グラスタリア国は国土は小さいながらも、稀少な魔鉱石の鉱山を多く有する国である。
童話のような牧歌的な国と言えば聞こえはいいが、実際のところは技術力の無い三流国家という扱いであった。
魔鉱石の産出があるならば、魔女や魔術師といった類の者達がいてもおかしくはないのだが、このグラスタリアに彼らの行方を知る者は殆どいない。
確かに昔は少ないながらも存在していた。
しかし、彼らは優れ過ぎていたが故に迫害された。
知識も技術も人が嫉むほどに蓄えていた彼らは、当然ながら力を得るようになった。けれど、彼らを恐れた商人と一部の貴族は「魔女と魔術師は悪である」と吹聴して回ったのだ。
やがて様々な厄災は彼らのせいにされ、国からも畏怖の対象と見なされるようになった。
結果、時が過ぎた今でも末裔だと知れると彼らは『魔女狩り』に遭ったのである。その行為は自国のあらゆる面での衰退を招くなども知らずに。
よって、今のグラスタリアは最高品質である魔鉱石を有効活用する術を持たない。
貿易に活かせばいいと思われがちだが、もともと他国は魔鉱石の産出が少なく、故に各々技術や科学といった分野には注力していた。現状、エネルギー源としての使い道しかない高価な石などいらなかった。
過去を嘆いたところで何も始まりはしないのだが、一部では魔女狩りは間違いだったのではないかという声が上がり始めていた。
そして同時に、彼らなら『魔女や魔術師ならば魔鉱石をどう利用したのだろう』と。
***
「お師様、ヘリオドール卿がいらっしゃいました。」
エステルは淡いミルクティー色の髪を揺らしながら、扉の向こう側からマホガニー製の書斎机で書き物をしていた人物に声を掛けた。
あの雪の日、エステルを弟子として迎え入れた銀髪の男であり、今や稀少な存在である魔術師である。
けれど彼は自身のことを「魔術師」ではなく「人形師」と表現する。
それは彼の生業に由来するからだ。
「あぁ、すぐに行くよ。客間にお通しして。」
人形師は扉を一瞥する事もなく、万年筆を持った右手を挙げた。
手元には仰々しい印が押された書簡が並んでいるのをエステルは知っている。
書き損じようものならば面倒な事態に陥るのは間違いない。
「はい、かしこまりました。」
エステルは軽くお辞儀をすると淡い青色のスカートを翻し、書斎のある二階から客人が待つ一階へと急いで下りることにした。
途中、階段の踊り場に設けられた窓から見える外の景色は一面真っ白である。
空から差し込む光でその雪面は細かく砕かれたダイヤモンドのように輝き、エステルは思わずその美しさに心を弾ませた。
(今日はポットウォーマーも出しておこう。)
きっと外はかなり寒かった筈だ。客人にはしっかりと温まって貰いたい。
エステルは玄関ホールにやって来ると、件のヘリオドールを一番近くの客間へと案内した。
「お師様はもう少しでいらっしゃいますので、こちらでお待ちください。」
群青色の落ち着いた色味でまとめられた客間は、いつ客が訪れてもいいように暖められている。白髪交じりの初老の紳士はその暖かさに安堵したように微笑んだ。
「あぁ、先触れも出さずに来てすまないね。」
申し訳なさげな視線で微笑むヘリオドールに、エステルは『いいえ、いつでもお待ちしておりますよ』と笑顔で返した。
温暖なこの土地で雪が降ることは珍しい。
例年、積もるのは山岳地帯ばかりだ。
いくら止んだとはいえ、雪に慣れていない王都の者にとっては大変な道のりであろう。
そして、王都からこの屋敷までの距離を考えると恐らくこの紳士は雪が止むなり出発したと思われる。
通常なら咎められる行いであろうが、この紳士は居ても立っても居られずここを訪れたのだ。
そんなに心待ちにしていた人を邪険に扱うなど、エステルには出来なかったし、今支度を急いでいるこの屋敷の主も許さないであろう。
青薔薇が描かれたティーカップにゆったりと紅茶を注ぐと、湯気と共に爽やかな香りが立ち上がる。
エステルがヘリオドール卿の前へ紅茶を置くと、革靴の足音が近付き扉が開いた。
「お待たせしたね。」
扉から颯爽と現れた妖精のように美しい男は、蜂蜜色の髪を持つ少女を抱えていた。
七、八歳位に見えるその子は少女らしい明るいピンク色のドレスを着せられ、広いカウチソファの上に横たえられる。
その姿は紛れもなく人形。
眠っているように見えないのは、呼吸の際に起こるはずの上下する動きは一切ないからだ。
たったそれだけの違和感が、彼女を人間だと認識させなかった。
その様子を見ていたヘリオドールは思わず立ち上がり、少女の傍へと駆け寄る。
おそるおそる少女に伸ばされるしわがれた手。
やがてその手でゆっくりと額から頭へと撫でていく。
ただ懐かしむように。慈しむように。
その目にはじんわりと涙が滲み、唇を噛みしめていた。
一度手を止めたヘリオドールは人形師を仰ぎ見た。
「人形師殿、マリーは…マリアンヌは本当に動くのですか?」
「えぇ、死亡後すぐにご連絡頂けたのと、火傷の跡も全くなく綺麗でしたから。魔鉱石を埋めるだけで済みましたよ。」
その質問に穏やかな声色と美しい笑顔で答えた。
今、彼女自身の肉体には≪停止≫の魔術が施されている。
この術を使わなければ、魔鉱石を埋める前に少女の肉体は腐敗してしまい、使い物にならなくなってしまうからだ。
人形の作り方は至ってシンプル。
それは死んだ人間の身体を使う。
心臓と血を一滴残らず抜き取った後、このグラスタリアで取れる最高級の魔鉱石を、心臓の代わりに埋め込むのである。
言葉にすると簡単なようであるが、生きていた頃と同じように活動させるには、血管一つ一つを生前と全く同じように魔鉱石に繋がらなければ意味がない。
その作業には精巧な魔力操作が必要なため、恐らく有能な魔術師とて、そう易々とできるものではない。
正直、それを普通の人々が想像している『人形』と表現べきなのかは些か疑問であるが、あれほど美しい魔術を込めた肉体をアンデットの類としてと表現するのもまた陳腐であろうとエステルは思っている。
十分、感動の再会を祝したところで人形師は口を開いた。
「では、注意点を幾つか。まず、人形は成長いたしません。特に子供は本来すぐ大きくなりますからね。あまり一カ所に滞在することはお勧めしません。少なくともこの国では。」
人形師はちらりとエステルの方を見やると微笑んだ。
その視線にヘリオドールも何かを察したのだろう。
憐れんだ目を向けられ、エステルは居たたまれない気持ちになるが悲しいことに事実である。
肩を竦めつつも笑顔を作る。
目の前に寝かされている少女は魔女でこそないが、一年とて同じ姿のまま居られる子供はいない。
また大人でも十年、同じ土地で過ごす事は厳しいであろう。
姿の変わらない人間は魔女の類だと思われるのは間違いなく、住む場所を転々とするか、隠れ住むかどちらかを選んだ方が賢明だ。
更に人形師は話を淡々と続けていく。
「あとは、体内にある魔鉱石で肉体の維持をしています。人間の体内に血液が流れるのと同じように、人形の体内には魔力が流れます。飲まず食わずでも活動はできますが、魔鉱石に含まれる魔力が尽きた時点で人形は活動を停止致しますので、適度に食事を与えて、きちんと睡眠は取るように。」
まるで、愛玩動物の育成方法を告げるかのような説明である。
ヘリオドールはゆっくりと頷き、少女へと視線を戻すと眉根を寄せて呟いた。
「…娘夫婦の屋敷が火事になったんだ。この子を何とか助け出したのに既に酷く煙を吸った後でな…救ってやれなかった。」
その声色はもう一度可愛い孫娘に会える期待と、彼の後悔を含んでいた。
やがて彼は『これは自分のエゴだ』と唇を震わせながら呟いた。
…そう、もしかしたら彼女は人形になること望んではいないかもしれない。
今この場にこの少女が置かれているのは、少女の為ではない。彼のエゴの結果なのである。
いつかこの少女は自分の肉体が人と違うことに絶望するかもしれない。
たった一人でいつ終わるともわからない『命』に怯えるかもしれない。
それは、人形だけが感じることのできる感情だ。
だがそれでも諦めきれない人は存在する。
そして、こうして愛する人の遺体に『願い』を込め、この人形師の元へと駆け込んでくる。
あれほど魔女や魔術師を恐れ、迫害したのに助けてくれとやってくるのだ。
彼らからしたら滑稽だと笑うであろう。
けれど、今のエステルはそのどちらの気持ちも理解できるからこそ、否定もできなかったし、したくもなかった。
(私も諦めることは…できない…したくない)
ー今の自分は生きている。
目の前にいる人形とは違って、自分で起き上がって歩んでいける。
(…そうだ…。まだ、私は後悔すらしていない…。)
心に彼を想い描く度、エステルの心は温かく、そして苦しくなるのだ。
(アルトは、今の私にとって、願いそのものだもの…。)
ようやくエステルの中で『願い』が居場所を見つけたような気がした。
エステルは銀髪の男を見据える。
時々ふと考える。
この天の使いのように美しい男は、いつも何を想いながら、何を願いながら、人形を生み出しているのかと。
その視線に気付いた男がにっこりと微笑む。
エステルはその微笑みを見るたび『自分で考えなさい』と言われている気がしていた。
「それでは、そろそろ起こしましょうか。」
人形師が少女の元へ近づくと、膝を折る。
やがて彼が言葉を紡ぐと、少女に掛けられた術が解け、心臓の代わりに埋められた魔鉱石が全身に魔力を送る。
ゆっくりと少女らしい赤みが指先や頬に灯ると、新緑のような鮮やかな瞳が開かれた。
少女は瞳を動かし、周囲を確認する。
そしてようやく焦点があったのか、ヘリオドールの顔をじっと見つめると唇が動きだした。
「…おじいちゃん?」
小鳥がさえずるような可愛らしい声が赤く艶やかな唇から発せられる。
ヘリオドールはその場に膝から崩れ落ち咽び泣いた。
そしてその小さな体を抱きしめると、彼女の名を、愛しい孫娘の名を呼んだ。
けれど、やがて彼の声は懺悔の言葉を吐く。
何度も何度も繰り返されるその言葉は、これからも、この先も決して途切れることはない、『願い』の代償で『後悔』そのものなのである。
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