桃源の乙女たち

星乃 流
星乃 流

公開日時: 2021年9月2日(木) 17:03
文字数:3,791

 里の外れの小さな小屋。あばら屋というほど荒れてはいないが、手入れは行き届いておらず、最初はほこりっぽくてかなわなかった。まずは大掃除から始まったが、あの長く使われていなかった小屋の独特の匂いも今や懐かしい。

 里の喧噪――そうはいっても人が集まる場所なんて限られていたが――なんてまるで届かず、風がざわざわと葉をり合わせる音と、時たまの小鳥のさえずりが心地よかった。世界というのはこれ程まで静かで、穏やかなものだったのかと気づかせてくれた。

 縁側は朝は陽があたり暖かく、昼になると少しかげって夏場は涼しかった。冬は少し冷え込んだが、それでもあの場所は心地よかった。

 人の手の介入しない自然の声だけが満たす、静謐せいひつ。それを破る人間は、他はたった三人。母と、そして――。


「……カナミさん?」

 名を呼ばれたことに気づき、カナミはハッと覚醒する。カナミは屋敷の玄関で家人の一人を待つ間に少し腰掛けたところ、ついうつらうつらと寝入ってしまっていた。

(……それにしても、随分懐かしい夢を見ていた気がする)

「次は何をしたらよろしいでしょうか」

「……いや、今はこれで結構です。ああ、家事が少し手が足りないかもしれないので、そうであれば手伝っておいてください。なければ、休んでおいてくれて構いません」

 ――さて、後は何をしておけばよいだろうか。今、これ以上何ができるだろうか。

 カナミは自身の家――ウル家の屋敷に、様々な手法で襲撃への対策を施して回っていた。自分一人ではすべてに手が回らないので、家の者も総動員させて。

 ――「何らかの手合いに勝利して屈服させる」という曖昧な表現。それを皆に伝えた時、それまで淡々と話していたハルキの歯切れがほんの僅かに悪くなった事。刻印によって強化された巫術。そして「手合い」を「戦い」と捉えたときに想像しうる事態。

 この里の人間は生まれたときから潜在的に一つ、ないし二つの巫術の「属性適性」というものを持っている。例えばカルナであれば火単一の適性を持ち、対象物の発熱、発火など火に関連する技能――「火術かじゅつ」を扱える。カナミはそれとは真逆で熱を奪い冷却する「凍術とうじゅつ」の適性を持っている。ナルザに至っては火術と凍術の二つの適正を持つ。そのように火、こおりいかずち、風、光の五属のうちの一つ、ないし二つの適性を誰もが持っている。

 ただし、本来はこの他にも第六の属性「闇」が存在する。その他の属性がすべて自然現象を人為的に操る能力であるのに対して、闇属あんぞくの力は「人の心」に直接干渉する。他人の思考を読み取ったり、意思に干渉したり、幻を見せたり等など。ただ、ひとりでそれらすべての技能を扱えるというわけではなく、個人個人で扱える能力の方向性がまったく異なる。他の五属性が力量に差はあれど、各々おのおのの持つ力の性質が同じであることに対して、闇属のみが各々で性質がばらばらでとても異質だ。また、他属性は一人が単一の適性を持つこともあるが、闇属の適性は単一では発現しない。必ず他の適性とあわせて発現する。

 心に干渉する危険性と他の五属と比べて異質な特性。それらが相まって、現在は闇という属性は表向きには「存在しないもの」とされている。――カナミは凍と闇の適性持ちだが、表向きは凍単一の適性持ちとされている。

 本来、どの属性適正を持とうが、その能力の「強さ」は攻撃的な使い方をしたとしても、せいぜい山での狩りの補助に用いるぐらいで、基本的には生活を少し便利で豊かにする程度のものだ。しかし、この刻印とやらの力が加わるとその常識は一変してしまう。おそらく無抵抗な人間なら容易たやすほふり殺せるほどの力が出せてしまう。

 ――力は人を魅了し、狂わせる。

 カナミは確信していた。この儀式は血にまみれると。アルトの解放や正妻の座などとは無関係に、きっと争いは起こり、いずれ血が流れる。早々にその結論に至ったカナミは、刻印を受け取った翌日から襲撃への対策を始めた。

 カナミの家、ウル家は以前は当主の正妻である――次妻の子であるカナミとは血の繋がらない――義母が家の実権を握っていた。しかし、数年前に彼女が亡くなって以降、当主である父やカナミの実母をも差し置いて、現在はカナミが齢十四にして家の実権を握っていた。義母にあたる父の他の側妻たちさえも思い通りに動かしていた。

 しかし、家の守りを固めて目下の起こり得る事態に備えるのはあくまで目先の対応策にすぎない。その遠く先のことをどう捉えればよいのか、カナミもまだ困惑の中にいた。

 アルトが産まれた時点でいくつかの家に発せられた「その時が来るまで各家の長女は家から出さず、決して嫁がせてはならない」という不可解な首命。他家に嫁にも養子にも奉公にも出すなというめいだ。――これはこの儀式を行うための下準備だった。

 そして、こんな意味の分からない首命に各家が従った理由。アル夫妻が実の娘一人の半生を犠牲にしてまでも、まじない師とやらの要求を受け入れたもう一つの、本当の理由。

 一昨夜、あの場でハルキの口から語られた「もう一つの理由」はアルトの件のさらに上をいく、途方もなく荒唐無稽な御伽噺おとぎばなしだった。後で当時を知る各家当主にも直接訊いてみてくれとのことだったので、カナミは帰宅してすぐに父を問いただした。

 ――くだんの呪い師がアル家を訪うよりさらに数日前のこと。エルの家がとある「天啓てんけい」を授かった。天啓とは夢の中に顕れる未来の光景。視覚的な情報だけではなく、感覚的にその状況も伝わってくるらしい。簡単にいえば予知夢である。そして唯一その予知夢を見ることができるのが、エルの家系である。あの当日、あの場に来れなかったリサの家だ。

 エルの家はこの里で最も特異な家系だ。アルヴの民は閉ざされた土地に住まうが故、代を重ねるとどうしても血が濃くなってしまう。それを少しでも抑えるために、できるだけ血縁の遠い相手と婚姻が結ばれることが多い。ごく稀に外界がいかいからの人間が迷い込んでくると、血が薄められると喜んで婚姻を結ばせ、この地に住み着かせ子を作らせるなんてことも過去にはあったらしい。

 しかし、エル家は違う。繋がりをひたすらエルの一族の中だけで完結させようとする。外から嫁を貰うこともあるが、貰われた嫁は実家に顔を出すことがほぼなくなる。外に出されたエルの女も、かの内情に関しては決して口外しない。最も謎が多く、怪しげな家である。

 だが、その天啓の力は本物だ。大抵は大なり小なり災い事の予知であり、それを事前に知ることで対策を講じ、難を逃れる。里の記録にはいくつものその実績が連ねられている。

 そのエル家にある時「幾十年か先、里全体が炎に包まれ、さらなる厄災に見舞われる」という天啓がくだった。エルの当主は急ぎその旨を里の首長であるアル当主に伝えた。まだまだ未来さきのことだったので一旦は伏せることとなったが、その後に訪れた件の呪い師はアルトのことだけでなく、その天啓のことも知っていたという。さらにアルトを救うことが、その凄惨せいさんたる未来に対抗しうる手段に繋がるとも。

 その手段というのが、この『儀式』によって勝ち上がった女子と、アルトとの間に生まれる子にあるという。その御子みこの導きによって、里は滅びの運命から逃れ得る、と。

 これから生まれるアルの子について知っていた。その命をすくい上げる手段を提示した。

 まだ伏せられていたエルの天啓のことを知っていた。それに対抗する手段も提示した。

 我が子可愛さと、破滅の予言を受けた里の未来。これら二つの要素を合わせて考えた結果、アル夫妻は得体の知れない男の提案に乗ることを決めた。――そういう話だった。

 当然こんな話をしたところで、普通は誰も信じない。そこで儀式の為に「長女の婚姻を禁止する」という首命をくだした家々の長を集め、神事を司るウァル家の秘儀とやらによって、エル当主の見た天啓を全員で共有したという。――そんな便利な術、あったんですか。

 一人の見た光景などの記憶を他人と共有する秘術があるらしい。それを介してエルの天啓を見てしまった、知覚してしまった各家の当主は従順に、その表向き不可解な首命を今まで堅守してきた。

 十五年前当時、カナミは母の腹に宿ったばかりでまだ産まれていなかったが、カナミの父もアル家より呼び出され天啓を共有し、改めて首命が下されたその場に居たという。父曰く、秘儀とやらで見たエルの天啓は本当に恐ろしかったそうだ。何より里が燃え盛る光景だけでなく、いろいろな状況が、情報が感覚として流れ込んでくることがとても苦しかったとも。想像以上のエルの天啓の力に、恐れおののいたいう。

 ――最初は突拍子もない上に、話の規模が壮大過ぎて何の御伽噺おとぎばなしかと思った。あの場に居た皆々もまったく理解できず、ついていけないといった様だった。ハルキもそう反応されるのは承知の上だったからこそ、その場で深くは語らず、あとは各家の当主に訊いてくれと言ってその話を締めたのだろう。

 ……まぁ、やはりそんな未来の事、今は一旦置いておこう。とにかく直近の事態に備えることが優先だ。

 ――最初に取り込まれるのは誰か。

 この奇っ怪で摩訶不思議な状況下に、ほとんどの者が困惑で動けずにいるはずだ。逆に、そんな状況下で最初に行動を起こすことができる者はきっと――。

 そして儀式が始まって四日目。つまり刻印を渡された日から三日後の早朝。ナルザのウェル家本邸が全焼したとのほうが里中を巡った。

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