「ふわーあ……」
カルナは大きな欠伸をかきながら、人集りの中からセラを探していた。こういう時にあの長くて綺麗な銀髪はとても探しやすくて便利だ。案の定すぐみつかったので、後ろからとんとんと肩を叩いて声を掛けた。
「あ、姐さん来ちゃったんですか」
なんだよ来ちゃ悪かったのかよ。
「んでこれ、何が起きてるわけ?」
何が起きているのかは知らなかったが、朝から家の中がバタバタと五月蝿かった。そして昼餉にありついていると、広場のほうで何かが起きているらしいという声が耳に入り、暇だからぶらりとやって来た。……というわけだった。たぶんセラも来ているだろうし、と。
「えーっと……まずウェル家本邸が昨夜のうちに全焼したのは知ってますか」
「知らん」
それが朝からバタバタ五月蝿かった原因か。家の者は誰も教えてはくれなかったが。
「そういう事があったんです。その後、ナルザが広場中央に陣取って犯人に名乗り出ろと声を上げて人を集めて……」
「は? 何それ、出てくるわけないじゃん。……ん、犯人て、つまり放火なのか?」
――ナルザ・ラム・ウェル。始まりの八家の一つ、ウェル家の長女。巫術、体術、勉学すべてに優れ、且つ多くの人を惹き付ける人望の厚い人物。誰よりも正しくて真っ直ぐを往く者。そんな彼女のウェル家本邸が深夜から明け方にかけて、全焼した。当時ちょうどナルザ本人は不在だった。その隙を突くかのように、ウェルの凍術使いが束になっても敵わないほどの大火に見舞われた。
そして翌朝、里の営みの一番中心にある広場の中央にナルザは椅子を置いて陣取った。其処は四方に続く道沿いには店が並び、その中央の広場は子供から大人まで様々な遊びから催しにまで使われる、里で最も目立つ場所である。其処で彼女は真っ向勝負をするから出てこいと、犯人に呼びかけた。その情報はすぐさま人々の間を伝播して、だらだらと引き篭もっていたカルナの耳に入るまでに至った。
「はい、その通りです。それは本人も当然承知の上です。それである程度人集りができたところを見計らい、今度は誰でもいいからと、手合い内容も何でもいいからと勝負の相手を求めました。刻印を賭けた勝負です。――しかも三画の」
――ん? 三画?
「どうやら真っ先にハレから一画、さらに昨日イマリから一画譲り受けていたようです。昨夜ナルザが不在だったのも、刻印を譲るために訪ねてきたイマリを家まで送って行って、そのまま彼女の家に泊まっていたからだそうで」
……で、その隙にナルザの家がおそらく刻印持ちによって焼かれた、と。そんな危険な流れが続くのを恐れ、真っ向勝負の手合によって争奪戦を行う流れを作ろうとしている。――ってところか。いかにもアイツらしくて癇に障る。
「――で、今どうなってんだ。これ鞠打ちやってるとこか?」
この里で一般的な運動競技、遊戯である鞠打ち。拳大より少しあるほどの「小鞠」と呼ばれる球を「撥ね板」という木製の特別な形の板で弾いて撥ね返して飛ばし合い、得点を競う競技だ。アルヴの民は皆、巫術を使う為の「巫力」という力を体内に有し、それが筋力以上の力を引き出す。単純に体の作り以上に出せる力が大きいのだ。肉体的な要素だけでなく、巫力の制御も合わせて運動能力が決まる。だからこそ、単純な運動競技であれ侮れない。特に巫力の制御というのは体格からはまったく見て取れないし、精神的な影響も受けやすく不安定だ。それをいかに制御しきるかが重要となる。
それに、巫力は使えば使うほど、運動疲労より先に精神力と体力を消耗する。それ故に、しっかりとした体づくりと持久力があり、且つ巫術、巫力の扱いにも長けたナルザにこの競技で一対一で勝てる者はおそらく同世代には、いや大人の間にもいないかもしれない。……一体誰がそんな無謀な挑戦を……。――はぁ⁉
「おい、ナルザの相手してんのサリャか?」
「はい、サリャの方から声を上げて、自ら鞠打ちでの勝負を挑みました」
「はぁ⁇」
サリャはナルザの三つ下の齢十三で、小柄でいかにもおとなしめの黒髪の少女だ。体格でいえばナルザとは年齢差以上の差がある。そんな彼女が、今にも消えてしまいそうなか細い声でナルザに毬打ちでの勝負を自ら挑んだという。カルナの認識では、彼女はとてもおとなしく内向的な少女だ。一応は子供たちの輪の中にはいるものの自発的な行動は何もせず、常に輪のぎりぎり端っこに彼女は居た。積極性はないが人を拒絶することはなく、普通に喋り、笑みも浮かべる。
……ただ、カルナからすると、どうもその笑みの裏に何か言いようのない不自然さが感じられて、気味が悪かった。
「で、どうなったんだよ」
「それが……今もう終わるところなんですが、姐さんが来る直前にサリャがそれこそ反則と言われても仕方がない、ぎりぎりの奇策を弄してきまして……」
「でも、ナルザが勝っちゃったよな? これ」
ちょうど試合終了を知らせる笛の音が広場に鳴り響いた。
「はい」
……ちょっと小細工したぐらいじゃ、サリャでは奴には勝てないだろう。あの女は反則すぎる。ひとりでどれだけの長所を持てば気が済むんだ。あのガキはそんなの相手に、本当に勝てると思ったのか?
「もうちょっと前行くわ」
でかい図体を捻じ込むように人混みを掻き分け無理やり前の方に進むと、ちょうどナルザが地面にへたりと座り込んだサリャに手を差し出しているところだった。
「立てるかい? まったく肝を冷やされたよ」
そう優しく声をかけるナルザが、カルナは本当に気に食わなかった。勝者のみに許された余裕と、だが決してそれに驕らない謙虚さ。完璧過ぎる彼女が本当に苦手で、疎ましかった。
「はい……」
そう言ってサリャはナルザの手を掴んで立とうするも、足腰に力が入らないのか、なかなか立ち上がることができない。
「そうか、とりあえず少しこのまま休もうか」
「いえ……」
ナルザの気遣いを余所にサリャは右手を差し出した。二画の刻印が刻まれた手の甲を。
「約束ですから……」
俯いたサリャの表情は見えない。元よりか細い、消えてしまいそうな声はいっそうに活力を失っていた。ナルザは少し戸惑いながらも、意を決して彼女の小さな白い手を取った。
「では、その印の一画、頂くよ」
そう言ってナルザは目を閉じ、呼吸を整えた。――何も起きない。
「手順はこれで合っているんですよね?」
ナルザが問いかけた目線の先の女性は「おそらく……」と言って頷く。
(あー、あの人見覚えある。アルのおっさんの側妻の誰かだったかな)
実はカルナのイル家はアル家と親交が深い。まずそもそもカルナはアルトの従姉にあたる。ただし、カルナは小さい頃はその体質のため家からあまり出られず、成長してからは素行が荒れたために、家同士の交流の場にはほとんど顔を出していない。そんな彼女でも一応は顔を覚えている人だった。
「なぁ、セラ、これどういうことだ? なんか間違ってるのか?」
「いえ、間違っているといいますか、おそらくは……」
歯切れの悪い返事をするセラの顔は何だか険しくなっていた。――何かおかしい。
「何だよ、はっきりしないな」
「……勝負に勝てば刻印を奪える、なんて最初から誰も言っていないということです」
セラがそう言った直後、ナルザが動いた。片膝をきめ細かな砂の敷かれた地面につき、目線の高さを合わせてサリャに問いかけた。
「そうか、君の心はまだ折れていないんだね」
ナルザも察したようだった。――あぁ、あたしにも分かったかもしれない
あの時、ハルキは確かこう言っていた。「手合いで勝利して相手を屈服させれば」とか何とか、曖昧に。屈服――つまりは相手に心の底から敗北を認めさせなければ刻印は奪えない。……とかいうことか? ――なんかずるくね? 負けを認めなければ取られないって事にならないか? 往生際が悪い奴ほど有利なんじゃねーの?
反応のないサリャに、ナルザは相変わらず優しく慈愛に満ちて、それでいて凜々しくもある声音で言葉を続けた。
「なら今度は……奇をてらった慣れない細工なんて不要な、君が本当に、最も得意なことで勝負しよう。どうだい?」
少し間を置いてからサリャが――普段小鳥の囀りより小さいかと思うほどの声のサリャが、観衆たちにもはっきりと聞き取れるほどの透き通るような声で答えた。
「六花でお願いします」
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