桃源の乙女たち

星乃 流
星乃 流

公開日時: 2021年9月3日(金) 17:02
文字数:2,657

 すべてが計略通りに、あまりにも計画通りに事が進み、その帰路でサリャは高笑いでもしたい気持ちをこらえるのに必死だった。

 まずはナルザの不在を狙い、雷術とその他使える技術すべてを駆使して屋敷に火を放つ。刻印で強化された巫術はやはり次元が違う。ナルザの不在は確実に作れる保証はなかったが、少し仕掛けを弄してイマリの行動を誘導すれば、案外簡単に成功してしまった。

 そしてナルザは予想通りの行動にでた。放火なんて下手をすれば死傷者が出てしまう凶行に走る者がでたのだ。それが連鎖することを恐れた彼女はきっと、純粋で健全な勝負で争奪戦を行う流れを作りにかかる。しかも堂々と、大々的に。

 予定通りの行動をとった彼女に、いかにもひ弱で内気そうな自分が声を上げる。まず最初に誰がどう見ても圧倒的に不利な鞠打ちでの勝負を挑む。一応策は用意して最初から勝負を捨てていたわけではなかったが、やはりナルザは付け焼き刃な小細工程度で勝てる相手ではなかった。

 だが、それで構わなかった。刻印を奪う方法として説明された「相手を屈服させる」という曖昧な物言いの正体。――予想は的中した。刻印奪取の条件は勝負の勝敗だけでは満たせない。本当の条件はおそらく「敗北させることで相手の心を折る」こと。

 ――あらかじめ敗ける予定だった試合に敗けたところで、心は折れたりしない。

 そこから再び、今度は自分が最も得意とする頭脳遊戯――六花での再戦を挑む。六花は升目を描いて作った「盤」の上で火、こおり、雷、風、光に見立てた駒を動かして、先に相手の全ての駒を倒せば勝ちという、頭脳遊戯だ。サリャが最も得意とする対人競技……ではあるものの、相手は万能のナルザ。そのまま勝負に挑んでも確実に勝てる保証はなかった。

 ――しかし、今は刻印の力がある。

 刻印が配られた直後より、サリャは過去に挑んでは失敗を繰り返してきた、ある術法の研究、鍛錬に勤しんでいた。彼女の持つ巫術の適性はいかずちと闇。表向きは雷単一の適性とされ本人にもそう伝えられていたが、闇の適性を持った者は成長に連れ、自然と自身のその能力を自覚し、認識する。

 彼女の闇術は「自身の精神に干渉する」ことに特化していた。そして、まだ幼い頃からその力の様々な使い方を独りで模索、研究してきた。下手をすれば自らの精神を破壊しかねない危険な行為だったが、彼女は気に留めもしなかった。

 そんな彼女が今までいくら試行しても上手くいかなかったのが、自身の頭脳、思考力の強化。ほんの一瞬なら可能だったが、持続させることがどうしても上手くいかなかった。

 ――だが、刻印の力があれば。

 ナルザとの六花の対局を始める直前、準備が整うとサリャは目を閉じ、意識を集中して呼吸を整えた。――大丈夫、昨日はできた。

 刻印で巫術の効力を強化したところで、術の行使による精神の消耗が激しいことには変わりなく、何度もは試行できなかったが、昨日の試行ではほぼほぼ成功した。

 落ち着けと自身の精神に言い聞かせ、鎮める。そして思考の奥へ、さらに奥へと手を伸ばす。無数の絡まった糸を繊細に、緻密にほどいていくように、その先へ――。

 ――繋がった。

 頭の中がとても鮮明になった。すべてが見通せるような、世界が透き通ったような気がした。そしてとても落ち着いた、心地の良い開放感に包まれた。

「お待たせ致しました。よろしくお願い致します」

 対局が始まった。――すべてが見える。次の手も、次の次の手も、さらにその次の手も――。相手の先の手が無限の如く、自然と見えてくる。それだけではない。今まで思い付きもしなかった戦術が、まるで泉が湧き出るかのように頭の中に際限なく浮かんでくる。

 結果として、サリャはナルザを相手にしてやり過ぎなくらい圧勝してしまった。

「かー、やられたー。譲ってくれた二人に申し訳ないなー」

 ナルザはそう言って悔しがったが、真に落ち込むような様子は一切なかった。そしてナルザが自らサリャの手を取ると、三本の黒い線がするするとナルザのやや焼けた小麦の肌を伝ってサリャの白い肌に流れ込み、定着した。サリャの手の甲から腕にかけて、五本の線が二画とも四画ともまた違った紋様を形作っていた。

 そして礼を十分にしてから、サリャ・ルム・イルヴァは一人帰路についた。

 今、彼女はその右手の五画の刻印を眺めながら、にやにやと緩んでしまいそうな表情筋をなんとか抑え込んでいる。本当にすべてが、想定以上に計画通り過ぎて心の中の高笑いが止まらなかった。

 ――あのナルザに勝てた、出し抜けた。あの万能のナルザに。

 この数の刻印があれば、一体何ができるのだろう。サリャは過去に挫折したあれやこれや様々な試行錯誤を思い浮かべる。

 ――これさえ、この力さえあれば。

 いずれ自分自身を完全以上に支配し掌握し、やがては誰の手も届かない、至高の存在へと辿り着けるかもしれない。暴力的な力ではない、この知性によって。

 サリャにとっては氷漬けになった御曹司も、里の命運もすべてがどうでもよかった。ただただ自分の存在を高めて昇華させ続けたい。それがサリャの目指す先だった。先ほどの対局で、サリャは自身の思考の強化自体には成功したが、歯止めが利かずついついやり過ぎてしまった。

(次の課題はまずもう少し、この能力を微細に制御すること、かな)

「――随分と楽しそうね」

 唐突に、どこからかそんな台詞が聞こえたかと思った次の瞬間、サリャは身体からだ中を無数の耐え難い痛みに襲われた。そして気づけば地面にうつ伏せて倒れ込んでいた。

 ――痛い……痛い?

 苦しい、動けない、何も動かない、痛い、痛すぎて感じない……いや、冷たい……?

 カハッと口から、喉の奥から何かを吐き出して身体が跳ねる。

 ――赤い。血だ。私の血……?

 全身の痛みは最早痛みと表現していいのか分からなかった。痛みとは一体どういう感覚だったろうか。ただただ、辛く、苦しい。

(痛みだけなら……自分の感覚を麻痺させ……痛覚を切り離し……)

 駄目だった。どこが痛いのかすら分からなくなる熾烈な痛み、苦しみに対して、もはや闇術を使う精神の余裕などなかった。

 ――心臓はたぶんまだ動いている。頭もまだ働いている。だから「まだ」生きている。でも、すべてが痛い。灼けるように、痛い? わからない、いたい、つらい、くるしい、いたい、いたい、いたい、つらい、つらい、つらい、いたい。

 眼前に、霞み始めた視界に誰かの両足が映った。何となくとどめを刺されるのが分かった。

(どこで……間違えた……か……な……)

 薄れゆく意識の中、それが彼女の心の内の最後の思考となった。

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