「説明しろ」
怒鳴り込むカルナをセラは止めなかった。まだ弔式が終わっていない屋敷の奥へ向かって、二人はズカズカと進み続ける。他の印持ちも後から数人がついて来ていた。
「全員中に居た。なのに外にもう一人いた。どういうことだ⁉」
「ハルキさんはいますか」
この先は……と止める屋敷の者をカルナが容赦なく怒鳴りつける。それに怯んだところに、一見落ち着いていそうなセラが冷静に、淡々と目的であるハルキの所在を問い糾す。
この儀式の進行役である、アルトの双子の妹にして仮の正妻であるハルキ。おそらく彼女は現在、最もこの儀式の真相に近い人物であろう。
セラは先程血だらけでもう虫の息だったレミと、彼女を抱きしめるエリンの姿を目の当たりにした。誰かが呼んだ医療師が駆け付けたその頃には、もう既にレミは事切れていた。夥しい数の傷と、胴を穿つ致命傷、そして大量の出血。どの道手の施しようがなかった。
それを見てしまったイマリは真っ青になって倒れてしまい、ナルザが介抱している。あの凄惨な光景を作り出した犯人であろう、全身に黒布を纏った何者かは、ラスタと大人数名が追跡したがすぐに巻かれてしまった。
現在、エリンは屋敷の中に運び込まれたレミの見るも痛々しい亡骸の手をずっと握ったまま、黙って側についている。皆、空気を読んで二人きりにしてあげていた。レミの両親は別室で、母のほうは咽び泣いていた。父は必死に感情を抑え、堪えていた。
しばらくして、あまりに現実離れした惨状を前にして呆然としていたカルナが動き出した。心の奥底から湧き上がる憤りを怒りに変えて。セラもそんなカルナを止めずに共に動いた。ハルキが今何処にいるかは分からないが、とりあえず屋敷の奥へ向かえば何か分かるだろう、と。なんなら例の祠まで行ってもいいと思い、彼女らは奥へ奥へと進む。
「お静かになさい」
これ以上は……と止める屋敷の者をカルナが無理やりどかそうとしたとき、よく通る、しかしハルキとはまた違った貫禄ある女の声が廊下に響いた。その場の全員がぴたりと動きを止め、後ろを振り返る。
アルトとハルキの実母――今は亡きアル家当主の正妻その人だった。弔問客への対応に追われていたはずだったが、ここまで来る途中のどこかで入れ違いになっていたらしい。
アル家当主ハルトは既に亡くなった。しかし、後継者アルトへの家督の引き継ぎができていない以上、彼女が事実上も形上も、現在のアル家の長――当主代行にあたる。
程なくナルザを先頭に残りの面子も合流した。
「未だレミの傍らにいるエリンを除いて……これで全員です」
「エリンですか。今は仕方がありませんね……。現状は、私たちにとっても異常事態です。一先ず、現在私たちが把握しているだけの情報を皆様と共有したいと思いますが……先に急を要する報せを一件、お伝えしておきます。――アル家次期当主アルト・イ・アルの仮の正妻であり、実の双子の妹で私の実子であるハルキ・ル・アルは、昨夜遅くから今朝方未明にかけて、何者かによって殺害されました」
応接の間にて上座に前アル当主夫人を仰ぎ、八の家の長女たちが集められた。未だレミの亡骸に寄り添っているエリンには、落ち着いてから来るようにと伝えられた。
怯えて正気を失いかけていたイマリはナルザがなんとか宥め落ち着かせた。怒り心頭だったカルナもどうにか抑えてじっと話が始まるのを待っている。
「黒布で全身を包んだ謎の襲撃者、及びハルキ殺害の件。何故、このようなことが起きてしまったのか。確たる真相は掴めておりませんが、一つだけ心当たりがあります。
既にハルキの口からお伝えしたと思いますが、十五年前、ある日エルの当主が訪れてきたことがすべての始まりでした。例の天啓についてです。その後、あの『呪い師』が現れました。周知の通り、その者はこれから生まれるアルトの虚弱さと、まだ伏せられていた天啓のことを知っており、その対策法を提示しました。
まずは産まれた双子の片割れの男児――アルトに、かの者の術法によって延命処置と、時が来れば氷牢の術が発動する刻印を施す。これはあなた方の刻印とは異なる紋様のものです。もう片割れの娘――ハルキには『刻印の種』とも言うべき『大刻印』を施し、以後『儀式』の進行役とする為に秘して育てる。時が来れば、まずは今は亡き夫ハルトの具合が危篤へと傾くのを皮切りに、次にアルトに掛けられた呪いが発動する。それを以て合図とし、ハルキの持つ大刻印が成長して出来上がった枝葉ともいうべき刻印を、指示された条件から選出した少女たちに与え、此度の『儀式』を行わせる。……ここまでは既にお伝えした内容と相違ありません。ただ、私たちは一点だけ、あなた方にかの呪い師の指示とは異なることをお伝えしました。本来、かの者は『選ばれた十四人の少女たちに刻印を分け与え、争奪戦を行わせる』と、そう指示していたのです」
あの日、アルトの眠る祠の前に集められたのは十二の家の長女たち。そして家から動けないリサを加えても十三人。
「……何故、私たちが指定された十四人ではなく、一人足りない十三人に刻印を与えたのか。此度の儀式が始まるより以前、春先にとある問題が発生していたのです。……エリン、貴女なら心当たりがすぐに思い浮かぶのではありませんか?」
夫人はいつの間にか応接間の入り口に佇んでいたエリンに問いかけた。
「私の従姉……ウルド家長女ですね」
そう答えるエリンの声は平坦で無機質で、何も感じさせない空虚な色が顔を覆っていた。身体中に包帯を巻いて杖までついた痛ましい姿も相まって、いつものふわりと、おっとりとした彼女とはまるで別人のようだった。
はい、と夫人は頷いて肯定し、エリンにも座るように促す。
「呪い師の指定した年齢層に当て嵌まる長女であり、十四人のうちの一人だと思われていたウルドの娘は春先に、不慮の事故死を遂げてしまいました。それが呪い師の予測を狂わせたと私たちは解釈し、まずは十三家の長女のみに計二十六画の刻印を与え、余った二画と元々進行役として必要だった一画の、合わせて三画をハルキの手元に残しました。つまり存在する刻印の総数は二十九画となります。儀式の開始時点では収集すべき刻印の数を他の全員から一画ずつ奪取すれば集まる十四画と伝え、最後にハルキから本来十四人目から得るはずだった一画を譲り渡すことで十五画とし、儀式を完了する予定でおりました。
ですが……昨夜、ハルキは屋敷に忍び込んだ何者かによって殺害されました。此度も、おそらく氷の凶器によってです。その手にあったはずの刻印も三画すべてが強奪されておりました。……既にお気づきでしょうが、この刻印は持ち主を『殺す』ことで最後の一画まで、全て奪い尽くすことができます」
皆、何も言わない。セラやカナミ以外も、皆々その事にはもう薄々気づき始めていた。気づかない振りをしていたかった者もいたが、遂にはっきりと宣告されてしまった。悲劇を呼び寄せる絡繰りを。
「私たちとて、この小さな里の中で殺し合いなどさせるのは本意ではありません。そもそもそんな事をせずとも、全員から一画ずつ集めれば数が揃う計算になっています。ですから、この事は最後まで伏せたかったのですが……。
話を戻しますが、元から十四人目の存在は指定されてはいたのです。ですが、ウルドの娘の亡き後、入念に確認をしましたが、かの者の指定に当て嵌まる人物はこの里には存在しませんでした。それ故、私たちはやはりウルドの娘が十四人目の予定だったと解釈したのですが……今回、十四人目が現れてしまいました。あの刻印は元来、選ばれた少女たちしか宿せないはずのものです。
エリン、申し訳ないですが一点、早急に確認させてください。その黒衣の襲撃者とやらが宿していた刻印……それは何画だったか分かりますか?」
「十画でした」
一同に戦慄が走った。雷単極のレミが雷撃の撃ち合いで敵わないわけだ。二画だけでも驚異的に巫術の力を増幅させる刻印が十画。いったいどれほどの力を持っているのだろうか。その場の誰にも想像がつかなかった。
「……そうですか。ありがとうございます。と、するとやはりハルキを殺したのもその黒衣の者というわけですか……」
ここまで堂々と、淡々と話を進めてきた夫人の目に、初めて翳りが差したのをカナミたち数名は見逃さなかった。やはり実の娘が殺されたことは堪えたのだろうか。
「……あ、あの……数がおかしくないです……か……?」
おどおどしながら声を上げたのは、つい先ほどまでカルナに宥められていたはずのイマリだった。
「イマリさん、合わない、とは?」
「えっと、その……ハルキさんが持っていたのが三画だけだったなら……一画多いんです」
最初は困惑顔をした夫人だったが、すぐに意味に気づいてハッとした。他の頭の回る何人かも気づいた。イマリは色濃いこの面々の中で最も普通の少女で、学力も総合すると並み程度だが、唯一数字だけには強かった。だから、即座に気づいたのだろう。
殺害されたサリャが所持していた刻印は五画、ハレは一画。そしてハルキは三画。すべてがあの黒衣の者の犯行だとしても、合わせて九画。一画足りないのだ。
「……一度、今持っている刻印の数を確認しないか」
そう言ってラスタが、二画の刻印を宿した左手の甲を皆に見えるように差し出す。それに倣ってライラも慌てて同じく二画の刻印を宿した手の甲を差し出す。続けて一画持つナルザも見えやすいように手の甲を差し出し、倣ってイマリも同じく一画宿した手を差し出す。続いてセラも二画宿した右手の甲を、セラにせかされてぶすっとした顔のままカルナも二画宿した左手の甲を差し出す。カナミ、アズミもそれぞれ黙って二画宿した手の甲を差し出した。――そしてエリン。彼女の左手の甲には四画の刻印が刻まれていた。
「レミが息絶えたとき、彼女の手を握っていました。たぶんその時に」
つまり刻印は「誰が殺した」かに関わらず、絶命する折に触れた者の手に流れ込む、ということらしい。最後にこの場には居ないリサの持つ二画を合わせて二十画。殺されたサリャ、ハレ、ハルキの持っていた刻印を合わせると、夫人の言う通り二十九画となる。エリンの話通りあの十四人目の黒衣の襲撃者――分かりやすいように十四番と呼ぶことになった――が十画持っているとしたら、数が合わない。
「一つ、失礼します。エル家のリサについてですが、彼女にはハルキ殿があの夜の前日に刻印を渡していたそうですが、それ以降、彼女の刻印を確認しましたでしょうか」
ラスタが声をあげ、アル夫人に問う。
「いえ、私たちアルの者はその後直接の確認はとっておりませんが……」
「彼女の体が元よりとても弱いことは承知しています。近年、さらに悪化したという噂も聞いています。それを承知の上で、この儀式が始まってから彼女が公に姿を見せていないのも事実です。少なくとも私はその姿を見ておりませんし、見たという話も聞いておりません。……誰か直接彼女の姿を確認した者はいるか?」
「はい」
そう声を上げたのは意外な人物――カナミだった。
「私は刻印を配られた翌日、早々に彼女のもとを訪れました。そしてちょうど昨日にも。彼女の刻印を譲り受けることができないかと、交渉する為です」
これには皆、驚かされた。その早さもさながら、そもそもの話、エル家に関わりたがる人間は中々いない。閉ざされた特別な家であり、規律が厳しいエルの人間に会おうとするには面倒な手順、手間が必要となる。そんなエルの家を彼女は早々に訪れ、中でも特に面会が難しいと思われる長女に会い、さらに正面から刻印の譲渡を頼み込んだというのだ。
「彼女は昨日の時点でも、確かに二画の刻印をその手に有していました。そして私はそれを譲ってくれないかと交渉しましたが、彼女はそれを断りました。自身がこんな身である以上、最後には誰かに譲ることになるだろう。しかし、今はもうしばらく静観して、誰に譲るべきかを見定めたい。――との事でした。それと、ほぼ一日中を寝台の上で過ごし、家の中で生活するのもやっとだというのも本当のようでした」
「……カナミの言うことなら、今はまず信じることにします」
ラスタも納得したようだ。普段から口数が少なく交流も少ないカナミだが、その頭はとてもきれる。すぐにバレるであろう嘘はつかないだろう、と。アル家の名を以てしてエル家を訊ねれば、裏付けを取るのにそう時間もかかるまい。
だが、現在もリサの刻印が健在だとするなら、結局は数が合わない。エリンの話によれば、十四番は自ら十画あると言い、エリンもそれを目視で確認したという。十四番がはったりをかまし、釣られてエリンが数え間違えたという可能性もなくはないが、この相違をただの勘違いだと切って捨てることは誰にもできなかった。
なら、十四番は最初から一画を所持していたという可能性も浮上する。そもそもがアル家の把握していない、何処の誰かも分からない人物だ。
「……エリン、すみませんが貴女の対峙した黒衣の者についての話、もう少し詳しく聞かせてもらえますか」
憶測が出るばかりで埒があかないため、改めてエリンにことの仔細を聞くことになった。エリンの表情は相変わらず無機質で空虚で、悲しみも悔しさも憎しみも怒りも、何も感じさせない様子のまま、知る限りのことを答えた。
かの者の外見や声について。
昨日、最初に襲われた件について。
そして今日の戦闘についても、気遣いは無用とばかりに淡々と、事細かに説明をした。その話のなかでやはり大きな問題となったのは、刻印の画数のこともだが、かの者が光、風、雷の三属の力を使ったという点だった。
「んな馬鹿なことあんのか?」
声を荒げるカルナに、セラも聞いたことがないとつけ加えた。物好きにも古書に精通しているセラが知らない以上、少なくとも表の記録上には存在しない可能性が高い。夫人も知らないとのことだった。
「ただ、属性適正については稀に特殊体質を持って生まれる子がいます。私は同例を存じませんが……アルとエルの記録を洗えば、何かしら分かるやもしれません」
エリンが分かるだけのことを説明し終わると、夫人は彼女を労い、礼をした。
「……一つ、気に掛かっていることがあります」
再びラスタが口を挟む。
「そもそも塀の向こうとはいえ、あんな至近距離で激しい戦いが行われていたというのに、それに誰も気づかなかったのはあまりに不自然です。確かに正門付近からは死角になっていましたが、塀一つ挟んだ向こうで雷撃の応酬なんてあれば、相当派手な轟音が鳴り響いてすぐにでも誰かが気づくはずです」
敷地内の人間があの戦闘に気づいたのは、十四番が広域に目眩ましの光を放ったからだった。それで数人が外に様子を見に行くと、既にレミは瀕死の様だった。
「たぶんですが、風で音を遮る障壁を張っていたのではないかと思います。風術というのは空気の流れを操る術です。上手く使えば、ある程度の音を遮断することだってできます」
ラスタの母は風と光の希有な才能を持つ使い手であることで有名だ。そして娘のラスタもその才覚を継いでいる。風術で音を遮断するなどとても一般的に知られている技術ではなかったが、ラスタの言うことなら有り得ると、この場の誰もが納得した。
しかし、仮にそうだとすると、結局十四番の持つ技術が高度且つ幅広いことになり、より恐ろしい相手と認識せざるを得ない。そして属性の話で言えば、もう一点――。
「ん、サリャとハレって確か……」
そのことに気づいて最初に声に出したのは意外にもカルナだった。
「はい、サリャもハレも状況的におそらく氷の凶器が使用されたと、私も聞いております。そしてハルキに関しても同じ状況でした」
「ってことは……風と光と雷? に凍? 火以外全部じゃねぇか!」
「……ここまでくると、私はもう全属使えると言われても驚かない」
一旦重要な話にはきりがついたので、夫人はここで退室することとなった。
「この黒衣の十四人目……それが何者なのか。今の話を聞いた限り、やはりアル家の把握している範疇では、この里に該当する人物は存在しません。先ほど説明した通り、ウルドの娘が亡くなった時に他の可能性について入念な調査もいたしました。
……今回の件で私たちアルの家からお話しできることは以上ですべてとなります。十四人目の正体に繋がる有益な情報を何一つ持ち合わせておらず、申し訳ありません」
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