人もしていない少女をいとも易くに手に掛けてしまえるような輩に奪われてしまうぐらいなら、せめて一画は信用できる人物に託したい。
「リサ、こんな暗い部屋で独りで考え事ばかりしても仕方無いよ」
窓縁の少女にそう言われ、リサは底のない思考の沼の中から現実に引き戻される。
(でも……一番の懸念は……貴女なのですよ)
「リサはあの子のこと知ってるの? 僕は遠目で見たことがあるくらいだけど」
「一応顔ぐらいは覚えています。むしろ貴女が知っていたほうが驚きですよ」
まぁねと言ってから、窓縁の少女はフフッと笑った。
「さて、次は誰が死んじゃうのかなー」
少しばかり嬉しそうに、不吉なことを口走る彼女をリサは曇った瞳で見つめる。その忘れようのない顔の下に、彼女は一体どんな素顔を隠しているのだろうと、リサは思う。
(貴女のことは私が一番知っているはずなのに……それでも貴女の心の奥底にはまだまだ触れられないのね……)
「ねぇ……今、何を考えているの? 何をする気なの?」
リサにそう問われても、窓縁の君はさぁねーと言ってへらへらするばかりだった。傾いた月光の影に隠れて、その表情はいっそう読めなくなっていた。
「じゃー、たぶんまた来るよ。リサも気をつけなよ」
「――はい。私もそろそろ……少し疲れたので眠ります」
「うん、おやすみ」
窓縁の君は外から窓をパタンと閉めて何処かへ風のように去っていった。
(私にもカナミのような力があれば、あの子の助けになれたのかな)
――ううん、そんなこと言ったらカナミに怒られるよね。あの能力は万能じゃない。それにもし、私がこの魔窟のような家の中であんな力を持ってしまえば……気がおかしくなってしまうかもしれない。
きっと私にあの子は救えない。――だから、どうか誰か、彼女のことをお救いください。
ちらほらと虫の音が聞こえ始めた少し冷える秋の夜。彼女は月光を浮かべた夜空に、切に願った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!