桃源の乙女たち

星乃 流
星乃 流

十二章 越えるべきもの

公開日時: 2021年9月11日(土) 05:01
文字数:4,652

「結局、紙ヒコーキって何なんだろうな」 

 そんなカルナの呟きにセラは視線を上げる。

「折り紙の定番として誰でも知っていますが……ヒコーキってなんなんでしょうね」

「やっぱりアンタでも分からんよな」

「大人たちも誰に聞いても知りませんでしたし、私が読んだ限りでは古書にも載っていませんでしたね。やっぱり鳥か何かの一種なんじゃないかとは思いますが」

「まぁ、なんでもいいさ」

 そう言ってカルナは立ち上がった。

「ちゃんと役割は果たしてくれたようだしな」

 再び一人で姿を表したエリンに、カルナは怖気づくことなく、堂々と対峙した。

「……正直に言うと、私は貴女あなたとはもう戦いたくないです」

 そう言ってエリンは紙ヒコーキをそっと宙に押し出し、カルナに飛ばして返した。

「じゃあ、その刻印黙って全部寄越してくれんのか?」

 カルナはスーッと宙を滑ってきた紙ヒコーキをくしゃりと掴み、そして燃やした。役目を終えた果たし状は一瞬で灰となり、風に溶けた。

 エリンは首を横に振って否定する。

「私の倒すべきはあなたじゃないからです」

 ――あたしは眼中にないってか。

「あんたにその気がなくてもあたしにはあるんだよ!」

 今のお前にとって、あたしは取るに足らない存在かもしれない。けどな、こっちはそうじゃないんだよ! もう負けたくない、逃げ出したくない………‼

「――分かりました。ですがその前に……少し私の話をしてもいいですか」

 カルナは反射的に巫山戯ふざけるなと言いかけたところをすんでで飲み込んだ。

 いつも人の輪から外れて隅っこにいたあぶれた奴。そんな彼女をカルナは少しだけ自分と同類のように見ていたこともあった。いや、そのぽわっとした熱量の無さから、同類どころか下に見ていた。年齢とかそういうことではなく、人として、同じあぶれ者として。それが……どうしていきなり、あんなに強くなった。レミを――大切な人を喪ったからなのか? 自分はセラを喪っても強くなれる気なんてまるでしない。――奴が強くなった理由が知りたい。

「好きにしろ、待ってやる」

 では……とエリンは話し始めた。

「私は物心ついた頃から既に、なぜか他人にあまり興味が湧きませんでした。親や大人たちの言いつけは大体聞いてましたし、一応ちょっと変わってるけど良い子だったとは思います。けれど、家族のそれぞれ一人一人にはあまり興味が湧きませんでした。両親や家の皆は良い人ばかりで、きっと恵まれていたはずなのに」

 まるでカルナと真逆の境遇だった。物心ついた頃には既に家の中では誰もまともに取り合ってくれなかった。実母と最後に会話をしたのなぞ、何年前かわからない。幼心ながらに誰かに構って欲しくて、必死に言葉を覚えた。結局それはセラに出逢うまでは何の意味もなさなかったが。心の奥底から込み上がってくる何かを抑え、カルナは黙って続きに耳を傾けた。

「そんなだった私が、最初に心を許したのはレミでした。彼女はそれはもう、よくも飽きずにしつこいぐらいに私に関わってきて……気づけばとても大切な人になっていました。

 ――そして二人目はアルト。偶然私のお気に入りの場所で出逢い、初対面の人間と初めて何かの波長? が合ったような、そんな気がして……それがそのまま初恋となりました」

「……惚気のろけ話をするならもう終わってくんねーか?」

 カルナは話を遮ってチッと舌打ちする。唐突に始まった恋話にはさすがにイラッときた。

「すみません、ここからが本題なのでもうしばらくお付き合い願いします」

 不服そうにしながらも、カルナは握りしめた拳の力を緩め、続きを待った。

「そんな二人の大切な人ができても……私のそれ以外の他人への無関心さは変わりませんでした。二人共がいないときは、結局以前と同じように風とお話をしていました。

 私はまだ幼い頃から、風と言葉をわし遊ぶことが好きでした。まだ風の適性が判る前からです。普通の子供が親や家族や友達と話すようなことを、ずっとひとりで風に話しかけていたのです。たったひとりのごっこ遊びのように。はたから見たら、いつもぶつぶつ独り言を呟いている、さぞ頭のおかしい子として映ったでしょう」

 カルナにも覚えがあった。誰もいない何もない外に向かって彼女が何か呟いている姿。その時はただ寂しい奴としか思わなかったが……。

「やがて私は風の適性を発現しました。すると風とお話をしたら、本当に何か応えてくれるようになったのです。それまではなんとなく聞いてくれている気はしていたものの、実際ただの独り言でした。それがはっきりと……明確な人の言葉が返ってくるといったわけではないのですが、話し掛ければその返事が感じられるようになったのです。実際のところ、それが何なのかと説明を求めらても言葉では上手く言い表せませんが……。

 余計に風とのお話は楽しくなりました。同時にレミとアルトと話したり遊んだりすることももちろん大好きでした。二人のことは大好きで、二人のことはよく分かっているつもりでした。――それは本当に酷い思い上がりでしたが」

 淡々と話していたエリンの表情と声にかげりが現れた。上下の瞼の間が少しだけ狭まり、視線も僅かに下に傾いた。まるで見計らったかのように冷たい風が通り過ぎ、彼女の肌をひんやりと撫でる。

「知っての通り、私とレミはあの弔式の前日にも十四番に襲われました。その時はぎりぎりでレミに助けられましたが……。その後……私はレミに告白されました」

 ……ん?

「そのままの通り、愛の告白です。ずっと私が好きだったと。そんな意味で愛されていたなんてまったく気づきもしませんでした。だってレミは今まで私の初恋の惚気話さえ、にこにことして聞いてくれていたんです。――そしてその翌日、私が答えを出して告げる前に、レミは死にました。それが悔しくて……、悔しくて堪らないのです」

 ――あぁ、そういうことか。片思いされてんのにまったく気づかなかった訳か。

「レミが死んだことは本当に悲しいです。悲しくて堪りません。ですがそれ以上に……レミというひとりの人間を、最も近くにいた大事な人を分かったつもりで何も分かっていなかった自分が、自分が情けなくて、情けなくて悔しくて、憎らしくて!」

 ここまで平坦だった語気は乱れ、悲痛な感情を曝け出す。レミを喪ってからのこの四日間、行き場を見つけられずくすぶっていた感情をぶちまけるように、心の叫びが漏れ出ていた。

「……すみません、取り乱しました。結局私は数少ない大事な人のことをまるで分かっていませんでした。アルトの背負った宿命のことも。――いえ、いくら仲が良くても、心の内のすべてまで分からないこと自体は当たり前かもしれません。ですが、私はそれを『分かったつもり』になっていた。――それが情けなくて……そんな自分が許せないのです」

 ……なんだろう、このなんとも言えない感覚は。

 カルナは自分とは正反対な境遇のはずなのに、何か自分のことのように心に突き刺さるものを感じていた。

 ――あたしは……家族からは居ないようなものとして扱われて、がんばって友達を作ろうとしても全部失敗して……。だからこいつとは、本当に正反対なはずなのに、どこに共感するところがあるんだ……?

「レミが死んだあと、私はずっと考えていました。何がいけなかったのかと。……結局、あの二人と以外は風とばかりお話していたからなんですよね。風とお話をするのはやはり楽しいし、それをしてきたこと自体は後悔はしていません。ですが、私が人であり人の中で生きていく以上……もっと他人を見るべきだった。他人に興味を向けるべきだった。

 ――レミとアルトがいるから、そして風さんもいるから。

 そんな言い訳をして、それ以外の誰のこともろくに知ろうとしなかった、関わろうとしなかった。だから……だから大事な人の気持ちにも気づけず――いや、気づけずとも、分かったつもりになんてならなかったんじゃないか。もっと、もっとたくさん人とたくさん接していれば、人の心はそんなに簡単に分からないという、そんなそんな当たり前のことぐらい分かったはずだ‼」

 なりふり構わない、涙を零しながらの心の芯からの叫びだった。

 ――分かった。あたしは皆に拒絶されたから、また拒絶されるのが怖くて逃げ出した。拒絶されるぐらいならこっちから願い下げだと、やけ棄になって投げ出した。こいつは逆に、たった二人の友と風の存在に満足して何もしなかった。

 拒絶されて拒絶した自分。満足して何もしなかったこいつ。本当に真逆だ。だが、同じだ。こいつも自分も、それぞれ自分のすぐ側だけで世界を完結させていた。なんて狭い世界だ。理由は真逆でも、嵌まってしまった土壺は同じなんだ。そしてこいつは大事な人を喪って、やっとその愚かさに気づいた。

 だけど、あたしはこいつと違って、セラのことが分かっているなんてちっとも思っていない。というか、アイツは普段から何考えてるか分からんことのが多い。その癖こっちのことはなんでも見透かしてやがるから、たまに腹が立つ。

 ここに来る前、こんな状況であたしなんかとつるんでて本当にいいのか? と再び訊いた。実に三度目。するとアイツも再び「私は姐さんを信用して信頼してますから」「私は最後まで姐さんの味方ですから」とかこっ恥ずかしいことをまったく表情を変えもせず、平然と言ってのけやがった。本当に何考えてるかわからん。

 ――けれど。アイツがあたしの支えであり、安息であり、居場所であること。これは誰にも曲げようがない事実だ。

 エリンは喪ってから大事なことに気づいた。あたしはまだ……失っていない……!

「ごめんなさい、取り乱しました……」

 エリンは頬を伝い落ちた涙の跡を拭う。

「聞いてくれてありがとうございました。自分だけではどうにもならなくて、どうしても誰かに聞いて欲しかったのですが……私は友達がいませんので」

 そう言って彼女は苦笑いした。

(あぁ、お前の気持ちはよく分かった。だからこそ、あたしだって負けるわけにはいかねぇ……!)

「私はこの一連の儀式が終われば、できるだけ多くの人たちと話して、できれば友達になりたいと思っています。……こんな悲惨な出来事のあとで、今まで他人に無関心だった私に簡単に友達なんてできるか分かりませんけれど」

 そしてエリンは少し張り詰めていた表情筋を緩め、柔らかな微笑みを浮かべて二本の指でシュッと宙を払って風を起こした。

 ――風さん、私をくるんで。赤子を抱える様に柔らかに。子を護る親のようにしたたかに。

 ただ旋風を自身の周りに纏っただけのこと。だが、気のせいかもしれないが、カルナはその風から何か優しさのようなものを感じた。

「これ、言霊って言うらしいですね。……先ほど言った通り、小さい頃からずっと風とお話していたら自然と身に付いていたんですよね、これ。

 ですが実践的な使い方をしたことなんてなく、あの日は咄嗟に使うことができませんでした。今は昔レミが探してきてくれていた古書を引っ張りだして読み返し、付け焼き刃ですが実践的な使い方も学びました。

 私はこれが終わったら、一人でも多く友達を作りたいです。ですが、今はまだ先にやるべきことが私にもある。だから……今の私に残された最後の、唯一の友達の力に頼ります」

 エリンを覆う風の優しい雰囲気が一変し、鋭さを増した気がした。だが。

(――あたしだって負けられねぇ!)

 あたしは……お前と違って、大切なものを喪う前に、あたしはあたしを乗り越える。

「友達作りする前に、消し炭にならないように気をつけるんだなぁ‼」

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