「不意打ちしたつもりだったのになぁ……」
バリバリと空気を裂く音を伴って放たれた雷の槍は、空中で弾け、散った。
「気配が丸わかりだ。刻印の食べ過ぎじゃないか?」
ラスタは可愛らしくも下卑た声のした方をキッと睨んだ。
とうに陽は落ちていたが、雲ひとつない空に映える星月の明かりが、彼女らの姿形を照らし出していた。
日暮れ頃より、里のやや外れにある人気の無いちょっとした広場の中心に、ラスタはひとりじっと佇んでいた。少しひんやりとした風が肌を撫でる。揺れる草葉の擦れる音と、ちらほらと聞こえ始めた秋の虫の音が心地よく耳を擽る。
そんな風情ある秋夜に、ラスタは案山子のように、襲って来いと言わんばかりに佇んでいた。――そして「奴」は紫電と共に現れた。風は唸り、虫の音は消えた。
「せっかくお誘いに乗ってあげたのに、つれないねぇ」
黒布で全身を包み、頭にまでそれを目深に被り全身を闇色に染めた怪人。
――これが十四番、か。
ラスタは弔式の一件では遠目にしか見ることができなかった黒影が今、声の届く距離にいる。星月の明かりがなければ、夜闇に紛れて目で捉えることなど不可能だろう。風で黒布の端がはためき、ちらちらと垣間見える仮面の白木色が漆黒に混ざった異物のようだ。
「割と本気で気配を消してたつもりなんだけどなぁ……」
他人を小馬鹿にしたような、巫山戯た語調。確かにその声の音だけで言えば可愛らしい少女のものかもしれない。だが、目の前の黒衣の者の台詞を奏する声色は、ひたすらに他人を不快にし、挑発するものであった。
「まぁ、あの子にも気づかれちゃったんだけどねー。で、せっかくだしこっちからお誘いしてやったのさ」
刹那、ラスタの指先から放たれた風の刃が黒布の端を裂いた。
「そしたらさー、本当になーんにも考えてないみたいで、ぼーっと釣られて来ちゃってさー。あの子、手を切り落とされるまでとうとうオレに気づかなかったんだぜ? 傑作だよ」
ヒュン
余裕綽々とばかりに、相も変わらず巫山戯た語調で悪言を垂れ流し続ける黒衣の者を再び鎌鼬が襲う。それを黒影はぴょんと跳ねて避ける。
「あんたは鈍感でよかったねぇ」
ヒュイイイン
「……言いたいことは終わったか?」
「んー、どうだったかなぁ」
あっと、手のひらをぽんと叩いて大げさな仕草をして、十四番は言った。
「あの子、気絶する寸前にラスターって名前呼んでたよ、健気だねぇ」
「もういい口を閉じろ」
ヒュイイイィィン
限界だった。そしてもう抑える必要もない。――八つ裂く。
十四番に向けて放たれたラスタの容赦のない三重の風刃。十四番はその漆黒の躰を翻しそれを躱す。躱した先にさらに撃ち込まれる風刃、風刃、風刃。連続して放たれた風の刃はその一撃一撃が鋭く、速く、重かった。
鬼気迫る勢いのラスタの猛攻。しかし、その連技の合間に出来たほんの一瞬の隙に、黒衣の者はその闇色に相反する光の一閃を放ち、それをラスタが直感的に回避した間にさらに出来た猶予に、お得意の小さな光球を無数、自身の頭上近くに浮かべた。
「降り注げ」「加速」
黒衣が腕を振り下ろすと同時にラスタは風を纏い、その身を風に乗せた。光の雨の中をラスタは樹々の間を吹き抜ける風の様に蛇行しすべてを躱し、疾走る。前方からの空気の抵抗を受け流し、同時に追い風を得る。常に風の流れを調整し、正確に、精密に、脚力ではなく風に身を委ねるように舞い、迫る。
光矢の雨をものともせず、鬼気迫りくる彼女に対し、黒衣の者は攻撃を続けながらも堪らず風を纏い、後ろへ下がる。それでも距離を保ちながら、順次光球を浮かべ、光雨を降らせ続ける。
――量があれば良いってわけじゃないことを先輩が教えてやろう。
ラスタはごく軽く、触れるように地面を蹴って滑るように高速移動を続けつつ、両手の指先から細く鋭い光の矢を四本ずつ、連続して放つ。対して十四番も、面を制圧するかのようにより広範囲に光の雨を降らせるが、お互い光の使い手同士、その力に敏感なのか、ぎりぎりのところで光速の矢を避け続ける。
圧倒的な刻印の数を有する十四番の攻撃は確かに出力が桁違いだ。だが、ラスタとて画数では敵わないものの、刻印の力で普段より出力は跳ね上がっている。そして十四番より上回っている点もある。
(もっと、もっと速く、鋭く、正確に――!)
こちとら「光と風の奇術師」なんて勝手に称される変人に憧れ、研ぎ澄まし続けてきた光と風の使い手だ。二画の刻印で突然に力を増した今でも……十分に制御しきれる!
「さぁさぁ、いつまで避け切れるかなぁ!」
(余裕ぶっているつもりだろうが、その仮面の下の焦り顔が見て取れるようだぞ、十四番)
手数は十四番のほうが圧倒的に多い。威力も言わずもがな。だが、心理的に押しているのはラスタだった。――気迫が違った。
降り続ける光の雨は一撃一撃が軽くなり、替わりに数が増え、より回避しづらくなる。十四番としては面の制圧に攻撃を寄せることで、まずは少しでも敵の動きを鈍らせたいようだ。しかし、そう思い通りにさせてやるほどラスタは甘くない。ラスタが先程から避けられると分かっていながらも放ち続けている光の矢。十四番はそれを自分の意思で避けきっているつもりだろうが、ラスタは元より命中の精度を意図的に下げている。
「うぜぇんだよ‼」
十四番はそう吐き捨て、自身を中心に強烈な風圧の旋風を巻きおこした。激しい土埃が黒い影の姿を掻き消す。
「ちっ……」
風の扱いの精度では勝(まさ)っているとはいえ、出力は十四番のほうが圧倒している事実に変わりはない。その猛風の渦巻く中に飛び込むのは完全に自殺行為だし、同じ風で打ち消すのも力不足だ。ラスタは何度か後ろ飛びをして一旦距離をとる。
(やはり二画と十画では出力差が違いすぎるか)
……しかし、一体何なのだ、この刻印とやらは。十画であれだけだというのに、最終的に十五画を集めろという。いったい人ひとりにどれだけの力を手に入れろというのか。
――来る。吹き荒れる風の中に僅かな雷の気配を感じた。ラスタも渦巻く風を生成する。
黒衣を包んでいた旋風が急に解け粉塵が舞い上がる中、黒衣が雷槍を放つ姿をラスタの目は確かに捉えた。
ズガァァァン
ラスタも一瞬で幾重にも重ねた風刃を作り上げ放ち、雷槍に正面から叩きつけた。その爆ぜた衝撃でラスタの躰は宙を飛び、地面に叩き付けられた。
「かはっ……」
「おやー、威力が足りなかったみたいだねぇ。お得意の風なら耐えられると思ったかい?」
刻印の差による力業。直撃はしなかったがラスタは完全に押し負け、至近距離の炸裂の衝撃はとてもじゃないがその場で耐えきれるものではなかった。相殺しきれなかった雷で身体がじんじんと痺れ、思うように動けない。なんとか手をついて身体を起こそうとするものの力が上手く入らない。己を嘲笑うかのように、ぴくぴくと身体が痙攣する。
「あれー? もうおしまいなのー? なら……その手貰っちゃうよー? えーっと、誰だっけ、名前忘れたけど、あのぽやぽやちゃんみたいに」
そう言ったが刹那、十四番の頬を光の矢が掠めた。仮面の縁ごと撃ち抜かれ、頬から再び一筋の血が首筋まで流れ伝う。
「……私はお前を許さない」
ラスタはまだ痺れの残る身体で地べたに手をつき、膝をたて、そしてなんとか立ち上がった。――伸されるにはまだ早いだろう? ラスタ・ウェ・ウォルよ。それでもあの人の娘か? こんな様で追いつけるとでも思っているのか?
「……てめぇ」
十四番は再び雷槍を放つが、今回はラスタは風に身を乗せて全力で避ける。避けた先で、双方が互いに放った光矢をぎりぎりで回避する。――もう一手。
「そろそろ諦めたらどうだい?」
一連の応酬の合間に宙に浮かべられていた無数の光球から、いっそう多く光の雨が降り注ぐ。ラスタは風でさらに加速するも、避けきれず身体のあちこちを熱い光矢が掠め、皮膚の表面を僅かに抉り、赤い筋を残す。その傷はごく浅くとも、軽い火傷のようにひりひりと痛む。直撃せずとも増え続ける傷の痛みはじわじわと、体と心を蝕んでいく。
――こんなもの、手を切り落とされたあの子に比べれば……!
「逃げろ、もっと逃げ惑え!」
黒衣の者はアハハハと高笑いしながら、ラスタがもう一手放った光矢の束を後ろに一歩跳んで避けた直後、その足元で小さく炎が炸裂した。――かかった。
「⁉……罠か⁉」
仮面の下できっとこちらを睨めつけていることだろう十四番に対して、ラスタはニヤリと笑む。
「私が何の策もなく、お前のような化物相手に一人でのこのこ出て来たと思ったか? 私がずっと逃げ惑っていると思っていたようだが……その逆だ。誘導されてたんだよ、お前は」
実際のところ、半分ははったりだ。誘導しようとしていたのは事実だったが、中々に思う通りにいかず、ようやくその地点まで追い込めた。
「この周囲……そうだな、約六十間ほどは私の領域だ。そして今、お前はその中心にいる」
これもはったり……とは言えない。ほぼ事実だ。お膳立ては整っている。
「さぁ……今度は貴様が逃げ惑え」
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