桃源の乙女たち

星乃 流
星乃 流

十四章 桃源郷

公開日時: 2021年9月12日(日) 05:01
文字数:4,313

 あーあ、これからどうしよう。

 アズミは薄暗い山道を再びくだりながら次の策を思案していた。

(さて、本当にどうしたものか……)

 あいつ――エリンが本当に番狂わせ過ぎる。リゼに勝ち目は万に一つもないだろう。もう既に、いや、とっくにされているんじゃないだろうか。

 エリンはきっとアズミが共犯者だったことを即時に触れまわさないだろう。私は彼女の今の目的にあまり関係ないのだから。

 あれの行動原理は、目的の為に手段を選ばず……より、よっぽど狂気的にも思える。

 自分自身が許せないから八つ当たりする? 意味が分からない。普通にあいつはリゼや私を憎んでいいし、普通に仇討ちでも復讐でもすればいい。だが、多分あいつには殺意がない。本当にただ鬱憤をぶつけられればよい、それだけなんだろう。だから理解できない。それ以上に何かないのかよ、と。あいつはリゼを倒した後……その後どうする気なんだ?

 ……駄目だ、今はあいつのことを考えてもしょうがない。頭を切り替えよう。

 リゼはもう駄目、カルナも脱落済み、セラは戦意なし。あとは誰が利用できる……?

 既にほとんどが実質、脱落してしまった。リゼが脱落した以上、リサを利用することも難しい……のか?

 ――いや、違う、エル家だ。エルの家がある。

 エル家が長く隠匿していた「リゼ」の存在を大人たちに伝えることで、エルの家に対しての不信と不満、そして義憤を最高潮に高め、暴発させる。不安に包まれ恐々としている大人たちに情報を吹き込み、あとは闇術もあわせて少しでも煽れば……。私の闇術は効力は大きくないが、他人の心に直接干渉できる。口先八丁と組み合わされば過剰に煽ることができる。

 さらに都合よく事が運べば、そのままエル家をようしていたとして首長のアル家にも怒りの矛先を向けられるかもしれない。そもそも儀式の発端はアルとエルの家だ。そうだ、それがいい。きっと愉快なことになるぞ……!

「――考えていることが顔に出過ぎです」

 唐突に誰かの声がした。咄嗟に氷を作る準備をしつつ辺りを見渡す。まばらに木の葉の敷かれた野道の少し先に、カナミが立っていた。漆黒の髪に紫の瞳を宿した少女はほぼ真正面に、道を塞ぐように立っていた。

(――いつの間に……!)

「貴女も闇術使いなら分かっているでしょう。何かに焦ったり不安になったりしている時に一つのことに集中すると、心の防壁が薄くなることを」

「……」

「安心してください。よく勘違いされているようですが、私はそこまで他人ひとの心をはっきりと読めるほどの力は持ってはいません。本当に顔に出る程度のことしか分かりません。……で、次はどうやって引っ掻き回すつもりなのですか」

 アズミは無言のまま周囲の水蒸気に自分の力を伝播させる。……やはりこいつは本来、最も警戒すべき相手だったか。番狂わせエリンのせいで意識からその存在感が薄れてしまっていた。こいつはどこまで事態を把握しているのか。それが分からない以上、どう対応すべきか判断がつかない。

「あぁ、無駄なお芝居はやめてくださいね。不愉快ですので」

 自然と握った拳に、爪が食い込むほど力が入る。

 ……落ち着け、今は沈黙だ。とりあえず黙してあちらさんを探ろう。

「……だんまりを決め込みますか。ところでその手の刻印……たぶん一画しかありませんよね?」

 ……そこもお見通しか。

 黙って少し丈の余る長袖を捲り、二画あるうちの一画が掠れた手の甲を翳す。この子供騙しな絡繰りは既にエリンにも看破されている。もう隠し通す意味もあるまいし、どの道こいつ相手には無駄だろう。

「でしたら最後の一画……力尽くで奪うしかないようですね。ちなみに今、私の刻印は七画あります」

 そう言ってカナミも自身の服の袖を捲り、その腕を晒した。

 ……ちっ、やはり集め歩いていたか。ラスタから四画にリサの一画か。こうなると刻印による巫力の差は歴然。お互い闇属持ちなのでからめ手はまず通用しない。おまけにこおりまで能力が被っているから、正面衝突は尚更ありえない。さぁ、どうする、どうする……。

「それと……サリャを殺したのは……貴女ですよね?」

 ――こいつ……。

「あぁ、やはりそうでしたか。顔に出てますよ」

 ――落ち着け、冷静になれ。看破の紫眼などと呼ばれているが、さっき自分で言っていた通り、こいつの能力は人の心情を気取る、その程度のはずだ。しっかりと気を持って心の壁を張れば恐れることはない。

「貴女はサリャを殺して彼女の刻印を全て奪い取った。その後、関係性は分かりませんが、十四番にその刻印を元から持っていたうちの一画ごと、合わせて六画を譲渡し、自身の手には偽の一画を顔料か何かで描いて、二画持っているように偽装した。

 さらにその後の十四番――いえ、リサの姉妹の凶行も、貴女がけしかけたのでしょう?」

 その通りだ。ハレは私が誘い出してリゼにらせた。ハルキも私が手引した。お前はどこまで知っている? どこまで察している? これが影で二つ名まで囁かれてしまう所以ゆえんなのか?

「十四番目の正体がリサの姉か、妹か……それとも双子であること。その辺りは私なら本当はもっと早く気づけたはずなんですけどね……。これは私の不覚で、ただただ悔しい限りです。そして彼女リサの姉妹は貴女の思惑通り、本当の一人目――ハレを自身の手で殺めたことでたがが外れ、凶行を続けた」

 本当に一番警戒すべき敵は最初からこいつだった。すべて見抜かれている。

 だが、今はそれが問題じゃない。この圧倒的に不利でしかない状況をどう切り抜けるか……。まだまだ足りない、こんな愉しい宴をこんなところで終わらせてなるものか……!

「さて、一連の答え合わせはここまでとして……」

 ところで……と彼女は続けた。

「貴女……なんでこの里が嫌いなの?」

 ……イラリとした。

 あぁ、もうだったら聞かせてやるよ。全部聞かせてやるよ。そしてそれを時間稼ぎに……どうにか貴様を出し抜く策を練る。

「嫌いなところだらけよ」

 ようやく口を開いたアズミの一言目はそれだった。

「古い慣習に囚われ、暗黙の禁忌に溢れ、人生の選択肢に自由は少ない。

 慣習に囚われてる癖に山神様とやらへの信仰の形は杜撰ずさん。ちょっと代替わりしたぐらいでころころ変わる。

 そして何より外を見ない。見ようとしない。

 外は危険だ? なんで自分たちの足で行ってもいない、見てもいない地のことが分かるのさ!

 今の生活で十分? そんなこと言ってるとそのうち滅びるだけというのが分からないの?

 大体普段から血の濃さとか気にしてっけど、こんな小さな箱庭に引き籠もってたら濃くなるに決まってるじゃん。馬鹿なの? その癖、都合良く外界がいかいから誰かが迷い込みでもしたら、血が薄められると喜々としてこの地に縛り付ける。

 そんな身勝手で、何かと理由を付けて言い訳ばかりして引き篭もっているこの里が……本当に嫌い。気持ち悪くてたまらない。……さあ、これで満足いただけたかしら?」

 駄目だ、途中からつい熱が入ってしまい、策を練るどころではなかった。時間稼ぎをしたところで、何も策を打てないなら意味がないじゃないか。むしろ相手の時間を稼いでいる。私は何をしているんだ。落ち着け、冷静になれ。

 ……いや、そもそも熱が入ってしまったことさえ、こいつの誘導かもしれない。私のほうが乗せられたのか……?

「はぁ……」

 少し間をおいて、カナミは大きな溜め息をついてから口を開いた。

「もう一つ……貴女の祖父は確か外界からの人でしたよね?」

 ――おい、お前。それに触れるのか。触れてくれるのか。何でも知ってると言いたいのか?

「……そうだよ。私の祖父は外界からこの里に迷い込み……その牙を抜かれた。祖父は言っていたよ。冒険者と称して、命からがらに生きる糧を探して放浪していたとき、たまたまこの里――楽園に迷い込んだ、と」

 ――何が楽園か。

「祖父は手厚く歓迎され、早々に一人の女――祖母と引き合わされ結婚し、この里に定住した。祖母とは仲睦まじく、その後も幾人も側妻をめとりもしたが、皆仲良く暮らしていた。

 ――だけど、な。祖父はたまにこっそりと語ってくれた。もう記憶おぼろげな、その命を賭けた冒険譚ぼうけんたんを。それをとても楽しそうに語る祖父の目は煌めいていた。……祖父は冒険者であり続けるべきだったんだ。それが常に命懸けだったとしても、祖父にはきっとそれが生き甲斐だったんだ。……その牙を、この里という、楽園に似せた芥溜ごみためがすべて引き抜いてしまった。……さて、知りたいことは聞けたかい?」

 抑えられない、どうしても話に熱が入ってしまう。こいつ、的確に私が平静を失ってしまう急所をついてくる。そう思うと余計に頭に血が上る。駄目だ、抑えろ……!

「……なにさ、その目は」

 気づけばカナミが私をどうしようもなくさげすむような、憐れむような目で見ていた。巫山戯るな。なんだその目は。

「……貴女があまりに憐れだったので、つい表情が崩れてしまいました」

 ――巫山戯るな。

「何が言いたい。私のどこが、何が憐れなんだ!」

 ――落ち着け、落ち着くんだアズミ・ワル・アルメス。心を乱したら負けだ。

「浅い」

 カナミはそう一言いって、はぁー、と心底呆れたように、憐れむように溜め息をつく。

「貴女の思いは本当に浅い。戦いに死力を尽くした者たち、戦いを避けるために知力を捻った者たち、大切な人を護る為にすべてを賭した者たち……。他の誰よりも、貴女の思いは浅い。だから憐れで仕方がないのです」

 何を、何を言っているんだ、この女は。私がこの里を心底、本当に心底気持ち悪くて大嫌いなのは本当だ。それが浅い? 誰よりも浅いだと?

「勝手な思い込み、決めつけと憧れ。それを一人で抱いていればいいものを他人の所為せいにする」

「……何が言いたい‼」

 アズミは叫んだ。それはもう機略を練ってカナミを出し抜こうなんて考えていた狡猾な闇使いの姿ではなかった。ただ自分の思う通りにいかず、認められないことを言い当てられ癇癪かんしゃくを起こしている子供に過ぎなかった。

「外に憧れるなら一人で行きなさい。外から入るのは難しくとも、内からの出口が無いわけではないのだから。ひとり憧れを抱いたまま里に骨を埋めるのが嫌なら、その憧れを追いかければいい。しかし、それができないからといって、この里を逆恨みなんてされては迷惑です、この……」

 次のカナミの一言でアズミの理性は弾け飛んだ。

「この、臆病者が」

 アズミは宙に無数の小さな氷の欠片を瞬間的に作り浮かべ、動き出すと同時に手元に集めて氷剣とし、カナミに向かって突進しながら吠えた。

「ふざけんなこの石面いしづら女ぁぁぁ‼」

「――だから貴女は……負けたのです」

 ドンッ

 アズミは後ろから何か大きな衝撃を受けた。その正体も分からぬまま、ばたりと彼女は倒れ、意識を失った。

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