「おそらく言霊ってやつです」
セラは息も絶え絶えに逃げ出してきたカルナにそう告げた。
「何なんだよそりゃ……」
言霊とは本来、使いたい術のイメージを「言葉」で口にして補うことで巫術をより簡単に、扱いやすくする技法らしい。ただ、それを極めると個人の領分を逸脱した大きな力を手にしてしまうがため、いつからか禁忌とされ、現在は風化して忘れられてしまった技術。……以前、そう古い書物に記されていたのをセラは偶然読んだことがあった。だが、エリンは何故、そんな言霊をあれだけ易く扱えるのだろうか。ともかく今のままだと姐さんに勝ち目はまずない。特に今の情緒不安定な姐さんでは……。
だから、今は一旦エリンのことは諦めてもらおう。――そう説得しようと思ったのに。
「……駄目だ。たったあれだけで逃げ出してたら……あたしは本物の臆病者だ!」
微かに震える声を荒げ、カルナはそう吐き捨てた。ただ自棄になっているわけではなく、本気の、必死の目をしていた。
――姐さん、もう臆病者でいることが嫌になったんですね。
カルナは昔から、本当に臆病で不器用な娘だった。
今でこそ暴れん坊の利かん坊で名を馳せているが、幼い頃は持病のため長く屋敷の中で臥していた。齢十の頃、既に他の娘の勉学をよくみていたセラに、彼女のこともみてやって欲しいと頼まれ引き合わされたのが最初だった。会ったのは初めてだったが、彼女の存在は聞き及んでいた。産まれながらに難しい病を患い、ろくに外に出ることも叶わない娘がイル家にいる、と。それがようやく快復してきたらしい。
カルナへの授業は、まず勉学以前に最低限の正常なコミュニケーションを覚えるところから始まった。最初はずっと家に篭って育てられてきてしまったせいで、外の人間との接し方が分からないのではと思ったものの……それどころの話ではなかった。どうやらこの子は家の中でさえ、まともな人間関係を知らずに育ってきたようだった。言葉は周囲の会話から拾って自力で覚えたようだが、やはりその扱いは年相応に及ばない。
セラはこの歳上の幼児のような彼女を放っておくことができず、それ以来彼女にほとんど付きっきりとなった。そして地道に触れ合いを続けて得た情報から、セラは真実を手繰り寄せた。この子が患っていたのは病などではなく、「適性過多」という巫術の適性が高すぎる特異体質だった。
本来、アルヴの民は産まれた直後にはまだ巫術は使えない。もし何も分別のつかない赤子にこの能力が使えてしまったら、大変なことになってしまう。……その大変なことになってしまったのがカルナだった。普通の子は育つにつれ、大体は齢三つから五つあたりの頃よりその能力の片鱗を見せ始める。
だが、彼女の場合、産まれた直後からその適性の能力が顕れてしまった。母の腹から取り上げられてすぐ、まだ何の分別もつかず、生の自覚すらなかったカルナの力は暴走し、周囲にあるものをごく小規模ながら無差別に発火させてしまったらしい。
そしてその際火傷を負った実母は腹を痛めた初の我が子だというのに、以後彼女に関わることを拒絶した。それっきりその腕に抱かれることもなく、ひたすらお互いに関知関与しない関係が今日まで至っている。
カルナは一見平気そうに装ってはいたが、本当は寂しくて堪らないことをセラは知っている。それが判ったとき、セラは決めた。母になることはできないが、代わりにありったけの愛情をこの娘に注ぎ続けよう、と。
セラの教えた甲斐があり、カルナは順調に言葉と会話を覚えていった。しかし、会話ができるだけで他人と良好な関係を築くことができるわけではない。同年代の女子男子、家族親族、その他大人たち。結局セラ以外、誰とも上手く関係を築くことができず、彼女は荒れていった。女にしては大柄な体格と高い身体能力、そして元凶である適性過多のおかげで一般水準を圧倒する炎の力。そういった暴力的要素も重なり、気づけば里一番の利かん坊が生まれてしまっていた。だが、その実は結局のところ、誰も相手にしてくれなくて拗ねて暴れている、本当は構って欲しいだけの子供に過ぎない。ただそれだけのことだった。
物心ついた頃には既に腫れ物扱い、やっと会話を覚えてからも挫折し続けた人間関係。その結果、彼女は心の底から臆病になり、でもそれを自分で認められず素直になることもできず。そして粗暴な態度で虚勢を張って、余計に遠巻きにされる堂々巡り。
本当は皆に好かれたいし仲良くなりたい。そんなことが素直に言えない、認められない、不器用な生粋の臆病者。それがセラの知るカルナという人物である。
今、そのカルナが一度恐怖を味わった対象と再び対峙しようとしている。セラにとってそれは喜ばしくも、少し寂しくもあった。――子が成長していく親の気持ちってこんなものなのだろうか。
それでも、これは応援すべきことだ。結果によっては、カルナは今までの自分から脱却できるかもしれない。もし駄目だったとしても……。
だからちゃんと見守ろう。彼女が、今度こそ自分自身で選んだ道の行く末を見守ろう。本当は心配で心配で仕方がない。何かあればすぐに加勢したくて仕方がない。だけど今回は絶対に我慢する。――だから。
今回はもっと近くで見守らせて。ね?
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