「……アンタの言う通りだったな」
カルナはぼそりと、白い煙を吐きながら呟いた。
儀式が始まってから五日目、つまりは刻印を押し付けられてから四日後。
サリャ・ルム・イルヴァの惨殺体が発見された。
その報は直ちに残り十二家に伝わった。今回ばかりはカルナも報を受けた家人からすぐに知らされた。
「私が思っていたよりも早かったですけどね……」
そう言うセラの声はいつもの優しい声ではなく、隠せないほど陰鬱としている。
「さすがにもう傍観してられんって事なのか、朝からうちはてんやわんで、あたしにも五月蝿くて仕方なかったわ。普段、あたしの事なんてほったらかしの癖にさ」
「私の家も似たようなものです。ここに来るのにも三人も護衛を付けられました」
やっぱそんなもんかーと呟いて、カルナは煙管の灰を鉢に落とし、床に仰向けに寝転がった。今日は冷たい床がもうあまり気持ち良くはなかった。気候は既に夏から冬に向かって歩みを始めていた。
「なんか……嫌だな」
――胸糞悪い。
正直サリャ自身についてはどうでもよかった。特に交流があったわけでもなく、一応面識があったくらい。人の輪の中にいる癖に、常にそのぎりぎり端で上面の笑みを浮かべていた腹の読めない奴。……そんな奴でも、こんな形で殺されるのは気分が悪い。
そもそもこの里で人殺しなんて物騒な事はまず起きない。少なくともあたしは知らない。セラから最悪の事態の予想を聞いた時、その場ではまさかと受け流して相手にしなかった。けれど、心の中では引っかかっていた。馬鹿なあたしでもわかる。この刻印の力は強すぎる。……でも、だからといってまさか、と思ってた。いや、思いたかった、か。しかも、彼女の生きた姿が最後に目撃された場面に自分も居合わせていたものだから、余計に気分が悪かった。
「――私、見てきたんです。彼女の遺体を」
「はぁ⁇」
カルナは思わずセラのほうを向いて目を丸く見張った。
……何で好き好んでそんなもの見に行くんだ? 遺体は相当酷い状態だったそうじゃないか。意味がわからない。夢にでも出て来てくれたらどうしてくれる。
「どうしても確認しておかなければいけないことがあったんです。そして……これ以上にないほど、最悪の結果でした」
「これ以上何があるってんだよ……」
人が死んだ。しかも、明らかに殺された。惨たらしく殺された。もう十分だ、十二分だ。これ以上何があるというんだ。
「彼女――サリャの遺体の……刻印があったはずの右手の甲には、一画も刻印が残されていませんでした」
「ん、そりゃ犯人が奪ったんだろ?」
その意味に気づかないカルナに、セラは少し躊躇しながらも話を続けた。
「問題は『一画も』残っていなかったことです。本来奪われても残るべき最後の一画さえも、彼女の手には残っていなかったんです」
セラの言う意味を理解した途端……、――ぞわりと戦慄が走った。
ナルザとサリャの戦いのように健全な手合いで勝負して勝ったとしても、相手の刻印を全ては奪えない。必ず一画だけは持ち主の手元に残る。そういう仕組みだと、ハルキからは説明された。だが、セラの言うことが本当だとすると、相手を「殺した場合」は……。
「まだ確定した訳ではありません。もしかしたら刻印の宿主が死ぬと、自然と消滅するのかもしれません。……ですが『殺されて刻印が全て消えた』という事が事実である以上、『殺せば最後の一画まで奪い尽くせる』可能性を否定できません。屈服なんて不確定で面倒な手間を経ずとも、それ以上の数の刻印を奪い尽くせてしまうのかもしれない」
カルナは仰向けに床に張り付いたまま大の字に手足を伸ばして目を瞑り、呟いた。
「もう全部……さっさと終われよ……誰が正妻とかどうでもいいからさぁ……」
口にこそしなかったが……本当に恐ろしいのは、その犯人がきっと見知った顔の中にいるということ。あの日集められた十二人の、サリャと自分を抜いた十人の中に犯人がいるのだろうか。セラを抜いても残り九人。カルナにはセラ以外に仲の良い人物も思い入れのある人物もいない。正直あの中の誰がいつ死んでも知ったことではない。
だが、あの中に惨たらしく顔見知りを殺せる奴がいるなんて……駄目だ、考えたくもない。
(疲れた、寝よう……)
薄い座布団を枕代わりにして床に寝転んだまま瞼を閉じた彼女に、そっと手が触れた。彼女の気性をそのまま表したかのような、赤い癖っ毛に覆われた頭をセラは優しく撫でた。
「なぁ」
「なんです?」
瞼を閉じたままカルナはセラに問いかける。
「あのさ……アンタは、さ。こんな事なってんのに……あたしに付いてまわってて……いいのか?」
「はい」
恐る恐る、内心ビクつきがらも訊いた問いに即答で返したセラに対し、カルナは思わず起き上がって真っ直ぐに向き直った。
「だって誰が何するか分かんねーんだぞ⁉ あたしだって……。それにあたしはどうせすぐまた疑われる。普段からあんなだし。そんなあたしと一緒にいたらアンタまで――」
そこまで言ったところで、すっと差し出された人差し指にカルナは唇の動きを止められた。セラは優しい慈愛のような微笑みを浮かべ、カルナの瞳をその奥まで見つめて言った。
「私はずっと姐さんの味方で、姐さんを信用していて信頼していて、そして姐さんの一番の理解者ですから」
そう言うと彼女は中腰になって、少し背伸びをするようにしてカルナの頭をそっと、柔らかく抱きしめた。
(……あたしのほうが姉貴分のはずなのにな)
でも。
――ありがとう。
「もういい寝る」
素直な感謝の一言を声に出すことなく、カルナはまた床に、今度はセラから顔を背けるように横を向いて寝転がった。今にも涙が零れそうなこの顔を見られるのは、なんとなく嫌だった。
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