桃源の乙女たち

星乃 流
星乃 流

公開日時: 2021年9月11日(土) 05:04
文字数:4,464

 十四番は逃げ出した。セラは思いもかけず、里を恐慌に陥れた怪人の無様な敗走をの当たりにした。勝敗が決するまでにかかった時間でいえば十四番のほうが粘ったが、戦いとしてはカルナのほうがまだ奮戦したのではないだろうか。真正面から全身全霊でぶつかったカルナに対し、十四番は一方的に翻弄され続けた末に、爆煙を目眩ましにして逃走した。

 ……それも仕方がない。はっきりいって異常な光景だった。エリンはまるで最初から撃ち込まれる光矢の軌道が、着弾点が寸分違わず見えているかのようだった。だがもしそうだったとしても、風の力で加速したとてそれを生身の身体ですべて完璧に、無駄なく躱しきるなど異常だ。しかも、未だ杖をついたまま。あれはもうただの加速なんかじゃない。まるで地面からすぐ上に見えない床でもあって、その上を自在に滑っているかのようだった。本人に自覚はないのかもしれないが、あれは風の巫術の範疇なんて越えた、きっとまったく別の何かだ。

 一体彼女に何が起きた? レミの死が切っ掛け? 言霊の力? 潜在能力の覚醒? ――セラの知識と洞察力をもってしても、正しい答えには辿り着ける気がしなかった。

「待ちなよ」

 エリンが敗走した十四番を風に身を乗せて追いかけようとしたところに、待ったが掛かった。その声に反応してぴたりとエリンの足が地に止まる。

「熱くなりすぎだって。深追いして罠があったらどうすんのよ」

 声の主はその細い華奢きゃしゃな身体をやや突飛だが小洒落た風の衣装で包み、頭頂部の少し後ろで一本に括られた長く、つやのある黒髪を風に揺らしていた。

(……闇使い、か)

 声をかけた主はアズミ・ワル・アルメス。今回の儀式の参加者でありながら、これまで完全な沈黙を保っていた齢十五の少女。万能と呼ばれるナルザは何でも卒なく完璧に近くこなすが、アズミは何でも「そこそこ」にやってのける人間だ。カルナやエリンと違い協調性も悪くはないが、どこか捉え所のない、セラからみるとなにか違和感のある人物だった。

 そして彼女の持つ適性はカナミと同じ氷と闇。同じ闇使いでも、カナミは他人の心をある程度読み取るだけに対し、アズミはおそらく直接的に他人の心に働きかける。今、エリンの動きが不自然なほど即座に止まったのは、おそらくアズミの能力の仕業だろう。

「一旦落ち着きなよ」

 アズミにそう言われてエリンは自身の纏う風を解いた。緊張の糸が切れたのか、そのまま地べたにぺたりと座り込んだ。

「ほら、連戦でもう精神もへとへとじゃん」

「……ずっと見ていたのか?」

 セラは警戒心を隠すこともなく彼女に問う。

「うん。私は戦いなんてさっぱりだけど、やっぱ今の状況とかは知っておきたいからね」

 アズミは軽い足取りでトンと茂みのほうから道に飛び出し、ぐるりと周囲を見渡して、セラが戦場から端のほうへ引き離した意識のないカルナに向けて視線を止める。カルナは結局、エリンと十四番の戦闘が始まるとすぐに気を失って倒れてしまった。

「そっちは……気絶してるだけかな?」

「えぇ、そうよ。たぶん大きな怪我はしていないはず」

 ちょっとした掠り傷ぐらいしか外傷はないし、セラが診た分には中も大きな怪我はなさそうだった。気を失ったのは、おそらく巫術の使いすぎだろう。全身全霊を賭けて、あれだけの炎を練り上げたのだ。最後は本当に、根性だけで立っていたのだろう。

「そっか、なら良かった。じゃ、私はまた何か起きてないか見て回ってくるよ。じゃーねー」

 軽い口調でそう言って、アズミはさっさと何処か行ってしまった。……やはりどうも掴みどころのない奴だ。

「エリン、意識はある?」

 セラはアズミの姿が見えなくなるのを待ってから、ずっと地べたに座ったままだったエリンに声を掛けた。そう間をおかず、応じてこちらを向いたので意識は大丈夫のようだ。

「大丈夫です、ちょっと疲れちゃっただけで」

「動けるならちょっとこっちに来て」

 エリンはよいしょと立ち上がると、迷いなく、まっすぐこちらに歩いてきた。

(もし罠とかだったらどうするのよ、不用心な……)

「なんでしょうか」

 そう問いかけるエリンに、セラは自身の右手の甲を差し出した。

「この刻印から一画、それとカルナの刻印を取れるだけ持っていきなさい」

 理解が追いつかないのか、きょとんとするエリンにセラは畳み掛ける。

「いいから持ってきなさい!」

 そう強く言ってゴリ押ししようとしても、彼女は首を傾げるばかりだ。

(あーもう……話すか……)

「――エリン、私は君に感謝しているんだ。今日、展開によっては……私はこれでこのカルナ終わらせる殺す気だった」

 そう言って小刀を取り出し、地べたに放り出した。氷ではなく、料理包丁より少しばかり刃渡りのある、十分に人を刺殺できそうな金属製の小刀。

 エリンは怪訝そうな顔で、まったく理解が及ばないようで「なんで?」と言いたげな目を向けてくる。それは正常な反応だと、セラも思った。

「私はね……もうこれ以上、苦しむこの子を見たくなかったんだ」

 セラは膝に乗せたカルナの赤い癖っ毛に包まれた頭を優しく、愛おしそうに撫でる。

「この子はね、本当に……人一倍臆病なんだ。ちょっとしたことに怯えてしまう。でもそれが嫌で、そんな自分を受け入れられなくて、その結果が里一番の問題児さ」

 ……本当に不器用な子なんだから。

「だからこんな……疑心暗鬼で殺しまで起きる状況は、この子には堪えられなかった。それで私が――これは私が早まってしまったのだけれど、私がこの子の為に必要な刻印を全部揃えてくるなんて言っちゃったんだ。でも、それが結果的にこの子を焚きつけた。自分の手で刻印を集めると言い出してしまった。……この子、既にナルザから一画奪ってるんだ。まあ最後は私が横槍入れちゃったんだけどね。それで一画を奪うことはできたのだけれど……この子の怯えはいっそう酷くなった。

 その頃には腹を括っていた。この子が恐怖で壊れる前に……私の手で終わらせてあげよう、と。――私も馬鹿よね。なんでそんな結論に達しちゃうんだろうね。だから、一度君に敗けたあと、もう駄目だと思って覚悟していたの。なのに、この子は再戦を希望した。

 君は私たちの知らない未知の技まで使う。未知というものは怖いものだ。今度こそもう、恐怖に押し潰されるかもしれない。だから……この子が臆病な自分にもし打ち勝てたならって少しの希望を持ちつつも、やはり駄目だったら……ここでもう終わらせるつもりでいたんだ。――そしてその結果、今、私は小刀を投げ捨てた。分かるかい?」

 エリンはまた首を傾げる。セラもなんでこんな問いかけをしているのか自分でも分からなかった。私は何がしたかったんだろう。一人、勝手に空回りをして。

「えっと……さっきも言いましたけど、私は他人の気持ちに疎いです。だからあなたの気持ちはよく分かりません。ですが、その気持ちの深さだけは分かった気がします。

 それでカルナさんは――その、自分の中の臆病とかはよく分かりませんが、あの真正面からの力の押し合いの中で垣間見えた彼女の表情は、なにやら楽しそうにも見えました」

 ――そうか。きっとこの子は勝てたんだ。自分の中の自分に。そして吹っ切った。なら、もしかしたらこのに私はもう要らないのかもしれない。むしろ私がいるからこそ、彼女は私だけに頼りきってしまうかもしれない。――それでも。

(もう少しぐらいは傍に居てもいいよね)

「……エリン、ありがとね。だから私たちの刻印、持っていきなさい、ね? 君には必要なんでしょ?」

「……まだ良く分からないけど、分かりました」

 エリンはようやく私の右手をとってくれた。さぁ、私の刻印、君に託すよ。――そう思っただけで刻印の一画がするすると肌を這うように、エリンの左手の表面に流れ込んだ。

「カルナの分も貰って行きなさい。この様子だ、たぶん全部奪えると思う。完全にエリンの勝ちだよ、遠慮はいらない」

 エリンはこくりと頷いてカルナの左手を取った。そして最後の一画まで――つまりは三画が、エリンの手の甲と、収まりきらずに腕にまで流れ込んで、新たな紋様を形作った。これで合わせて八画となった。

(やはり全部取れたか……)

 最後は根性でまだやれると吠えていたけれど、本当は心の底から敗北を認めていたのかな。自身の完全なる敗北というのは、中々認めるのは難しいことだ。つまり、やっぱりこの娘は勝てたんだ。

「じゃあ、私はこのままこの娘を連れて帰るよ。――っとその前に」

 おそらくエリンが見落としているであろう大事なことを伝えなければ。

「エリン、君は十四番を追い掛けるつもりだろうが……儀式自体は十四番を倒さずとも勝利できることを分かっているかい」

 彼女はまたもや首を傾げて、なんだか間の抜けた顔をした。やはり分かっていなかった。でも、そのちょっと間の抜けた様子はセラの知っているいつものふわりとしたエリンのようで、少し安心した。

「エリン、今各自が持っている刻印の数を数えてみてごらん」

 不思議そうな顔をしつつも、エリンは言われた通り声に出して数え始める。

「今、私が八画になって、セラさんが残り一画で……。ラスタさんが確か五画? それでアズミさん、カナミさんがそれぞれ二画、イマリさんが一画。それとリサさんの二画。……最後に十四番の七画に、切り落とされたライラさんの手の二画」

 うん、よくできました。……しかし、やはり数は合わない、か。まぁ、いいか。

「じゃあ、その中で君と十四番以外で二画以上もっている人は?」

「……ラスタさん、アズミさん、カナミさんとリサさん?」

「その四人の譲渡できる刻印の数……つまり一画ずつ引いた数をさらに足してごらん」

「えーっとラスタさんが四画、アズミさんカナミさんリサさんが一画ずつで全部合わせて七画」

「そして君の手にあるのは?」

 エリンはハッとして自分の左手を見た。やっと気づいたようだ。

「分かったようだね。つまりもし、四人を説得して刻印を譲り受けることができれば、もう戦わずとも十五画が揃って、君の勝利だ」

 実際のところ、それはまず無理だろう。カナミはきっと譲らない。ラスタとリサはまだ可能性はあるが、実際どうかは分からない。アズミは……どうも引っ掛かる。具体的な根拠があるわけではないが、やはり警戒心がうずいて仕様がない。

 ただ、エリンがどうしても十四番と直接戦うと言うのなら、他の道を示した上で覚悟をして欲しかった。――あれ、私なんで彼女にこんなに肩入れしているんだろう。

「それでも私は……あの人と戦います」

 そう言うエリンの目に、迷いは見えなかった。

「なら行っておいで。あの変な仮面なんてがして、そのつらぶん殴っておいで」

「はい」

 十四番を倒す。それを彼女はどういう認識でいるのだろうか。ただ術比べで勝つだけなのか、それともその手を血で染める覚悟をしているのか。……まぁ、それこそ彼女の選択だ。

「幸運を祈るよ、言霊使い」

 最後にそう言ってセラはカルナを両手で抱いて持ち上げ、その場を後にした。気を失ったままの彼女の顔は、心なしか満足げに見えた。

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