十四番は縁の欠けた仮面の下で怪訝な表情を浮かべていた。
(――奴は何を言っているんだ?)
罠はほぼ潰したはず。とっておきとやらも焼き尽くした。だのに、この状況で奴は笑いを零した。まだ何か策があるのか……?
――まぁいい。これさえ当たれば終わりなのだから。
浮かべた光球に攻撃を念じる。今度は面を制圧するようなか細い雨ではなく、一撃一撃、強く、より太い矢のように直接狙い撃つ。獲物はそれを避け続けるだろうが、もうその満身創痍の身体では限界があるだろう。
(よくまだあれだけ動けるものだ)
昨日の獲物も自らの雷で己が身を動かすとか化物じみた芸当をやってのけていたか。何がこいつらをそこまで突き動かすのか。何故そこまでやれるんだ? のうのうと陽の下で生きてきた癖に。――まぁ、そんなことどうだっていい。やることは変わらない。
奴は風の力を借りて、辛うじて回避行動を取っている。故に、その動きは大ぶりで、すべて読みきれる。戦いの中、一番無防備になるのは跳躍からの着地。今撃ち続けている光矢を避けるには風の力で素早く、一瞬で飛び退き続ける必要がある。その回避後の着地は今となっては無防備以外のなにものでもない。そこにこの渾身の一撃を撃ち込んで……終わらせる。詰みまであと数発。奴はもうオレの予定通りにしか動けていない。
十四番がかつてない密度で一点に光を集束させた必殺の一撃を今まさに放とうとした瞬前。獲物は立ち止まって降る光矢をその身に受け、呟いた。
「なぁ、寒くなってきてないか」
……また何を、二回も何を言っているんだ、こいつは。そういえば確かに足元から少し冷え込んできている。――だから何だ?
再び頭上より光の矢を数本撃ち込むと奴は再びそれを回避し……今度こそ予定通りの場所に着地した。――終わりだ。
「穿て」
必殺の一撃は予定通りに放たれた。今までとは桁違いに高密度に圧縮された光弾の一撃。それは狙い通りの位置に命中し、槍の如く獲物を貫き、土煙をあげた。――はずだった。
「――⁉」
土煙が上がっただけだった。標的に当たった手応えがまるでない。人の肉体を撃ち抜いた気配がまるでしない。
「――だから言ったろ」
背後からの声に咄嗟に振り向く。
「寒くなってきたってな!」
振り下ろされた剣撃を前に、黒衣の者は反射的に飛び退く。僅かに届いた切っ先が胸元の黒布を裂き、露出した白い素肌に一筋の赤い傷をつけた。掠り傷程度だが、初めて彼女に直接刃が届いた。
「この死に損ないがぁ!」
前方に出鱈目に手元から光矢を乱発する。瞬発的に拵えたので威力は低いが、とにかく奴に一撃を加えたかった。しかし、手応えはない。放った閃光は奥の林に呑まれていくばかり。
――何がどうなっている⁉
あの至近距離、確かに今の矢のうちの数発は命中していたはずだった。それが何故、掠りもしていない? さっきの必殺の一撃だって、当たらないどころかいつの間にか背後を取られていた。
(駄目だ、考えるのは後だ。とにかく今は奴の動きを止める)
再び宙に光球を浮かべようとしたところで殺気を感じ思わず飛び退く。
「なかなかいい勘をしているようだな」
再び背後を取られていた。一体何が起きているのか、彼女には本当に分からなかった。ついさっきまで、完全な優位を取っていたはずだったのに。今、その足場は崩れ去っている。
「ちょこまかと!」
両手で八本の光矢を確かに奴に向けて放ったはずが、やはり当たった様子はない。光球を浮かべている隙はない。あれは発動させるまでに若干の間が要る。
(まだ慣れていないが炎に頼るか)
十四番は引き続き、ともかく光矢を撃ち続ける。ありったけ、最速で。だが、それを満身創痍なはずの身体で獲物はすべて避けきっている。――いや、避けられてすらいない……? こいつも化物の類いか?
――ここだ!
ようやくはっきりと姿を捉えた獲物の眼前に小さな火球を作り出し、爆散させた。風使いに炎の攻撃など普通は通じないが、眼前でこれだけの爆発を起こせば、少しぐらいは足止めになるはずだ。
「くっ……」
再び死角から繰り出された剣撃をぎりぎりで回避する。――何故ここにいる! 爆風で足止めしたはずの標的が再び背後から斬りかかってきた。心の焦りが加速する
……駄目だ、落ち着け。落ち着いて考えろ。動きが読めない以上、大技は使えない。光球は浮かべて攻撃に転じるまで若干の間が生じる。直接の光矢も何故か当たらない。そして奴は気づけば消えていて、いつどこから襲ってくるか分からない。そもそも何故、奴はまだ動ける? 根性だとかそんな話なのか? しかも、今あからさまにその動きはおかしい。これは風の加速なんてものでは説明がつかない。
「畜生!」
光矢、雷矢、火球、風刃。考えても何も分からない。だから、とにかく物量で押すために素早く放てる術技をがむしゃらに、片っ端から打ち放つ。けれどその甲斐もなく、奴は思わぬところから白刃を振り降ろしてくる。――落ち着け、冷静になれ。
目視では駄目だ。捉えたつもりが何故か当たらない。だが、耳を澄ましても奴の使う風の音が方向を惑わす。かといって「気」を追おうとしても掴みきれない。互いに術で力を使い過ぎたために、この場の力――気は乱れに乱れている。罠が多数炸裂して地面の表層が抉れた上に、それが力の吹き溜まりとなり余計に場を乱している。この一帯の気の流れはもうぐちゃぐちゃである。
(――まさか奴はここまで計算していたというのか?)
音も気も追えないなら結局目視に頼るしかないが、そもそも夜も更けた暗闇の中、星月の明かりと光と火の術ぐらいしか光源がない。いつのまにか薄らながらも霧が立ちこめてきていて、尚見づらい。そして何故か気づけば奴は死角に回り込んでいる。
――ん? 霧⁉
霧なんて出てきたのはいつからだ? そうだ、奴はさっき言った。「寒くないか」と。――奴の持つ適性は光と風。そしてこの霧……霧……光……もしや……!
「吹き飛べええええええええ‼」
十四番は自らを中心に竜巻のように旋風を起こす。――すべて、この霧をすべて吹きとばせ‼
「……ばれちゃったか」
そう呟いた獲物は、今まで目視していたはずの方向とはまるで違う位置に立っていた。
「――ど畜生が」
霧は小さな小さな水滴。そこに光を通し人為的に屈折させ……細かい原理はよくわからないが、今まで奴は霧と光を利用して自らの幻影を映し出していたのだろう。……そうか、さっき派手にぶちまけていた氷の罠も、霧の元となる水蒸気を一気に増やすため……。
「――出鱈目過ぎるだろ」
「お前だけには言われたくない」
……あぁ、確かにその通りだろうよ。でもな、そんなオレみたいな規格外に出鱈目呼ばわりさせるお前も大概だ。
「はぁ……はぁ……」
必死になるうちに、気づけば酷く息が上がっていた。心臓もどくどくと激しく鼓動を打っている。とはいえ、奴はそれ以上に傷だらけで、比較にならないほど消耗をしているはずだ。そして幻影の絡繰りも看破した。あとは押し切るだけ――。
「⁉」
(霧が……霧が戻ってきた⁉)
「私の適性を忘れたか?」
――畜生! 風か。風の障壁か、クソが! 辺り一帯を囲んでやがったのか‼
「大体この霧にしたって、もっと外側に仕掛けた罠で徐々に冷やしてきたおかげなんだぜ。――最初に言ったよな? 周囲六十間は私の領域だと。だが、さっきお前が壊しつくしたつもりになっていた罠は、せいぜい四十間の範囲内のものだけだ。私が戦っていたのも実際、その程度の範囲内。そして、それより少し間隔をあけた外側に仕掛けた凍の霊石が、徐々にこの場、この地を冷やし……あとは分かるな?」
奴は挑発的にニヤリと笑んだ。
……あんな身体でなぜ笑える。なぜそんな表情ができる。しかも……あれだけの戦いを演じながら、傷を、深手を負いながらも、この一帯を覆うほどの風壁を維持していたというのか? 出鱈目が過ぎる。
――クソが。クソがクソがクソが‼
「さぁ、また追いかけっこを始めようか」
霧が再び足元にまで満ちてきた。両の眼で捉えていた奴の姿が僅かに揺らいだ気がした。
「クソがああああああああ‼」
片膝を地につけ、自身の周囲に再び風を渦巻かせる。
「すべて喰い千切れ! 風の壁ごと、すべて‼」
自身を中心に、全力を賭けて再び旋風を巻き起こす。――まだだ。まだ足りない、まだいけるだろう⁉ その十画もある刻印の力、伊達ではないとを見せてやれ……‼
本当に竜巻のようだった。彼女は周囲六十間のさらに外側に張られた風の壁を自らの風で、本当にすべてを喰らい尽くさんとばかりに侵し、そして破った。ラスタは自分の身を守ることで限界だった。制御を失った風は出鱈目に場を掻き乱し、そして徐々に静寂が訪れた。
「……打ち破ったぞ」
十四番は思わず勝ち誇るように声を上げた。周囲を覆っていた風の障壁は、霧もろともその外へと、今度こそは完全に、文字通り霧散した。
「……本当に化物だな」
そう言う奴は片膝を地についてぜぇぜぇと息を切らしていた。今まで動けていたのが既に異常だったが、今度こそはもう限界といったところか。
「異常なのはお前だ」
十画対二画。こいつはその圧倒的な差をあの手この手で覆そうとした。そしていくら傷つけられてもここまで倒れなかった。
「随分とたくさん小細工を凝らしてくれたじゃねーか……」
ラスタ・ウェ・ウォルは普段はその力を伏せてはいるものの、本来屈指の術者であることは、十四番も風の噂程度には聞き及んでいた。だが、まさかここまで翻弄されるとは思ってもみなかった。今まで圧倒的な刻印の力に頼り過ぎてきたせいやもしれない。……驕っていたということか。
「遺言も何も聞いてやらねぇ」
十四番は再び光を掌の前に集束させ始める。
「――死ね」
ズキッ
まさに最後の一撃を放とうとした寸前、左腕に――十画の刻印を宿した左腕に激痛を覚え、思わず片膝と片手を地につけた。圧縮していた光弾はただの光となって辺りを眩く照らした。
「ぐぁっ……」
(気を確かに持て。今は奴に止めを……)
なんとか意識を繋ぎ視線を上げると、すぐ眼前に奴の姿が見えた。剣を振りかぶっていた。
地表を飾っていた雑草らは既に燃え尽き、その燃え滓さえも吹き飛んだ何もない剥き出しの土の上に、一閃の鮮血が走った。
(……ち……く……しょう……)
「――まだ動けたか」
黒衣の者は咄嗟に風の力を使って飛び退いたが、同時に凄まじい激痛が左腕を、いや、もはや全身を襲った。そのまま着地に失敗し、受け身もとれず転がり、何もない地べたに躰を打ち付けられた。
「かはっ…………」
気力を振り絞り流血の源であろう左手をみると、刻印の幾つかに跨がり深い刃傷があり、そこから血がだらだらと流れ出ていた。だが、傷を受けたのは左手左腕で間違いないというのに、全身に激痛が走っているように感じる。
(痛い……痛い痛い……痛いよ……)
「ごほっ……」
咽せるように身体が反射的に跳ねて何かを吐き出した。血だった。真っ赤な血反吐だった。……どうして。傷を受けたのは左腕だというのに。
「吐血、か……」
奴の声がする。もはやその姿を目で探す力も出ない。意識を保つので精一杯だ。
「お前、どんだけ使い過ぎたんだよ、その力」
――あぁ、そうか。やりすぎたのか。
たった二画でも大きく巫力を増幅させる刻印を十画も宿し、惜しみなくその力を行使してきた。自分でもその強すぎる力に体がついてこないことは分かってはいた。昨日の昼間の襲撃後は疲労感がすさまじく、しばらくろくに動けず休息が必要だった。だというのに、このいくら傷を負わせてもあの手この手で反撃を止めやしない難敵に対して、そんなことは完全に忘れて力を、全身全霊の力を振り絞ってしまった。
――いや。
そうか、奴が無駄に意味深なことを言って惑わしてきたのもこの為か。このオレを煽り、加減を忘れて力を使わせ続けるための……。
「正直賭けだったんだが……やはりぎりぎりだったか。お前、頑張りすぎ。何がそこまで駆り立てるんだ」
――分かられてたまるか。この積年の苦痛と孤独を。そしてそれがまったくの無駄無意味であったと知ったときの絶望を。
「正直私はお前を殺したい。だが、お前にはまだ訊きたいことが山程ある。だから仕方なく、生かして連れ帰る。刻印だけは封じさせてもらうがな。……傷つけたぐらいでどうにかなるのかな、これ。最悪腕を切り落とすことになるかもしれないが、ライラにもやったんだから別に問題ないよな」
そう言って奴が再びオレの左手の刻印に剣を突き立てようとしたとき、奴の身体を何かが貫いた画が視界に映った気がした。
――この場ではそれを最後に、十四番と呼ばれる少女の意識は深い闇へと落ちた。
こうして十四番目の襲撃者と、おそらくこの時点で大人を含め、この里で最強であろう術者との戦いは幕を閉じた。
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