人が死んだ。まだ成人もしていない、まだ子供だった彼女は殺された。
――誰かに殺された。人を殺すってどんな気持ちならできるんだろう。そして、殺されるってどんな気持ちなんだろう。そもそも……死ぬって何なんだろう。
エリンはひとり縁側で何もない宙にぼーっと視線を揺蕩わせ、答えのみえない疑問に意識を巡らせていた。
春先に不慮の事故で従姉が一人亡くなった。山での滑落死だった。特段仲が良かったわけでもなかったが、顔はよく見知っていた。だが、彼女が死んでも特に何とも思わなかった。正確には特別な感情が何も湧かなかった。ただしばらく会えなくなるだけ。そんな感覚と大差がなかった。――たとえそれが永遠だと分かっていても。
「ねぇ、レミ姉さん、死ぬって何なの?」
古書を読んで寛いでいるレミに、エリンは思ったままのことを訊ねた。彼女は床に敷かれたそろそろ季節外れな茣蓙に寝そべったまま、頁から視線を逸らすことなく答える。
「永遠に会えなくなること……じゃ、駄目かな?」
「それは分かるんだけど……何か実感が湧かないというか、想像がつかないというか」
「んー、そうだねぇ」
そう言うとレミは栞を挟んで本を閉じて起き上がり、その髪とお揃いで金色がかった綺麗な瞳でエリンの目を真っ直ぐ捉え、逆にエリンに訊ねる。
「じゃあ、エリン。あなたは氷漬けのアルト君を見て……どう感じた?」
ずきりと心が痛んだ気がした。あの氷像と化したアルトを見たときの映像、そして心を奔った衝撃が脳裏を反芻する。最後に会ったのはあの日の一、二週間ほど前だったろうか。つい最近も楽しそうに笑んでくれていた大好きな彼の顔が、凍りついて石の様になっていた。あの時は現実が理解できず、しばらくはまったく声を上げることができなかった。
「――悲しかった? 辛かった?」
「よくわかんない……。でも、たぶん辛かった、苦しかった」
自分でも整理のつかない気持ち。今まで味わったことのない感覚。
「その時……無意識にでも、もしかしたらこのままもう動かないんじゃないか、もうずっと止まったままなんじゃないか、とか。そんなことを思わなかったかな?」
ハッとした。――そうだ。アルトは凍りついていただけで、別に深手を負っていたとかで痛ましい姿になっていたわけじゃない。ただ、氷像にされたという見て分かり易い形で、完全に動きが、時間が止まってしまっていただけ。――けれど、それがとても怖ろしかった。
もう言葉を交わすことができないんじゃないか。
もうその声を聞くことができないんじゃないか。
もうその表情を、笑顔も怒った顔も困った顔もどんな顔も、見ることが叶わないんじゃないか。
もう……二度と私を見てくれることがないんじゃないか。
凍りつき、同じ時間の流れからはぐれてしまった彼。その姿を見て、そう思ったんだ。
「人が死ぬということがどういうことなのか……少しは近づけたんじゃないかな?」
アルトの場合はまだ先がある。誰かが儀式を終わらせれば、再び彼の時は動き出すのだから。けれど、もしそれが永遠だとしたら。あの氷の檻の中で永遠にはぐれたままだとしたら。
「……ありがと、何となく少し分かった気がする」
長年引っかかっていた疑問の答えに、一気に何歩も近づけてしまった気がする。まだ理解できたとは言い切れないけど、何かストンと腑に落ちた気がした。やはりレミ姉さんには敵わない。
「うん、それなら良かった」
そして次に、レミ姉さんは怖ろしいことを口走った。
「――ねぇエリン、もし……私が死んだら……悲しんでくれる?」
脳内で一瞬にして氷像となったアルトの姿とレミの姿が重なり、ぼやけ、そして暗闇に包まれて――。
「やめて‼」
気づけば叫んでいた。自分でも驚いた。こんなに大声を出したのはいつ以来か。レミ姉さんが一瞬にして暗い闇に呑まれていく姿が、頭の中を過っただけで……苦しくて……苦しくて仕方がなかった。そして気づけば叫んでいた。自分まで底の見えない沼に引き摺り込まれるような恐怖。それは心を串刺す激痛だった。
レミ姉さんは目を大きく見開いて驚いた顔をしたが、すぐにいつもの様に優しく微笑みかけ、そっと頭を撫でてくれた。
「変なこと聞いてごめんね。でもありがとう」
(――なんでありがとうなんだろう)
それは分からなかったが、頭に触れるそのよく知る手は、とても心地が良かった。
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