「さてナミトくん。君はお腹からそれはもう大量の血を流してここへ運ばれたわけだけれども、お腹のほうに違和感は無いかい? 実は残ってたりする?」
「いいえ。全くありません」
「それは何よりだ」
ここでようやく少女────篝から手を離す廻迷さん。
解放されても彼女は、おずおずとした態度で口を開いた。
「私が先輩をここまで運ぶことが出来なのは、貴方が察している通り、私が普通のヒトではないからです」
普通のヒトではない。
そう告げた彼女をじっと見ても、そこには普通のヒトと何一つ変わらない姿がある。
違和感も何も感じない。
「私の身体には・・・・・・鬼が、宿っているのです」
「え・・・・・・鬼、って・・・・・・」
鬼って、昔話とかによく出てくる、あの鬼だろうか。
俺は頭の中でイメージする。
二本の立派な角を生やし、人を襲ったり、人を食べたりと恐ろしいイメージばかり浮かんでくる。
そんな鬼が、女子高生の小さな身体にいるというのか?
「鬼は霊怪の最上級だ」
と。廻迷さんが切り出した。
「君がきっと今思い浮かべた通りの生き物だよ。二本の角を生やして、邪悪と暴力に塗れた恐ろしい怪物。それが今、かがりの身体にいる」
「・・・・・・・・・・・・!」
唖然とする。
思わずかがりのほうに視線を向けると、彼女羽目を伏せて黙り込んでいた。
あまり振られられたくない話題なのかもしれない。
「ああでも、通常の状態なら普通の人間とあまり変わらない。身体能力が常人より少し高いのと、力がちょっとだけ強いだけに何とか留まってる」
「? 通常の状態って、どういう意味ですか?」
「鬼は封印してあるんだよ。私がやった」
廻迷さんは、あっさりと言った。
始めて陰陽師らしい台詞を聞いた気がした。
「けど今回、彼女は封印を緩めてまで君をここまで運んできたんだよ。全く、封印の術を編み直すのも骨が折れる」
「うわぁ・・・・・・ますます俺、申し訳なさすぎて死にそう・・・・・・」
廻迷さんも篝も、命の恩人だ。本当に頭が上がらない。
篝が普通の人間の姿なのも、鬼を封印させているのが理由らしい。
彼女の霊怪は憑依し、俺の霊怪は影に住む。同じ霊怪でも、こうも様々なかたちで関わってくるものなのか。
「けど、君がかがりを助けようとした優しさと、勇気だけは認めてやろう。それは人としてとても大切なものだ。これからも、大事に持っておきなさい」
と。ふと、廻迷さんは目を細めて、優しい声音でそう言った。
彼女は、飄々としていて、どこか全てを見透かしたような態度で、計り知れない力の強さを感じるが────その言葉を放った瞬間の廻迷さんは、まるで母親のような表情をしていたと思う。
泣きたくなるほど、あたたかな慈愛だった。
ああこの人は、本当に優しい人なのだろう、と俺は思った。
彼女の言葉は、真っ直ぐに心に入ってくる。
「人生の先生みたいですね。廻迷さん」
「む。先生よりも、お姉さんポジションが良いんだけどな、私」
口をとがらせる廻迷さん。
そこに、篝が口を挟む。
「めぐりさんは先生みたいですけれど、でも正直向いていないと思いますよ?」
「おい! どういう意味だあ!」
「だってめぐりさん、斬って解決出来ないもの、嫌いでしょう?」
クスクスと笑いながら篝は言った。廻迷さんは唸りながら目を逸らす。
物騒極まりないお姉さんだった。
「そうそう。話を戻すけれど、かがりの鬼は完全に封印出来ているわけじゃない。私の全力を以てしてもなお、封印しきれなかったんだ。・・・・・・鬼はかがりのなかで生き続けている」
「・・・・・・それが今の状態です。鬼の力が一割残されたこの状態で、通常なので・・・・・・」
「へえ。一割、ね・・・・・・」
九割封印されてるとは言え、鬼が身体に宿っているというのは、どんな気分なのだろうか。
俺には想像がつかなかった。
影に視線を落とす。カゲビトは、姿を現す気配も無かった。
そして、ふと。廻迷さんが言った言葉を思い出す。
『鬼は、霊怪の最上級だ』。
俺はとてつもなく嫌な予感がして、廻迷さんに聞いた。
「廻迷さん。鬼が霊怪の最上級って、それってつまり、一番強いってことですか?」
「そうだよ。それ以外に何があるのさ?」
「・・・・・・・・・・・・。」
頭が痛い。
つまり俺は。
「・・・・・・・・・・・・俺が飛び込んでいかなくても、かがりは一人であの獣の霊怪を倒せたってことですか?」
「勿論」
廻迷さんが満面の笑みで即答した。
篝は何か言いたげな表情で、目を逸らしていた。
追い討ちをかけるように、廻迷さんは、
「あんな低級霊怪、かがりが一蹴りすれば死ぬだろうね」
と軽い口調で言った。
つまり。
俺は自分の早とちりで、自ら命を投げ出す行為をしてしまったということだ。
「こんなことって・・・・・・嘘だろ俺・・・・・・?」
篝は口許に手を当て、笑いを堪えるようにぷるぷると震え、廻迷さんはというと、腹を抱えて声にならないほど大爆笑していた。
「何だよこのオチ─────!!」
男子高校生の叫び声が、夜の公園に響き渡った。
***
「はあ、笑った笑った。お姉さん疲れちゃったよ〜」
「俺がしたことって、一体・・・・・・。腹裂かれに行っただけ・・・・・・?」
「まあまあ。あのままだとかがりが鬼の力を使って倒していたかも知れないだろう? かがりにはアレ、辞めるようには言っていたしさ」
「でも結果的にかがりに鬼の力使わせてますよね? 俺のせいで」
「うん、そうだね」
バッサリと言う。
そもそも、一割残った鬼の影響で身体能力が上がっているというのなら、その一割の力でもしかしたら、獣の霊怪を彼女は倒していたのかもしれない。
呆れ返ってしまう、我ながら。
勝手に勘違いして、死にかけて────俺は二人に、返せないほどの借りを作ってしまったのだ。
文字通りの命の恩人で、俺はどうしたら彼女たちに恩を返せるか、どんなかたちで返せるか、それを聞こうと二人に問うた。
「かがり。廻迷さん。その・・・・・・俺は二人に、命を助けて貰いました。だから、恩返しをしたいんですが、俺なんかに、何か出来ることって、あったりしますか・・・・・・?」
俺は恐る恐る聞いた。
「私は霊怪関係の仕事はちゃんと報酬を受け取っているけれど、君はまだ高校生だから、そんなお金は持っていないだろう?」
「まあ、そうですね。けどバイトすれば、払えなくは・・・・・・」
「いや。君には、任せたいことがあるんだ」
廻迷さんは明るい笑顔を浮かべ、人差し指で俺の額に触れ、そのまま顔を近付けてくる。林檎色のルージュののった唇が、囁くように動く。その様子がひどく艶めかしく感じて、どきりと心臓が鳴った。
「君に、霊怪調査の手伝いをして欲しい」
「・・・・・・・・・・・・へ?」
思わず間抜けな声を出した俺に、廻迷さんは笑みを浮かべたまま続けた。
「何せ、この街は他よりも霊怪がたまりやすいくてさ。普段はかがりに頼んでるんだけど、なんせ女の子一人では不安だし人手が足りない。だから君に任せたいんだけど、良いかな?白神波都くん?」
俺は反射的に、廻迷さんではなく篝を見た。
彼女は何を言うこともなく、ただ俺が言葉を返すのを待っているようだった。
嫌そうな顔ではない。そのことに安堵した。
だからもう、答えは決まっている。
「やります。任せてください」
そのことで少しでも、二人に恩を返せるなら。
彼女たちは微かに目を見開いたあと、優しく笑った。二人とも、同じような表情をしていた。
こうして並んでみると、まるで姉妹のようだ、と思った。二人の間には、強い絆があることがよく見て取れる。
「うん。良い返事だ」
「よろしくお願いします、先輩!」
篝は明るい笑顔で手を差し出してきた。それは今まで浮かべていた笑みで一番明るく、そして美しい笑顔だった。
その笑顔だけで、彼女を助けようとして良かった、だなんて思えてしまうほどに、火縫篝は綺麗だった。
俺も彼女の笑顔に応えるように精一杯笑って、手を握り返した。
触れた手は不思議なくらいにあつかった。
「────よろしく、かがり」
強い風が吹き、篝の黒髪が大きく揺れる。
彼女は空を見上げ、釣られるように自分も頭を上に向ける。
ぼんやりと青白く輝く月は美しく、どこか妖しげな表情で三人を見下ろしていた。
「・・・・・・これはこれは。奇想天外な怪奇譚になりそうだ」
俺は足元を見た。
影が、ゆらゆらと揺れている。
嗚呼、これは全く。
─────廻迷巡の、言う通りだ。
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