カナミたちはエル家向かう道中、ほぼほぼ無言だった。
エル家へ向かった面々は、まずはカナミとその実母と義母がもう一人。次にラスタの両親と義母が一人。ラスタの実母は非常に風変わりだが、異名をも囁かれる稀代の術士だ。もしかすると、十四番に襲われても彼女ならば単身でどうにかしてしまうかもしれない。
そしてライラとその実母と義母が一人。ライラの実母は次期当主であるライラの弟の実母でもあったが、彼女は長男よりライラのことを溺愛していることで有名だ。跡継ぎである男子ばかりを可愛がることのほうが多いというのに、珍しいことだった。
特に無駄に時間を食うこともなく、正午前に一行はエル家に辿り着いた。カランカランと玄関の呼び鈴を鳴らすと一人の女性が出てきて応対した。カナミの母が話をつけてすんなりと応接間に通され、しばしの間待たされた。やがて現当主とその正妻――つまりリサの両親が現れた。一番面識のあるカナミの実母が、昨日から起こった一連の出来事をでき得る限り詳細に、順を追って説明を始めた。
――怯えすぎだ。話が進むに連れて、エル当主夫妻はあからさまに顔色が悪くなっていった。こんな惨劇が起これば怯えるのは当然ではある。しかし、カナミの眼には――正確には五感以外の感覚だが――それ以上に、何か他のモノに怯えているように映った。
カナミは看破の紫眼などと影で呼ばれている「心を見透かす力」を持っている。それは実際のところ、確かに他人よりは人の心の内を「気取る」ことに長けてはいたが、所詮はその程度。何を考えているか、その委細まではっきりと見通せるわけではない。それでも目の前の二人が何か重大な事を伏せていて、おそらくそれに関する事に怯えていることははっきりと分かった。
やがて娘たちだけがリサの部屋に通された。親たちはまだ色々と話があるらしい。
「いらっしゃいませ。カナミさんは……何日ぶりでしたっけ」
「二日ぶりです」
長く伸びた銀髪の美しい儚げな少女が、その痩せた身体を椅子のような寝台に凭れかけたまま微笑み、弱々しくも柔らかく、優しい声で迎えてくれた。その寝台は天板が上半身と下半身を預ける境で二つに分かれており、上半身の部分の天板だけを斜めに持ち上げることで、寝台ごと背凭れ椅子のようにして上半身をある程度起こすことができる。幼い頃から臥せることが多かった彼女が、少しでも身体を起こしていられるようにと作られた一つしかない品だと、カナミは以前聞かされた。
「あぁ、まだ二日なのですね」
カナミは儀式の始まった翌日に加え、六日目である一昨日にも彼女のもとを訪れていた。だからこそ昨夜、彼女の刻印二画が健在であると皆の前で断言することができた。
リサは昔から、何か大きなものを抱えているような目を見せることがしばしばあった。少なくともカナミの紫眼にはそう映った。
特別な家に生まれ、尚且つ体が弱く気も弱い彼女には友達と呼べる存在がほぼいない。そんな中、カナミは家の繋がりやいくつかの偶然が重なって話す機会が幾度かあり、いつしか気が向けばふらりと家を訪ねられる間柄になっていた。それはエルの家に容易に出入りできる稀有な存在でもあった。
そういう訳でリサにとって最も、そして唯一「友達」と呼べる存在に近いのがカナミであった。「友達」という言葉が一般的に指すそれとは少し何かが違う気がしたが、お互いに自然とその認識が一致していたため、ほどよい距離感を保てて関係は良好と言えた。
だが、何度会おうがカナミには彼女が心の奥底で抱えているものが分からなかった。その目、表情を見ていれば何か大きなことを抱えて、背負っているのは分かる。それが個人のことなのか、家のことなのか、それとももっと別の何かなのか……。カナミの眼を持ってしても、それを見透かすことはできなかった。
(看破の紫眼なんて大仰なこと、最初に言い出したのは誰なのかしらね)
「そしてラスタさんとライラさん……でしたね? いらっしゃいませ」
彼女はカナミの後ろの二人にも優しく微笑みかけた。
「顔をちゃんと覚えていてくれたことに一先ず喜んでおきます。それでは失礼ながら単刀直入でお願い申し上げます。――その手の刻印を見せて頂けませんか?」
どうもエルの家に何か思うところがあるらしきラスタが早々に切り込んだ。それに対してリサは優しくも儚い微笑みを浮かべたまま、右手の甲を差し出す。そこには確かに二画の刻印が刻まれていた。
「それで……何かありました……ね?」
彼女は相変わらず儚くも優しい表情を絶やしてはいなかったが、その瞳には強く翳りが浮かんでいる。カナミだけではなく、いきなりの複数人での来訪だ。何かあったことは誰でも察しはつく
「昨日、首長の弔式の最中、レミが殺されました。正体不明の十四人目の襲撃者によって」
一瞬のうちに彼女の顔色が曇り、悲しみに包まれたのをカナミの眼は確かに捉えた。それはただ一人の死を嘆く程度ものではない、それ以上の深い何か……。
「詳しく……お願いします」
顔を背けて窓の向こうに視線を逸らし、彼女はそう頼んできた。その後はラスタが昨日起きたことを順に説明してくれた。よく見知った相手でも長く喋ることが好きではないカナミにとってはありがたかった。
(十四番、か……)
壁に凭れ腕を組み、カナミは思案に耽る。
リサの刻印を確認したことで、エリンの見間違いでない限り刻印の数が合わないことは確定した。その矛盾はきっと謎の十四人目の正体へと繋がっているのだろう。まず挙がるのが外界からの異邦人という説だが、どうもそうは思えない。十四番の使った技能は常識からすると無茶苦茶だが、エリンの話からすると、すべて元はこの里由来の巫術のようだ。それに今までの襲撃の的確さ。今回に限ってはどうも計画性がなかったようだが、初めのサリャは多くの刻印を得た帰り道を狙い殺された。次のハレは最年少の齢十二で、刻印を真っ先に譲り渡したのは聡かったが、基本は体も精神も歳相応。最も殺りやすい対象といえる。まずこの二人を的確に突いてきた。
この二件のことから――そもそも刻印のことを知っている時点でそうだろうが、襲撃者は儀式のことと里の内情にかなり精通していることになる。
里の中の現状を知る、首長たるアル家すら感知していない謎の人物。
ふと気づくと、未だラスタの説明を受けているリサの様子が何かおかしい。彼女の纏う「気」とでもいうのだろうか。何か、顔さえ目さえ見えていないというのに、いっそうに深い悲しみのようなものに包まれているのが伝わってくる。いや、それ以上の何か……。
彼女の両親の様子もおかしかった。怖れ、不安、悲しみ。いろいろな感情が心の底深く深くから渦巻いているような、なんとも形容し難い暗がりを感じた。やはりエル家が何か関与しているのだろうか。それとも外に伝えていない天啓でも降りたのだろうか。この家独特の事情として、それは有り得る。
――ん?
アル、エル、誰も知らない人物……。里の始まりより代々首長としてこの里を治めてきたアル家。同じく代々天啓の家として里を救い続けてきたエル家。
そして私たちは既に知っている。アルの家にはその実例があったことを。
(もしや――)
「ん、ライラはどこいった?」
カナミもラスタに言われて気づいた。確か部屋の入り口付近で壁に凭れ掛かって暇そうにしていたはずのライラの姿が、いつの間にか消えていた。考えごとに集中し過ぎていてちっとも気づかなかった。
「なにか物珍しかったのでしょうか……」
「まったく、あの子はいつも……」
ラスタが溜息をつく。ライラは大体いつもぼーっとしている印象が強い。だが、人の輪からズレていたエリンとは違い、もっと朗らかで親しみやすい。
「少し探してきます」
そう言ってラスタが部屋から出て戸を閉めたことを確認してから……カナミはリサの方を見据えて声を掛けた。
「リサ、こちらを向いて」
彼女は肩をびくっとさせ、少しの間をおいてからゆっくりと、恐る恐るこちらを向いてくれた。その瞳は今にも零れ落ちそうな程の涙を湛えていた。
悲しみ、恐怖、哀れみ、不安、怒り、絶望……。その瞳には言葉で言い表すにはまるで足りないほどの負の感情が強く、深く拗れて渦巻いていた。一体何があれば、何を抱え込めば人はこんな瞳を宿せるのだろうか。
カナミは気づけば彼女に近づいて、無意識にそっと頭を抱いて撫でていた。リサは目を瞑り、黙ってそれを受け入れた。彼女はきっと――いや、確実に私たちが知らない何かを知っている。しかし、おそらく今問い糾したところで彼女はそれに答えてはくれないだろう。
――だが。もし私の推察が、推理が正しければ……リサのこのどうしようもなく救い難い、深い混沌を湛えた瞳も辻褄があってしまう。彼女の両親のあの怯えようにも。
「ウワァァアアアアアアアアア」
女の大きな叫び声――絶叫が広い屋敷中に轟いた。
――くっ、遅かったか!
あの声はおそらくラスタだ。カナミはすぐさま部屋から飛び出し、リサのほうを振り返って一瞥してから、屋敷の奥目指して廊下を駆けた。
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