桃源の乙女たち

星乃 流
星乃 流

公開日時: 2021年9月9日(木) 17:02
文字数:5,061

「なんでこんなことになっちゃったかなぁ……」

 ナルザはラスタの見舞いからの帰路にて、ひとり寂れた野道を歩きながら、思わず声に出して嘆く。

 全員が全員、皆一緒に仲良くとまでは言えずとも、この里が平穏だったことに違いはなかった。それがたった数日の間に、血と疑心が混迷する魔境へと変わってしまった。

(今何日目だったか……一週間を少し越えたあたりか……)

 誰に会っても不安、怖れが顔に出ている。里全体が怯えている。

「当然か……」

 この混沌の渦中にて、ナルザは珍しくも本当に気が滅入ってしまっていた。

 ナルザは常に人と対立することを嫌う。そもそも無闇に他人ひとと対立することが下策だと、彼女はよく理解していた。だからこそ、でき得る限り多くの人と良好な関係を築いてきた。

 それは別にただ人が良いというだけではなく、ひとえに小さな計算の積み重ねでもあった。どうすればより多くの人間に喜んで、笑って、幸せでいてもらえるか。それを追い求める為にありとあらゆることを計算し、行動し続ける。

 最初は大人に褒められることがただ嬉しかった。大人の言うことを聞いてきちんと良い子にしていたら、たくさん褒めてもらえた。それが嬉しかった。でもある時、ただ大人の言うことを聞いているだけじゃなくても、人から感謝され、喜ばれることの幸せを知った。

 気づけば、どうすれば多くの人に喜んでもらえるかを常に考えて動く習慣――いや、もはや習性が備わっていた。それはただの漠然とした優しさなどではなく、意図的な計算の積み重ねだった。人と接するときの彼女の表情も、その言葉選びの一つ一つも語調も、すべてが計算されたものだった。決して彼女生来の自然体などではない。それでいて巫術、体術、勉学のすべてにおいて万能という天賦の才まで有してしまっていたため、年代性別問わずに多くの者から高い人望と尊敬、羨望をも集めるようになったのは当然の結果だった。

 これが今のナルザという人物を形作っている中核であり、すべてだった。

 だからこそ、自身の手ではどうしようもないこの状況に、相当気が滅入ってた。今までいくつもの厄介な問題をその手で解決してきたが、今回はまるで正解が見えない。沿うべき指針が見つけられない。人前であれだけ内の感情を露わにしたのはいつ以来だろうかと、イマリに引っ叩かれた時を思い出す。

 そして今。すぐにでも目を閉じ耳を塞ぎ逃げ出したい心境を道連れに、ナルザは夕暮れ前の帰路を独り、心ここに有らずといった様子でとぼとぼと歩いていた。

 護衛を兼ねて一緒にウォル家に赴いた付き添いの義母は置いてきた。ナルザはラスタへの見舞いを終えると、他にもあった用事諸々を義母に押し付ける形ですぐに抜け出し、一人で帰路についた。なんとなく独りで歩きたかった。

 ウォル家の屋敷を出た頃はまだ陽が高かったはずなのに、気づけば陽の色は既に橙に染まりつつある。ふらふらと寄り道をしたりぼーっと景色を眺めたりしていたら、いつの間にかこんなに時間が経たっていたようだ。

 もう自分一人の力では何も、どうにもできない。誰かの力を借りようにも、誰を当てにして何をどう頼めばいいのか分からない。今までは誰かの力を借りることがあっても、あらかじめ当てをつけていたことが多かった。一人でできないと分かっていることは、先に誰に何を頼むかを考えてから行動していた。そんなやり方のつけが今、回ってきたようだ。

「おやー、みんなのナルザさんでもそんな顔するんだねぇ」

 唐突に道端にあった朽ちかけた用具置き場の陰から出てきたのは、この里で最も手のつけられない問題児、カルナ・イェ・イルの姿だった。

「……なんか用?」

 もう沈んだ気分を取り繕うことなく、ナルザは答えた。現在の子供世代をまとめあげる人望厚いリーダー的存在と、その言うことをまったくきかない不良娘。この二人はその関係性以上に、そもそも根っから相性が悪かった。誰とでも友好関係を築こうとするナルザにとって、ある意味たった一人の特別な存在でもあった。

「なーにさ、そんな怖い顔してると作り上げてきたキャラが台無しだぜ」

 ……なんだか様子がおかしい。台詞が妙に芝居がかっていて、わざとらしい。単細胞で直情的な彼女らしくない。

「だからなんの用? こんな時に一人で――」

 そこまで口にしてナルザは気づいた。――こいつ、まさか。

「めんどくせーから直球で言うぞ」

 赤毛の大女はナルザを指差して言った。

「その手の刻印、あたしに寄越せ」

 今この状況このタイミングで、よりによって私にその喧嘩を売る意味が分かっているのだろうか。本来は呆れてものも言えないところだが、今はただもくしているわけにもいかない。

「……念のため確認するぞ。まず私にはもう一画しか刻印がない。そしてこの一画は任意で譲ることも、屈服させて奪い取ることもできない。――で、あんたはそれをどうやって奪うつもりだい?」

 最初に説明されたルールではそうだった。最後の一画は譲渡も強奪もできないと聞かされた。だが、伏せられていただけで最後の一画を奪う方法は存在した。――それは相手を殺すこと。ただ、昨夜のラスタの例からすると、殺すまでいかなくとも深手を負わせれば条件次第では奪うことも可能なようだ。

「決まってる。ラスタがやったみたいにあんたを痛めつけて刻印を傷つける。それかその左手もろとも切り落とす、もしくは……」

 彼女カルナは一呼吸おいてから言い放った。

「殺す」

 強い語気を込めてそう言い切った彼女だったが、指差すその手は僅かに震えていた。

(あぁそうか、こいつ怖いだけなんだ)

 本人は気づいていないようだが、その表情に余裕はまったく見えない。強い緊張と恐怖を隠しきれていない。こんなのカナミでなくとも分かる。ただ引き篭もっていても怖れ怯えが振り払えないことに我慢できなくなって飛び出してきてしまった、というところだろうか。……それはただ思考を停止しただけの自棄やけだ。蛮勇ですらない。

 しかし、そこまで察してしまうと、彼女が憐れで、けれどちょっと可愛らしいとも思えてしまった。図体の割になんて繊細なことか。そう思うと、ついうっかり気が緩んでクスッと笑いを溢してしまった。失態だった。

「バ、バカにしてんのかぁ!」

 ズドドドドドドドォン

 連続して複数の爆発音が辺りに響く。空気中の塵やらなんやらを無理やりに発火させ、次々に爆発させる出鱈目な力技。ナルザは咄嗟に周囲を冷却したが相殺が追いつかない。

「そんな氷もどきで防がれてたまるか!」

 カルナはアハハハと悪役のように高笑いしている。カルナは火しか適性を持っていないが、その一点においてとても特化している。一方ナルザは火とこおりの両極の使い手。バランスをとるのが難しい加熱と冷却の力をその才能と努力で器用に使いこなす。

 故に、技ではナルザが勝るが、力のゴリ押しではカルナに分がある。加えてナルザは既に刻印が一画しかないのに対して、カルナにはまだ二画が健在だ。いくら技術では分があるとは言え、何の備えもないところに画数で負ける一極使いの相手は厳しい。

(まずったなぁ……)

 最悪殺されるかもしれない不利な状況だというのに、ナルザはどこか他人めいた感覚でいた。焦りも怖れもなく、ただ俯瞰ふかんして見ていた。自身の命の行く末をも。

(あー、でも私がいなくなったら、あいつら泣くだろうなぁ……)

 きっと私の亡骸の前で泣きじゃくって目を真っ赤にして腫らして。――それは駄目だな。

 顔を上げ、キッとカルナを睨み視線を合わせる。対してカルナは一瞬ばかり怯んだ。

「臆病者は臆病者らしく……お家に篭ってな!」

 一瞬で二人の周囲の気温が下がる。凍の術とはすなわち熱を奪う、冷却する力だ。瞬間的に冷却された空気の、その内包する水蒸気が霧へと化す。

「うざいんだよ!」

 カルナは自身を中心に塵という塵をすべて熱して炎とし、爆ぜさせ、霧ごと周囲の空気を吹き飛ばす。

「どうだこれが火力の差だ!」

 そう誇らしげに豪語した彼女に向かって、ナルザは氷の刃で斬りかかった。霧を作った直後、素早く生成した小さな刃。咄嗟に作った程度のものなので鋭さも強度も低く、せいぜい引っ掻き傷をつけるぐらいだろう。だが十分だ。予想外の攻撃に虚を突かれたカルナは反射的に後ろに飛び退き、その先でバランスを崩して後ろから地べたに倒れ転がった。

「てめぇ!」

 片膝を付き立ち上がろうとしながらめつけてくるカルナに向け、ナルザは氷の短刀を投げつけ、直撃する寸前に自ら熱して溶かした。一瞬で溶けた氷がカルナの眼前の視界を蒸気となって曇らす。

「くそがぁ‼」

 そう吐き捨て放たれた直情的な火球を避け、再び小さな氷塊を作って投げつけ、再び当たる直前に溶かして蒸気にする。

「てめッ!」

 それを幾度も繰り返す。容易く軌道の読める火球をかわしつつ、氷塊を投げつけては溶かして蒸気を浴びせる。投げる度に狙いを変えて左右、後ろ、足元……様々な方向から幾度も蒸気を浴びせる。

「いい加減にしやがれぇ‼」

我慢の限界がきたカルナはそう叫んで、自身を中心に炎の壁を大きな一本の円柱のように形作った。そしてそびえた炎の壁を円周の外に向かって押し出すように、自身の領域を広げるように周囲全方位に侵攻させる。それはもちろん、ナルザの方にも向かって迫り来る。

 迫る炎の壁。これを回避することは無理だ。――回避できなければらせばいい。

 ナルザは自身の足元に上昇気流を伴い勢いよく真上へ燃え上がる炎の奔流を作り出す。その奔流は接触したカルナの炎を勢いに乗せて上方に巻き上げる。ナルザを焼くはずだった炎の壁は空へ向かって巻き上げられ、さらにその先にもう一つナルザが作った炎の球に糸を巻き取るように吸収され、その制御をナルザに奪わる。

「なっ……」

「私の炎ではどう足掻いてもあんたには力負けする。――だったらあんたの炎をそのまま利用してやればどうなるかな?」

 ナルザは頭上近くに特大の炎球を掲げる。余裕ぶって見せてはいるが、実際は制御にかなりの神経を要した。ちょっとでも気を緩めれば、弾けて自身を焼き尽くしてしまいそうだ。

おのが炎で……その身を焼きな」

 炎球を眼前に降ろして構え、正面から真っ直ぐにカルナへ向けて撃ち放った。

(……あいつのとる行動は一つしかないだろう)

「ざけんなぁ‼」

 そう叫んでカルナは右掌に掴むように火球を作り出し、腕ごと前方に押し出すように構えた。そうして押し出された火球は勢いを増し猛火となり、ナルザの炎球を受け止める。

「負けてたまっかよォ‼」

 根性だった。カルナはその精神力すべてを炎を練り上げることに集中させた。いくらナルザがカルナ自身の炎を利用したとはいえ、一画対二画の直接対決だ。元々素質でも火力の勝るカルナが全力を出したわけだから、押し巻ける道理なんてなかった。

「見たか!」

 ナルザの炎球を打ち消し、まるで既に勝利したかのような笑みを浮かべたカルナの頭部を、ナルザの容赦ない回し蹴りが直撃した。

「ぐほっ……」

 カルナは言葉にならないうめき声をあげ、その大きなからだは方向感覚を失い、地面に打ち付けられた。

「体術では私のほうが上だったね」

 別に巫術での勝利に拘る必要などない。戦闘不能に追い込めれば何でも良かった。単純な腕力だけならカルナのほうが上だったろうが、技術に関して負けないのは体術も同じだ。

「さて……」

 頭と首に強く衝撃を受けて昏倒したのか、地べたに躰を投げ出したまま動かないカルナの近くまで寄って、上から見下ろす。

「見逃してもいいんだが……また暴れられたら厄介だ。その刻印だけもらっていくよ」

 ラスタから聞いた話に倣うなら、完全に戦闘不能に陥った目の前の大女からなら、直接刻印を傷付けるだけでも最後の一画までを根刮ねこそぎ奪い取れるんじゃないだろうか。

 空中の水蒸気を集めて小さな氷を作り、さらに地面に手をついて地中の水分を集めて足しにして、短刀状の氷を形作る。先程より丁寧に作ったそれは中々に鋭い刃を備えていた。

「少し痛いだろうが我慢しな」

 そう言ってカルナの意外と色の薄い肌に切っ先を当てようとした時。

 何かがナルザの脇腹に突き刺さった。

「ぐっ……」

 ナルザは不意な激痛でバランスを崩し、そのまま地べたに、カルナのすぐ横にうつ伏せに倒れ込む。痛みにえて傷口に手を当てようとすると、冷たい何かに触れた。

(――そうだ、こいつがいるならあのがいないわけがないんだ)

 ナルザはもう、痛みに抗うことを止め、力なく完全に地べたに身体を預けた。

 ――まぁ。

 もういいや。

 何か硬いもので頭を殴られ、ナルザの意識は途絶えた。

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