桃源の乙女たち

星乃 流
星乃 流

公開日時: 2021年9月12日(日) 05:03
文字数:4,038

 物心ついた頃には既にひとりだった。広い屋敷の、人目に付かない最奥の小さな離れで独りきりだった。屋敷の中にはたくさんの人々が生活していたようだったが、彼女の前に姿を見せるのは片手で数えられる程度の世話係のみだった。その世話係らも最低限必要なことしか喋らない。

 ただ、一人だけ例外がいた。彼女に教養をつける教師役を担っていた女性だけとは、もっと色々なことを話せた。――と、いっても、それでも必要以上の情報を引き出すのに時間はかかった。

 そして彼女は成長するに連れ、稀に聞こえる屋敷の住人の声や教師から引き出した情報らを総合して自身の境遇を理解していった。

 ある時「天啓」とやらで一つの予言が降りたらしい。――銀髪を持つ双子の片割れの女が、里に訪れる厄災の引き金になる、と。

 そして銀髪の女の双子――リサとリゼが産まれた。

 姉のリサは当面の後継者として表で厳しく育てられた。一方、妹のリゼは屋敷の奥深くにほぼ幽閉され、その存在を秘して育てられた。予言の忌み子がどちらか判らない上に、エルの後継者になるやもしれない大事な子を失いたくもなかったようだ。どうやらこの家はちかしい者同士で婚姻を重ねてきた結果、生まれながら体の弱い子が多いらしかった。姉のリサも多分に漏れず虚弱な体を持っていた。

 一方妹であるリゼは体が弱いわけではなかったが、「特殊な適性体質」のせいでその身に宿す巫力の状態が不安定で、長く心身が安定しなかった。

 やがて、彼女は教師役の女性の情と罪悪感に付け込み、こっそりと自身を閉じ込めていた囲いを抜け出し、仮初かりそめの自由を手に入れ世界を目にした。この狭い、閉じられた箱庭の世界を。

 そして彼女――自身の片割れリサと出逢った。

 その後もリゼは頻繁に屋敷を抜け出し、様々なことを知った。この里という閉じられた世界のこと。自然の摂理のこと。――自身の置かれた境遇がいかに酷く惨めだったかも。

 そしてあと少しで齢十五になろうかとするある日。運命の歯車は最後の軋み声をあげた。

 エルの屋敷を一人の銀髪の少女が訪れた。リゼはそれを遠目に見ていたが、最初は特に気にしなかった。彼女が誰かは知らなかったが、そもそも「いない存在」であるリゼが知らない顔なんて珍しくなかった。むしろ覚えている顔のほうが少ない。

 だが、その後家の中の様子がおかしくなった。何かざわざわしている。リゼは聞き耳を立て、風の力も借りながら得た断片的な情報を引き合わせ、繋ぎ合わせて事態を理解した。

 リゼをこの境遇に追いやった、天啓で示された銀髪の双子の片割れの少女。それは先程の見知らぬ来訪者――アル家の銀髪の少女であった。アル家に伏せられた双子の片割れがいることはエル家も承知していた。しかし、誰も実際に双子の女のほうを見たことはなかった。ただ、片割れである男のほうは色濃い黒髪であったため、もう片割れも黒髪だと勝手に思い込んでいたらしい。――だが、違った。

 天啓を授かった当人であるエル当主――リゼとリサの実父――には、ひと目で分かったという。天啓が示したのはこのアルの娘だと。つまりはリゼは実の親の勘違いで、十五年近くを幽閉され、陽もろくに当たらない籠の中で秘して育てられてきたということだった。

 ――すべてが無意味だったのだ。これまでの十五年間すべてが、最初から無意味だったのだ。

 そして絶望した彼女は凶行に走った。皮肉にも、天啓の忌み子と誤解された彼女の手によって、本当の予言の忌み子であったハルキは殺された。もしも天啓の誤解などなければ、ハルキは殺されたりしなかったのだろうか。もし殺されなくとも、結局彼女が破滅への引き金となったのであろうか。それは誰にも分からないが、運命とは本当に皮肉なものだ。


(……私は……何を……なんだか温かい……僕は……違う、オレは……そうだ、あいつと……戦って……!)

 目を見開いて周囲を見渡す。何処か……知らない家。天井も壁も、その他視界に写るすべてが見覚えのない部屋。視界ばかりでなく他の五感に意識を向けると、全身が温もりに包まれていて、質の良い布団に寝かされていることに彼女は気づいた。

「ぐっ……」

 身体を起こそうとしたら全身に痛みが走った。思わず苦悶の声を上げる。

「あ、目が覚めましたか」

 ――この声……!

「ぐぁ……」

 再び動こうとして身体のあちこちに激痛が走る。声の聞こえたほうに、陽に透けて少し茶色がかった黒髪の少女が見えた。――あいつエリンだ。

「今は大人しく寝ておいてください。たぶん、無茶な刻印使いと私がやり過ぎたせいで、見た目の傷以上に体が中からぼろぼろみたいです」

 そのまま床に敷かれた布団に押し戻され、無理やりに体を寝かされた。状況がまだ飲み込めない。確か……最後に全力の一撃を打ち込もうとして……。

「最後に私が雷撃を上から落として気絶させたのですが……ちょっと威力を強くしすぎたようです」

 あぁ、僕は……オレは手加減された上に負けたのか。その上、とどめを刺すどころか運ばれて保護されて、温情をかけられているのか……? ……なんて無様な。

 ――え?

 そこまで状況を把握してからある感覚に気づいた。何とか動かして、左手を、左腕を見る。……刻印が消えていない。

「待て、なんでオレの刻印が残っているんだ⁉」

 命はあるものの、オレは完全に敗北して気を失った。おそらく最後の一画まで奪い尽くせただろうに……何故だ。

「理由は二つありますが、とりあえず寝てください。まだ体が痛いでしょうに」

 またもや布団に押し込められる。エルの家で自分に宛がわれていた布団よりもよっぽど心地よい質感だった。

「まず一つはその刻印と体の状態。どうやら刻印の使い過ぎで体にゆきすぎた負担がかかったようで、その状態で刻印を剥がしてしまって大丈夫なのか、その判断が私にはつきませんでした。逆にさっさと剥がしたほうが良かったのかもしれませんけど……それは判らなかったので許してください」

 何を言っているんだこいつは。オレに対して許しを求める必要なんて微塵もないだろうに。……駄目だ、こいつの考えることは、もう自分の理解の範疇を越えている。

「二つ目は……むしろこちらが本題なのですが、私は別に刻印を奪うためにあなたと戦ったわけじゃないからです」

 ……は?

「刻印は確かに欲しいです、あの人に会うために。ですがあなたと戦ったのは……戦う前にも言いましたが、あくまでただの、私の身勝手な八つ当たりです。不甲斐ない自分への怒りの矛先を収めることができず、その鬱憤をあなたに対してぶつけただけです。それは正義などではなく、仇討ちでもなく、そして刻印を集める為でもありませんでした。――それと私、確かあなたに言いましたよね? 終わったらお話しましょう、と」

 ……なんだそれ。なんなんだよそれ。

「あ、ごめんなさい、言ったつもりで言ってなかったかもしれません。でも、つまりはそういうことです」

「……まるで話が見えないんだが」

 ――意味が分からない。何が「つまり」なんだ……?

 混乱するばかりのリゼに向かって、エリンはにこりと微笑んで話を続けた。

「あなたと戦ったのは刻印のためじゃなくて、ただの八つ当たり。そして八つ当たりが終わった今、私はあなたとお話して、あなたの意志で私に刻印を譲って頂きたいのです」

 何を言っている?

 何を言っている⁇

 このオレに、何を言っている?

 オレは既に殺人鬼だぞ?

 お前の大切な人まで手にかけたんだぞ? お前の目の前で。

 何考えてんだ、こいつは。

「元より決めていたんです。残りの刻印は、後はもうすべて『お話』をすることで集めよう、と。だからまずはあなたとじっくりお話をしたかったのです。私、あなたのことを聞いて思いました。育った環境はまるで違いますが、それでも私と同じであなたは『人と話すこと』が少な過ぎたんじゃないか、と。――もっとも、私はいくらでも機会があったのにしなかったので、自業自得なんですが……。だからまずは私があなたといっぱい、いっぱいお話しようと思ったんです」

 ……お前は、何を、何を言って……。

 リサ――半身であるあの子以外に、僕と話したいなんて奴がいるだと? お前、僕――オレの境遇、ほんとに分かってんのか⁇

「ですが……ごめんなさい、事情が変わりました。今から私は出掛けてきます。ちょっとカナミさんから呼び出しを受けたので……」

 カナミ……アズミの奴が一番警戒していた闇使いだったか。確か僅かながらも他人の思考を読みとれる上に、頭が切れるとかどうとか。

「果たし状でも来たか」

「いえ、あくまで話がしたいから彼の祠の前で会いたい、と」

 ――で、それに釣られてこれからのこのこ出向きにいく、と。それは果たし状とほぼ変わらないんじゃないか? 本当にこいつのことは理解できないし、理解しようとしても駄目だ。頭の中がこんがらがって訳が分からなくなるだけだ。

「ですから……すみませんが、少しだけ待っていてください。あとで必ず、たくさんお話しましょうね。必ず」

 とこしたまま首をできる限り捻って顔を横に向け、馬鹿から目を逸した。――本当に馬鹿だ。……必ずってなんだよ。

「あぁ、そうだ、まだ大事なことを聞いてませんでしたね。――あなたの……名前を教えてくれませんか?」

「……リゼ」

 少しの静寂の間をおいて、彼女はおのが名を告げた。

「リサさんとリゼさん、なるほどです」

「――それと、お前」

「はい」

「その八つ当たりとやらは……ちゃんとできたのか」

「どうでしょう……自分でもいまいち分かりません。ただ、今はもうあなたと戦いたいとは思いません。ただただ早く、たくさんお話がしたいです」

 エリンはよいしょと立ち上がって、最後にリゼに向かって軽く笑んだ。

「それでは行ってきます。……また後でお話しようね、リゼさん」

 ――馬鹿だ。本当に、本当に真性の馬鹿だ。

 名前なんて聞かれたのはいつ以来だろう。

 リサ以外から名を呼ばれたのも……一体いつ以来……。

 ……あれ? これは涙? ……泣いているのか? 僕は……私は…………。

今夜、最終話更新します。

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