「めんどくせぇ……」
大柄で短い赤毛の女、カルナは木の床に仰向けに寝そべったまま、そうぼやいた。もう夏は過ぎたが日中はまだそれなりに気温が高く、冷たい木の床が気持ちいい。
「はいはい、ぼやいてないで、そろそろ出ないと遅れますよ、姐さん」
腰まで届く長い銀髪と澄んだ青みの瞳が美しい少女が、彼女を穏やかな声音で諭す。
「なー、これ何の呼び出しだと思う?」
カルナは相変わらず寝そべったまま、その銀髪の少女――セラに問うた。
「なんでしょうね……。私と姐さんだけでなく、そこそこの人数が呼び出されたようですが」
「他に誰来んの?」
「とりあえずナルザやレミなど私たちと同世代の女子は何人か呼ばれているそうです」
「げ、アイツも来るのかよ……」
アイツとはナルザのことである。齢十八のカルナより二つ下、セラと同じ齢十六にして、この里の現在の子世代の中心にいる少女。カルナはあまりに真っ直ぐで、正しすぎる彼女のことが苦手だった。好き嫌いというだけの問題ではなく、決定的に反りが合わないのだ。
「他にも、もっと下の娘らも呼ばれているみたいですが……」
そんなことより、とセラは話を戻す。
「はい、早く起きてください。首長の命なんですよ」
「……そもそも首長の命ってそんな大事なのか?」
意地でも動きたくないとばかりに、ひんやりとした床に張り付いたまま、カルナはまだぶーたれる。そんな様の自分より歳も体格も上の少女に、セラは溜め息混じりに答える。
「この里の長からの招集ですよ? 大事に決まってるじゃないですか」
「でもさー、長って言ったって特になんもしてないじゃん」
「貴重な食料や資源の管理とか色々と大事なことやってますよ……。里の重要案件の最終決定権も首長にありますし」
「でも、決定権とやらってほんとにあんの? あたし知らないんだけど」
毎度毎度のことながら、ぐだぐだ言うばかりでまだ動こうとしないこの図体ばかりでかい女に、セラはさらに溜め息をつく。何か面倒な外出事がある度に、セラはカルナと似たような遣り取りをこれまでも幾度となく繰り返してきていた。
「姐さんが知らないだけです! それとこの里が平和過ぎるんです。もし里全体に関わる大事とか起きてしまったとき、長という立場の人がいなければ、大変なことになるんですよ」
そんなもんかねー、とカルナはどうでもよさげに呟いた。先ほどから色々と疑問を投げ掛けてはいるが、彼女はただ動きたくないだけなので、その内容について一切の興味がない。いつの間にか身体を返して、うつ伏せで床にへばりついている彼女の尻をセラは思い切り引っ叩いた。
「いてっ」
「ほら、いつまでもぐだぐだ言ってないで行きますよ! その前にもうちょっとマシな服に早く着替えてください!」
(アンタはあたしの母親かよ……)
カルナはそう小声で呟いてから、渋々と支度を始めた。
……うん、それでね……
――エリン。
……面白くて……うん、そう……それで
――エリンー?
……うん……それからね……
「エーリーン――‼」
名を呼ばれていることにようやく気づき、ハッとしてその少女は振り返った。
「あれ、レミ姉さんいつの間に……いらっしゃい」
「いらっしゃい、じゃないわよ、ちょっと前から居たってば! 呼んでも呼んでも気づきやしないんだもの」
呼び掛けたほうの少女はややお冠に答える。
「あ、ごめんなさい、ぼーっとしてて……」
肩上まで伸びたやや色素の薄い、少し茶に近い黒髪の少し小柄な少女――エリンは未だにぼやっとした様子のまま答えた。声音はふわふわとしていて、瞼は今にも閉じそうだ。
「はーい、ちゃんと起きて起きてー! というか戻ってきなさーい! また風とお話してたの?」
あー……と言葉にもなっていない声を返す彼女に対し、彼女よりもずっと長い、透けるような金髪を後ろで一つ括りにした少女――レミは溜め息をつく。よくあることだった。
エリンはとにかく気づけばぼーっと外を眺めて――いや、風を浴びて独り言のような言の葉を紡いでいる。彼女曰く「風とお話」しているらしい。それを聞いた大体の人はおかしな子だと呆れるか憐れむか、それとも気味悪がるかしたが、レミはなんだかそれに慈愛のような感情を掻き立てらていた。――だが、それとこれとは別である。
「はいはい。それで覚えてる? これから首長さんの家に行くんだよ? アル家に行くんだよ?」
頭をぽんぽんと優しく叩いてレミがそう問いかけると、数拍の間を置いてから彼女はハッと目を見開いて、ようやく現実に覚醒した。
「あぁ、着替え! 着替え!」
慌てふためいて支度を始めようとする彼女に、レミはまだそう急がなくていいよと優しく告げる。彼女がこんなにちょこまかと、ぱたぱたと慌てふためく姿はとても珍しい。
(まったく、世話がやけるなぁ……)
唐突な里の首長であるアル家への招集。しかも、呼ばれたのは自分たちと近い年頃の少女ばかり。一体何の用なのやら、レミにはさっぱり見当がつかなかったが、エリンにとってはアル家を訪うという事態が大事なのだ。
「そこまで畏まった服装はしなくてもいいと思うよ?」
「や、そういう、わけ、には!」
普段お洒落なんてからきし興味がない癖に、衣装箪笥からあれやこれやと引っ張り出して珍しく女の子らしくわたわたと慌てふためいている彼女を、レミは穏やかで優しい眼差しで見守っていた。
(こんな様子が見られただけでも、今日の呼び出しには感謝かな)
「カナミさん、お忘れ物などはございませんか」
「はい、大丈夫のはずです」
紫の瞳が神秘的で、肩よりもやや下まで伸びた深い黒髪の少女、カナミは家人に答える。その美しく艶やかな漆黒の髪は、見る者を闇へと吸い込まれそうな感覚に陥らせる。
彼女は考えていた。今回呼び出された理由を。カナミが事前に知り得た情報によると、首命により呼び出された人物のうち最年長は齢十八のカルナ・イェ・イル、最年少は齢十二のハレ・ラ・ウェルス。その他も知り得た限りはこの七つ差の年齢層の少女たちだった。確証があるわけではなかったが、彼女にとってはそれで状況証拠として十分だった。
――おそらく、十五年の時を経た謎がようやく動き出す。
十五年前、首長の家に跡継ぎであるアルト・イ・アルが産まれた直後、いくつかの家に不可解な首命が下された。そしてそれを各家の当主の全員が全員、今も頑なに守り続けている。その中にはカナミの家も含まれているが、彼女がいくら調べてもその謎は解け得なかった。今や大抵のことには弱気となった父――特に実の娘のカナミに対して――も、これに関してだけはいくら問うても決して答えてはくれなかった。あの首命に隠された真実とは、どのような類いのものなのだろうか。
「あの、カナミさん?」
見送りの者に再び声を掛けられ、彼女は我に返った。
「少し考え事をしていました。大丈夫です。――それと帰りはどうなるか分かりませんので、夕食は私の分は別にとっておいてください」
家人にそう言い残してカナミ・イェ・ウルはウル家本邸を後にした。
夏も過ぎ、そろそろ秋の涼しい風が心地良くなってくる頃合い。
少女たちはこれから、この長く平和に満たされていた里を掻き乱す、鮮烈で残酷で、烈しくも儚い戦いに各々の思いを抱き、身を投じることとなる。彼女らは何の為にその戦いに臨み、その先に何を求め、何を得るのか。
いずれ訪れる避けられぬ宿命へ向けて、この閉じられた楽園の運命は収束を始めた。
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